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天女はたしかにこちらの敵意に反応しているようだった。
(こいつ……)
倫之助をちら、と見下ろす。
赤い眼鏡が全く似合っていない暗い男だと思っていたら、案外鋭いことに気づいた。
「まあ……どっちにしろ、片づけなければいけないんでしょうけどね……」
面倒くさそうに呟いてから、自身の楊貴妃を握りしめた。
天女の口がまた開く。倫之助の敵意に反応したのだろう。
真っ黒の口の中に、白いものが微かに光った。
それは目玉だ。
こちらを観察するように、ぎょろぎょろと動いている。
それを知ってか知らずか、倫之助は楊貴妃を振りかざした。
腰を落とし、明確に足を狙っている。
無論天女は倫之助を狙うが、まるで――ビデオが一時停止したように、ぴたりと止まった。
その隙をつき、彼は足――爪を楊貴妃で突く。
「――!!」
そこからビデオが再生されたように、甲高い天女の悲鳴が轟いた。
しかし、そんな「風彼此の能力」を造龍寺は知らない。
蝶班の連中の中にも、「時間を止める」力を持つものなど、いない。
そうなると、倫之助の能力だということになる。
そんな芸当――いっぱしの風彼此使いにはできない。
何故なら「時を止める」ということは、時間軸をずらさないということだ。
時は止まらない。
それを無理やり、しかも陰鬼に対してだけ、だ――止めるということは自身にも相当な負荷がかかるのが普通なのだが――。
(俺が知っている限り、こんな事ができる風彼此使いは、昔の――それも100年も前の人間だけだ。)
(あいつ……相当な負荷がかかっている筈なのに、普通にしてやがる。)
両爪を砕かれた天女は悲鳴をあげながら、ずしん、と体がコンクリートの上に崩れ落ちた。
「――……」
倫之助の眉がひそめられる。
後ろに飛び、造龍寺の隣に立った倫之助は頭を掻いた。
「やっぱり、変です」
「なにが変なんだ」
「クイーンなら、もっと……何ていうか、血なまぐさいんですよ」
「ああ……まあ、そうだな」
クイーンは、確かに「におう」のだ。
血肉を食らったような、腐臭が。
だがこの陰鬼はにおわない。だが、クイーンなのは確かだ。それは間違いない。
百花王を肩に担いだまま、造龍寺は地を這うように蠢いている陰鬼を見据えた。
「おい、鵠!」
水雪を守るように立ちはだかっている、鵠へ造龍寺が叫ぶ。
「おまえらは退避しろ。あとは俺らで何とかする。頭を打っているかもしれないからな」
「すみません、造龍寺さん」
鵠は水雪をゆっくりと抱き上げ、近くに停めていたトラックへ乗り込み、去っていった。
それを天女の口の中にある目玉が恨めしげに見送る様子を、倫之助は冷めた目で見上げている。
「……あのさ、喋れるんだろう」
ゆっくりとした速度で、倫之助が陰鬼へ近づいていく。
止めようとした造龍寺が口を開く直前、下から突き上げるような地響きが聞こえてきた。
地響きは、天女の方から聞こえてくるようだ。
地響きが聞こえているにも関わらず、倫之助は楊貴妃を手に近づく。
「おい! 倫之助!!」
天女は、まるで犬が威嚇するような唸り声をあげている。
「喋れるんだったら……」
「――……ぐ」
「離れろ!!」
爪がなくなった虎の腕が、倫之助に向かって振りかざされた。風を切る音が聞こえ、倫之助に襲い掛かる。
しかし彼はふらりと足を運んで、それを難なく避けた。
「にぐ……い……」
「!!」
もう一組のバディがひどく驚愕した表情をする。おそらくだが、これだけの知性が残っている陰鬼に遭遇したことがなかったのだろう。
「憎い……憎い……」
その声はまるで地響きのようで、美しい天女の顔からは想像もできない。
「……きみは……」
ぼそりと呟いた倫之助に構わず、天女は怨嗟を吐き続けている。
「そうか、きみは憎いのか。生きとし生けるものすべてが」
「倫之助!!」
地面が、ぐずりと腐り始めている。
それが徐々に、倫之助の足元に滲み始めていく。
「怨嗟」だ。陰鬼の。
それもクイーンの特徴だった。怨嗟は、生きているもの――存在する全てのものを腐らせる。
風彼此使いも当然含まれるのだから、始末に悪い。
「なら――その憎しみを、俺が絶つ」
倫之助の靴の先がどろりと溶ける。
目を閉じ、まわりの全ての感覚を遮断した。
視覚。
聴覚。
味覚。
嗅覚。
触覚。
遮断というよりも、拒絶といった方がいいのかもしれない。
楊貴妃の力のうちの一つ。
「千代の冠」。
五感をすべて拒絶し、陰鬼の「意識」のみを「心」で感じ取り――そして、それを拒絶する。
言えば「シャットダウン」。
シャットダウンされた陰鬼は、意識を切断された為に「知性」がなくなる。
知性がなくなった陰鬼はクイーンの資格を失い、ただの――陰鬼となるのだった。
それが倫之助が極力使いたくない力のひとつ、「千代の冠」だ。
倫之助の目が、すっと開く。
すると天女のシャットダウンされた知性の塊が、まるで竜巻のように黒く渦巻いていた。
「……随分、頭がよかったんだな。きみは」
ぼんやりとそれを見上げて、ぐずぐずに溶けてしまった靴を鬱陶しそうに脱ぐ。
そして緩やかに目を細めた。
「っ」
悲鳴を押し殺すように、息を止める。
「恐れるな! もう陰鬼は無力当然だ。おまえらだけで打ち倒せ!!」
はっと、残りの二人が目を見開く。
まるで氷のように固まっていた体が、造龍寺の一喝で我に返ったのか、それぞれの風彼此を掲げた。
倫之助の体が丸まり、膝をつく。
「倫之助、大丈夫か」
地面に手をつけたままの彼に、造龍寺が問う。
うねった黒い髪がゆっくりと前へ揺れた。
「だい……じょうぶです」
すっと、こめかみから脂汗がにじんで――落ちた。




