5
窓が粉々に割れる音がする。
だがういはそれを鬱陶しそうに割れた窓の方向へ視線を見やった。
破片は無論ひどい勢いで散らばったが、彼女と半蔵は傷一つついていない。
彼女の風彼此はまるで死神の鎌のような形をしていた。
昼の太陽に刃が反射して、ぎらりと不気味に輝いている。
柄の先には血のような真っ赤な房がついていたが、装飾はそれだけのようだった。
透明なシェルターの中にいるような感覚を覚える。
ばらばらと破片が流れ落ちる中、頭上に落ちてくる破片は、きんと弾いて床に落ちていった。
おそらくこれは、ういの風彼此の力だろう。
「これは……坊ちゃんの……」
「倫之助くん……? 倫之助くんがどうしたの?」
「坊ちゃんの力だ。あの方に……何かがあった」
半蔵は、割れたガラス窓から身を翻し、地上へと落下していった。
残されたういはため息をついて、おのれの鎌――通称「青女」を軽く振る。
すると、ばらばらに散ったガラスがふわりと浮き上がり、逆再生のように元にあった、あるべき場所へ収まってゆく。
「何があったのかしらね……。さて」
ういは自身の革張りの椅子にすわり、何かが「飛んできた」方向を見やった。
そこはかすかに――黒ずんだ渦のようなものが渦巻いていた。
――陰鬼だ。
陰鬼が何かを起こしている。
だがういはそこから動かず、ただ高見の見物を決め込むように、足を組んだ。
その陰鬼は、まるで――巨大な――4メートルはあろう天女のようだった。
優しげな目を半分に開いて、黒いつややかな髪はひどく長い。
美しい羽衣をまとい、白い胸をむき出しにしている。だが足はまるで虎のように獰猛な爪をしていた。
「こいつぁ……クイーンだな……」
苦笑いをしたのは造龍寺だった。
彼の風彼此である百花王は、巨大な獲物に舌なめずりするように打ち震えている。
「おいおい、百花王。ちっとは落ち着いたらどうだ」
「造龍寺! こいつは、本当にクイーンなのか?」
「ああ、間違いねぇ。確かにこいつはクイーンだ。俺にはそう見える」
「じゃ、間違いないな。まったく、こんなところで大型、それもクイーンに出くわすとはなあ」
三組――計六人の風彼此使いたちは、ぐるりとその「天女」を囲んでいる。
逃げられないように。だが、逃げられないのは六人も同じだ。
この辺りのレストラン街はすべて封鎖されている。だがその範囲は狭く、大暴れはできない。
その理由は「金がかかるから、損壊を最小限にしろ」とのことだった。
上部からの言いつけだ。守らないわけにはいかない。
「全く、いい身分だぜ。そう思わねぇか? 倫之助」
「え? ああ……はぁ」
天女はただ静かに、ここにいる六人を見下ろしている。
乾いた声で頷いた倫之助は、ぼんやりとその天女を見上げていた。
それを聞いた造龍寺は呆れたように肩をすくめる。
「さぁて……お偉いさんに怒られる前に片づけるぞ!」
「了解」
それに呼応するように、天女はぽっかりと口を開けた。
その中は――まるで小さな宇宙のように、黒い。
ぞくり、と。
氷が背中を滑ったような感覚。
だが造龍寺はそれさえも愉しむように、百花王の柄を握りなおす。
にっとくちびるを歪め、地を蹴った。
天女はその敵意に反応したのか、ぐるり、と造龍寺の方へ向き直る。
虎に似た足で彼と同じように地を蹴った。
それにつられたのか、倫之助含む5人が天女へ刃をむける。
地を削る音がする。天女の爪が地面を抉りとったのだ。
「あーあーあー。こりゃお偉いさんから怒られるわ……」
地を蹴ったままの造龍寺は百花王を握りしめ、思い切り地面から飛んだ。
下半身である虎の爪を受けない程度の高さまで飛翔し、大太刀を天女の顔面に叩き付ける。
「うおっ」
ぎん、と鉄と鉄がこすれる音がして造龍寺が与えた力がそのまま自身に跳ね返ってきた。
宙に投げ出されたが、すぐに体をひねって着地する。
「こいつはまた……大蛇の時よりもかてぇな」
「ということは、また弱点を探さなくちゃいけないということ?」
おそらく大蛇の報告書を読んだであろう女性が、ぼそりと呟いた。
造龍寺は多分な、と頷いて、百花王を肩に担ぐ。
そして、倫之助の顔を見やった。
「おまえならどうする? この陰鬼をどう倒す」
「そうですね……。とりあえず、足を砕けばいいんじゃないですか。危険ですけど」
まるで他人事のように言う倫之助を見て、造龍寺はにっと笑った。
「いい答えだ。よし、おまえら、足を狙え。俺は陰鬼の視線を外すために上を狙う」
「了解」
天女の羽衣がふわっと揺れる。
それが合図だったように、先ほど攻撃した造龍寺へ叩き付けるように鋭い爪を掲げた。
地面に転がっていた空き缶をも巻き上げて、風が吹き荒れる。
「きゃっ!!」
女性の悲鳴が聞こえる。その次に彼女が手放してしまった風彼此が、コンクリートに突き刺さった。
背中をしたたかに打ち付けて、髪の毛をポニーテイルにした女性は気を失ってしまったように、コンクリートに崩れ落ちた。
「水雪!」
バディであろう男性が水雪という女性に駆け寄る。
しかし、この陰鬼が特殊な攻撃をするということが分かった。
「風を操る陰鬼か」
「あの、造龍寺さん」
「あ? どうした倫之助」
「ちょっと、この陰鬼おかしい気がするんですけど……」
「どこかだ?」
走りだそうとした造龍寺を止めた倫之助が、ぼそりと呟く。
「なにか……こちらを窺っているような……」
「窺う?」
「だってほら、今も襲ってこない。こちらが敵意を見せなければ、あの陰鬼は襲ってこない気がするんですよ」




