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その2日後蝶班班長である糸巻ういに、彼女の部屋に招集された。
招集されたのは造龍寺に半蔵、倫之助の他に女性が二人、男性が二人。
おそらく倫之助達の他にバディ2組ということだろう。
「よく集まってくれたわね。今回集まってもらったのは――巨大な陰鬼が出現したからよ」
「巨大な……?」
つぶやいたのは、倫之助も名も知らない女性だった。髪の毛はポニーテイルに縛られて、活発そうな顔をしている。
年は20代前半くらいだろう。
「陰鬼はレストラン街に出現。今は本部で抑えているけれど、手が足りない為にこちらでも応戦することになったの。そのため、すぐにでも出撃してちょうだい。トラックはもう手配してあるわ」
「了解」
「了解」
「あ、造龍寺くん。ここは禁煙だって何回言ったらわかるの、もう」
「はいはい、了解了解」
面倒くさそうに煙草を携帯灰皿に押しつぶした。
まったくもう、という声が聞こえたが彼は無視するように、よれよれのスーツの襟を申し訳程度に正す。
彼に続くのは、倫之助だけだ。
半蔵はういに残れと言われたため、残っている。
しかし、倫之助のことを心配していることは、ういも分かっていた。
「そんなに心配かしら。倫之助くんのこと」
「それはもう。あの方はご自分のことを分かってらっしゃらないのですから。昔から無茶ばかりして……」
「そう。なら、私と一緒に来てちょうだい。あなたに見せたいものがあるの」
「え? 出撃しないんですか?」
「あなたがいなくとも、おそらく大丈夫でしょう」
ういは、くるりと半蔵に背を向けると無機質な部屋を出た。半蔵もあわててその後を追う。
エスカレーターで一階まで降り、更に地下へ降りる階段があることに、今更気づいた。
「地下?」
「そう。ここに、あなたに見せたいものがある」
薄暗い階段を少しずつ、下っていく。
半蔵の胸中に、どこか不安という闇が巣食っていくような気がしてならない。
「ここよ」
何段、階段を下っただろうか。いつの間にか目の前に扉があった。
指紋照合、網膜照合をしなければ中に入ることはできないようだ。ういは指を照合機に押し付け、そして目をカメラに向けた。
すると、重たげな音をたてて扉が開く。
「どうぞ。半蔵くん」
「……はい」
本当は入りたくなかったが、ういの視線に耐えかねて、ゆっくりと足を踏み入れた。
暗かったが彼女がすぐに電気をつけると、そこは――。
「……!!」
息をのむ。
巨大な水槽が目の前に、まるでこの部屋の主のように――立ちはだかっていた。
しかもその水槽の中は真っ赤で、血のようで吐き気がする。
「こ、これは……」
「これは、陰鬼よ」
「陰鬼……!?」
「そう。とてつもない力を持つ、陰鬼。おそらく、猪鹿蝶の班総動員しても勝てるかどうか分からない代物」
半蔵がその水槽から目を逸らそうとしたとき、ごん、と部屋が揺れる程の振動が響く。
思わず視線を戻し、水槽に張り付いた「それ」に息をのんだ。
「な……っ、か、顔!?」
白い、能面のような顔。それが真っ赤な液の中に浮かんでいる。
きりきりと心臓を縛り上げられるような恐怖心が半蔵を苦しめた。
「そう。これは未だかつて発見されていない筈の――完全ヒト型の陰鬼」
陰鬼は現時点で完全なヒトの形を持ったものはいない。普通のヒト型――倫之助の学校で放たれた絡新婦など、動物や昆虫と混ざり合った所謂「まざりもの」が本来あるべき陰鬼だ。
「なぜ、こんな場所に……」
「実験体。これを何故ここに引きずり込めたのか、蝶班班長の私でも分からない」
「実験体? なんのために」
「陰鬼は徐々に増え始めている。その理由を私たちは研究しているのよ。この陰鬼は、陰鬼の中でも特に強力な力を持っている。短絡的だろうけれど、この陰鬼を調べ上げれば何かがわかる――。そんな気がするの」
「なぜこれを、俺に」
半蔵はどこか苛々とした感覚を覚えた。
彼女は何かを隠している。そんな気がしてならないのだ。
「あなたに協力してほしいのよ。あなたは、強い。あなたが思っている以上に。倫之助くんには及ばないかもしれないけれど、ね」
「それは……脅迫か?」
いつの間にか、半蔵は敬語をわすれていた。
だが、それでもいいと彼は自覚している。
「俺が協力しなければ、坊ちゃんに協力を仰ぐ。そういうことだろ」
「話が早いわ」
にこりと笑ったが、ういの表情はどこか固かった。
彼女もこの場所にいるのが辛いのだろう。この陰鬼の力なのかまるで空気を侵すように、ねちっこい空気が迫ってくる。
おそらく、常人ならば気を失っているだろう。悪ければ精神にも異常をきたしてしまっていたかもしれない。
「出ましょう。ここにあまりいるべきではなかったわ」
彼女は先にこの部屋から出て、扉を閉めた。オートロック式なのか、鍵が閉まる音が耳に重たく響く。
どっと疲れがでた。
階段を上るのもおっくうだ。
再び彼女の研究室に戻ったときには、息がすこしだけ上がっていた。
細い呼吸音が二人分聞こえる。
「まず、してもらいたいことがあるの」
「なんだ」
「サンプルがほしい」
「サンプル? なんのサンプルだ」
「彼の――倫之助くんの血よ」
「坊ちゃんに血を流せというのか! それに、坊ちゃんの血を何に……」
激高する半蔵を、ういは手のひらで制す。
ふわりと髪の毛がゆれて、白いほおは少し青ざめているようにも見えた。
先ほどの完全人型の陰鬼の気に中てられたのだろうか。
「彼は特別。ほかの風彼此使いと、一線を画している。それをあなたも知っているはず。特別だから、服部半蔵正成の名を受け継ぐあなたが頭を垂れるのも当たり前ね」
「そんな気持ちだけで俺はあの方に仕えているんじゃない!」
「知ってるわ。あなたを見ればね」
薄い目の色が半蔵を見つめる。
その目が心を覗き見ているようで、彼は眉間にしわを寄せた。
「あなたは知らないかもしれないけれど、あの陰鬼と彼――倫之助くんには、似たところがある。波動、といえばいいかしらね」
「波動……?」
「詳しくは分からない。でも、彼の身体検査をした時、確かにあの陰鬼と同じところがあった。例えば脈拍、とかね。そして何よりおかしかったのは――」
彼女がくちびるを開けようとしたとき、風を切る音が聞こえた。