3
コースが終わり、ゆっくりとコーヒーを飲んでいると、今まで黙っていた造龍寺がガラス窓の向こうに広がる黒い空を見上げた。
かすかに、眉を寄せる。
「どうしたの、兄さん」
「いや? ちっとばかし、気になるもんを見つけてね」
「また、星?」
「ああ、まぁなあ。よくない兆候だ」
ちっと舌打ちをして胸ポケットをまさぐるも、そういえばここは禁煙だったな、と気づいて手を白磁のコーヒーカップに戻した。
「明日か――明後日か。また陰鬼が出る。場所は、このあたりだな……」
造龍寺はコーヒーを一口飲んでから、首の後ろを掻いた。
面倒くさそうにしている造龍寺をよそに鈴衛はどこか意気込んでいるようだ。
「え? ほんと? よーし、鹿班だって蝶班に負けてらんないんだからね!」
どうやら鈴衛は、好戦的な性格らしい――。
ビルに着いたのは、遅い時間だった。
地下の寮の部屋には個々、風呂がついている。無論、トイレとは別のユニットバスだ。
半蔵はひとり、ユニットバスの中で伸びをした。
久しぶりに酒というものを飲んだせいか、頭がすこしぼうっとする。
水滴をまき散らせながら、意識を浮き上がらせようと頭を犬のように振った。
今はただ自分の主――倫之助のことが心配だった。
彼のことは、自分の命よりも優先なのだから。
赤い髪の女。
彼とおなじ顔をしているというその女は一体、何者なのだろうか。
半蔵は実際それを見たこともないのだが、倫之助の不安要因ならばできるだけ拭い去りたい。
だが、その要因は彼の夢の中の話だ。
今の半蔵には、どうすることもできない。
「くそっ……」
それが妙に悔しくて湯を無意味に拳でたたいた。
ばしゃん、と音がして、半蔵の顔に容赦なくふりそそぐ。
「ああもう……」
もっと冷静にならなければと思うほど、半蔵の胸中は穏やかではなくなった。
濡れた黒く艶めいた髪の毛を無遠慮に手でこすって、立ち上がる。
寝間着代わりの浴衣の帯をいつもよりきつく結って、髪の毛も乾かさずにベッドの中へ沈み込んだ。
「坊ちゃんは大丈夫だろうか……」
もう時刻は深夜を回っている。
だが、大丈夫か、大丈夫か、と思い続ける程、彼の部屋へ行ってきちんと眠っているか確かめてみたくなる。
居てもたってもいられず、半蔵は自室から早足で出ていった。
倫之助の部屋は半蔵の部屋の隣だ。
「坊ちゃん!」
ほかの部屋の住人のことも考えないで、半蔵は大声をあげながら扉を開けた。
「うわっ!」
倫之助はちょうど着替えている最中で、髪の毛も濡れている。
眼鏡はかけていないからか、それが半蔵であることを、一瞬理解できなかった。
「坊ちゃん! 無事でしたか!」
「……は?」
後ろ手で背の低いタンスの上に置いてあった眼鏡をかける。
倫之助は今、言うなればパンツ一丁の姿だった。本当はバスルームの方で着替える予定だったが、寝間着をタンスに仕舞ったままだったことを忘れていたのだ。
「何かあったのか?」
タンスから無理やり部屋着を取り出して、着替え始める。
その声は緊張感がなく、またか、という呆れた声だった。
「特に何も! でも、今日の坊ちゃんのことを思うと眠れなくて」
はあ、とため息を吐き出して倫之助はベッドの上に座った。
「別に、おまえには関係ないだろ。俺の問題なんだから」
「関係あります! 大ありです! 俺はいつも坊ちゃんのことを考えて」
「ああ、そうだったそうだった」
面倒くさそうに半蔵の言葉をさえぎって適当な返事をし、頭を掻く。
いつだって半蔵は倫之助のことを考えている。そう、命など惜しくないとまで思うまで。
「明日か明後日、また陰鬼が出るんだろ? おまえももう、休んだらどうだ」
「って、信じてるんですか? 造龍寺の言ったことを」
「気に掛けるに越したことはないだろ」
「まあ、そうですけど……」
口を尖らせているが全くもって可愛くない。再び倫之助はため息を吐き出して、無意味に天井を見上げた。
LEDのそれは、明るく倫之助の頬を照らしている。
「そういえば」
すこしの沈黙のあと、口を開いたのは倫之助だった。
何かを思い出したように。
「どうしました? 坊ちゃん」
「……どうして急に、虚空が3本からいきなり5本になったのか分からないんだ」
ふつうは3本から4本、4本から5本になるのが道理なのだが。
「そうですねぇ……。こんな話を聞いたことがありますよ。風彼此は、高校生特有の心の揺らぎに呼応して、形や数も変わるようです。だからじゃないですか」
「そうか……」
それは授業で習った気がする。
しかし、紫剣総合学園にいた頃が、もう遠い昔のように感じる。
在籍していたのは、つい最近だというのに。
「まあ、それなら説明はつくけどね……」
「まだ何か?」
「いや。別に」
「そうですか。では、俺はこれで。おやすみなさい、坊ちゃん」
「お休み」
この部屋に来る時とは正反対で、そうっと、音を立てずに出ていった。
出ていったことを確認した倫之助は、ベッドの中にずるずると入りこむ。
今日何度目かになるため息を吐き出し、眼鏡を外してタンスの上に置いた。
「今日は……夢を見たくないな……」
ぼやくと、泥沼のように眠りに落ちた。




