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鈴衛は蝶班ではなく、鹿班だと聞いた。
鹿班の班長はひどく堅物で、面白くないとも言っていた。
大蛇退治の日から数日たったある日、鈴衛が「ごはんを食べに行こう」と誘ってきた。
「半蔵くんも一緒に」
隣に立っていた半蔵を鈴衛が見やると、すこしだけ嫌な顔をしている。
もしかすると半蔵は彼女が苦手なのかもしれない。
何故かは知らないけど。
「今日の6時にエントランスでね。待ってるよ」
黒い髪をばっさり切ったような鈴衛は、くるりと背を向けると、自室へ向かってしまった。
ちらと半蔵を見ると、すでに嫌な顔はしておらず、こちらの視線に気づいたようだ。
「苦手なのか? 鈴衛さん」
「ええ、まあ……。苦手というか、何というか……」
「……ふうん」
倫之助はさして興味なさそうに頷くと、そこから踵を返す。
当たり前のようについてくる半蔵は、先刻の表情とはまったく違った。ずいぶんと上機嫌のようだ。
どうしたと問うと、いいえと返ってくる。
何がいいえなのかさえ分からず、自分の用事を済ませようと図書室へむかった。
図書室のなかはひやりとしていて、だいぶ暑さがしのげる。
周りに人はわずかながらいるが、誰も本を読んでいない。
みな机につっぷして眠っているようだ。
倫之助は本が並んでいる棚を見つめて、ぶらぶらと歩き始めた。
「……」
周りを見渡して、あ、と声が漏れる。
――あった。
その本を手に取ると、半蔵が驚いたように目を見開いた姿が見えた。
「坊ちゃん、それは……」
「ああ、うん。ちょっと気になる夢を見てね」
「夢?」
「いつも出てくるんだ。赤い髪の、女の人が」
手に取った本は、陰鬼についての歴史本だった。
陰鬼について話したあの女は、一体何者なのか。陰鬼の何を知っていたのか。
ここに書かれていればラッキーというだけで、この本に載っていなければいないでいいのだが。
司書に借りる手続きをして、持ち帰る。
涼しい図書室にいると、眠くなりそうだからだ。
「半蔵、どこまでついてくるんだよ……」
自室に戻っても、半蔵は着いてきている。半蔵の部屋はすぐ目の前だというのに。
「お気になさらず。それより、夢の内容は憶えていますか?」
「ああ、うん、まあ……」
急かされて夢の内容をかいつまんで告げると、半蔵はひどく険しい表情になった。
それでも「そうですか」と言っただけで、あとはなにも言わずに、黙ってしまう。
気にはなったが、いつもの表情に戻った半蔵は、特別何かを知っている風でもないようだ。
「あまり、覚えるものではありませんけどね。夢は忘れるものですから、坊ちゃんも忘れた方がいいですよ」
「半蔵が覚えているかって言ったんじゃないか」
手のなかの本を手持ちぶさたにしていると、半蔵はすこしだけ微笑んだ。
「ええ、だからです。夢なんか覚えているものじゃありません。俺の知り合いに、夢と現実の区別がつかなくなった男がいるんです」
「へぇ」
赤い縁の奥、黄金色の目が細められる。
その眼はひどく冷たく、凍えるような色をしていた。
半蔵の背筋に冷たいものが通り、指先ひとつ動かすことができない。
「……半蔵の言うとおりだよ」
「坊ちゃん……」
「夢なんか覚える以前に、見なければいいのに。半蔵。知ってるか?夢は、前世の自分が見た光景だったり、神のお告げだったりするんだってさ。俺は、そうとは思わない」
ごくりと喉を鳴らし、半蔵はその黄金色の目にとらわれたまま、倫之助の言葉にひどく戦慄した。
「夢は、見ているんじゃない。見せられているんだよ」
「そ、れは、どういう……」
「分からない。ほかの人はどうか知らないけど、俺の場合は誰かに操られている気がする。俺の背中の痣に」
ぼそりと呟いた倫之助は、わずかな不安を覚えているようだった。
少しだけ背中を丸めて、本の表紙を撫でている。
「赤い髪の女は、一体なんなんだろう。俺とおなじ顔をして、俺の知らないことを言う」
「……」
それは夢だからですよ、と笑い飛ばすことが半蔵はできずにいた。
そう言うことができれば、半蔵にとっても倫之助にとっても、楽だっただろう。
しかし、言えなかった。
そんな単純なものではなかったからだ。
「おまえの言う通り、忘れられたら楽だろうな」
頬にかかる黒い髪がわずかに揺れる。
「……おまえさ」
ふいに倫之助が半蔵の顔を見上げ、呆れたように呟いた。
「はい?」
「いつまで俺のお守りなんかしているんだ? いい加減、服部の親父さんに孫の顔を見せてあげなよ」
「ああ、そんな事ですか。大丈夫。坊ちゃんがお嫁様をもらったら、真剣になりますから」
「いや、それはない」
「ええ? 好きな子の一人や二人、いるでしょう。坊ちゃんくらいの年だったら」
「残念ながらいないよ。それに、好きな子ができる予定もない。おまえだって、おまえくらいの顔立ちだったら、言い寄る女の一人や二人いるだろ」
「まあ、いないとは言いませんが、俺も予定はありませんねぇ。それに何ですか、予定もないって」
半蔵はからかうように笑うも、倫之助は真顔のまま、うつむいた。
――こんな不気味な痣を持つ人間を愛する人間などいやしない。
その前に、どうでもよかった。
「俺の背の痣を見て、それを言うのか。おまえは」
この痣を見せたのは、半蔵だけだ。
父親である峰次には見せていない。
学校の着替えも、気を使った。
プールなども入ったことがない。
倫之助にとって、地味に生きていくことが唯一の希望だった。




