6
車が向かった先は、倫之助が知らない土地だった。
一言でいえば住宅街だろうか。
幾重にも家々が建ち並んで、平たい場所はない。
いつもは人気であふれているであろう場所も、今は平坦で、静かだった。
「お疲れ様です」
敬礼をしたのは、この町の警察官だろう。
造龍寺はその先を促すと、陰鬼が出没した場所を聞き出す。
今のところ負傷者はないが、かなり巨大な陰鬼らしい。
「了解。行くぞ」
造龍寺が走り出した後を追うと、徐々に徐々に陰鬼の臭いが強くなってゆくことに気づく。
腐臭。
死臭。
それがまじりあって、じくじくと痛む。
己の背が。
手に携えた楊貴妃がどこか落ち着いていない。
それは自分の心が落ち着いていないのと同意だ。
「……」
なぜ落ち着かないのか分からない。陰鬼に相対する時も、落ち着いていない事はなかったというのに。
――ああ、一度だけあったか。
倫之助は心中でうなずくと、ひたすら走る造龍寺の背中を見据えた。
数分後、彼の足が止まった先はごくごく普通の道路だった。
ただし、その道路の真ん中にとぐろを巻いている大蛇が舌を出して威嚇している。
ガラガラヘビのような音をたてて、三人の男たちを黄色い目で見下ろした。
「……。こりゃあ」
厄介な陰鬼だ。
造龍寺が呟いた言葉に、半蔵は重く頷く。
時折、知性を持つ陰鬼が現れる。それは頭がよく、ずる賢い。
よって、言葉を話すものすらいる。
知性がない陰鬼は、この世界に数えられないほどいるが、この蛇――知性を持つ存在は、滅多に目にかかれない。
それでもこの陰鬼は、話すことはできないようだ。
黄土色の蛇はこちらを睨むと首をもたげ、音をたててこちらに向かってくる。
造龍寺の手には、太刀が握られていた。
その太刀はひどく巨大で、一メートルを優に超えている。
刀身は白銀で、誇らしげに日に浴びて輝いていた。
以前造龍寺にその風彼此の名を訪ねたとき「百花王」と答えた。
百花王――花中の王――いわゆる、牡丹の名。
その名を冠した風彼此は造龍寺の手によって唸りを上げる。
ぎん、と、耳を突き刺す音が聞こえた。
大蛇の牙と百花王の牙がはじけた音だ。
「ち……っ、かってぇな!」
吐き捨て、放り出された腕をふたたび力ませて大蛇へと牙をむく。
倫之助は幾分か落ち着いた楊貴妃を握りしめ、地面を蹴った。
――固いところは牙だけだとは思っていない。
おそらく、体も固いだろう。
長丁場は危険だ。
この大蛇は――毒をもっている。
大蛇の鱗を楊貴妃で斬っても、やはり硬い。
すぐに首をもたげてこちらに牙をむいてくるが、後ろに飛んでそれを避ける。
「一筋縄ではいかないようですね。坊ちゃん」
「まあ、見ての通りかな……」
「何しろ、硬すぎる……って、うおっ」
ため息を吐き出そうとするも、余裕はない。
尾を鞭のように撓らせ、こちらに打ってくる。
造龍寺の百花王がそれをはじくも無傷ではすまなかった。
「造龍寺さん!」
勢い余った体は投げ出され、地面に放られる。
思い切り打ち付けられた造龍寺は呻くも、どうやら意識はあるらしい。
「んの、やろ……」
百花王を握りしめて膝をついている。
とどめを刺そうと大蛇が巨大な口を開けて襲い掛かった。それの牙を半蔵の槍――六連星が受け止める。
ぎちぎちとひどい力で半蔵をも飲み込もうとする大蛇の目は半月型に瞳孔が開いていて、ひどく不気味だ。
「!」
半蔵に気を取られすぎていた――。
突如尾が目の前に迫り、――それから――目の前がぼやけて、かしゃん、と軽い音が聞こえた。
夢を見ていた気がする。
陰鬼がいない、誰も命がけで戦わなくてもいい世界。
何もない。
――正義も悪も、理由も意味もなにもない世界。
何もかもが平坦で、喜びも悲しみも、何もない。
混沌も平穏も――虚無感さえ与えられない世界の夢を。
赤い髪の女が言う。
――これは、キミが望んだ世界。
――俺が?
――意味を探したって、何もない。
だって、人間なんて意味なんてない。
だから陰鬼がいる。
陰鬼は人間の心から生まれたもの。
人間の絶望や虚無を喰らって、本心――真実を解き放ってできた、人間が究極に進化したもの。
陰鬼は悲しい。
陰鬼は苦しい。
人間が培ってきた、感情。
それが爆発的に増えたのは、最近よ。だから陰鬼は増え続ける。
現在の人間が感じている、虚しさや悲しさを喰らって。
――だったら、俺が斬る。
――斬っても、なくならない。
人間が存続する限り。
だって人間は悲しみと憎しみを生む唯一の生物だから。
だからこそ、人間には意味も何もない。
意味があるから、人間は悲しみ、憎む。
それなのに、キミは意味を探し続けている。
自分がここにいていい意味を。
――本当は、意味なんて何もないのにね……。
はっ、と目を無理やり開く。
その直後、背中に激痛が走った。
目の前には大蛇の巨大な首がある。目を見開いて、思い切り体を起こして横へ避けた。
がっ、というにぶい音がすると、そのコンクリートの地面は陥没し、ぼろぼろになっている。
たぶん毒素か何かで溶けたのだろう。
「坊ちゃん!」
「大丈夫か、倫之助!」
倫之助をかばおうとしたのか、半蔵と造龍寺が駆け寄ってくるも、それさえも大蛇に拒まれる。
あの赤い髪の女は、一体――。
自分とまったく同じ顔をしていた。黄金色の目も同じ。
声も、自分よりもすこし高い程度だ。
目の前の大蛇よりも、あの女の声が今の倫之助にとって気にかかることだった。