5
夢を見た。
自分とは何なのか。
沢瀉倫之助ではない自分が尋ねる。
おまえはなんなのか。
名もなく
体もなく
ただその身に蛇を飼うもの。
自らが問う。
おまえは何者か。
そんなもの、何もない。
答える。
生物が存在していることに意味などないように。
生物が存在する目的など、どこにもないように。
その問い自体が意味のないものだ。
ただただ単に紡がれてゆく負の連鎖。
意味もなく失われ、意味もなく繋がれてゆく連鎖は、断ち切ることこそが正義。
それが我々の正義だ。
「……」
唐突に背中が痛んだ。
ベッドから飛び起きて、背中を丸める。
「ぅ……っ」
まるで、背から体全体を締め付けられるような痛みにただただ耐えた。
時折あるが、この痛みは何なのか、何のための痛みなのか分からない。
――峰次にも、祖母にも言っていない。
半蔵には以前、ばれたが。
みしみしという音が体の中を蛇のように這いずり回る。
脂汗が滲み、ただ口を噛みしめて耐えた。
誰にも言えない。
自分自身の事さえ分からないのに、こんなことは。
どれ程痛みに耐えていたのか分からない。
一時間程だと思って時計を見れば、まだ20分もたっていなかった。
汗を袖で乱暴に拭って、大きくため息を吐き出す。
「倫之助」
扉の向こうで、焦ったような声が聞こえた。
思わず体が強張るも、何かあったのだろう、すぐに返事をする。
「俺だ。造龍寺だ。すぐに来てくれ。陰鬼が出た」
「着替えてすぐに行きます」
箪笥に仕舞ってある服に着替えると、扉を開けると、造龍寺と半蔵がいた。
なぜ半蔵がいるのか分からないが、造龍寺は「すぐに出るぞ」と廊下を走り出す。
「……坊ちゃん。大丈夫ですか」
先を走る造龍寺が携帯で誰かと話をしている間、相変わらず藍色の作務衣を着ている半蔵がぽつり、と尋ねてきた。
なぜばれたのかも分からず、頷いて見せる。
本当は耐えきれるほどの痛みではないが、自分の痛みは自分でしか分からないのだから仕方がない。
どうせ――誰も分からないのだから。
さまざまなことも、さまざまなものも。
造龍寺が車を取ってくる間、ビルのエントランスで待つ。
「坊ちゃん」
半蔵が倫之助の顔をのぞき込むと、ぎくりと顔をこわばらせた。
鈍い黄金色の瞳孔が尖っている。
まるで――蛇のように。
「……何?」
「あ、いいえ、なんでも」
赤い縁の眼鏡の奥。
その眼がまっすぐ半蔵を見据えている。
「夢を見たんだ」
唐突に呟く倫之助を、ただ半蔵は見つめた。
冷たいものが半蔵の背筋を襲う。それは見知りすぎているものだった。
――純粋な恐怖。
一筋の混じり気もない、ただただ透明に浸透してゆく、恐怖。
「……人間が存続する意味も、目的も、本当は何もない――。嘘も真実も、本当は何の意味もないものなんだ、と」
「――……」
まるで金縛りにあったかのように体が動かない。
ただ目を見開き、その尖った瞳孔を見下ろす。
「だから、おまえは何なのか、なんの意味があるのかという問い自体が、何の意味もないことなんだって」
「虚無ですね」
喉が締め付けられるような痛みの後、ただそれだけが――虚無という言葉だけがこぼれた。
「そんな意味のない連鎖を断ち切ることこそが、我々の正義だ、と」
「――誰がそんなことを」
倫之助はそんなことは言わない。
決して言わない。
そう言える。
10年も倫之助の傍にいた半蔵には。
黒く、すこしだけうねった髪がゆらりと揺れた。
「分からない。夢のなかのことだから。きっとそれこそ意味のないことなんだろ」
「そう、ですか……。そうですね」
だが、半蔵は――嫌な予感しかしない。
倫之助のあの痛がりよう。
あれと無意識に繋がって、わずかに身震いする。
ふいと顔をそらせて、倫之助はやってきた車に視線を向けた。
「なあ、半蔵」
「はい」
「カガチってなんだろう」
ぽつりと呟いた倫之助は、すぐ目前に停まった車に乗り込んだ。
半蔵はカガチという単語に目を見開き、呆然と立ちすくむ。
「おい、半蔵。何やってんだ、行くぞ!」
立ちつくす半蔵は、造龍寺に急かされてのろのろと車に乗った。
カガチ――。
鬼灯の古い名。
または、大蛇の異名。
半蔵の脳裏に倫之助が背負う蛇の痣が浮かんだ。
メビウスの輪のようにうねり、ウロボロスのように自らの尾をくわえているその痣の意味。
「……」
倫之助は何を思っているのだろうか。
自ら背負う、その蛇を。