4
半蔵は無理やり倫之助の部屋の前に住み込みをすることになった。
本当に世話をするつもりなのだろう。
「……」
ここに入寮して四日がたった。
たぶん今頃、試験を受けているだろう。
学力試験と実技試験だ。半蔵も付き添いたかったが、倫之助からきつく拒絶されたので、仕方なく部屋で待機している。
「ここも、久しぶりだな……」
椅子に座って、ぼんやりと天井を見上げた。
半蔵はここに住んでいたことを思い出す。
あれは10年も前だっただろうか。
10年前、班は違えど上部の班に所属していた。
ある事件が起きた後、半蔵は沢瀉の家に手伝いとして転がり込んだ。
峰次に頭を下げてまで。
彼には家に帰れない理由がある。
服部半蔵正成の名は重いからこその理由が。
――十年前。
「……は?」
奥の間に呼ばれた半蔵と小学校2年生の倫之助を座らせ、再び峰次が呟く。
「互いの風彼此で戦え。人間同士の戦闘は許可されていないが、今回は特別に私が許可する」
「……」
倫之助をちら、と見ると、ぼんやりとしたまま頷いた。
「ちょ、ちょっと待ってください旦那様。どうしてそんな……」
「これは試験だ。倫之助に勝てたらおまえをここで正式に世話人として雇ってやる」
当時半蔵は16歳。
未だ高校に通っていてもいい年だが、休学している。
倫之助は立ち上がって中庭に出て行ってしまった。
こうなっては仕方がない。
半蔵は仕方がなく中庭に行き、風彼此――六連星を握った。
縁側では峰次が座り、冷ややかな目でこちらを見つめている。
「では、始め」
凍えそうなほどの冷たい声が、耳朶を過ぎてゆく。
――白い炎が噴き出た。
半蔵ではなく、倫之助の背後から。
彼の手には真紅に輝く刀――楊貴妃が握られている。
「……」
圧倒されていた。
ただ、倫之助の正眼の構えを目の前にしているだけだというのに。
その後ろには白い人魂のようなものが一つ、ちりちりと揺蕩っている。
――違う。
半蔵は即座に理解した。
この子供は、自分とは違う。根本的に。
黄金色の目。
真っ黒な髪。そのちぐはぐな色が、半蔵の目を焼いた。
半蔵がどれ程努力して、どれ程強くなったとしても、倫之助には勝てない。
何故か、そう理解した。
そこに悔しさも妬みも、何もなかった。
すとんと、すんなりとそれを受け入れたのだ。
半蔵は六連星を落とし、消した。
――風彼此は、自らの戦意と同じだ。
戦意を失えば勝手に消滅する。逆に戦意があれば、出現するのだ。
「……負けました」
半蔵はつぶやき、倫之助に首を垂れた。
「……」
倫之助はただぽかん、として、半蔵を見上げている。
まるで何があったのか分からない、とでも言っているかのようだ。
「いいだろう」
押し黙っていた峰次は重く頷き、口を開く。
「おまえを正式に、この家に迎え入れよう」
「え……」
今度は半蔵が呆然とする。
完全な敗北だ。そもそもが違うのだから。
根本的な何かが。
「おまえは、理解している。根本的にな――生物としての本能が、おまえにはあった。それだけで十分な理由になる」
「は、はあ……」
半蔵は呆然としながらもうなずいた。
実際、助かるのだ。行く場所がないのだから。
「ありがとうございます……」
「それは重要なことだ。それが分からない風彼此使いなら、すぐに死ぬだろう。すぐに死ぬ男など、この家にはいらぬ」
きっぱりと切り捨て、峰次は奥の間へ戻っていった。
残された倫之助――その手には、すでに楊貴妃はない。そして半蔵は、呆然としたまま視線を合わせた。
「……ええと……。なんでか分からないけど、よろしくお願いします」
「はい。坊ちゃん」
にこりと微笑むと、倫之助は不思議そうに首を傾ける。
「ぼ、ぼっちゃん?」
「ええ。旦那様のお子さんなので、坊ちゃんです。これからはこの服部半蔵正成、誠心誠意お仕えさせていただきます」
この子供には逆らえない。
本能が言っている。
だが、嫌ではない。何故かは分からない。
否――救われたのかもしれない。
汚かった心に清涼な風が吹いて、一掃されたかのように。
たぶん、負けたことで気が晴れたのだろう。
「あなたでよかった」
自分に勝ったのが、倫之助でよかった――。
そう思えるようになるのはまだ少し時間がかかりそうだが、それでも必ずそう思えるようになるだろう。
半蔵は、決して弱くはない――。服部半蔵正成の名を継いだのは、伊達ではないのだから。
目を開く。
「あれから十年か。……早いな」
自分ももう26になった。
実家からは嫁を貰えと言われているが、当分もらう事はないだろう。
倫之助に嫁ができるまでは。
彼も――あまり、興味がないようだが。
ふいに、扉をノックする音が聞こえ、すぐに立ち上がった。
ノブを回さなくとも分かる。
「坊ちゃん。お帰りなさい」