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月牙の剣【本編完結済】  作者: イヲ
一の月蝕
109/112

 もってきた藍色のマフラーをぐるぐるまきにして、一彦の部屋を一緒に出る。

 エレベーターで駐車場にいくと、冷たい風がほおを突き刺した。

 おもわず肩をあげて、腕をさする。

 息が白い。

 一彦のあとをついて車の助手席に乗りこむと、さっそくエアコンを入れた。


「そういえば、たばこ吸わないんですか」


 彼はよくたばこを吸っていた。

 はじめてあったときも、校長室に入りながら物おじせずにたばこを咥えていたことを思い出す。

 駐車場を出たあとたずねると、一彦はどう答えていいのか分からないのか、すこしの間唸るように黙っていた。


「……禁煙でもしようかと思ってるんだが」

「へえ」

「前々から鈴衛にいわれてたし、たばこも値上がりしてるし」

「なんか、言い訳みたいなこと言ってません?」

「そりゃ言い訳にもなる。二十歳になったその日からずっと吸ってたからな」


 たばこのにおいは、一彦のにおい。

 まるでインプリンティングのように覚えていたそのにおいがなくなる日がくるのだろうか。

 たしかにたばこは体にも悪いだろうけれど。

 それはそれで、さみしいものもある、かもしれない。

 一彦はそれに気づいたのか、くちびるの端を上げてみせた。


「それとも、たばこ吸ってたほうが好きか?」

「……さあ……」


 ばれたことが面白くなかったから、フロントガラスを見つめた。

 景色がきれいに流れていく。

 すこし白っぽい景色。霧だろうか。とても寒そうだ。

 はめ込まれたカーナビが、次の信号を右、といっていた。

 ウインカーの音。

 タイヤが地面をこする音。

 倫之助が聞く音は、どこか珍しさに満ちていた。

 何回も聞いたことがあるのに。


「おまえ、素直になったよなあ」


 ハンドルをきりながら、どこかしみじみとした声色でつぶやく。

 素直。

 素直とはなんだろうか。

 よく分からない。


「素直、とは」

「分かりやすくなった、ってことだ」

「……そうですか」


 片手で倫之助の頭をなでられて、思わずうつむく。

 それがいいことなのか悪いことなのか倫之助には分からない。

 ただくちびるを結んで、大人しくなでられていた。


「俺はうれしいけどな」

「はぁ」

「なんだその気の抜けた返事は」


 どこか楽しそうに、一彦はわらう。

 とんとんと頭を軽くたたいてから、再びハンドルをにぎりしめた。

 

「俺、よく分からないんです。人間らしいって、どういうことですか?」

「それはまあ、人それぞれだろうよ。これっていう正解はないと思うが。なんだ急に」

「いえ、べつに。お気になさらず」

「あのな、倫之助。おまえはたぶん、生まれたばかりみたいなものだ。だから少しずつ、覚えていけばいい。おまえは頭がいいから難しく考えるんだろうけど、そんなにがんばって考えなくてもきっと、答えなんてすぐ近くにある」


 正解はない。

 答えはある。

 いっていることはめちゃくちゃだけれど、倫之助はすとんと腑に落ちたような思いになった。

 そういうこと(・・・・・・)なのだろう。結局は。

 

「あなたが考える人間ってどんなものですか」


 そういえば先ほどから質問ばかりしているなと思うが、一彦は気にせずに「そうだな」と首をすこしかたむけた。


「人間を好きにも嫌いにもなれる存在」

「シンプルですね」

「人間には好き嫌いあるだろ。そういうことだ」

「動物には?」

「動物はそれが毒か否かとか、苦手か好物かとか、食い物に関していえばあるんじゃないか。人間は食い物じゃなくても性格の好き嫌いもある。厄介なことにな」

「……なるほど」


 といっておきながら、倫之助もよくわかっていない。

 ヒトと動物の違い。

 ヒトはヒトであって、動物でもあるけれどイヌやネコではない。

 見た目の違いももちろんあるが、それ以外のことは、まだぴんときていなかった。

 イヌもネコも、おそらく感情というものはある。

 ヒトと、どう違うのだろうか。


 ――水平線が見えてきた。

 冬の海。

 ここからではまだ、ひとがいるのかは分からないけれど。

 たぶん、そんなにいないのだと思う。

 暗い色の海。白波がわずかにたっている。


「じきつく。あったかくしとけ」


 膝の上においたままの長いマフラーを肩にかけて、水平線を見つめた。

 ここからだと、砂浜もすこし見える。

 やはりひと一人いない。

 海は夏だけのものではないことは分かっているけれど。

 すこし、さみしい、と思う。

 昨日とおなじ、黒いハイネックの上着に手をあてた。

 化繊のそれはおせじにもすごく暖かい、というものではない。

 けれど着なければ寒い。

 さみしいという感情も、こういうことなのだろうか。


 がらがらの駐車場に車をとめ、一彦は車からさっさと出てしまう。

 倫之助もシートベルトをはずして、地面に足をつける。

 それと同時に寮の駐車場で感じた冷たさがかわいく思えるほどの風が顔に当たった。

 思わず眼鏡をおさえて、マフラーに顔をうずめる。

 当然ながら、眼鏡が曇ってしまった。

 

「寒いな」


 一彦は珍しくスーツではない恰好をしている。

 休日だからこれがふつうなのだろうが、倫之助からみればめずらしい。

 濃いめのベージュのセーターの上に、いつもの黒いロングコートを着ていた。

 コートのポケットに手を入れながら寒そうに背中を丸めて、倫之助を見下ろす。

 視線でうながされて、砂浜に向かった。


 やはり砂浜にはひと一人いない。

 藻や細い枝がそこら中にてんてんと落ちていた。

 倫之助はその細い枝を無意味に拾って、手のひらでいじる。


「倫之助?」

「どこからきたんでしょう。この枝」

「遠いところからじゃないか」

「とおい、ところ……」


 ぼんやりとつぶやく。

 遠いところとはどこだろうか。

 日本から日本でも遠い場所はいくらでもあるし、海外から日本ももちろん遠い。

 流れついたこの枝。

 この枝があった場所に、半蔵はいるのだろうか。

 遠い場所。

 ここではない場所。

 この現実に服部半蔵正成がいないことは、痛むほどに分かっている。

 それでも、と思ってしまった。

 それでもどこかに半蔵がいるのではないか、と。


 枝きれを見下ろしていると、ふいに一彦に抱きしめられた。

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