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月牙の剣【本編完結済】  作者: イヲ
一の月蝕
106/112

 おそるおそる飲んだ缶チューハイは、炭酸のジュース、といわれても信じてしまうような味だった。

 一彦はビールをひと口飲んでから、ふと手を止める。


「どうだった。はじめての酒は」

「……ジュースですか?」

「正真正銘の酒。あんまり一気に飲むと悪酔いするから気をつけろよ」

「へえ」


 とはいっても炭酸だから、あまりちびちび飲んでも抜けてしまうだろう。

 べつにそれはそれでいいのだけれど。

 青椒肉絲を取り皿に取り分けている一彦の手を見つめる。

 骨ばった、細長い指。

 きれいな指だと思う。

 だが彼の風彼此、百花王をふるっていた時にできた傷も、たしかにそこある。


「どうかしたか? 俺の指なんか見て」

「いえ。……きれいな指をしているなと思っただけで」


 箸をおいた一彦が自身の指を見るけれど、いまいちぴんときていないようだった。

 爪もきれいに切り揃えられている。

 ――頭の奥が熱い、ような気がした。

 一彦はちいさく笑って、「酔ってるのか?」と倫之助のほおに指さきでふれる。


「……そんなことは」

「本当に?」

「たぶん」


 すぐに指がひかれた。

 酔う、という感覚がよく分からない。

 缶チューハイをひと缶開けたが、とくに変わった感覚もしないし、酔っていないのだろうか。


「ひと缶で酔うような下戸じゃないってことか」

「おそらく」

 

 よく分からないが。

 一彦はすぐ後ろにある冷蔵庫からもう一本、缶を出した。

 レモンサワーと書いてある。


「今度は甘くないやつ」

「どうも……」


 一彦の手には、すでに二本目のビールがある。それも半分くらいは飲んであるのではないだろうか。

 ペースも早い、ような気がする。

 今度はうまくプルトップを開けられた。

 レモンサワーは、カシスオレンジよりもアルコール度数がほんの少し、高い。

 だからといってすぐに酔うことはないだろう。

 

「倫之助」


 ビールをすすりながら、そっとささやく。

 青椒肉絲を箸で取り分けていた倫之助の手が、すこしの間止まった。


「風彼此が恋しいか」

「戦わなくていいのは正直、まだ慣れません。三年もたつのに」

「おまえが戦ってきた年数と比べちゃいけねぇよ。三つのころだろ、はじめて陰鬼を殺したのは」

「……言おうか迷ってたんですけど。俺の誕生日なんてわからないんです。沢瀉の家にいたのが二十年前の今日、というだけで。実際は本当の年齢もわからない」


 箸を机において、レモンサワーの缶を見下ろす。

 このことも、一彦はしっているだろう。知っていて、こうして祝ってくれている。

 目のまえの男は、なにかを考えるように天井を見上げた。


「べつに、いいんじゃないのか。戸籍謄本にある誕生日がちがったって、一年のうちのどこかがおまえが生まれた日だろ。俺は気にしないがな」


 本当におおらかなのか、おおざっぱなのか分からない。

 倫之助が苦笑すると形のいい手が頭にのびて、そっと撫でられた。

 子ども扱いされているとも思うが、このひとの前では倫之助はまだ子どもなのだろう。


「俺の頭なでて、楽しいですか」

「まあな。おまえの頭、撫でてて気持ちがいい。くせっ毛だけど、さらさらしてるし」

「……そうですか」


 髪を褒められても、それほどうれしくはない。

 だからといって不機嫌にもならないが。

 ――ひとりで使う机だから、それほど大きくはない。すこし前にかがんだ一彦は、髪の毛にふれていた手をほおにあてた。

 あたたかい手だと、おもう。

 倫之助のような冷え切った体温ではない。

 心地がいい体温だ。

 思わず、その手に顔をすりよせる。


「酔ってるだろ」


 そうかもしれない。

 顔がすこし熱い気がする。おかげで、ほおにある手も余計に熱く感じた。

 実際は、そんなに熱くはないと思うが。

 ふれるだけふれて、手をさげられる。それがどこか哀しいと思うほどにはきっと酔っているのだろう。


「そうかもしれません」

「俺はおまえが何だってかまいましない」


 人間でも、人間じゃなくても、と。

 一彦は笑った。

 倫之助は人間ではない。

 不老ではないが不死というだけの化け物だ。

 人類を滅亡させるか、それとも生き延びさせるかの見極めをする、観測者。

 そして観測者であると同時に敵対存在である陰鬼の亜種だった。人間の世界から見れば単なる異端者だろう。

 それでもいいと一彦はいう。


「おまえがいい」

「俺はたぶん、あなたと一緒に死ねない」

「まあ、そうだろうな」

「……ずっと一緒にはいられない」

「そうだな」


 倫之助の黄金色の目が、一彦を見上げている。

 一彦、ただひとりを。

 彼は笑っている。

 おだやかな笑みだった。

 大人の男の。


「今、俺の目の前にいるんだ」


 だから、かまいはしない。


 本当は。

 本当は、一緒にいたい。ずっと。

 それでも倫之助の体には限界がある。

 明日明後日どうなるか分からないとまではいかないが。

 ――数年後のはなしだ。

 そうであってほしい、と思う。

 自分の体のことなど、実際には分からないのだけれど。


「人間は、」

「ん?」

「人間は、あたたかい生き物ですね」

「そうかもな」

 

 すこしだけ、笑ってみせる。

 倫之助は愛想のいいほうでも、親しみやすい男でもない。

 そんなこと、自分がいちばんよく分かっている。

 けれど一彦はこんな男を好きだと言ってくれた。

 ――手紙には書いたが、彼に想いを言葉にして伝えただろうか。

 伝えていない、気がする。


「俺、あなたが好きです」

「……そうか」


 ほんのすこし、安堵したような表情をしている。

 彼も不安だったのだろうか。

 言葉にだすのと、言葉を書くのとではきっと、大きく違うのだろう。

 

「やっと言ってくれたな。倫之助」

「悪かったですね」

「そんなこと言うなよ」

 

 二本目のビールをあおってから、缶を机に置いた。

 可愛げのある言葉でもなんでも言えばよかったかもしれないが、あいにく倫之助はそういったものに疎い。

 

「冗談だ。酒は? もういいか」

「……もうじゅうぶんです」


 なんとなく、体が熱い。

 レモンサワーもすべて飲んだ。

 二本で酔うのは普通なのか普通ではないのかも分からない。


「もしかすると俺、あんまりお酒は得意ではないかもしれません」

「それが分かればいいんじゃねぇか。無理してつきあうこともないし」

「そういうものですか……」

「そういうものだ」


 机の上にはほとんどなくなった青椒肉絲と白米、サラダの皿と、酒の缶がおかれている。

 ひさしぶりにふつうの食事をしたような気がした。

 一彦は席をたって食器を片付け始めたので、倫之助も手伝おうと皿に手をのばす。

 

「悪いな。おまえに手伝わせる気はなかったんだが」

「べつに、いいです」

 

 洗った皿を拭くだけの、単純な作業だ。こういう作業は嫌いではない。

 たかだがふたり分。すぐに食器洗いも終わってしまった。


「おまえ、ちゃんと食ってるのか?」

「!?」


 腹に遠慮なく触った一彦を見上げた拍子に眼鏡がずり落ちる。

 あわてて押し上げて、なんとか床に落ちることはなかったが、このひとはどうして腹なんか触っているのだろうか。


「……痩せただろ」

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