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月牙の剣【本編完結済】  作者: イヲ
月牙の剣
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月牙の剣

 陰鬼が消失したことで紫剣総合学園、対陰鬼総合機関は解体ということになったが、それぞれは普通科の学校、そして機関は今まで存在していた陰鬼の被害を後世に残すために国直属の傘下に入ることになった。

 ただしそこに入ることができるのは機関で働いていたもの、あるいは紫剣の学生のみだ。


 沢瀉倫之助は機関で働いていたものとして、国の傘下に入った。

 同じく造龍寺一彦、鈴衛も同じ部署へと異動した。


「あー、やっぱ事務処理苦手だわ」

「一彦さん、休憩時間ですよ」


 あれから一年がたった。


 半年間はバタバタとしていて大変だったが、もっと大変だったのは倫之助の父親、峰次だろう。

 五光班はすでに存在しないがエーリクがいなくなったため、責任者になった峰次は毎日泊まり込みで仕事をしていたようだ。


 一彦はぎしりと椅子を鳴らせて、軽く背伸びをした。

 机の上には大量の書類が乗っている。

 あまり、進んではいないようだ。


「やっと休憩か……」


 肩をもんで立ち上がると、倫之助はハンカチで包んである弁当箱を出した。


「倫之助、今日も弁当か。すげぇな」

「別にすごくないですよ。冷凍食品も結構入っているし」

「いや、十分だって」


 倫之助の中にいたカガチが陰鬼を生み出していたという事実は、公にはされていない。

 知っているのは機関のなかでも両手で数えられるくらいだ。


 食堂に移動すると、昼食をとる人でごった返している。

 この時間はいつも人が多いのは当たり前だが見知った顔はあまりいない。

 食堂は自分で持ってきた弁当を食べるものもいるし、食堂で買うものもいる。

 空いている席をようやく見つけて座ると、はあ、とため息をついた。


「お疲れですか」

「そりゃもう。肩も凝るし、目も痛いしな」

「へぇ」

「おまえも、年取ればわかるぞ」

「それは分かりたくないですね」

 

 くすり、と笑う。

 倫之助は最近、よく笑うようになったと思う。

 変わったな、とも。

 倫之助はまだ未成年だが飲み会になったときも行くし、周りとの会話も普通にできている。

 フレンドリーというまではいかないが。

 一彦も変わったことがある。

 儀式のように黒いスーツとネクタイしか身に着けなかった一彦は、グレイのスーツや明るい色のネクタイをするようになった。


「なあ、倫之助」

「はい?」

「おまえ、変わったな」


 箸がぴたり、と止まる。

 そして窓があるほうを見つめた。まるで、何かうつくしいものを見るかのように目を細めている。


「そうかもしれませんね。あなたが言うのなら俺は変わったんでしょう」


 口元だけで笑み、弁当に再度箸をつけた。

 三か月ほど前だっただろうか。大学へ行きたいと倫之助は言っていた。

 ずっと風彼此使いとしてしか生きてこなかった倫之助は、それ以外を知らない。

 こうして働いていても風彼此とどうしてもつながってしまう。

 倫之助の父親である峰次は、渋った顔をしていたが短大へ行き、再度ここに戻ってくるという条件ならば行ってもいいということだった。

 もちろん受験はあるから働きながら勉強をしていると聞いたときは大したものだ、と思った。


「誰だったか、おまえの友達……御堂って言ったっけ。そいつと同じ短大なんだろ?」

「ああ、御堂ですか。そうですね。同じ短大を受ける予定です。御堂は半年前、やっと退院したようだったので」

「へぇ。じゃ、同級生になるのか」

「はい」

「おまえ、頑張るなぁ」

「まだ若いですから」

 

 さらりと言うと、一彦は苦笑して昼食のメンチカツを一切れ口に入れる。

 三十代の一彦には、ついていけない。


「けどまぁ、勉強はしといて悪いことはないしな」

「勉強もそうですけど、その、友だちっていうのも作りたいと思うんです」

「友達、ね」

「あれ、妬いてます?」

「ばっか。そんな心狭くないぞ。俺は」


 一彦は倫之助の頭を乱暴に撫でて、笑って見せた。


 いつか。

 いつか、風彼此を握らなくてもいい世界が生きている間になったら、と思うときがあった。

 だれも陰鬼に殺されなくていい世界。

 そんな世界があったら、と。

 そして同じくらいに不安だった。

 もしそうなったら何のために生きるのだろう、と。

 だが、その不安は今はきれいになくなっていた。

 なぜなら今現在でも手いっぱいだからだ。

 今を生きることで。

 呼吸をすること、仕事をすること、眠ること。

 風彼此が消えても、陰鬼が消えても、何のために生きるのかというのは自分の中にあった。

 けれど、それを言葉にはしない。

 心のうちに秘めておくことにした。


「いいんじゃねぇか。友達くらい作っても。作るなっていうほうが無理だ」

「……一彦さんは、どうなんですか? 友達はいるんですか?」

「そりゃ……おまえよりはいるだろうよ」

「ならいいですけど」


 昼食を食べおえ、ハンカチで包んだ弁当箱を見下ろした倫之助のくちびるの端がかすかに上がる。

 どこか幸福を感じているような、そんな笑みだった。

 けれどすぐにその表情は消える。

 腕時計を見て、「そろそろ休憩時間が終わりますよ」と言った。


「もうか……」

「午後も頑張りましょう」

「目がかすんでしかたねぇよ」

「目薬でも差したらどうですか?」


 目頭を指で押さえて軽くもむが、あまり効果はないようだ。

 はあ、とため息をついて仕事場へ戻る。

 倫之助と一彦のデスクは隣だ。

 元バディ同士、デスクは隣のほうがいいとの配慮らしい。


 ただただ、パソコンを打つだけの作業。

 風彼此を振るっていたころとはまるで違う日常だった。

 だが、これが普通なのだろう。

 だれもが命がけで陰鬼と戦うことのない世界。

 無論、混乱は今もこれからもあるだろうが。

 

「造龍寺! ここ間違ってるぞ」

「えっ、すみません」

 

 上司からの怒号が飛ぶ。

 エクセルの計算式が違ったらしい。

 ため息をついて間違えて印刷してしまった書類を取りに行き、再度椅子に座る。


「なぁ、倫之助」

「はい」


 パソコンを見ていた倫之助は、隣に座った一彦に顔を向けた。


「おまえが二十歳になった日、最初に一緒に飲むは俺だからな」

「前も聞いたような。約束は違えません。……どうして今?」

「約束が欲しいんだよ。……今疲れてるから」

「なんですかそれ……」


 苦笑して倫之助はパソコンに再び目を向ける。


「何度だってします」


 独り言を言うように、つぶやく。


「一彦さんとの、約束ですから」


 陰鬼のいない世界だから約束ができる。

 明日も明後日も、必ず来るということに慣れてはいけないけれど。

 それでも来ることを願えるのは幸せなことだ。


「今なら、約束ができるでしょう」


 一彦は口元だけで笑い、「そうだな」とうなずいた。


 毎日はひどく忙しくて、朝から夕方まではあっという間に過ぎてゆく。

 空を見上げて、月を眺めることすらできない。

 けれど、これが陰鬼がいない世界で生きているということなのだろう。

 

 それを幸せというのだと、そう思う。

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