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「本当に口下手だな、倫之助……」

 

 ふと笑う。

 だがすぐに、くちびるがゆがんだ。

 目がひどく熱く、鼻がつんとする。

 便せんに一粒、二粒、水滴が落ちていく。

 それは紙に滲み、文字がゆがんでしまった。


 シャツで目をこする。

 子どものように。


「……本当に」


 便せんをこれ以上濡らすわけにもいかず、封筒に入れた。

 ず、と、鼻を鳴らす。

 この言葉は倫之助の言葉だ。忘れることはないだろう、と思う。

 倫之助が目覚めようと、目覚めまいと。




「あれ……」


 夜にぼんやりと光る、蛍が舞う中だった。

 真ん中にきれいな川が流れている。

 向こう岸に、癖のある髪の毛の子供と、黒髪の高校生らしい男性が空を指さしていた。

 

「坊ちゃんの楊貴妃はすごくきれいな赤色ですよね」

「そう?」

「俺はあんなにきれいな色の風彼此は見たことがありません」

「大げさだよ」


 ふたりはこちらに背を向けて椅子に座っているせいで顔が見えないが、幼いころの倫之助と半蔵だろう。


「まるで、月のようですね」

「? 俺の風彼此は赤だけど」

「沢瀉の家に住み込みで働かせてくださいと旦那様にお願いした日のことを覚えていますか?」

「うん」

「その日、坊ちゃんの風彼此を見たときに、月のようだって思ったんです。赤い刀身が、こちらから見ると何色にも変わって見えて。月の名前は、日によっても変わるでしょう?」

「虹じゃなくて?」


 半蔵はくすり、と笑って、倫之助の顔を見下ろした。

 まだ若い半蔵の顔は、正直あまり覚えていない。

 彼は大げさに座りながらも腰を折って礼をする。


「虹のような眩いものではありません。月のように、やさしい色でしたから」

「ふうん……そうなんだ」

「俺にとっての月です。あなたは」

「大げさだって」

「いいえ。大げさではありません」



 ――俺は。

 俺は、半蔵にとっての月であれただろうか。

 牢記できていなかった俺を、許してくれるだろうか。


「……ありがとう」


 ぽつり、とつぶやく。


「ありがとう、半蔵」


 もう行かなければ。

 あのひとがいる場所へ。

 

「俺にも、好きな人ができたんだ」


 幼い倫之助と半蔵に背を向けた。

 好きな人ができた。

 こんな、化け物と言われた男を好きだと言ってくれた人がいる。


「好きって、こんな気持ちなんだな」


 ひとり、つぶやく。

 川に背中を向けて、歩き始めた倫之助は、何かを振り切るようにかぶりを振った。

 半蔵はもういない。

 ただ、上手に向こう側へ行けていたらいい。

 

「……?」


 かすかなめまいを感じる。

 視界が少しだけ歪んで足でたたらを踏んだ。

 目を閉じ、めまいが去るのを待ってから再度目を開ける。

 見えたのは白い天井と、点滴の透明な袋。


 戻ってきたのか、とぼんやりと考えた。

 

「――倫之助くん?」

 

 やわらかい女性の声が聞こえて視線を動かすと、琴子が驚いたような表情をしてこちらを見下ろしている。


「おはよう」


 彼女は涙を浮かべて、ほほえんだ。

 おはようございます、と返したかったが、声がうまく出なかった。


「あぁ、まだ起きなくていいのよ」


 体を動かそうとするも、琴子にさえぎられる。

 確かに体がぎしぎしときしんでいるような気がして、うまく起き上がれることはできないだろう。


「待っていてね。一彦くんたちを呼んでくるから」


 あれから、どれくらいたったのだろう。

 首を伸ばしてカレンダーを見ると、月は変わっていることはなく、安堵した。

 外は晴れていて、時折枯れたような茶色い葉が落ちていくのが見える。

 もう肌寒い季節になったのだなと思う。

 そこでやっと、手足の感覚が戻ってきた。

 起き上がることができそうだが、ふらつくかもしれないので横たわったままにしておく。


「倫之助……!」

「倫之助くん!」


 一彦と、鈴衛、水雪と鵠が倫之助を見下ろしていた。

 声を出そうにも呼吸音だけで話すことがかなわない。

 

「……よかった。本当に……」


 手を握りこんだのは、鵠と水雪だった。

 彼らも、目じりに涙を浮かべている。

 そして水雪がこう言った。


「きみのおかげだよ。陰鬼がこの世界からなくなったのは」


(陰鬼が、なくなった?)


 ひゅう、という呼吸音しか、出ない。

 知らなかった。そんなことは。


「陰鬼はもう出ない。倫之助。おまえがあの大蛇を斬ったからだ」

「そうだよ、倫之助くん。きみはあの大蛇を倒した。だからもう新しい陰鬼は出ないんだ」


 鈴衛は本当にうれしそうに言う。

 倫之助があの大蛇を斬ったということは、カガチの残滓を斬ったということだ。

 残滓も含めてカガチという存在自体、この世界からなくなったということは――陰鬼も存在できなくなったのだろうか。


 ぼんやりとした頭では、うまく考えることができない。


「か――さん」


 ようやく、声が出る。

 それでも枯れたように声がつまるが。


「かず、ひこさん」

「どうした?」

「ありが……とう」

 

 ただ、ありがとうと言いたかった。

 ここまでこれたのは半蔵や一彦たちがいたからだ。

 一彦は目を見開いてから、ふと笑う。


「こっちこそ、ありがとな。……全部、おまえのおかげだ」

「いえ……。みんなが、いてくれたので……だから、戻ってこれた」

 

 水雪と鵠は、かすかに驚いた顔をしてから倫之助に笑いかける。

 変わった、のだろう。

 彼女たちから見ても、倫之助は。


「そろそろ点滴を変えるから、あなたたちは自室に戻ってね」


 病室の端で立っていた琴子が、彼らに笑いかける。


「あ、一彦くんはここに残っていて」


 琴子から言われるがまま、彼らは部屋から出ていった。

 彼女は一彦にパイプ椅子に座るよう、促す。

 

「なにか、言いたかったことがあるんでしょう」


 点滴を変えながら琴子はふふっ、と笑った。


「あぁ……気を使わせて」

「いいのよ。じゃあ、点滴変えたから私はこれで」

 

 琴子はそのまま病室から出ていってしまった。

 まるで、ごゆっくり、とでも言うかのようだ。


「まったく、敵わねぇな」

「……あの」

「ん?」

「手紙、読みましたか?」


 視線をさまよわせながら、倫之助がつぶやく。

 ああ、とうなずくと、彼はすこしだけ恥ずかしそうに目を伏せた。


「そうですか……。あれが、俺の……本当の気持ち、です」

「はは。少しは、頑張った甲斐があったかね」

「そうですね。あなたの、おかげです」


 倫之助の素直な言葉にかすかに目を見開いた一彦は、「まいったな」と、頭を掻いた。


「惚れなおしちまう」


 にっと笑うと、倫之助も笑う。

 彼の笑みは、ほとんど見たことがなかったから驚いた。

 今まで見てきた笑みも自嘲したものや、あきれたような笑顔だけだ。

 倫之助のほおを撫で、椅子から立ち上がって屈む。


「………」


 そうして、くちづけをした。

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