3
――沢瀉倫之助――。
この男が本当は何者なのか、どこから来たのか分からない。
気づけば14年前に、沢瀉の家の前にいた。
当時3歳だった倫之助は、門の前で立っていたのだ。たった一人で。
その脇には、死んだ陰鬼が倒れていた。
子供がなかった峰次は、すぐに倫之助を養子として迎え、風彼此使いとして紫剣総合学園へと入学させたのだ。
記憶がない。
倫之助という名も、祖母である壬子がつけたものだ。
自分がどこで生まれたのかも、どこから来たのかも分からない。
しかしそれを嘆くことはなく、ただただ坦々と生きてきた。
たった一つ。
自分という意味だけを求めて。
楊貴妃が悲鳴を上げる。
「……」
真正面から切り上げ、楊貴妃が撓った。
赤い残光が目を焼いて、なおも楊貴妃は陰鬼の血をすすろうともがく。
それでも倫之助の表情は変わらない。
反対に、いつにもまして黄金色の目がぼんやりとしている。
倫之助が斬りつけた場所からは、じゅうじゅうと煙があがっていた。
甲虫はもだえ苦しむように、がちがちと牙を鳴らせて威嚇しているが、倫之助は手を緩めない。
そのまま斜めに袈裟斬りを仕掛けると、甲虫はコンクリートの床をがりがりと音を立てながら転げまわった。
「……」
かつん。
倫之助の靴音が広い倉庫内に響く。
半蔵と造龍寺はそれをじっと見つめ、目をそらさずにその行く末を見届けた。
そうして――倫之助の周りに白磁色の刀が三本、現れる。
人魂のようなそれから、空中の酸素が形になったかのように、ごくごくゆっくりとした速度で。
それは勿体ぶっているわけではない。
まだ、倫之助が未熟――それだけの事だ。
三つの切っ先が転がった陰鬼へ、目で追えぬほどのスピードで突き刺さる。
どすっ、という密度のあるものが突き刺さる音が聞こえ――それから陰鬼は動かなくなった。
「……。成程。想像以上だな」
「はあ」
楊貴妃を鞘に納め、ぼんやりと答えると造龍寺は「もっと嬉しそうな顔をしろよ」と苦笑いをした。
暑いというのに、未だ黒いコートを着ている彼はポケットから携帯を取り出し、処理班を呼び出している。
「流石坊ちゃん。向かうところ敵なしですね!」
「そんなことないよ。俺なんかより強い人はたくさんいるし、……俺はまだ、三つしか出せない」
「三つもあれば十分だと思うんですけどねぇ」
――白い刀。
虚空と呼ばれるその刀は、未だ最大で三つしか出せない。
限界がいくつあるのか、倫之助自身も分からないが、三つだけというわけではないであろう。
「充分じゃない。もっと、……」
もっとあるはずだ。
呻くようにつぶやくと、半蔵はちいさく笑って「そうかもしれませんね」とうなずく。
「あなたは強さに貪欲だ。だからこそ、この蝶班に入ることができた。俺は知ってます。昔からあなたは鍛錬を欠かさなかった」
「俺はそれしかないからだよ。意味がない」
半蔵は口をつぐみ、そっと目を伏せた。
その直後、処理班が乗った車のブレーキの音が聞こえる。
「はいはい、処理班通りますよー」
この場の空気に似合わない、若い男が走ってきた。確か公園での処理も彼がいたような気がする。今日はどうやら一人しかいないらしい。
青い帽子を目深にかぶった若い男は、倫之助と半蔵に気づいたのか、あっ、と声を上げた。
「ああ、どうもどうも! またお会いしましたね」
「どうも」
「あ、そちらの方、怪我してるじゃないですか!大丈夫ですか?」
「ああ、平気です。これくらい」
ようやく血が固まってきたが、そのせいで目が開かない。
洗えば治るだろうが。
「おう、お疲れさん」
「あっ、どうも、造龍寺さん。うわっ、こいつはまたでかいですねー!」
賑やかな男は、自分の風彼此を取り出すと、陰鬼を処理し始めた。
「倫之助」
ふいに造龍寺に呼ばれ、顔を上げる。
彼は処理をしている男に視線をやりながら、腕を組んでつぶやいた。
「おまえ、意味を探してるのか」
「ええ。まぁ」
「そりゃ、なんでだ」
「意味がなければ、存在する意味がないんです。俺の場合」
壁に背を預けている造龍寺は、じっと倫之助を見つめ――「難儀だな」と独り言のように囁く。
「まあ、意味を探しているのは、人間だれしも同じだ。人間は、理由と意味を探す生き物だからな」
「……」
倫之助は黙したまま、片目でコンクリートの床を見下ろしていた。
それを半蔵が心配そうに寄り添っているが、彼は何も言うことはない。
やがて造龍寺はコートの懐から煙草をだし、火をつけた。
「皆森。俺ら、もう帰るが大丈夫か?」
「あっ、ハイっす! もうじき終わるんで、先戻っていてください!」
「おう、頼んだぞ。じゃあな。おら、おまえら行くぞ」
廃工場内を通り過ぎて、車に乗り込む。
車内は静かで、機関ビルに着くまで話すことはなかった。