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6.時は少女を連れて

 もうすぐ完成するんだ、と彼が言ったのは昨日のこと。

 梨花はヒールの高いブーツをカツカツ鳴らせて、バラの屋敷に向かっていた。

 外観は小屋のように小さなその家は、中に入ると屋敷と言っても相応しいだけの広さがあることが分かる。

 ただし、部屋数は少ない。彼の制作部屋と人形の墓場、そして、キッチンだ。

 ベッドのような台が制作部屋の中央に置いてあって、壁際には何枚もの絵画。後はガランと何もない。

 タンスとか本棚とか、豊かに生活するために必要な物が一切なかった。

 そう言えば、彼はいつも黒い服を着ている。壁も床に白いこの部屋に、彼だけが黒く、異質だ。

 けれど、彼は魔法使いなのだから、それも不思議ではない。――と、梨花は思っている。

 梨花は彼の家の前まで来ると、蔦の這った門を押し開いた。十数年も踏みならしたおかげで門から玄関までの前庭には道ができている。

 扉も前ほど大きな悲鳴を上げたりはしない。静かな音で開くと、梨花は部屋の中を覗き込んだ。

 白い空間の中、黒はすぐに目に入ってくる。彼が中央の台の上に身を屈めていた。

 彼の身体の下には少女。台の上に仰向けで横たわっている。

 梨花はハッと息を呑み込んだ。彼の唇は少女のそれと重なっていた。

 身動きが取れなくなる。呼吸を忘れるほどの衝撃を受けて、梨花はその場に座り込んだ。

 彼が振り返った。

 ――どうして?

 得体の知れない感情が胸をざわつかせた。ゆっくりと彼が歩み寄ってくる。

「気持ち悪い?」

 静かな問いに返すべき言葉が出ない。

 気持ちが悪いと、彼に対してわずかにも思っているのかもしれない。

 そして同時に、裏切られた、と。

 差し出された手に捕まって立ち上がると、梨花は台の方へと目を向けた。

 そこに横たわる少女は、梨花の出現にも関わらず、ピクリとも動かない。それもそのはず。彼女は梨花をモデルに彼が作った人形だからだ。

「どうしてあんなことをしたの?」

 台に近寄ると、人形を見下ろした。眼を見開いた顔は無表情。

 長い髪は扇状に広がり、布をまったく身に着けていない肢体をわずかばかり隠している。

「君が好きなんだ」

「でも、人形は何も答えてくれないわよ?」

「それでいいんだよ」

「本当に? ――なぜ?」

 彼の作った人形は瞬きさえしない。唇を動かすことも、言葉を発することもできない。

「私もあなたが好きなのに?」

 自分なら彼の想いに応えてあげられるのに。微笑んであげることも、愛を語ることもできるのに。

 彼はゆっくりと頭を左右に振った。

「――だけど、君は老いていくから」

 ぐっと、息が詰まった。心臓を鷲掴みにされたようだった。

「人形が完成したから、私はいらない?」

「君は大きくなりすぎた。もう少し早く別れを告げるべきだった。――だけど、僕は少しでも君を見つめていたかったんだ」

「あなた、自分がすごく勝手なことを言っているって、自覚ある?」

「仕方がないんだ」

 彼はちらりと奥の部屋を見やった。無意識なのだろうが、その視線の動きは梨花を途轍もなく不安にさせた。

「生きている君が好きだ。キラキラと眩しくて。――初めて君がこの家に来た時、なんて綺麗な心を持った少女だろうと思ったよ」

 許可無く摘んでしまったバラの花を両手に包み、謝るために玄関の扉を叩いたあの幼い日のことだ。

「一瞬で君に心を奪われた。君が欲しくて堪らなくなった。君を君の家に帰す度に、胸が痛んだよ。ずっと君をこの家に留めることができたらいいと思った。――だけど、君との時間はあまりにも心地良くて、その時間を止めたくはなかったんだ」

「だから、お別れするの?」  

「君にはこれからも時間を刻み続けて欲しい。――もう二度と、ここに来てはいけないよ。君の代わりにこの人形を連れて、僕は行くから」

 そう言うと、彼は台の上に横たわる人形を抱き上げ、梨花に背を向けた。

 風もない。誰の手もないのに、奥の部屋の扉が小さな響きを立てて開いた。

 その部屋の中は相変わらず暗い。彼は闇に吸い込まれるように部屋の中へと姿を消した。

 追いかけようと梨花が一歩踏み出した時、バタン、と扉が閉まった。慌てて駆け寄ったが、もはや押しても引いても扉はわずかにも動かなかった。

 翌日、いつものように彼の家に足を向けた梨花は、何もない土地を目にする。

 跡形もない。家が建っていたという痕跡すらない。あれだけ咲き乱れていたバラもなく、雑草さえも生えてなかった。

 赤らんだ土が剥き出しになった土地。梨花はしばらく立ち尽くした。

 ――バラの屋敷。

 その家と共に、彼が姿を消したその時から、女の子が消えるという事件も久しく耳にすることがなくなった。  

 

 完

 

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