第一話 俺の彼女は池袋にやって来ました
桜が儚くその花弁を地へと落としてゆき、青い葉を付け始めた春のある日。
俺は、ビルの森の中に見えるその透き通った青い空を仰ぎ見た。
都会はなんて窮屈で息苦しい場所なんだろう。
広いはずの空は聳え立つビルで遮られ、行き違う人々の多くはぶつかっても目も合わさずに去って行く。
田舎に住んでいる者からすればその光景はあまりに不自然で、恐ろしいもののようにも感じた。
まるで人の心が都会という魔物に食われてしまったかのような……。
俺はそんな気がしてならなかった。
しかし俺がそれを疑うのには、また別の理由がある。
それは、隣にいる人間がすでに都会の魔物に食われていたからだった。
「ん―!やっと着いたぁ!池袋ぉ――!!」
俺の隣で電車から解放された少女が、とても楽しそうな表情を浮かべていた。
都会の迷路のような駅と人混みを潜り抜け、早くも疲れ果て嫌になっていた俺だったが、少女の顔を見て思わず微笑む。
少女はそんな俺の思いを知ってか知らずか、元気にサンシャイン60通りに向かって歩き始めた。
この少女は、俺のクラスメイトである三木 結花だ。今年で高二になる。
小さな細身の体に栗毛の少し癖のついた長い髪を垂らした、まだ中学生といっても通りそうな少女である。
ふんわりとした苺柄のレースのついたスカート、灰色の少し大きめな可愛らしいパーカーを着た少女は、良く晴れた日に都会の森の中を楽しそうに歩いてゆく。
そんな楽しそうな様子の少女を後ろから見ていた俺であったが、そんな俺のことを少女が振り返り発見して、幸せそうに俺の手を握って一緒に歩き始めた。
結花は俺の彼女だ。
半年より少し前、俺が告白をして付き合うことになった。
結花とは小学校が同じで、俺はその時から結花の事が気になっていた。
しかしある出来事のせいもあり、その時はあまり話すことのなく卒業してしまった。
それから数年後、俺は高校で結花と再会を果たし、紆余曲折あって結花が隣にいてくれるようになったわけである。
俺は、言うまでもなく結花のことが好きだ。
だから二週間に一度はデートをすることにしている。しかし今日のデートは特別だった。
―――月に一度の池袋デート。
それは結花にとっては欠かせないものだった。
「やったぁー!着いたよ、達樹くん!」
ある建物を見つけた結花は一段と楽しそうに微笑んだ。
そして俺の手を引いて小走りになる。
その建物には、「アニメイト」の文字が掲げられていた。
俺の彼女は乙女系だ。
……乙女は乙女でも、乙女ロード系の方だが。
秋葉にはほとんど行かない。結花は男が苦手だから、男の多い秋葉は苦手らしいのだ。
それを思うと、俺と手まで繋げるのはすごい進歩なのだと思う。繋げるようになったのは最近のことなのだが、きっと結花なりの努力もあったのだろう。
あの出来事以来、結花は男性恐怖症になり男が苦手になってしまった。
あの時俺がもっと早く助けられていれば、結花はトラウマを背負わずに済んだのかも知れない。それを思うと自分に嫌気がさすが、その分まで今結花を守ろうと俺は決心した。
俺は結花の笑顔が好きだ。だから結花にはいつも幸せそうにしていて欲しい。
その思いもあってこその池袋デートなのだが、しかし俺にとってはこのデートはとても疲れるものでもあった。
足を踏み入れると、そこはアニメや漫画関連のもので溢れかえっていた。いつもそのその内装には圧倒されてしまう。メジャーな少年漫画しか知らない俺にとっては尚更だ。
最近結花と話が出来るようになろうと思って放送するアニメについて調べてみたのだが、その数の多さに唖然とし断念した。
しかしいつ来ても、このビルの中の視線は恐い。
何故か手を繋ぎながら入っていくと睨まれるのだ。
店内に入ると結花は手を離して先に進んでいくのでそれからは視線が和らぐが、それでも結花と二人でいると妙な視線を感じる。いつも疑問だが、何故なのだろうか?
まるで塔のように高く狭いこのビルを一階一階上っていっては、結花はいろんな商品を見て回り、目当ての商品が見つかるとレジへと足を進める。
結花が一番長く見て廻るのは、五、六階のグッズ売り場だ。
いろんなキャラのグッズが置かれているのを隅々まで見ていく。
そして、俺の裾を引っ張って楽しそうに話しかけてくるのだった。
「ねぇねぇ、これ見て!これ新発売のやつだー」
「そうなんだー。何?ストラップ?」
「うん!ラバーストラップ!これは今期のアニメのなんだけどね、内容は……」
しかし、話にはなかなかついて行けない。正直何を言っているのか分からなかったりする。もう少し結花と話せるようになればとこの度悲しくなるのだが、なかなか難しいものである。
そこでの買い物が無事終わると、近くにあるサンシャインなんかを見て回る。
食事をとったり、洋服を見たり、雑貨を見たり……。
時期によってはアニメとのコラボの関係でナンジャタウンにも行ったりする。青い袋の存在以外はいつものデートと一緒だ。
いろんな話をしながら、いろんな所を見て回る。
あのビルとは差ほど離れていないのに、全然雰囲気が違うのは不思議だ。
人の視線が変わる。周りにも幾つも男女で歩いている人が見えるのはやはり落ち着くものだなと思った。
この池袋デートは疲れる。
しかし、俺はこの池袋デートが嫌いなわけではなかった。
何故なら、このデートの時が一番結花が幸せそうに笑うからだ。
昔、小学生の頃に見ていた結花は、少なくとも俺の前ではあまり笑わない子だった。
いつも独りで悲しそうに俯いていて、沢山本を読んでいた。
そんな結花が高校生になった今、俺の横で微笑んでいてくれるのはとても嬉しい。
沢山の友達に囲まれて笑っていてくれるのがとても嬉しい。
楽しそうな結花を見ていられるだけで俺はとても幸せだった
そんな事を思いながら俺は握っている結花の小さな手をさっきよりも少し強めに握る。
すると、それに気づいた結花が、俺に優しく微笑んだ。
「……俺と、付き合って下さい!」
俺が勇気を振り絞って告白したとき、結花はとても驚いた顔をして顔を赤らめ、逃げていってしまったのを憶えている。
その時は振られたのだと思って相当落ち込んだのだが、その数日後、突然結花からメールが来たのを見て、今度は俺がとても驚いたのを憶えている。
しかし、そのメールの内容は少々おかしなものだった。
「あの、アニメとか漫画とか、好き……ですか?」
突然送られてきたその内容に驚き首を傾げたのは言うまでもないが、その時は質問の意図を深く考えることなく返事を返した
「……あぁ、好きだよ?」
「オタクの事って、どう思いますか……?」
その後、少し間を置いて来た二通目のメールも、俺には結花が何を言おうとしてたのか分からなかったのだが、素直に返事を返した。
「別にいいんじゃないかな?行き過ぎて犯罪を起こすのは良くないけど、自分の好きなことに一生懸命なのは、良いことだと俺は思うよ?」
そう送った後は、二時間経っても返事が来なくなった。
俺は不思議に思っていたのだが、三時間ほど経ったときに来たメールの文面にはとても驚いた。
「……私で良かったら、……宜しくお願い致しますっ。」
そう書かれたメールが来たときには一瞬何のことを言っているのか分からなかったが、意味が分かったとき、飛び跳ねるほど嬉しかったのを憶えている。
そして後に結花がオタクである事を知るのだが、正直とても驚いたが、楽しそうに笑いながらアニメや漫画の話をする結花を見て、俺は思わず微笑んだのを憶えている。
結花の笑顔を見ていると、俺も自然と笑顔になる。
いつまでも笑っていて欲しい。
それがその時から俺の願いで、守るべきものになった。