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元従者の幸せな一日

作者: 雲乃 十和

 ポール・ルクルツ。王子の従者であった彼は、とある功績によって国境地域の領主に封じられた。

 いつも人に長すぎる手足を持て余した少年のような印象を与える彼に与えられた領土は遥かなる大国アゼアトルに接する地域。近年緊張が高まりつつある中、これは貧乏くじを引いたんじゃないかと考えずにはいられない。

(そんなことはない。僕は君ならこの大役を無事果たしてくれると信じているんだ)

 ポールの頭に王子が現れて誠実な眼差しでそう語る。

「王子……! そこまで、私を……!」

 ポールは感激のあまり涙ぐみ始めた。王都の大通りである。モチロン、王子は彼の妄想――いやいや、想像の産物でしかなく、不審人物を見る目がビシバシ彼に突き刺さっているが、彼は気付いていない。

 ちなみにことの真実を探るには、王子が婚約者の姫君に漏らした言葉を知るのが手っ取り早いかと思われる。――「ああ、ポールをあんな緊張地域に宛てがっていいのかって? ポールだからいいんだよ。ああいう、余計な気を回すほど賢くない――じゃなくて、命じたこと以外はやらない鈍感――でもなくて、不正をやるなんて考えつきもしない馬鹿正直――いやいや、つまり、とびきり僕に忠実な人を配したかったんだ。うん。それにポールって間が悪くてドジで不幸な目に逢いやすいけど肝心要の時には絶対に幸運の女神を掴まえて離さないし、人に侮られやすい――じゃなくて、闘争心を抱かせないタイプだし」

 ポールがこの言葉を聞いていたならこれまた感動して号泣したことだろう。こと幼い頃から世話し続けた王子に対して、彼の目には肉厚のステーキより分厚い色眼鏡がかかっている。


 気を取り直してポールは買物袋を抱えなおした。この中には彼の大切な王子の好物のケーキ、茶葉、その他もろもろが入っているから落とすのは論外、振り回したりぶつけたりして形を崩してはいけない。

「やっぱりポールが一番僕の好物(こと)を理解してくれているね。王都にいる間、僕の従者の仕事をしてくれたら大助かりなんだけど、領主様にそんなこと頼むわけにはいかないよね。残念だなあ」

 王子の言葉を思い出してポールの顔はだらしなく崩れはじめた。

 実はポールが王都を訪れる期間に合わせて王子の新しい従者に休みが与えられていたというのは彼の預かり知らぬところである。




 王都でもアゼアトルの名が不安をもって囁かれ始めていた。人々の反応は概ね二通りに別れている。

 一つは大国アゼアトルに敵うわけがない、戦いは避け、膝下に屈することもやむなしとする意見。

 もう一つは好戦派、こちらから戦いを仕掛けてでもこの国の力を思い知らせてやろうという意見。

「しかし、アゼアトルは確かに大国であるからな……」

 日々肌でアゼアトルの脅威を実感するポールは戦いは出来るだけ避けた方がよいと結論する。膝下に屈するなど以っての外、それくらいなら開戦は避けられまいが、

「アゼアトルは世界の臍のピーンスまで支配してしまったからな」

 考え込みながら呟く。

「いやいや、しかし余所の芝生は青くみえるもの。恐怖に惑えば洗濯物もお化けに見える。逆立ちすれば臍は遥かに遠いが……」

 ポール・ルクルツの頭の回転は悪くはない。むしろ優秀といっていい出来栄えである。伊達に王子の従者に選ばれたわけではない。しかし、残念ながらこの世には頭の回転は良くてもお馬鹿な人間というものが必ず存在するのであった。

「ママ、あの人すごいよ、買物袋を足にひっかけて逆立ちして橋を渡ってる!」

「シッ、ああいう人と目を合わせちゃいけません!」

 ポールが橋を渡る時には必ず逆立ちして渡る。これは遡ること十数年、御歳六つの王子がポールの逆立ちを非常に気に入ってことあるごとにそれをさせたことから始まった。天使もかくはあらずというような愛くるしさ、清純さをもち、子供とは思えぬ才気と(以下略)とにかく非常に素晴らしい子供であった王子――他の人に言わせれば悪知恵の回る悪戯坊主――はいつでもどこでもそれをさせていたが、流石に見兼ねた周りの者が止めると、王子は輝くような笑顔で言った。

「じゃあ、僕はポールが逆立ちするのを見るのは王宮の中と、外の橋を渡るときだけで我慢する!」

 そしてポールは今なお忠実にそれを守っている。流石に王宮の中は王子本人の命令でやめているが。

 王子が橋の上を好んだのは、ポールが逆立ちして橋を渡る場合は他人に迷惑がかからないように欄干の上を通り、しばしば鳥のフンやなにかに手を滑らせて川に落ちそうになったからではないかと推測される。ちなみに、ポールは何度欄干から落ちそうになっても持ち前の優れた運動能力を発揮して本当に落ちたことはない。しかし残念ながら世の中には運動能力が優れていてもドジな人間は存在するのである。これを大概は注意力の欠如という。ポールの場合、注意力はいつも全力で彼の王子に注がれている。

 この橋の逆立ち渡りはポールの領土でも名物領主の奇行の一つとして有名だった。一週間に一度はあれを見て大笑いしないと気が済まないという領民が続出し始めている。

「ポールさんではありませんか」

 馴染みのある声にポールは振り向いた。農家のおじさんが背負うような籠を重そうに背負った非常に体格の良い女性は彼の王子の婚約者の姫君の乳姉妹である。そういえば、近く迫った華燭の典のために姫君は初めて王都に来ていたのだった。

 砂糖菓子のような外見とそれを裏切る中身の姫君を思い出して鈍い鈍いと言われるポールも流石に波乱の予感を覚えた。が、彼女が来ると王子が嬉しそうにしていたのでむしろ波乱を歓迎する。ポールの世界はいつでもどこでも王子を中心に回っている。

 ポールは逆立ちをやめてにこやかに――とは言え、彼はいつも笑っているような顔をしている――挨拶をした。

 逆立ちをやめたのは橋がちょうど終わったからである。以前に彼は王の目前でも橋の逆立ち渡りを敢行した。ポールにとって何より優先するのは言うまでもなく王子の言葉なのだ。

「お久しぶりです、カチキさん」

「お久しぶりです。なんでも伯爵様になられたとか。お祝いが遅れて申し訳ございません」

「いえいえ、お気になさらず。ああ、随分と重そうですね。持ちましょう」

「まあ、ありがとうございます」

 この時、ポールと違って普段から何事にも抜かりないカチキがうっかりポールに荷物を預けたのは不思議としか言いようがない。

 カチキが重そうに背負っていた籠を軽々と持ち上げたポールは、一歩、二歩。三歩を踏まずに足を縺れさせた。

 籠と買物袋を抱き込むように丸まってゴロゴロと坂を転げ落ちる。籠の中身がポロポロ落ちるのをカチキは拾いながら後を追った。

 ドン、とどこかの家の壁にぶちあたって回転が止まる。後ろ頭を摩りながら立ち上がった彼はちょっと土と埃に汚れ、服がヨレた他は何も変わりがなかった。こんなことは日常茶飯事で、一々怪我してらんないのである。

「ああ、カチキさん。すいません、拾わせてしまって。傷が付いてしまいましたか?」

 ポールの顔はこんな時でも笑っているように見える。カチキは肩を竦めた。妙に毒気が抜かれる顔なのだ。

「大丈夫ですよ。ですけれど、やっぱり荷物は私が持つことにいたします」

「そうですか。お役に立てずすいません」

 ポールはカチキが手に持つ『爆弾キット』や『工具セット』を何に使うのか聞いたりはしなかった。王子の婚約者の姫君の趣味をちゃんと覚えていたからだ。ただ、どこで売っているのか興味をそそられたので領地に帰る前に調べてお土産にしようと考えた。


「では、明日」

「ええ、また明日」

 二人は王宮の駐車場の近くで別れの挨拶をした。明日は王子と婚約者の姫君とのピクニックがあるので、二人も付いていくのだ。

「ちょっと、私はそんなことをしてないってば!」

「姫様!」

 駐車場の方から鈴を振ったような高く可愛らしい声が聞こえてきた。カチキは急いで――重い籠を背負って出来る限り――駆け付ける。ポールも急行した。

「まあ、こわぁい」

 そこには王子の婚約者の姫君と、駐車場の警備兵と、さる公爵家の姫君がいた。肩を縮めて怖い怖いと呟いている少女の口元は嘲笑に歪んでいる。

「だから、私はしていないの。証拠がどこにあるのよ」

 見た目砂糖菓子のような可憐な姫君は果敢に申し立てていた。

「姫様、どうなさいました!?」

「ああ、カチキとポール!」

 振り向いた姫君は怒っている。

 ポールには警備兵の背後にいる公爵家の姫君に見覚えがあった。婚約者の姫君と王子が婚約してから、そんなタイプが好みなのかと王子と引き合わされた、つまりは婚約者の姫君に似た美少女だ。王子は一顧だにしなかったが、公爵家の姫君の方は思いを募らせて一時重度のストーカー紛いの行動をとっていた。周りの大人に窘められてやめたようだったが――

「この方が私の車が通る道の上に釘を置いてパンクをするように仕向けたのです、ポール殿」

「だからやってないったら!」

「ですが不審人物は貴女だけなのです」

 なんでも公爵家の姫君はドライブが趣味で、今日も一人で王都の外まで車を走らせ、帰ってきたところ、急に外に出たくなって駐車場の前に車を置きっぱなしにして車外に出たそうな。

 ――「何しに出たくなったんです?」 とポールは首を傾げて尋ねた。公爵家の姫君は顔を赤くしてポールを睨んだ。「花摘みに行きたかったんですの!」「花摘み?」 姫君の両手に花はない。なおポールが不思議そうな面持ちでいると警備兵がそっと耳打ちした。「厠に行っておられたんですよ、厠に」

 そして戻ってきて車を駐車場に入れようとするとタイヤがパンクし、何事かと思えば釘が落ちていたと公爵家の姫君は語る。

「それで何故姫様が疑われるのです」

 カチキが威嚇するように険しい顔で尋ねた。

「私が車から出る前も車に戻ってきた後もこの方はここらへんをウロウロなさっておられましたの。しかもこちらの方に伺えば婚約者様は何度か私の車の傍をウロウロなさっていたとか」

「はい」

 警備兵が確信をもって頷いた。

「さっきここを車が通った時に釘は落ちておりませんでしたし、ここを通られたのは申し訳ございませんが婚約者様お一人てす」

「…………」

 カチキは何に思い当たったのか顔を強張らせた。

「姫様は……故意にそんなことなさるお方ではありません」

 口調も弱々しくなっている。

「まあ、偶然婚約者様のポケットから釘がこぼれ落ちたとでも言う気かしら」

「それは……」

「この姫君はそんなことをなさるお方ではないですよ」

 ポールが口を挟むと公爵家の姫君は勝ち誇った笑みを浮かべた。

「ですが状況証拠はすべて残っておりますのよ。動機もあるでしょう。恐れ多くも私はかつて殿下に側室にと望まれた身。婚約者様もどこかでそれを耳にされて」

「そんなのちゃんちゃらおかしいわ。貴女は殿下にフラれたんでしょ。フラれた人になんで私が嫌がらせするのよ。ハッキリ言ってね、貴女は眼中外よ、眼中外」

「なっ……! 小国の田舎王族ごときが由緒正しい私の家柄には敵いませんから、自信をなくしたんじゃございません? 実際、貴女でしたら殿下も浮気し放題」

パンッ

 婚約者の姫君が公爵家の姫君の頬を平手打ちにした。

「あの人は浮気なんかしないわよ!」

「それはどうかしら、」

「私の殿下が浮気なんて不誠実なことをなさるわけがありません!」

 聞き捨てならない言葉にポールは語気荒く口を挟んだ。一同の顔に『私の殿下……?』と困惑が広がるが、ポールは気付かない。

「第一、婚約者の姫君の性格でしたら釘なんて大人しいものを使わずに発煙筒でもしかけたはずです!」

 あらよくわかってるじゃない、と頷く姫君のご趣味は機械いじり、とくに爆発物を作るのがマイブームらしい。警備兵が婚約者の姫君を見る目はますます胡散臭そうなものになった。

「では婚約者様はここで何をなさっていたんですか?」

「……それは……」

 警備兵の言葉に姫君は俯いた。


「それは……その、つまり、人を待っていて……」

 姫君は途端にしどろもどろになりはじめた。顔が困ったように紅潮している。

「それは僕が説明してあげようか」

 涼やかな声に五人はハッと顔を上げた。ポールはあまりの眩しさに目を細める。

 そこに立っていたのはポールの(仕える)王子だった。

「僕が説明してあげよう。昨日到着したときから僕の婚約者殿はやけにソワソワなさっていた。僕と会った後もだよ? これは理由が一つしか考えられないね。つまり、故国からここに来るまで我が婚約者殿は一切機械に触らせてもらえなかったんだ」

「……その通りよ……道中車がおかしくなったところで、呼ばれるのは整備士の連中ばかり! 私の方があの子達を愛しているのに!」

「愛し……うん、そうだね」

 王子から黒いものが滲み出たが、嘆きに浸る婚約者の姫君は気付かない。ちなみにポールもモチロン気付かない。天使のようなポールの王子から黒いものなんて滲み出るはずがないのだ。

「まあ、それについては後でジックリ話し合うとして、そんなわけで欲求不満の婚約者殿は早速カチキに工具やら機械の部品やらを買ってこさせた。それを待ち切れずにここらへんでウロウロしてたんだろう?」

「……そうよ」

「なぜもっと早くおっしゃられなかったんです?」

 警備兵のもっともな疑問に婚約者の姫君は逆切れした。

「恥ずかしかったのよ! 牢屋で臭いメシ食べた方がまだマシ!」

 ポールはつくづく乙女心はナゾであると感じ入った。いずれは娘もこんな風になってしまうのだろうか……と哀愁にくれるが、彼は妻帯しておらず、したがって子供もいない。

「それにカチキが黙ってるのも理由がある。多分、その釘は婚約者殿のポケットから零れたんじゃないかと心配しているんだろう」

 王子はいきなり婚約者の姫君を抱き寄せ、ポケットを探った。

「ちょっと、何するのよ!」

 ちなみに、これはポールの目には、『若い殿下が婚約者の姫君への溢れる愛情を抑え切れずに抱擁を……』と映っている。

「ホラ、あった。釘をポケットに入れておくのはやめておいた方がいいっていったろう。どうせなら金づちにしたら? いざという時に使えるし」

「釘がいいのよ。金づちは……何て言うか、無粋だわ」

 警備兵の目は生暖かいものになっていた。こんなのが王子妃、ひいては王妃になるのか……とちょっとの諦念も混じっている。

「まあともかく。この釘とそっちの釘、ちょっと貸してね、を比べてみると明らかに違うだろう? こっちのは婚約者殿の国で作ったもので、落ちてたのはこの国で作られたものだ。ね?」

「確かに……婚約者様、疑ってしまい申し訳ございませんでした」

 警備兵は潔く頭を下げる。

「あ、や、別に、あなたの職務なわけだし。それよりさ、あの車、いつまであのままなの? 早く修理してあげないと」

「まだこの方でないと証立ってはおりません!」

 公爵家の姫君が叫んだ。

「まだ言うの? 婚約者殿がこちらの釘を持っていたわけがないんだよ。僕が城の者に彼女に部品やら工具やら触らせないようにしてって言っておいたからね」

 王子は「貴方のせいだったの!?」と叫ぼうとした婚約者の口を塞いだ。これもポールの目には『お若い殿下が(以下略)』と映っている。

「婚約者殿でないなら、いったい誰がこの釘を落としたんだろうね?」

 意味ありげな王子の眼差しが公爵家の姫君を射抜いた。凄い勢いで放出されるどど黒い何かに、当の公爵家の姫君だけでなく婚約者の姫君も王子の腕の中で暴れるのをやめ、警備兵とカチキは青ざめている。そんな中、ポールの目にだけは王子が正義の天使のごとくに後光がさして見えた。うっとりと見惚れる。

「モチロン、偶然の出来事だったんだろうし、そうであればたまたまここにいた婚約者殿を疑ってしまってもしかたないよね。愛車が壊れて動転していたのだろうし?」

「――っ」

「彼女の言う通り、早いところ修理工を呼んできた方がいいんじゃない」

 にこやかに言う王子が誰かを呼ばせにやる気のないことは明白で、公爵家の姫君は唇を噛み締め蒼白な顔で身を翻した。

「さてと、君、確かこの前見た時は少尉だった気がするんだけど、こんなとこで何やってるの?」

「はい、駐車場の警備を」

「いつから少尉の仕事に駐車場の警備が含まれたの? ああ、いいよ言わなくて。その頑固な生真面目さから察するになんか悪どい上官の不興でも買って左遷されたんだろうから。明日から僕の近衛に移籍ね。その忠実さをこれからも大事にね」

「……は」

 言われたことがよく飲み込めていない様子の警備兵を置いて、王子は婚約者の姫君の腰に腕を回した。姫君の頬が赤く染まる。

「婚約者殿とお茶をしようと思って探してたんだよ。久しぶりにポールの美味しいお茶が飲めるしね。お茶受けは何を買ったの?」

「はい、ミーティンのフルーツケーキを」

「流石ポール。僕の好みをよく把握してる」

 満足そうな王子に、ポールはこの瞬間に死んでもいいと思った。通算一万七千四十二回目のことである。

「南の庭の四阿でお茶にしよう」

 王子の一声で向きを変え、カチキは途中で会った侍従に籠を預けた。

「そういえばポールさん、伯爵になられて領土も賜ったとお聞きしていたんですけど、なぜ殿下の従者をなさっているのです?」

「領土のことがひとまず落ち着いたので陛下にご挨拶に参ったのです。殿下が私の煎れた茶の味が懐かしいとおっしゃるので王都滞在中だけでもまた従者の仕事をさせていただくことになりました」

「そ、そうですか」

 どう見てもそれを光栄なことと捕らえているポールにカチキは顔を引き攣らせつつ相槌を打った。

「本当にタイミングがいいわね。ポールのお茶より美味しいものは、私飲んだことないもの」

「婚約者殿にそう言って貰えるとは光栄だよ。ね、ポール」

「全くその通りです!」

 ポールは全力を挙げて王子に賛同した。姫君はムッと顔をしかめる。

「さっきから婚約者殿婚約者殿ってずいぶんと他人行儀じゃない?」

「そう? 君は僕のことを殿下としか呼んでくれたことがないんだけどね、婚約者殿?」

「そ、れは……」

 姫君はパクパクと口を動かしてから俯いた。耳まで赤く染まっている。

「そっ、そのぅ。そう! ポール、王都滞在中に私に美味しいお茶の煎れ方を教えてくれないかしら? 殿下にお茶を差し上げようとしたらカチキがあんなまずいの飲ませちゃダメだって」

「婚約者殿、な・ま・え・は?」

「ひゃうっ」

 頬を撫でられて姫君は飛び上がった。二人の間の妖しい雰囲気につゆも気づかず、ポールは頷いた。

「よろしいですよ、姫君。私がいなくても私の殿下が美味しいお茶を飲んでいると考えるのは心が休まります」

「そっ、そう! それはよかったわ!」

 姫君が送った感謝の目にも気付かないポールを見て、カチキは姫君の側によってヒソヒソと言った。

「私、以前から気になっていたのですけど……ポールさんのおっしゃる私の殿下ってどういう意味があるんでしょう……?」

「そういえばそうよね。ポールの殿下への傾倒っぷりは凄まじいし……」

 姫君とカチキはポールを見てから目を見合わせた。禁断の愛、という言葉が同時に脳裏を過ぎる。

「……あ、のー。ポール……?」

「はい、何でしょう姫君」

 姫君は若干青ざめているようだった。

「その、ポールは殿下のことをどう思っているの?」

「世界一美しく賢く人格に優れた何より大切で素晴らしい主だと思っております」

「えーと。好きか嫌いかで言うと」

「お慕いもうしあげておりますが?」

 カチーン、と女二人は固まった。

「そうだ、私は先に行って準備をしてまいります。殿下は姫君とごゆっくりどうぞ」

 と、ポールが申し出たのは、差し掛かった庭がこの季節もっとも美しいと評判の庭だからであり、主とその婚約者に楽しんでもらいたいという裏も表もない純然たる善意である。

 ――が、残された女二人にはとてもそうは思えなかった。

 ガシィ、と姫君が王子の肩を掴む。

「い、い、い、いったい全体どういうことっ!?」

 庭に、無粋な大声が響き渡った――。


 読んで下さってありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 最後の勘違いで思わず笑ってしまいました。 ポールの王子様フィルターや王子の婚約者のお姫様の趣味などとても個性があって面白かったです。
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