勝(まさる)の婚活大作戦~ぼくらは前期高齢少年団~
一
「ほんまか、あの勝が!」
開口一番、喫茶ヴェルサイユに飛び込んできた八郎が叫んだ。
「わたしも、いま吉ちゃんから聞いてびっくりしてるんよ」
驚きを隠せず、ママも洗いものをしていた手を止め、カウンターから出てきた。
「あいつが結婚相談所へ登録したというのも初耳やったし、それに大富豪の未亡人の目に止まったというもの信じられん」
吉造は腕を組んで首を左右に振った。
「突然ワシは再婚する、と言うなり婚活会場へ走って行ったんやて。頭にハイビスカスの花でも咲いたんちゃう?」
半分あきれた表情で、ママは言い放った。
「だいたい、あいつが何で再婚しようと思いついたんか、さっぱり理解できん。ヨメさんを早うに亡くし、男手ひとつで娘を育て上げて、そろそろ楽隠居というのに、またわずらわしい、女のご機嫌取りをせなならんようなことをするなんて」
女嫌いの吉造らしい疑問を呈しながら、またもや首をひねった。
「ひょっとしたら、結婚詐欺とちゃうかぁ、年金目当てか何かの。最近多いらしいで。でないと、あの勝が、あの年で、オバハンとはいえ、女にモテるはずが」
「そう思うやろ。ところが」
と、八郎の言葉をさえぎって、吉造が説明を始めた。
あにはからん、弟知らんや、と古いギャグながら、八郎の推測は全くの大違い。
相手は五十前ながら、ヘタなアラフォーよりずうっと魅力的。太すぎず、やせすぎず。年齢の割には、まだまだ男心をそそる肉感的美人だという。
スリムが絶対条件という昨今の風潮はなげかわしい限り。そんな女は、われわれ大人の男にとって何ら興味のわくものではない。
筆者に言わせれば、スリムとは肉のそぎ落ちたミイラ寸前の状態でしかない。これでは、男の気を引くことなどはまず無理で、独身男が増えるのもむべなるかなと納得する次第。
勝の相手というのは、年だけ食って成長不良の世の一部ご婦人方とは違い、近寄りがたいまでに美を昇華し、凛然たる存在感をを全身にたたえた類まれなる女性である。
では、なぜ勝がそんな逆玉の僥倖にあずかったのかというと、こういうことだった。
もともと未亡人には再婚の意思などまったくなかった。ところが、出入りしていた相談所の女所長が、大富豪のふところを狙って男性相談者の中から超エリート候補を選び出し、むりやり彼女に紹介した。
むげに断るわけにもいかなかった彼女は、目を通したかっこうだけを作って丁重に辞退するつもりだったが、勝の写真を見たとたん、年がいもなく目元をほんのり染めたという。
そこは海千山千の女所長、このかすかな変化を見逃さなかった。ちらりと登録番号をのぞき込み、記憶にメモをすると、もうけ支度にとりかかった。
だが、なぜ超エリート集団の中に、年金生活、公団分譲マンションに娘夫婦と同居するようなシケた男が紛れ込んでいたのか。
不思議に思った女所長がよくよく調べてみると、勝が職業欄に年金生活者と書かず、資産運用と見栄を張ったのと、時給をケチって雇った従業員がデータの転記ミスをを犯し、年収を月収とインプットしそこなったせいだとわかった。
考えようによっては、年金も資産運用に違いない。剰余金を海外の債券や株式で運用しているのである。
今は、現役の若い人たちが払い込んだお金を高齢者に支給するという賦課方式だが、戦後スタートした公的年金は当初積み立て方式がとられていた。だから、一部われわれ自身の積立金を資産運用していると考えてもいいのではないか。
年金問題はさておき、いずれにせよ、所長の目当ては女の方である。男の分までふんだくればよい。ほくほく顔の所長は勝のもとへと、この縁談を持ち込んできたわけであった。
二
「ふーん、世の中に間違いと犬のうんこは転がってるもんなんやなあ」
背を丸め、額を寄せ合って、ここまで聞いていた八郎とママは、ゆっくりと首を振りながら背筋を伸ばした。
「ほらほら、うわさをすればハゲ、いや影や。勝が入って来よったがな」
と、吉造はドアを指さした。
日ごろ、薄汚れたジャンパーに、かかとのへしゃがった古グツをつっかけている男が、今日はこぎれいに身なりを整え、少ないとはいえ髪に櫛目も入れて登場した。
「何や、また葬式でもあったんか」
嫌味とも冗談ともとれる軽口に、勝はきまり悪そうににやりと笑った。
「いやあ、娘が変な格好してたら、せっかく決まった話が破談になるからと、こんなん着せられたんや」
高齢者の結婚相談所と聞いただけで顔をしかめていた娘も、相手が大金持ちと知ったとたん態度を一変、笑顔を見せながら何やかやと熱心に身のまわりの世話を焼くようになったという。
「大富豪の女主人が相手やて」
八郎がうらやましげな声を出した。
「うん」
話の主人公は、はずかしそうに下を向いた。
「どこに住んでるんや」
「O県や」
村外れのサファリパークや牧場がある田園地帯に大邸宅を構え、使用人たちと住んでいるという。
「それで、挙式はいつや?」
聞かれたとたん、勝の顔が少し曇った。
「それが……」
その変化を見た友達二人の表情は、反対にきらりと輝いた。
近所の不幸は鴨の味、隣に蔵建ちゃあワシゃ腹が立つのたとえ、人間とは、自分以外たとえ身近な友人といえども出世、金持ちになるのは面白くない。
一杯飲みながら会社や上司の悪口をサカナに怪気炎を上げていた仲の良い職場の同僚でも、相手が昇進して役職についたとたん、口もきかなくなるといったことはよくある話である。
カンダタだけを極楽に上らせてやり、喜ぶ地獄の罪人がいたら、お目にかかりたい。
勝が何か悩みを抱えているのを知った二人は、そう簡単に蜘蛛の糸が登れたら竜之介もおまんまの食い上げじゃい、と腹の中で叫びながらも、外面はいかにも心配げによそおい、友の顔をのぞき込んだ。
「どないしたんや。心配なことがあるんなら、言うてみぃ」
「そやそや、ワシら親友やないか。何でも手伝うたるで」
身を乗り出した二人に、勝は重い口を開いた。
「それがなあ……」
三
未亡人の夫は、裸一貫から身を起こした成功者。若いころ単身渡米し、南部の都市を拠点に機械製品を販売、南米への輸出で財をなした。
一時は、税金対策に自家用ジェットを購入するという羽振りのよさで、従業員数百人を擁する会社のオーナーだった。
男気があり、商売の腕は抜群だったが、ただひとつの欠点は女グセが良くないこと。地元有力者の娘を妻にし、それをバックに商売を広げたにもかかわらず、従業員の南米美人にちょっかいを出し、別居状態に。
口うるさい妻が周りにいなくなったのをさいわい、さらに三人目の妻というか、愛人というかにはアジア系の女性を引きずり込んだ。
最後に、手をつけたのが、くだんの未亡人だった。彼女が苦労に苦労を重ねて他の三人のカタをつけ、男の最期を看取った末帰国、現在彼の生まれ故郷O県で非常勤の会社役員などをしながら、のんびりと過ごしている。
彼女がそんな男と一緒になったのも、もとはといえば金がらみ。家族の犠牲となって泣き泣き身をゆだねたという、昔風に言えば新派大悲劇のヒロインだった。
そのとき、生木を裂くようにして別れさせられた初恋の相手が、勝とうりふたつ。彼の写真に、結ばれなかった男の面影を見いだし、忘れていた恋心に火がついたというわけだ。
「もともとゲテもん食いやったんやな、その女」
「ほっといてくれ」
友の冗談を軽くいなしてから、勝はため息をついた。
「結婚前にひとつ条件がつけられてるねん」
「条件?」
三人は、声を合わせ身を乗り出した。
四
「結婚前にテストがあるんや。それをパスせんことには、話がパーになるねん」
「テストぉ~?」
思いもかけぬ話に皆は、顔を見合わせた。
「かぐや姫やあるまいし、竜の珠か、ツバメの産んだ子安貝でも持って来いとでもいうんか」
吉造は茶化したが、勝は憂うつそうにして笑顔をみせなかった。
「亭主の女狂いにほとほとこりた女は、潔癖な男でないといややといいよるねん。少しでも女にちょっかいをかうようなヤツはお断りやて。それで、色道検査をするらしいワ」
「色道検査?」
「小学校のときに、色覚検査は受けたことあるけどなあ」
「違うがな、それは目の検査や」
勝にとって、今回の縁談は人生起死回生の大勝負。年収二百万円以下の下流生活から抜け出し、超悠々自適、左大うちわで暮らせるかどうかの分かれ道である。
少々、いや十分年を食っているとはいうものの、男シンデレラにとって差し出されたガラスの靴は、何とかして足を合わせなければならない。
そもそも、彼が結婚相談所に駆け込んだのも、娘に年金の使い方が悪いとケチをつけられたのがきっかけだった。
彼の家の会計は、勝の年金も含め娘が握っていて、使用に関してこと細かにレシートを差し出すよう義務付けられている。
このたび、死んだ母親の法事費用として渡されていた仮払い金を、勝が裸体舞踊観賞に流用したため娘が激昂、大ゲンカとなった。
使い方が使い方だけに、娘の怒りもわからなくもないが、もとはといえば、あまりにも彼の財布のひもをきつく締めすぎたことに問題がある。
ストリップ劇場で領収書ももらいにくいが、それを子供に示して支払いを受けるという屈辱に耐えられなかったのであろう。
最初は平謝りだった彼も、自分の家一軒よう建てんと娘の家に居候して、という、一番気にしている娘のひと言にプッツンした。
「ワシの年金を家計に取り込みやがって。もうおまえらの世話にはならん」
と、売り言葉に買い言葉、いさかいは泥仕合に発展した。
だから男の面目上彼も必死なのだが、いざ家を飛び出すとなると、それ相当の資金が必要、年金だけではこころもとない。
なんとか、収入のある相手を探し出さないと考えていたところに、夢にも思わなかった大幸運が転がり込んで来かけているのである。
だが、女嫌いの吉造ならともかく、その方にまったくだらしのない勝に示された色道検査のクリアは難問中の難問である。
高校生のとき、アルファベットのYの字を見ただけで、あらぬ想像をしたというほどの女好き。だから、英語の時間は鼻にティッシュをつめながら授業を受けていたというエピソードが残る。
年が年だけに、もはやそんなことはないが、ちょっといい女が通ると振り返ってまで見続けるクセは治っていない。
「それで、どんな試験なんや」
聞かれた勝は、首を振りながら
「どんなんか知らんけど、三日三晩、彼女の屋敷に泊まり込んでテストを受け、合格できたら、次の日に結婚式を挙げることになってるんや」
と、期待と不安の入り交じったまなざしを空におどらせた。
「三日三晩!」
八郎と吉造は、いよいよ目をまるくした。
五
駅から、差し回しの高級乗用車に乗り、未亡人邸に着いた勝、八郎、吉造の三人は、時代劇に出てくる奉行所のような大門を見上げ、あっけに取られた。
「うわあ、すごい屋敷やなあ。門構えの敷地だけでもちょっとしたマンションの一軒分くらいあるで」
「白塀がずうっと続いとる。敷地は何百坪くらいあるんやろ。植木に隠れて建物の玄関が見えへんがな」
吉造が背伸びした。
三人でやってきたのは、テストに見事パスすれば即結婚式となるので、出席をかねて同行してきたわけである。
「ここで、どんなテストをするんやろ」
八郎がつぶやくと、勝の緊張はいや増したように見えた。
玄関を入ると、雇い人が出てきて、三人を案内した。
横溝正史の探偵小説にでも出てきそうな古い建物である。黒光りした廊下、太い柱、ふすまや障子も、もはや美術品である。和室が中心だが、洋風の造りも取り入れている。
いくつかの部屋を通り過ぎ、通されたのは応接間。ここは洋間になっていて、豪華なソファが置かれ、重厚感のある大時計や背丈ほどもある大花瓶、西洋の甲冑などが並んでいた。
「びっくりするような花瓶やなあ。ラフレシアでも活けるんか」
東南アジアに自生するラフレシアは、直径が一メートルくらいにまでなる巨大花である。
「ほんなら、剣山は針の山からでも探してこんとあかんなぁ」
たわいもないムダ話をさえぎるかのように、老執事が現れた。
あいにく未亡人は、会長を務める会社の取締役会が東京のほうで開かれるため不在だが、テストは予定通り今晩から行われるという。
執事は暖炉の前に立つと、壁に掲げられた肖像画を指さした。
「こちらが亡くなられた旦那さまでございます。動物好きでございまして、アリゾナでピューマ狩りをなされたり、時折ご帰国されたときに熊撃ちに出かけられたりしました。そちらに掲げてある鹿や水鳥のはく製は、みな旦那さまが仕留められたものでございます」
こう言いながら、在りし日の姿を思い出し、感情が高ぶってきたのかのどを詰まらせた。なるほど、白壁のところどころに、外国映画に出て来そうなはく製が飾られてある。
「隣にあるサファリランドも当家の所有地でございます。動物好きの旦那さまが誘致をされ、お貸ししております。年間何千万かの借地料が入ってまいりますが、そんなものははした金で、多くの動物と触れ合い、自然とは何かを来園者のみなさまに体験していただきたいというのが、旦那さまの夢でございました。同社の株もいくらか所有しております」
勝はすでに知っていたのか、驚きもしなかったが、八郎と吉造は口をぽかんと開けたまま聞き入っていた。
「こちら側の牧場も当家の経営で、肉牛飼育と養豚をしており、サファリのレストランや都市部の百貨店に高級食材として提供しております」
亡き主人は、ときおり帰国して、土地を買い込んだり、会社を作ったりして国内にも着々と資産を築いていった。
「屋敷の北側にある山林もそうですが、本来当家の所有林はもっと広く、一県置いた向こうの県まで他人の土地を踏まずに歩いて行けたものでございます。いまでは隣県の真ん中くらいまで。これは、資産管理の責任者である私めの不徳の致すところ、まことに面目しだいもございません」
あまりにも、かけ離れた話になると、人間というもの、あまり驚きも感動もしないものである。勝以外の二人は脳ミソが白濁状態で空中浮遊していた。
「すべて合計しまして当家の資産は数十億。いや、これは簿価でございまして、実際売却するとなると、この数倍に上ります」
とたん、二人の目には、古い西洋アニメにあるがごとくガチャンと¥マークが跳ね上がった。
「これらの資産は当家当主の所有となるものでございます。いまは未亡人である奥さまが管理されておりますが、あくまで仮の措置。もし、勝さまが奥さまとご結婚あそばされるということになれば、その日からご主人さまである勝さまのものになるわけでございます」
言い終わると、執事は肩の荷を降ろしたかのように、ほっとため息をついた。
そして、使用人らに指示し、三人を各自それぞれの寝室へと案内させて行った。
その夜、いよいよテストは始まった。
六
「ワシ思うんやけど、勝はいままで苦労しよった。男手ひとつで娘を育て上げ、嫁入りまでさせるなんて、なかなかでけんこっちゃ」
八郎は、日ごろ彼に対して口にしたこともないようなほめ言葉をつぶやいた。
「ほんまや。いままで再婚もせんと、よう頑張りよった」
と、いつもクソミソにやっつける吉造さえも、珍しくこれに同意した。
「今度のことは、その努力に対して神さんがくれはった贈りもんやと思うねん」
「そやそや、ワシもそう思う。少しくらいエエ目をさせてやらんとかわいそうや」
「ワシらも手伝うてテストをパスさせたろやないか」
「あいつのために一肌脱いだろ。仲間としての義務や」
「そやそや」
会話がいかにも空々しい。友達思いのようにみせてはいるが、狙いが別のところにあるのは明らかである。
おこぼれにあずかろうと虎視眈々(こしたんたん)、悪くとも、霜降り高級牛肉の定期便くらいはいただこうという、セコい魂胆が見え見えだ。
金色夜叉の間寛平、いや寛一ではないにしても、金が恨みの世の中。黄金に目がくらむのは人の常で、有名人や成功者になると親類縁者、味方が増えるというのは、まさしくその通りなのである。
さて、そのテスト第一問とは、美女と一晩酒を酌み交わすというものだった。
いくら飲んでもOK。言葉のセクハラくらいは大目に見るが、一指たりとも体に触れてはならぬというもの。
これは非常~に難しい。飲めば飲むほど自制心が失われていき、先の百より今五十、もうどうでもエエわいとばかり本能のおもむくまま突っ走ってしまうのが、われわれ凡人男だ。
迫り寄る女の前で、男根をすっぱり切って落としたという清廉潔白の士とは違うのである。地面に落ちた男根の砂をはらってでも付け直し、ことに挑もうというのが世の男だと考えてもらいたい。
それが美女ともなればなおさら。勝のように金まで払って女の裸が見たいというような、ゆるふん男には、まさにミッション・インポシブルだ。
夜半、勝の部屋に美女が現れた。
年のころなら三十過ぎ。さわやかさの中に上品な色気を感じさせる知的美人である。
黒いひとみと、美しい口もと、まさに明眸皓歯という言葉はこのひとのためにあるのではないかと思われるほどのイイ女。
若くて美人ならだれでもいいだろうというのは大間違い。女としての落ち着きがなければならない。
昨今の二十歳代は小学生並み、言動ともに幼稚なのもはなはだしい。だいたい成人式にテーマパークへ行かなければならないとは情けないではないか。
三十過ぎあたりからやっと少しは女らしい雰囲気が出てくる。まあ三十代半ばから四十直前あたりが一番色気があるのではなかろうか。
熟れごろ、食べごろといったところだ。ただし、果実なら腐りかけが一番うまいのだが。
いや、これはあくまで果物の話である。くれぐれもお間違いなきよう。
さすがに、何人もの女を整理して大富豪最後の奥方におさまったひとだけのことはある。テスト相手の女性を選ぶ眼に狂いはない。
女は入ってくると、部屋すみのバーカウンターに腰かけた。チャイナドレスのスリットから伸びる白い脚がなまめかしい。
組み替えた脚が、裾をさらに広げた。勝は生つばをのんだ。激しい動悸に襲われた彼は、息苦しさに胸を押さえた。
女のしぐさに見とれている男に向かい、彼女は艶然とほほ笑んだ。こちらへ来いというのである
彼は、ふらふらと夢遊病者のように女の方へ吸い寄せられていった。
七
「あ、あかん。一晩持たんで、これでは」
隣の部屋から高窓越しに、二人のようすを眺めていた八郎らは気をもんだ。
友のようすが心配になった彼らは、すぐ横にある控えの間に陣取り、いすに乗ってドア上の小窓から監視していたのである。
「ひと言ふた言ことばを交わしただけで、とろけたオタフクソースの看板みたいな顔になってしもうて、女にべったりやがな」
「なんや、あんな女に、でれでれと。あんなんブラジャーつけたサルやと思うたら何も変な気起らんやないか」
「手が、手が。肩を抱こうとして……、思い直したんか、またへっこめよった。代わりに体をこすりつけるようにして、もう、あぁ」
「完全に目がイッてもうてるな。時間の問題やで。一晩目であえなく沈没や。黒毛和牛の霜降り肉はお流れか」
「試合開始のゴングが鳴って飛び出した勢いで、相手にストレートをくらってダウンいうシナリオやがな」
「そろそろ、帰る支度しよか」
「あほか、何言うてるねん。何とかしたらんと、ワシらの、いや勝の人生が台無しになるやないか。エエ方法、エエ方法と」
唇をかみしばらく考えていた八郎だったが、突然目を輝かせ
「名案がある、耳を貸せ」
と、吉造を引っ張った。
「隣の部屋に電気の配電盤があったやろ。合図したら……、そしたらお前が代役になって……、そやそや、女嫌いのお前にぴったりや」
「おほッ、なるほど。うん、うん、やっぱ八っちゃんは頭がエエ」
作戦を指示されると、吉造はこっそりと部屋を出て行った。
お話かわって、屋敷隣の牧場では大騒ぎが起きていた。
家畜に伝染病が発生し、消毒や動物の移動に大わらわ。いまもトラックいっぱいに乗せられた豚の一群が出発しようとしていた。
門を出かけたトラックは、たまたま入り口に落ちていた丸太に乗り上げ、大きく弾んだ。おどろいた豚たちは荷台から転がり落ち、一斉に敷地の外へ飛び出した。
八
小首をかしげ、勝を見つめる女の目が意味ありげにキラリと光った。何か言いたげに口元がかすかに開き、相手の手首に置いた白い手にぐっと力がこもる。うるんだひとみをじっと男の目に注いだまま、ひと言も発しない。
古い昔、とっくに忘れ去ってしまっていた熱いおののきが、もわーっと体の芯から湧き上がってくるのを、勝は禁じえなかった。
女は、小さなバッグをつかむと、彼の耳元で何事かささやいた。そして、部屋を出て行った。
女が化粧室へ向かったのを確認した八郎は、吉造へ合図を送った。すると、バチッと音がして、全館停電となった。
「な、何や」
勝は、夢の世界から一瞬にして現実世界へ引き戻された。
屋敷の周辺には人家がなく、夜は全くの暗闇となる。ピンク色の楽園だった空間は、いまや漆黒の闇と化した。
そのとき、ドアが静かに開き、何者かの入ってくる気配がした。勝ははやる心を抑え、音のする方にじっと聴覚を集中させた。
女が電気を消したのだと思った。このとき、彼はもはや、テストのことなど頭から吹っ飛んでいた。これから繰り広げられるであろう、女との甘い交歓の宴しか脳裏になかった。
かすかな息遣いが伝わってくる。それはカーペットを踏んでくるたびに、荒くなった。
「おほぉーっ、神よ!」
彼は、黄色い雄たけびを上げた。
荒い息遣いは耳元近くまで達していた。人のものとは思われないほどの激しい吐息に、彼の興奮度はさらに増した。
「おお、あの女がこんなにまで我を忘れるとは」
耳朶を摩するするかとまで思われた熱い息は首筋をつたい、からだに沿って下がっていく。
暗闇の中で、彼は女の仕草を想像した。もはや、彼の精神は尋常でなかった。
なされるがままに……、とそのとき彼はうめき声とも泣き声ともつかぬ言葉を発した。
「あっ、あかん、あかん、そんなとこなめたらあかん。そんなとこ、うっ、うーっ」
だが、その言葉の終わらぬうち、叫び声が上がった。
「痛いッ」
勝は下腹部に激痛を感じて跳びあがった。
ベッドに起き上がり、まわりの気配をさぐると、真っ暗な中に、何かたくさんのものがうごめいている。
彼はテーブルの上にライターの置かれていたのを思い出した。手さぐりでそれをつかむと、火をつけ高々と掲げた。
薄暗い明かりに、何頭もの動物たちがうごめいていた。牧場から逃げ出した豚たちが、開いていたドアからなだれ込んできたのである。うちの一頭が彼の体にかみついていた。
あっけにとられた彼は、状況をさらによく見ようとベッドに立ち上がり、炎を天井に近づけた。たまたま、その先にスプリンクラーと火災報知器があるのには、もちろん気づくすべもなかった。
ジリジリーッ。
高らかに警報ベルが鳴り響き、滝のように水が流れ落ちてくるのは同時だった。
大量の冷水を浴びた勝は、燃え上がったからだの炎もいっぺんに鎮火した。もちろん、全館大混乱に陥った。
いずれにせよ、勝は女性にワンタッチもしなかったのに間違いなく、一日目のテストはパスという審査結果に終わった。
九
一日目は幸運にも難を逃れたが、勝のようすから見て何らかの対策を立てねば、全問クリアはおぼつかないことがわかった。
三人は次の日、水浸しのため引っ越した勝の新しい部屋に集まった。
「暗闇で吉ちゃんにお前の代役をしてもろうて、女を追い返そうという計画やったけど、その前に豚が飛び込んで来てくれたんで手間省けたワ」
思いもかけぬハプニングに助けられ、目的が達せられたことで一同ほっと一息、笑顔を見せていた。
「そやけど、二日目は確実に成功させる手立てを講じんといかん」
と真剣な表情にもどって、八郎がカバンから取り出したのは、なんと男物の貞操帯。
「こんなこともあろうかと、大阪を出るとき買うてきたんや。ちゃんと南京錠もついてて、カギがなければ絶対に外れへん」
前はもっこりと完全に局所をカバー、後ろは排せつのときのことを考えてか真ん中だけまあるく穴が開けてあるというシロモノだ。
「これさえあれば、お前がいかにいれ込んでもどうしようもない。まあ一日二日がまんしてんか。スーパー・ローズカラーの未来が待ってるんや。人生最後の大逆転なるかどうかの分け目やさかい」
カギをはずし、相手の体にあてがいながら、リーダーはよっしゃとばかりうなずいた。
だが、着装した勝は渋い顔だった。
「どないして小便するねん」
と、情けなさそうな声を出した。
「まあ、一晩くらいがまんせえ。あかんかったら、もらしたらしまいや。ちょっと気持ち悪いやろけど」
他人のことだと思って、八郎は気楽な答えをした。
二日目の夜が訪れた。
この日は、ギリシャ式マッサージのあと、課題があたえられるという。
「タイ式とか中国式とかいうのは聞いたことあるけど、ギリシャ式てどんなんや」
勝がいぶかっていると、現れたのは筋骨たくましい男だった。
薄水色のチュニック、つまりギリシャ戦士がまとっていたミニスカートのような衣装を着け、腰には短剣を差している。なんだかちょっとコスプレっぽい。
肩は盛り上がり、すらりと伸びた脚は足首できりっと引き締まっている。胸板は矢をも弾き返さんばかりに強く、厚い。顔の彫りが深く、いかにもギリシャ彫刻のような男性だった。
「旦那さま、マッサージをさせていただきます」
とあいさつして、ベッドに寄ってきた。
本格的な理学療法もマスターいるようで、力が入っていないように思わせながら、ツボはきっちりと押さえていてよく利く。首筋から肩にかけての凝りがウソのように引いてきた。
カラカラの浴場あたりで、貴族が奴隷たちにこのようなサービスさせていたのかもしれないと彼は考えた。
背中から腰あたりにかけて揉み進むうち、うつらうつらと眠りが襲ってきた。指先は腰から徐々に下がっていき、おしりのエクボのところを押されると実に気持ちがいい。
このまま夜が明ければと、うとうとしかけたとき、勝は下半身に異物を感じた。
十
耳の後ろから、かすれかけた男の声が荒い息遣いとともに伝わってきた。
「旦那さま、お情けをかけていただきとう存じます」
かすかに伸びた男のあごひげが勝の背中を走った。
電撃に打たれたかのごとく、彼は跳びあがった。
「な、何や、お前は」
振り返ると、男はいとしげに自分の主人を見上げている。その目は、甘い言葉を待ち受けていた。
はっとして、勝は未亡人の言葉を思い出した。前の亭主は女癖が悪かったうえ、男にまで手を出す両刀使いだったと話していた。
背中に発した寒疣が、全身へと広がった。
「今夜は、男の方のテスト日やったんか」
なぜ色道検査と言ったのかが、やっとわかった。色道とは、女色と衆道、つまり男色の両方を指すのである。
「た、頼むから、帰ってんか。お願いやから」
だが、男はあきらめる素振りを見せなかった。どうやら、商売抜きで勝に好意を抱いたようである。
「あまりにも、つれないお言葉……」
シナをつくり、男は体を寄せてきた。
「やめて、助けてえな」
苦しげに胸をかき抱きながらにじり寄ってくる男に、あわれな獲物はベッドの端へと追い詰められた。足を広げ、のけぞる姿、さらに、はめられた貞操帯が男の情欲をかきたてた。
熱い視線が注がれている部分に気づいた勝は、貞操帯のことを思い出した。
「そやそや、これがついてるから大丈夫や。八ちゃん、よう探してくれてたもんや。ありがたい、ありがたい」
混乱の中で彼は状況の把握ができていなかった。自分がするのではない。相手がしかけてくるのである。
「あかん、違うがな。前はしっかりガードされてるけど、うしろはまったく無防備やがな、大きな穴があいてんねん、この貞操バンドは」
しばらくして気づいた勝は、再び青くなった。奇声を発した彼はベッドを飛び出し、部屋中を逃げ回った。
だが、相手は若い筋肉男、体力的にかなうはずはない。とうとう、部屋の片隅に追い詰められてしまった。お尻がわなわなとふるえ、エレベーターが急下降するような感覚を、その部分に感じた。
男のねっとりした息が、勝の唇を覆わんとした、まさにそのとき、押し付けられていた壁がぐらりと揺れた。
壁と思っていたのは、古いドアで内部は納戸になっていた。体の重みで扉が外れ、二人はその中に転げ込んだ。
中には使われなくなった昔の什器がほこりをかぶっていた。勝の倒れ込んだのは、台所用具を積んであったところで、鍋や食器、お膳などがうずたかく積まれた場所。ちょうど古いお釜が口をあけているところへ、あお向けに倒れたものだからお尻がはまって抜けなくなった。
逃げる姿は、尺取虫がスズメバチにおしりを刺され、ふくれ上がったかのよう。だが、おかげで前後ともにがっちりガードされ、男にはなすすべもなかった。
物音を聞きつけ駆けつけてきた皆は、最初は何が起ったのか理解できず二人の奇妙な姿をじっと見つめていた。
ちらかった調理器具や家具を片付け、ドアを付け直すなどして、騒ぎがおさまったのは東の空が白み始めたころ。とにかく、今回も一応はテストをパスしたとみなされ、結果は最後の日にもつれこんだ。
お釜のおかげで、抜かれずに済んだなあ、という吉造の軽口にも、勝は苦い顔を変えなかった。
十一
「それは、鈴振りやないか」
最後の課題を聞いた八郎は叫んだ。
「何やその鈴振りって?」
吉造と勝は不思議そうな顔をした。
最後のテストは、応接間にあった西洋の甲冑、つまり金属製のよろいを用いるのである。
勝が裸でよろいの中に入り、瞑想する。そこへ薄衣をまとった美女軍団が登場、あやしげな踊りを繰り広げる。
最後まで心を動かされなければ合格。肉体の一部が動き、かすかなりともよろいの中で音がすれば失格というものである。
よろいの中で素裸となれば、細工のしようがない。本人の精神統一あるのみである。
では、なぜこれが鈴振りか。
『鈴振り』は、艶笑落語の最高傑作ともいえる古典である。
あるお寺で大僧正の後継者選びが行われることになった。
千人の僧侶が一堂に集められ、それぞれのいちもつに鈴がくくりつけられる。そして、特別の日だとて酒肴が振る舞われ、絶世の美女たちが入ってきて酌を始めた。
難行苦行をくぐりぬけた高僧たちであるから、色香に迷うことはないはず、と思いきや。
当初は、しんと静まり返っていた本堂も、だれかがチリンと一音発したのを合図にいっせいに鈴音が鳴り出し、堂内割れんばかりの大合唱。
何となげかわしい、と嘆息していた大僧正がふとわきを見ると、隅の方にまったく音のしない青年僧が粛然として座禅を組んでいるではないか。
大喜びで駆け寄った大僧正が彼の手を取り、そなたこそ本山を継ぐ真の修行僧と褒め称えると、かの僧答えていわく
「面目ござらぬ。わしの鈴は女どもが入ってきたとたん、糸が振り切れて飛んでいってしもうた」
というのがオチ。
鈴なら糸が切れて飛んでいけば終わりだが、金属製の全身甲冑となればいちもつがかすかにでも動けば、必ず音がする。
これには、八郎も頭を抱えた。
勝がセミヌードの女性を見て、冷静でいられるはずはない。場合によっては、脳を迂回して視神経から即下半身へ到達、大音響を立てるのではないかと心配される。
あれこれ考えてはみたものの名案は浮かばず、時間が来てしまった。
今回は、最後とあって会場は大広間。東京から帰ってきた未亡人をはじめ家中の全使用人も集まり、ことの成り行きを見守っている。
今日の女主人は和装だった。普段にも増して色っぽい。和服のとき、彼女は下着を着けないというのがもっぱらのうわさである。
勝は素っ裸にされた揚げ句、西洋よろいをつけ、正面中央に座らされた。
その右には、女主人、左に聴診器を手にした主治医が並んだ。
「なんで、医者が来てるんや」
吉造が聞いた。
「あまりにもすごいストリッパーなんで、心筋こうそくを起こしたときの用心ちゃうか」
八郎も不審に思い首をかしげたが、その疑問はすぐ解けた。
音楽が始まり、ダンサーが入ってきた。
と、すぐさま主治医は甲冑の局所に聴診器を当て、耳に神経を集中させた。かすかな音でも聞き漏らすまいという構えである。
「あかん、勝もこれまでや」
八郎は頭を抱えた。
十二
未来の世界で、人間全員が裸で暮らすという漫画があった。
そこでは、満員電車に乗った男が女性の体に小さな布切れか紙を当てると、痴漢として逮捕されるのである。
ストレートにそのものを見たければ、解剖学者になればよい。それこそ、高野口から奥の院まで穴の開くほど拝観できる。
隠された部分を想像してこそ、人間は興奮するのである。
その夜のダンスも、まさに究極のエロティシズムであった。天の羽衣の演舞もかくやと思われんばかりの美しさ。隣室からのぞいている八郎さえ、たまらず体をくねらせていた。いわんや、眼前でそれが繰り広げられている勝においてをや。
「見てみ、見てみ。あいつの手を見てみたってみ」
八郎の言葉に吉造が注意して観察すると、甲冑の面が天井を向き、手の指を一、二、三、四と順番に折っては開き、また繰り返している。
何とか気をそらそうと、天井の節穴を勘定でもしているのであろう。ときどき、ハーッと大きな息を吐いているように見えるのもいたましい。
そのうち、勘定する動作が速くなった。どうやら、がまんができなくなってきているらしい。
巻き戻しをしているビデオテープは最後になると急激に高速回転になる。そして最後には、プツンと……。
「あかん、なんとかしたらんと。霜降り肉が」
八郎は、何かいい手がないものかと、あたりを見回した。
そのとき、屋敷隣のサファリパークでは――
この日は、年に一度の休園日で、施設整備や社員研修が行われていた。
「整列―ッ、これから逃走獣の捕獲訓練を行う。麻酔銃隊、前へ」
ライトに照らされた深夜のパークで、脱走した猛獣を捕える訓練が始まっていた。
「刺股隊、次へッ」
隊長の声が響いた。
刺股とは、ほんらい江戸時代に罪人を捕らえるため用いられた捕獲具である。相手の手や首、体を壁や地面に押し付けるため、先がY字形になっている。比較的小型の動物を捕らえるために使うのだろうか。
小学校襲撃事件などの影響で、防犯グッズとして近年復活したので、お見受けの方も多いだろう。
一方、事務所ではマイクに向かって緊急アナウンスの練習をしていた。園内はもちろん村中に聞こえるため、スピーカースイッチは当然切られていた。
だが、同時に電気系統の補修も行われていたのが混乱の原因となった。工事人が線をつなぎ間違い、マイクのコードをアンプに直結してしまったのである。
「緊急放送、緊急放送、トラと熊のサクが破れ、猛獣が逃げ出しました。村民のみなさん、すぐさま避難してください」
これが流れたからたまらない。村中は大混乱となった。
十三
もちろん、屋敷にも放送は伝わった。これを聞いた八郎に、アイデアがひらめいた。
彼らのいる部屋は、動物のはく製や毛皮の保存室だった。前の主人が集めたものである。
「よっしゃ、これや」
アナウンスに驚いて、音楽と踊りが一瞬止まった。そのとき、突然、隣室とのドアが開いて、トラと熊の毛皮を着込んだ二人が飛び込んできた。
薄衣もチラリズムもあったものではない。皆われ先にと逃げ出した。
すそをめくり上げ、頭だけを座敷机の下に突っ込んだ者、他の者に突き飛ばされ、横溝正史描く「犬神家の一族」湖のシーン状態であお向けに倒れこんだ者、ダンサーに頭上を飛び越えられた主治医は、何を見たのか苦悶の表情を呈し、ひきつけを起こしていた。たたりじゃーッ。
すぐさま、サファリ側に救助要請が行われた。訓練なのにと首をひねったが、捕獲隊は屋敷へと駆けつけてきた。
座敷へ飛び込んだ隊員たちは、あまりの惨状に目を細めた、いや、目をみはった。
八郎らは、みなが慌てふためいているうちに隣室に取って返し、毛皮をぬぐと反対側の出入り口から脱出。何食わぬ顔で大広間に戻ってきていた。
サファリの隊員たちは、皆の指さす隣室を調べたものの、当然、何ら異状は発見できなかった。結局、突然のアナウンスで気が動転していたところへ、ドアのすき間から動物の毛皮か何かを見てだれかが叫んだため、集団催眠に陥ったのではないかという結論に落ち着いた
隊員らに助けられた女性たちは、あられもない姿をさらしただけに、全員うつむいたまま。「犬神家」はどうやら未亡人だったらしく、最大の被害者でバツの悪さは言いようもなかった。
医師はいまだ正気に戻らず、ひとみはひたすら虚空をさ迷う有様。小さな穴からしか外が見えなかった勝は何が起ったのか完全には理解できずに、かぶとを外したまま、暑さで顔を真っ赤にしていた。
屋敷の者たちが落ち着いたのを見て、捕獲隊員らは撤収を開始、麻酔銃隊から部屋を出始めた。
「次ッ、刺股隊!」
「さすまた?」
号令を聞いた勝は、首をパッと持ち上げた。そして、手にした武具の特殊な形状を見たとたん。
スコォーゥ~ゥ~ゥ~ン~ン~ン。
一瞬静まった室内に、金属音が朗々と鳴り響いた。
それでなくとも、恥ずかしさと、バツの悪さにいらついていた未亡人はこの音を聞くなり、眉間にキッとしわを立て、まなじりをつり上げた。
十四
「あほやで、あいつ。もうちょっとがまんしてたら、今ごろは大邸宅のご主人さま。何十億の資産と美人の奥様をはべらして、将来大安泰で、わしらもおこぼれにあずかれたのに」
喫茶ヴェルサイユでコーヒーをすすりながら、八郎はグチをこぼした。
「ふだん小屋で見たこともないようなべっぴんさんのヌードで興奮の極地に達してたらしい。トラ騒ぎでそれが抑えられてたんやけど、刺股の形を見たとたん、いっぺんに噴出、ひわいな想像を呼んで、下半身へ直行したんちゃうかと、あとで本人が分析してたワ。名前も悪いで」
と、珍しく吉造が勝をかばった。
「そうか。まあ無理ないかもしれんなあ」
八郎はそう言って、大きなため息をついた。
一番ショックを受けているのは勝である。再婚話は破談になり、恥をしのんで娘のもとへ舞い戻った。
未亡人を激怒させたため、追い出されるようにして屋敷を出てきた彼らは、交通費さえ支給してもらえなかった。少ない年金から旅行費用をねん出したため、今月はコーヒー代にも事欠く状態で、家で逼塞しているという。
「なぐさめに、コーヒー一杯くらい呼んだってえな、ママさん」
吉造が訴えると、
「ウチはボランティアで店やってんのとちゃうで。コーヒー飲まんでも死ねへん。可哀そうやと思うンやったらあんたら、おごったりぃ」
ママのきつい返事に顔を見合わせ、二人は世間の冷たい風を身にしみて感じるのであった。
(おわり)
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