第20話「来月の予定、もうある」
四月の最終週になっていた。
昼休み。いつもの六人。
机を寄せる時、俺の分の隙間が当たり前みたいに空いている。少し前にはなかったことだ。
結衣が弁当を開きながら言う。
「で、GWどうすんの? いちご園で決まりでいい?」
航が即座に「めんどくせ」と返した。もう様式美だ。
「嫌なら来なくていいよ?」と美咲が煽る。
「行かねえとは言ってねえ」
「行くんじゃん」
凛が静かにスマホを見せた。「五月上旬までやってるみたい」
結衣が「よし決定!」と箸を掲げる。航は嫌そうな顔のまま何も言わない。反対しない時点でもう負けだ。
椎名がぼそっと言った。
「……たぬきはいちごも食べるよ」
「それ初回に聞いた!」と結衣が笑う。
美咲が「千沙って何でもたぬきに接続できるよね」と感心した。凛が「才能だね」と頷く。椎名は何も言わずに弁当を食べている。
その途中で、こっちをちらっと見た。
言葉にはしない。でも分かる。「きみも来るよね」という視線だ。
頷く。
椎名が視線を弁当に戻す。口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
それだけのやり取りなのに十分だった。行く、という返事を昼休みの真ん中でわざわざ言葉にしなくていいくらいには、もう会話の省略が効くようになっている。
それだけで昼休みは十分だった。
◇◇◇
放課後。教室が静かになる。
鞄にノートを入れる。ペンケースを仕舞う。隣では椎名も帰り支度をしている。物を置く音が小さい。動作が全部静かだ。
椎名がぽつりと聞いた。
「……きみ、ここに来てよかった?」
手が止まった。
唐突に聞こえた。でも、四月の終わりに一度は聞かれる気もしていた。
「……まだわかんねえ」
正直に答える。
椎名は急かさない。待っている。
だから続けた。
「でも、GWの予定もあるし、図書館の約束までしてる」
椎名の目が少しだけ開く。
「……たぬきは、仲間がいる巣穴は暖かいの」
「——じゃあ、その巣穴は当たりなんだな」
椎名が固まった。
瞼が持ち上がる。薄い茶色の瞳がまっすぐこっちを向く。耳が一気に赤くなった。今日一番だ。
「…………たぬきの話」
小さい声。否定じゃない。逃げだ。しかもかなり弱いやつ。
「知ってる」
そう言うと、椎名は少しだけ視線を落とした。耳の赤さは引かない。
「……きみ、最近ずるい」
「何が」
「……裏を読むの、上手くなった」
「最初からお前が分かりやすいんだよ」
「……分かりやすくない」
「耳」
一拍。
椎名の手が、反射みたいに自分の耳を隠した。
思わず笑いそうになる。椎名がむっとしたのか照れたのか判別のつかない顔で、前髪の奥からこっちを見た。
「……そういうとこ」
「褒めてんのか?」
「……違う」
即答だった。でも耳はもっと赤い。分かりやすすぎる。
「……帰ろっか」
「ああ」
◇◇◇
帰り道は、一人だった。
分かれ道で椎名は何も言わなかった。代わりに小さく手を振った。指先だけの控えめな振り方。こっちも振り返す。
あの一往復だけで、妙に満たされた。
家に着く。母はまだ帰っていない。一人で夕飯を食べて、部屋に戻る。
グループLINEは結衣が騒ぎ、美咲がスタンプを連打し、凛が営業時間を貼り、航が「めんどくせ」で締めていた。いつもの調子だ。椎名は既読だけつけて、何も言わない。
その少しあと、凛が一枚の写真を送ってきた。
昼休みの机。六人分の弁当とパン。結衣が笑って、航が半分うんざりした顔で、美咲がスマホを持って、椎名が視線だけこっちに向けている。俺は、思ったより普通の顔をしていた。
凛『四月おつかれさま、の記念』
結衣が『え、なにこれいいじゃん!』と騒ぎ、美咲が『凛いつ撮ったの!?』と驚き、航が『盗撮だろ』と即座に言う。
写真の中の六人は、ちゃんと六人だった。
スマホが震えた。個別LINE。椎名。
『……GW、たぬきは冬眠しないけど、春眠はするの』
『寝るってこと?』
既読。少し間が空く。入力中が出て、消える。
『……GW、暇だったら連絡して。……たぬきは暇だから』
たぬきに託して、暇だったらと保険をかけて、それでも送ってくる。その回りくどさが椎名だ。
返事を打とうとしていたら、もう一通来た。
『……今日のきみの言葉、ちょっとずるいの』
心臓が跳ねた。今度はたぬきがいない。素の言葉だ。
少し考えて打つ。
『ずるくない。本当のこと言っただけ』
送る。既読。少し長い沈黙。
『……ずるいの、本当のことだからだよ』
その返しが一番ずるかった。
少し置いてから、もう一通打つ。
『GWの勉強、図書館でいいんだよな』
既読。すぐには返ってこない。入力中が出て、消えて、また出た。
『……うん』
さらにもう一通。
『……寝ないようにする』
それはそれで信用ならなかったけど、笑ってしまった。
『寝たら起こす』
送る。既読がつく。
『……やさしい』
『普通だろ』
『……そういうところだよ』
その返しだけで、顔が浮かんだ。
もう十分遅いのに、眠気より先に次の約束の輪郭が立っている。図書館で、たぶん椎名は少し寝て、俺は起こす。そういう細かい光景まで浮かぶところまで来ていた。
『おやすみ。早く寝ろ』
既読がつく。
『……おやすみ』
今度は短かった。逃げなかった。
スマホを枕元に置く。暗い部屋で、口元が勝手に緩む。
引き出しを開けた。たぬきちのメモ。筆箱の中の絆創膏。その横に、鞄から昨日貸された文庫本を取り出して置く。四月の間に増えたものが、そこに並んでいる。
文庫本の表紙を指でなぞる。GWの図書館。いちご園。六人の予定。椎名との個別LINE。引き出しの中だけ見ても、もう来月の気配が増えていた。
◇◇◇
しばらくして、玄関の開く音がした。母が帰ってきたらしい。
「ただいま」
「おかえり」
リビングに行くと、母は買い物袋を置きながら「まだ起きてたんだ」と言った。仕事帰りの少し疲れた顔。けど俺を見る目だけ、いつもより少し柔らかい。
「珍しいね。なんか機嫌いい?」
「普通」
「普通の顔でスマホ見てる時はそうでもないけど、今ちょっと違う」
親は面倒だ。何も説明していないのに、表情の変化だけは見つけてくる。
冷蔵庫から麦茶を出して、一口飲む。逃げるには弱い行動だと自分でも分かっていた。
「GW、予定あるの?」
母が靴を揃えながら聞く。
「少し」
「へえ」
「友達?」
「まあ」
「よかったじゃない」
母は牛乳を取り出してから、ふと思い出したみたいにこっちを見る。
「学校、少しは慣れた?」
「……悪くない」
それを聞いて、母は何も大げさなことは言わなかった。ただ「そっか」とだけ言って、コップに牛乳を注ぐ。
それで十分だった。
部屋に戻る。机の引き出しをもう一度開ける。たぬきちのメモ、筆箱の中の絆創膏、文庫本。四月の間に増えた物たち。その横にスマホを置いて、さっき凛が送ってきた写真をもう一度開く。
六人がいる。結衣の明るさも、航の面倒くさそうな顔も、美咲の落ち着きのなさも、凛の静けさも、椎名の視線も、ちゃんと一枚の中に収まっている。
その写真に小さく星をつけて、お気に入りに入れる。
ベッドに横になる。スマホの画面を落とす直前、グループLINEに結衣がまた何か送ってきた。『GW遅刻禁止!』。その後ろに航の『誰が行くって言った』、美咲のスタンプ、凛の『来る前提で進んでるよ』が続く。
その流れに、もう無理に割って入る感じがなかった。
枕元にスマホを置く。引き出しには、たぬきちのメモと絆創膏と、貸された文庫本。
四月の間に増えたものが、もう来月の席を取っていた。




