表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/28

秘奥

 門の向こうは、ひんやりしていた。

 外の湿った熱気が嘘みたいに、空気が石の匂いに塗り替わる。苔と土、そしてどこか金属が錆びたような匂いが混ざっていた。

 壁の溝に埋め込まれた結晶のようなものが、弱い青白い光を滲ませている。松明も火もないのに、遺跡は自分で呼吸するみたいに淡く明るかった。

「便利だろ?」

 フェルが肩をすくめる。軽口なのに、声だけは妙に響いた。

 床に、細い線が走っている。石の継ぎ目――いや、違う。意図して刻まれた溝だ。模様のようにも見えるが、目で追うほど規則的で、どこか誘導されている感覚があった。

 ティリルが壁の文字列に指を当てる。

「……これ、道しるべに近いわ」

「読めるの?」

 俺が聞くと、彼女は小さく首を振った。

「完全に、分からない。でも、意味の流れがある。『進む』『戻る』『触れるな』……そんな感じ」

 触れるな。背筋が少しだけ硬くなる。

 スイが前を行く。足取りが迷いなく、呼吸すら一定だった。彼は振り返らずに言う。

「足元。踏むな」

「何を?」

「線の交差点」

 言われて改めて見ると、溝は所々で交差している。交差点だけ、石の色がほんの少し違う。濡れているような、黒ずんだような。

 通路は緩やかに下っていく。階段ではない。地面が地の底へ滑り落ちるように傾いている。古代都市が地上ではなく、地面の下に広がっているのを感じた。

 スクレは、少し後ろを歩いていた。白布が視界の端で揺れる。何も喋らないが、距離だけは一定で、俺が遅れると同じだけ遅れた。

 やがて通路が開けた。

 広場と呼ばれるであろう空間が現れる。

 天井は高く、丸いドーム状になっていて、そこから垂れ下がる蔦が雨みたいに揺れている。石畳の中心には、半分崩れた噴水のような円形の構造物があった。

 噴水は枯れている。だが水の跡だけは残っていて、石に刻まれた溝が川のように伸びている。

 その先には、建物が並んでいた。建物、というより、街だ。

 石の家々が連なり、柱が並び、崩れたアーチが道を作っている。ジャングルに呑まれた遺跡の“入口”とは違う。ここは、都市の“中心”に近い。

 俺の胸が、久しぶりに高鳴った。この感覚だ。世界が広がる感じ。未知に足を踏み入れる感じ。

「……すげぇ」

 言葉が勝手に漏れる。

 フェルが笑った。

「その顔。やっと旅人っぽい」

 ティリルも微笑む。

「ここは、冒険心が似合う場所ね」

 だがスイは、広場の端にある石柱の影をじっと見ていた。

「喜ぶのは後にしろ」

 声が低い。

「ここは“生きてる”」

「生きてる?」

 俺が聞き返す前に、スイが拾った小石を床へ投げた。

 カン、と乾いた音。

 次の瞬間、石畳の一部が沈んだ。

 ガコン、と内部の歯車が噛むような音が遺跡全体に響く。

 遅れて、空気が動いた。

 壁の穴から、矢が飛んできた。一本、二本じゃない。雨のように、一直線に。

 俺は反射で身を引く。矢は広場の中央を横切り、噴水跡の石に突き刺さった。矢尻は黒く、艶がない。毒かもしれないと思った瞬間、喉が乾いた。

「な……っ」

 フェルは軽く手を上げている。まるで、予想していたみたいに。

「見せといた方がいいと思ってさ」

 ティリルが小さくため息を吐く。

「フェル、タイミング!」

「ごめんごめん」

 謝っているのに、悪びれた様子がない。

 スイが俺を見た。

「だから踏むなって言った」

「……あ、あぁ」

 俺は、ようやく頷く。

 スクレが噴水跡へ近づいて、矢を一本抜いた。手袋越しに触っているのに、慎重だった。矢を軽く振り、耳を澄ませるようにしてから、また元の穴へ戻す。

「……まだ、仕掛けが生きてる」

 小さな声。

「でも、規則がある」

 ティリルが頷く。

「罠は、無秩序じゃない。守るべきものがあるから」

 守るべきもの。その言葉が、胸の奥をくすぐった。

 宝物庫。秘宝。封印。子どもの頃、夢中で読んだ冒険譚の匂いがする。

 広場から伸びる道は四本あった。石のアーチが、四方向へ通路を作っている。

「中心へ行くには、どれか一つが正解」

「正解って?」

「外れは……まぁ、面倒」

 面倒の言い方が軽すぎて、余計に怖い。

 ティリルが壁の刻印を見る。

「こっち」

 彼女が指した道には、石の床に“波”の模様が刻まれていた。噴水跡から伸びる溝と、同じ形をしている。

 俺たちはそこへ入る。

 通路は狭く、天井が低い。蔦が垂れていて、肩に触れる。湿った葉が服に張り付く。足元は石なのに、ところどころ苔で滑った。

 しばらく進むと、床の模様が変わった。

 波の模様が、突然途切れる。代わりに、細かな四角形のタイルが敷き詰められている。

 スイが立ち止まる。

「ここ、来るな」

 彼は足元を睨んでいる。

 一見、普通のタイルだった。だが、微妙に高さが違う。ほんの一ミリ程度。違いが分からなければ踏んでしまう。

 フェルが、口笛でも吹きそうな顔をしている。

「床抜けだなぁ」

「そんな軽く言うな」

 スイが言うと、フェルは肩をすくめた。

「落ちても死なないって言いたいところだけど、保証はできない」

 ティリルが睨む。

「余計なこと言わない」

 スイが短く命令する。

「真司、俺の足跡だけ踏め」

 スイが、ようやく俺の名前を呼ぶ。

 彼はゆっくり、確かめるように足を置いた。踏んだタイルは沈まない。次へ、また次へ。

 俺はその足跡をなぞる。心臓がうるさい。ほんの少しでもズレたら、床が抜ける。その事実だけで、喉が渇く。汗が背中を流れる。

 途中で、わざとらしいほど“綺麗なタイル”があった。色が少し明るくて、傷がない。踏みたくなる。罠の匂いがした。

 スイはそこを避けた。俺も避けた。直後、その綺麗なタイルの隙間から、細い刃がスッと出た。刃は一瞬で引っ込み、何事もなかったように静かになる。

「見てないと踏むな、これ」

 俺が呟くと、フェルが笑う。

「罠ってのは、人間の“癖”を狙うからね」

 ティリルが小さく頷く。

「焦り、油断、欲」

 そのまま進み、タイル地帯を抜ける。

 すると、扉が現れた。

 石の扉。高さは三メートル以上。中央に、円形の窪みがある。窪みの周囲には、星みたいな模様と、波の模様、そして――見覚えのない文字。

 スクレが扉の前に立つ。白布の奥で、息を吸う気配がした。

「スクレ、いけるか」

 スクレは一度だけ頷いた。そして、扉の窪みに手を当てた。

 触れた瞬間、窪みが淡く光る。青白い光が、波紋のように広がった。

 扉の文字が、ひとつずつ点灯する。

 歯車の音。遺跡の奥で何かが回る音。そして、石の扉がゆっくりと開いた。

 重たい音を立てながら、左右へ滑るように割れていく。

 扉の向こうは、広い。いや、広いなんてもんじゃない。

 巨大なホールだった。

 天井はさらに高く、壁には幾重にも棚のような段差があり、そこに石の箱が並んでいた。箱の表面には刻印があり、薄い金属の縁取りが残っている。

 宝物庫。

 俺はそう思った。

 空気が違う。乾いている。外の湿気が嘘みたいに、ここだけ別世界の匂いがする。

 フェルが、少しだけ声を落とす。

「……ここは、良い」

 軽い男の声が、初めて重く聞こえた。

 ティリルは慎重に歩き出す。

「触らないで。順番がある」

「順番?」

 俺が聞くと、彼女は棚の段差を見上げた。

「上からじゃない。真ん中でもない。――“中心”」

 ホールの中心に、台座があった。

 噴水跡のように円形で、そこだけ床の模様が密度を増している。波の溝と星の模様が、絡み合い、渦を作るように中心へ吸い込まれていた。

 その中心に、黒い球体が浮かんでいた。表面の紋様が鮮明で、脈打つ光がはっきり見える。

 宝物庫の中心にあるそれは、宝物というより、心臓みたいだった。

「これが“残骸”?」

 俺が言うと、フェルは笑わない。

「そう、都市の核」

 ティリルが続ける。

「ここは昔、地上の流れを整えるために作られた。水、風、熱、命――全部を“循環”させる仕組み」

「循環……」

 スイは球体を睨んでいる。その目が、俺には怒りに見えた。

「……止める」

 短く、決意みたいに言った。

 スクレは、少しだけ後ろに下がった。白布が揺れる。怖がっているのか、耐えているのか、分からなかった。

 冒険心があった。宝物庫に胸が躍った。罠を抜けた達成感もあった。でも今、目の前にあるものは、盗ってはいけないものに見えた。

 フェルが、器具を取り出す。

「真司、見ておいて」

「俺が?」

「うん。君が“見届ける”役」

 フェルが球体へ器具を当てる。

 キィン、と高い音が鳴った。耳の奥が痺れる。空間が震え、ホールの棚の箱が一斉に微かに揺れた。

 ティリルが呟く。

「……まだ、守りがある」

 次の瞬間、床の溝が光った。

 波の模様が、流れるように点灯していく。中心から外へ、外から中心へ。呼吸みたいに。

 俺は足元が勝手に動いた感覚を覚えた。

 床が、回っている。円形の床が、ゆっくり回転し始めた。立っているだけでバランスが崩れる。踏ん張ろうとした瞬間、足元の一部が沈んだ。

「うわっ!」

 俺は倒れそうになるが、スイが腕を掴んで引き戻した。

「立つな。膝を落とせ」

 言われた通りに膝をつく。床の回転が少しだけ耐えやすくなる。フェルは回転を意に介さないみたいに、中心へ器具を押し込んでいる。

 棚の段差から、何かが落ちた。

 石の箱が一つ、転がり落ちる。蓋が外れ、中から金属片が散った。次々に、別の箱も揺れる。落ちる。割れる。

 宝物庫が、目を覚ましたみたいだった。

 ティリルが叫ぶ。

「時間がない!フェル!」

「分かってる!!」

 フェルは、笑っていなかった。

 スイが周囲を見渡し、低く言う。

「来るぞ」

 壁の隙間から、細い鎖が飛び出した。

 一本、二本、三本。

 蛇みたいに床を這い、俺たちの足へ絡みつこうとする。

 スクレが一歩踏み出し、鎖を避けるように動く。白布が翻り、鎖の動きが一瞬鈍った。偶然かもしれない。だが、その一瞬がなければ絡まれていた。

 スイが鎖を蹴って弾き飛ばす。

「動くな、真司!」

 俺は息を呑む。頭の中で、友香の顔が一瞬よぎった。

――やめろ。今は、考えるな。

 フェルの器具が、球体の紋様の中心へ刺さる。

 光が、いびつに揺れた。球体の脈動が、乱れる。

 ティリルが祈るみたいに目を細める。

「……あと少し」

 床の回転が速くなる。膝をついていても体が持っていかれそうだ。ホール全体が、怒っているみたいだった。

 スイが、俺の肩を掴む。逃げる準備をしている。

 フェルが叫んだ。

「抜けるぞ!」

 器具が引き抜かれた瞬間、球体の光が、ぷつんと切れた。

 ホールが静まり返った。

 鎖が、力を失って床に落ちる。

 回転も止まる。

 宝物庫は、死んだみたいに沈黙した。

 俺は、息を吐くことすら忘れていた。

「……終わったの?」

 声が震えていた。

 ティリルが小さく頷く。

「終わった。ここは、もう“動かない”」

 フェルが、器具を仕舞いながら、俺に言う。

「これで、余計な循環は消えた」

 宝物庫の棚は、さっきより少し暗く見えた。光が弱まったような気がした。遺跡が息をしなくなったような。

 スイが低く言う。

「帰るぞ。崩れる前に」

「崩れる?」

 俺が聞くと、フェルはいつもの軽さを取り戻したみたいに笑った。

「こういうの、止めると拗ねるんだよね。建物って」

 冗談みたいに言うが、彼の目は笑っていない。

 俺たちは走り出した。

 通路へ。タイル地帯へ。矢の広場へ。

 戻る道は、来た道より速く、危険だった。

 なぜなら、遺跡は今、目を覚ましているのではなく――眠り直そうとしているからだ。 眠りにつくとき、体は大きく動く。

 その動きに巻き込まれたら、終わりだ。

 俺の胸の中に、冒険の高揚と、言いようのない不安が、同じ重さで残っていた。

 それでも足は止まらなかった。

 俺たちは、宝物庫の奥で見た“心臓”の死を背に、ジャングルの出口へ向かって走り続けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ