表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/45

星の海に杭を打つ

――星の航路は、消えなかった。

 星辰環を握った右手の内側で、光がゆっくりと呼吸している。

 呼吸。

 それが一番近かった。

 未来を見せるでもない。

 道を指示するでもない。

 ただ――

 「ここに、ある」と言い続ける存在。

 俺は、空を歩いた。

 タラリアが、風を編む。

 だが、前より少しだけ違う。

 今は、俺が足を出す前に、

 星の航路が――薄く、示される。

 選べる。

 だが、逃げられない。

 星辰環は、未来を隠さない。

 だが、未来を強制もしない。

 それが、怖かった。

 しばらく歩くと、空の色が変わった。

 群青でもない。

 宇宙の黒でもない。

 ――紙の色。

 真っ白じゃない。

 少し黄ばんだ、古い紙の色。

 俺は、足を止めた。

 タラリアの風が、静かに弱まる。

 だが、落ちない。

 ここは――

 空じゃない。

 「記述される場所」だ。

 前方に、

 何かが――現れた。

 最初は、線だった。

 細い線。

 空に、文字を書くみたいに、

 線が、ゆっくりと増えていく。

 縦。

 横。

 曲線。

 やがて、それは――

 巨大な、「本」になった。

 大きい。

 塔より大きい。

 都市より静か。

 星より重い。

 ページは、開いている。

 だが、

 何も書かれていない。

 真っ白。

 だが、

 「まだ書かれていない白」だった。

 胸の奥で、ラジエルの書が――熱を持った。

 今までとは違う。

 警告でもない。

 導きでもない。

 ――対面。

 そんな熱だった。

 俺は、歩いた。

 一歩。

 紙の匂いが濃くなる。

 二歩。

 インクの匂いが混ざる。

 三歩。

 血の匂いが、混ざる。

 俺の喉が、鳴った。

 声がした。

 今度は、文字として。

 空に、浮かんだ。

【運命は、書かれるものではない】

【運命は、書き続けられるものだ】

 ページが、ひとりでに、めくれた。

【天命書】

【世界の確定を記録する神具】

【未来を決めない】

【未来を“固定する瞬間”だけを記す】

 胸の奥が、少しだけ冷えた。

 固定。

 それは、救いにもなる。

 そして、終わりにもなる。

 文字が、さらに浮かぶ。

【星辰環は、航路を示す】

【天命書は、航路が確定した瞬間を刻む】

【二つを同時に持つ者は】

【逃げ場を失う】

 俺は、

 息を吐いた。

 苦笑に近かった。

「……最初から、逃げ場なんてない」

 その瞬間。

 本のページに、黒い染みが浮かんだ。

 インク。

 いや。

 ――未来。

 俺は、近づいた。

 ページの上に、線が浮かぶ。

 最初は、意味を持たない線。

 だが。

 ゆっくりと。

 形になる。

 人影。

 倒れる。

 血。

 誰かが、叫ぶ。

 俺は、動かなかった。

 逃げない。

 逸らさない。

 声がした。

「――読むか」

 星辰環と、同じ問い。

 だが。

 今度は、もっと重い。

 俺は、頷いた。

 その瞬間。

 ページの上に、文字が刻まれた。

 勝手に。

 止められない速度で。

【ここで】

【お前は】

【一つの未来を】

【“現実にする”】

 俺の胸の奥で、ギャラルホンが重く沈む。

 大釜が、鼓動を打つ。

 鳴子が、低く鳴る。

 星辰環が、冷たく光る。

 逃げるな。

 作れ。

 生きろ。

 見ろ。

 全部が、同時に来る。

 ページの中央に、空白が残る。

 そこだけ。

 まだ、書かれていない。

 声が、最後に言った。

「――書くか」

 俺は、理解した。

 これは。

 未来を、選ばせる神具じゃない。

 これは。

 未来を、

 “決定した瞬間”を、

 世界から消さない神具だ。

 俺は、右手の星辰環を見た。

 航路は、見えている。

 だが。

 どの航路を、

 「現実にするか」は。

 俺が、決める。

 俺は、左手を伸ばした。

 ページの、空白へ。

 指先が触れる。

 冷たい。

 だが、拒絶しない。

 そして。

 俺は。

 震える声で。

 言った。

「……歩く未来を」

 その瞬間。

 インクが、爆ぜた。

 文字が、刻まれる。

【この者は】

【止まらない】

 天命書が、ゆっくりと、閉じた。

 巨大だった本が、光にほどける。

 その光が、収束する。

 小さな。

 手のひらサイズの、

 本になる。

 それが。

 俺の前に、

 落ちた。

 俺は、それを、掴んだ。

 重い。

 星辰環とは違う。

 これは――

 「確定した未来の重さ」。

 胸の奥で、

 世界樹の方向が、

 さらに濃くなる。


 誰かが、気づいた。

 世界が、

 少しだけ、

 こちらを見た。

 俺は、天命書を、抱えた。

 そして。

 空を踏んだ。

 星の航路が、

 一本だけ。

 静かに、光った。

 もう。

 戻れない。

 だが。

 それでいい。

 俺は。

 世界樹へ向かって。

 歩き出した。


 星の航路は、一本だけ、残っていた。

 他の線は、消えたわけじゃない。

 ただ――

 「遠くなった」

 手を伸ばしても、もう届かない距離へ。

 俺は、空を歩く。

 タラリアの風は、まだ足首にある。

 だが。

 ほんの少しだけ――

 重い。

 重いというより。

 「選び直しが、効かない重さ」

 右手には、星辰環。

 星の流れは、まだ見える。

 無数の航路。

 無数の可能性。

 だが。

 一本だけ。

 異様に、濃い。

 左手には、天命書。

 小さな本。

 閉じている。

 だが。

 握っているだけで、分かる。

 ――一度、書かれた。

 ――そして、それは「消えない」。

 胸の奥。

 大釜が、打つ。

 ドン。

 少し遅れて。

 ドン。

 だが。

 ほんの、ほんの少しだけ。

 重い。

 鳴子が、鳴らない。

 消えていない。

 だが。

 文明の音は――

 今、

 様子を見ている。

 しばらく歩いたところで。

 俺は、気づいた。

 星が。

 ――動かない。

 いや。

 正確には。

 動いている。

 だが。

 「さっき見た動き」と、完全に一致している。

 デジャヴ。

 違う。

 再現。

 星辰環が、冷たく震える。

 警告じゃない。

 ――確認。

 その瞬間。

 天命書が。

 勝手に。

 少しだけ。

 開いた。

 文字が、浮かぶ。

【副作用】

【確定した未来は】

【“再試行”を拒否する】

 俺の喉が、鳴った。

 さらに、文字が浮かぶ。

【確定した瞬間】

【周囲の確率は、収束する】

【可能性は、消えない】

【だが】

【“お前が辿る可能性”は、狭まる】

 胸の奥が、

 静かに冷えた。

 俺は、歩く。

 一歩。

 その瞬間。

 未来の断片が、視界に走る。

 誰かが倒れる。

 血。

 叫び。

 俺は、足を止める。

 星辰環が、無数の回避航路を、示す。

 右。

 左。

 上。

 遅延。

 介入。

 無視。

 だが。

 その中で。

 一本だけ。

 異様に、

 重い。

 天命書が、微かに熱を持つ。

【この未来は】

【既に、書かれている】

 俺は、息を止めた。

 星辰環は、

 回避可能な航路を、

 示し続ける。

 だが。

 そのどれもが。

 「届かない」

 俺は、理解する。

 天命書は。

 未来を作らない。

 だが。

 一度「現実になった未来」を、

 世界から削除させない。

 つまり。

 「起こる」と、書いた瞬間。

 その未来は。

 「起こらない可能性」を、拒否する。

 俺の背骨に、冷たいものが走った。

 声がした。

 今度は。

 とても近い。

「――重いだろう」

 俺は、答えない。

「それが」

「確定の重さだ」

 俺は、空を見上げた。

 星は。

 まだ、綺麗だった。

 だが。

 ほんの少しだけ。

 「自由じゃない」

 俺は、歩く。

 歩きながら。

 自分の呼吸を、数える。

 一。

 二。

 三。

 四つ目で。

 胸が、少しだけ痛む。

 大釜が、打つ。

 ドン。

 ドン。

 ドン。

 生命は。

 まだ、俺にある。

 鳴子が。

 ようやく。

 微かに鳴る。

 カン。

 それは。

 励ましでもない。

 警告でもない。

 「作れ。

 それでも、作れ。」

 俺は、天命書を見た。

 小さい本。

 閉じている。

 だが。

 分かる。

 これを、乱用すれば。

 俺は。

 未来を、

 “固定しすぎる”。

 未来が。

 動かなくなる。

 それは。

 救いじゃない。

 それは。

 ――停滞だ。

 星辰環が、静かに光る。

 可能性は、まだある。

 だが。

 俺が。

 書くたびに。

 世界は、少しだけ、固まる。

 俺は、ゆっくり息を吐いた。

「……乱用は、しない」

 その瞬間。

 天命書が、

 少しだけ。

 軽くなる。

 許可じゃない。

 だが。

 理解された重さ。

 遠く。

 世界樹の方向。

 何かが。

 また。

 こちらを見た。

 今度は。

 少しだけ。

 ――警戒を混ぜて。

 俺は、空を踏む。

 一歩。

 星の航路は。

 もう、一本だけじゃない。

 だが。

 前より、確実に。

 ――少ない。

 それでいい。

 俺は、理解した。

 星辰環は、「可能性の海」。

 天命書は、「確定の杭」。

 海に、杭を打てば。

 波は、変わる。

 俺は。

 どこに杭を打つか。

 それを。

 これから。

 ずっと。

 選び続ける。

 怖い。

 だが。

 俺はもう。

 歩くことを、やめない。

 俺は。

 星と、

 運命と、

 文明と、

 生命と、

 境界と、

 風を連れて。

 世界樹へ向かって。

 また。

 一歩。

 踏み出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ