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反転の刻

 荒野の風が、止まった。

 本当に、止まった。

 吹き弱まったんじゃない。

 “存在を取り上げられた”みたいに、消えた。

 空気が、重くなる。

 胸の内側に収めたギャラルホンが、わずかに震えた。

――気づかれた。

 理由もなく、そう分かった。

 次の瞬間、空の端が、黒く染まった。

 雲じゃない。 

 影でもない。

 光が、引かれていく。

 空から、色が、温度が、意味が、順番に削がれていく。

 星座が、一瞬だけ強く瞬いて――

 そして、見えなくなった。

 空は、ただの、重たい灰色になった。

 風が、戻る。

 だがそれは、さっきまでの風じゃない。

 死体を運ぶみたいな、重く、湿った、どこか腐った熱を含んだ風だった。

 ティリルが、息を止める。

 フェルが、ほんのわずかに、肩を落とす。

 スイの顎が、固くなる。

 スクレが、白布の奥で、小さく震える。

 そして、雷鳴。

 ドォォォォン……!!

 音じゃない。

 圧力だった。

 空から、世界全体を押し潰すみたいな衝撃。

 膝が、勝手に折れそうになる。

 耳鳴りがする。

 いや、違う。

 世界そのものが、軋んでいる。

 もう一度、雷。

 ドォン!!

 今度は、近い。

 地平線の向こう。

 空が、裂けた。

 雷光が、縦に走る。

 その裂け目の向こう――

 “何か”が、立っていた。

 距離感が、崩れる。

 遠いはずなのに、すぐ目の前にいる。

 巨大なのに、人の形をしている。

 真っ黒なローブ。

 光を反射しない。 

 光を吸い込む。

 周囲の空間ごと、色を奪うみたいに。

 足元の荒野が、沈む。

 砂が、逃げる。

 大地が、従っている。

 それは、ゆっくりと、一歩、前に出た。

 その瞬間、空気が、悲鳴を上げた。

「――――」

 声が、した。

 耳じゃない。

 骨が、聞いた。

 血が、理解した。

「……お前たち」

 言葉が、意味になる前に、四人が、動いた。

 フェル。

 ティリル。

 スイ。

 スクレ。

 同時に、跪いた。

 迷いもなく。

 反射でもなく。

――帰属。

 そういう動きだった。

「お前たち、よくやった」

 声は、静かだった。

 拒否という概念を許さない声だった。

 ティリルが、頭を深く下げる。

「我らの創造主である貴方様のお役に立てたこと、至上の栄誉にございます」

 声色が、違った。

 柔らかい。

 甘い。

 従順。

 まるで、俺が知っていたティリルじゃない。

「……おい」

 誰にも届かない声。

「……何やってんだよ」

 フェルが、ゆっくり、顔をこちらへ向けた。

 その目。

 そこに、もう、仲間はいなかった。

「……頭が高いぞ」

 低い声。

 冷たい。

「跪け」

 俺は、理解できなかった。

「……は?」

 次の瞬間、雷が、落ちた。

 俺のすぐ横。

 地面が、爆ぜる。

 熱風が、頬を裂く。

「跪け」

 今度は、あの存在の声だった。

 体が、勝手に、震えた。

 だが、膝は、折れなかった。

 折れたくなかった。

「……説明しろよ……」

 震える声。

「何だよこれ……」

 沈黙。

 そして、笑い。

 低い。

 乾いた。

 嘲る笑い。

 フェルだった。

「……やっぱり、理解してなかったか」

 その言葉は、軽かった。

 だが、軽蔑だけは、重かった。

 ティリルが、こちらを見る。

 その目。

 冷たい。

 嫌悪。

 虫を見る目。

「気安く、話しかけないで」

 胸の奥が、軋んだ。

 スイが、短く言う。

「役割は終わった」

 スクレが、続く。

「……もう……必要ない」

 空気が、重くなる。

 俺は、理解し始める。

「……最初から……」

 フェルが、肩をすくめる。

「利用しただけ」

 笑う。

「分かりやすかったぞ。お前」

 頭が、真っ白になる。

「騙されやすい。信じやすい。疑わない」

 一歩、近づいてくる。

「最高の駒だった」

 ティリルが、甘い声で言う。

「ありがとう。本当に」

 そして。

 一瞬で。

 表情が、消える。

「……でも、もう、いらない」

 呼吸が、浅くなる。

「友香」

 その名前が、出た瞬間。 

 世界が、止まる。

 フェルが、吐き捨てる。

「ああ。あの女か」

「意識は戻らない」

 心臓が、止まりかける。

 ティリルが、笑う。

「可哀想に」

「まだ若かったのに」

 視界が、歪む。

「……なんで……」

 ティリルが、首を傾げる。

「何で?」

 そして、静かに。

「――加害者だから」

 空気が、凍る。

「……は?」

 スイが、言う。

「知らなかった、は、罪にならないと思った?」

 スクレが、静かに続ける。

「……無知は……罪」

 胸の奥で、何かが、崩れる。

「俺……は……」

 フェルが、笑う。

「騙される方が悪いって、よく言うだろ?」

 世界が、遠くなる。

 頭が、重い。

 呼吸が、うまくできない。

 あの存在が、言った。

「弱い」

 それだけ。

 それだけなのに。

 全身の細胞が、否定される。

 存在を、許されていない

 と、理解する。

「人間は、弱く、愚かで、滑稽だ」

 雷が、鳴る。

 空が、完全に、黒になる。

「よくやった」

 四人へ向けて。

「カオスは、もう、止まらない」

 笑う。

 世界が、軋む。

「この人間は?」

 フェルが、迷いなく言う。

「不要です」

 ティリル。

「処理する価値もありません」

 スイ。

「放置で十分」

 スクレ。

「……自分で……壊れる」

 膝が、震える。

 俺は、立っているのか、

 崩れているのか、

 もう分からない。

 あの存在が、両腕を広げる。

 嵐が、巻き起こる。

 砂が、空を覆う。

 世界が、見えなくなる。

「後は任せた」

 そして、消えた。

 雲でもない。夜でもない。

「光が除外された空間」

 雷が、遠くで鳴っている。

 だがもう、音としては聞こえていなかった。骨の奥が、振動しているだけだった。

 四人が、俺を見ていた。

 逃げ道を塞ぐでもなく。

 囲むでもなく。

 ただ――そこに立っている。

 それだけで、十分だった。

 俺は、膝をついたまま、顔を上げた。

 喉が、乾いている。

 声を出そうとしても、空気が入らない。

「……どうして」

 やっと出た声は、自分でも情けないほど細かった。

 フェルが、先に笑った。

「どうして?」

 その言葉を、わざと繰り返す。

 まるで、幼児の言葉を真似するみたいに。

「どうしてだってよ」

 ティリルが、小さく肩を震わせる。

 笑っている。

「ねえ、まだ分かってなかったの?」

 優しい声。

 昔、俺に向けてくれていた声と、同じ。

 でも、中身は、空っぽだった。

「最初から、利用してただけ」

 その言葉は、軽かった。

 心の奥に、重く沈んだ。

 スイが、一歩、近づく。

 足音が、乾いている。

「お前、本当に自分が“仲間”だと思ってたのか」

 怒鳴っていない。

 それが、余計に怖かった。

「……一緒に旅して、笑って、助け合って」

 スイが、そこで一度、息を吐いた。

「全部、“必要だったから”に決まってるだろ」

 胸の奥で、何かが、裂けた。

 スクレが、小さく言う。

「……優しくされたからって……」

 少しだけ、首を傾ける。

「……好かれてると思った?」

 その一言が、刃物より深く刺さった。

 俺は、何も言えなかった。

 フェルが、しゃがみ込む。

 俺と、目線を合わせる。

 昔みたいに。

 でも、目が――死んでいる。

「お前さ」

 少し笑う。

「都合、良すぎ」

 言葉を、区切る。

「弱くて」

「流されやすくて」

「疑わなくて」

「自分で決めなくて」

 指を一本、立てる。

「最高の“道具”だった」

 呼吸が、乱れる。

 肺が、うまく動かない。

 ティリルが、俺の顔を覗き込む。

「ねえ」

 声が、甘い。

「自分が誰かを助けてた気になってた?」

 少しだけ、間を置く。

「可哀想」

 その“可哀想”は、哀れみじゃなかった。

 スイが、続ける。

「お前さ」

「何一つ、成し遂げたことないだろ」

 心臓が、跳ねる。

「逃げて」

「流されて」

「何も決めずに」

「それでいて、“いい人”でいたかっただけ」

 言葉が、正確すぎた。

 スクレが、追い打ちをかける。

「……努力してる“つもり”」

「……頑張ってる“つもり”」

「……生きてる“つもり”」

 小さく。

 静かに。

「……空っぽ」

 俺の視界が、滲む。

 フェルが、立ち上がる。

「でもさ」

 肩をすくめる。

「そういう人間、山ほどいる」

 笑う。

「だから、使いやすいんだよ」

 ティリルが、静かに言う。

「自分で考えない人間って、すごく便利」

 スイ。

「責任取らないからな」

 スクレ。

「……壊れても……誰も困らない」

 呼吸が、できない。

 胸が、痛い。

 荒野の空気は、冷たいのに。

 体の中だけが、熱かった。

 フェルが、最後に言った。

「なあ」

 少しだけ、首を傾ける。

「お前、自分の人生、好きだったか?」

 答えられなかった。

 答えが、なかった。

 ティリルが、微笑む。

「ないよね」

 断言。

「だって、お前」

「何も積み上げてないもの」

 スイが、低く言う。

「空っぽのまま、ここまで来ただけ」

 スクレが、最後に、言った。

「……存在理由……ない」

 俺の中で。

 最後に残っていた、何かが。

 崩れた。

 立っていた柱が、全部、折れた。

 雷が、鳴る。

 空が、さらに暗くなる。

 フェルが、背を向ける。

「行こう」

 ティリルが、頷く。

「もう、用はないし」

 スイ。

「勝手に苦しめばいい」

 スクレ。

「……それが……一番……似合う」

 四人が、歩き出す。

 俺を、置いて。

 振り返らずに。

 俺は、動けなかった。

 膝が、痛い。

 手が、震える。

 呼吸が、浅い。

 心が、空だった。

 荒野の風が、少しだけ吹いた。

 それは、冷たかった。

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