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荒野に眠る世界の呼び声

 草の匂いがした。

 次の瞬間、空が、あった。

 夜でも、昼でもない空。

 そこには、星座が、重なっていた。

 見たことのある配置。

 見たことのない配置。

 冬の星座と、夏の星座が、同時に浮かんでいる。

 北の星と、南の星が、同時に瞬いている。

 時間の感覚が、意味を失う。

 足元は、草原だった。果てが見えないほど、広い。

 風が、吹いている。

 でも、その風は、どこから来て、どこへ行くのか、分からない。

 振り返る。

 四人が、いた。

 誰も、驚いていない。

 ただ、息を、深くしていた。

 ティリルが、空を見上げる。

「……接続点」

 その言葉は、説明じゃなかった。

 思い出した言葉、みたいだった。

 フェルが、草を踏む。

「……時間、ズレてるな」

 スイが、周囲を見渡す。

「……でも、安定してる」

 スクレが、小さく言った。

「……ここ……中心」

 中心。

 その言葉を聞いた瞬間、銀葉が、強く光った。

 俺は、顔を上げた。

 遠く。

 地平線の向こう。

 そこに、影があった。

 山ではない。

 雲でもない。

 ――樹。

 巨大すぎて、距離の概念が、壊れる。

 幹が、空を支えている。

 枝が、星を抱えている。

 根が、大地を、貫いている。

 俺の喉が、乾く。

 怖くない。

 でも――

 圧倒的だった。

 あれは、「存在していい大きさ」を、超えている。

 風が、草を揺らす。

 その揺れが、波紋みたいに、樹へ向かっている気がした。

 俺たちは、歩き出した。

 誰も、合図をしない。

 でも、足は、止まらない。

 歩く。

 歩く。

 どれくらい歩いたのか、分からない。

 時間が、意味を持たない。

 やがて、樹の根元が、見えた。

 そこには、二つの、痕跡があった。

 並んでいる。

 足跡にも見える。

 跪いた跡にも見える。

 座っていた跡にも見える。

 でも、それは、「誰かが、ここにいた」という、

 ただそれだけが、分かる痕跡だった。

 ティリルが、目を閉じる。

 フェルが、息を吐く。

 スイが、静かに、周囲を警戒する。

 スクレが、ほんの少しだけ、頭を下げた。

 俺は、銀葉を握る。

 葉は、静かに光っている。

 樹は、何も言わない。

 でも、ここが、「始まりに最も近い場所」のひとつだと、理由もなく、分かった。

 風が、吹く。

 遠くで、何かが、鳴った気がした。

 まだ、音になっていない。

 でも、いつか、それは、世界を、震わせる。

 俺は、樹を見上げる。

 まだ、ここは、終着点じゃない。

 確実に、そこへ、向かっている。

 銀葉が、静かに、呼吸していた

 世界樹は何も言わない。

 それでも、根の下に立つと、言葉の代わりに「向き」が分かってしまう。

 風が、俺の背を押したわけじゃない。

 足が勝手に、決めた。

 ――荒野へ。

 そこにある。

 まだ見ぬ“何か”が、そこにある。

 俺は、二つ並んだ痕跡を見下ろした。

 並んでいるのに、揃っていない。

 同じ高さじゃない。

 同じ姿勢でもない。

 片方は、踏み込むような形。

 片方は、膝を落とすような形。

 まるで、ひとりが立ち、ひとりが跪いたみたいだった。

 誰が?

 いつ?

 何のために?

 分からない。

 でも、ここに「誰かが来て」「何かを受け取って」「去った」だけは、確信みたいに残っている。

 ティリルが、ゆっくり息を吐いた。

「……ここで、一度、世界は分かれた」

 言い方が、説明じゃない。

 思い出をなぞるみたいだった。

 フェルが、草を踏む。乾いた音。

「分かれるっていうか……“折れる”に近いな」

 軽口のはずなのに、目だけが真面目だった。

 フェルがこういう顔をするとき、冗談じゃない。

 スイが、周囲の空気を確かめるように視線を走らせた。

「……境界が薄い。長居する場所じゃない」

 スクレが、白布の奥で小さく言う。

「……でも……来た」

 来た。

 何が? と聞き返す前に、銀葉がひときわ強く光った。

 掌が熱い。

 燃えるような熱じゃない。

 冬に焚き火へ近づいたときの、胸の奥がほぐれる温度。

 次の瞬間、空が――歪んだ。

 星座が重なっている。

 見慣れた形と、見知らぬ形が、同じ場所で同時に瞬く。

 季節も、方角も、何もかもが曖昧になる。

 時間の秩序だけが、剥がれていく。

 それでも、世界樹だけは動かない。

 動かないことで、中心だと語っている。

 根の近く。

 二つの痕跡の“間”。

 そこに、薄い裂け目が生まれた。

 ぱきり、という音はしない。

 ただ、「空間の重なり」がほどける。

 裂け目の向こうから流れてきたのは、草の匂いじゃなかった。

 乾いた土。

 砂。

 焼けた石。

 遠い雷の名残みたいな、焦げ臭い空気。

 荒野の匂い。

 俺は、思わず目を細めた。

 向こう側の光が、こちらより鈍い。月光よりもさらに薄い。

 世界から色が少し引き算されているみたいだった。

 フェルが小さく笑った。

「……ほら。道、できた」

 その笑い方が、嬉しそうじゃないのが怖い。

 でも、後退りする理由もなかった。

 ティリルが、先に一歩踏み出した。

 スイがすぐ横に並ぶ。

 スクレは俺の少し後ろ。

 フェルは最後に、俺の掌の銀葉を一度見た。

「落とすなよ」

 その言葉だけ、やけに丁寧だった。

 俺たちは、裂け目を越えた。

 瞬間。

 皮膚が乾く。

 息が重い。

 足元の感触が、草から硬い土へ変わる。

 空が低い。

 雲は重い。

 風は冷たいのに、土は熱を含んでいる。

 荒野だった。

 何もない。

 何もないはずなのに、胸の奥がざわつく。

 ここには――“何かが起きた跡”しかない。

 歩き始める。

 どれくらい歩いたのか分からない。

 この場所は、時間が数えられない。

 疲労だけが先に溜まる。

 けれど、距離の感覚は曖昧なのに、目的地だけは明確だった。

 見える。

 地平線の向こうに、一本の影。

 最初は岩の塔に見えた。

 次に、折れた柱に見えた。

 最後に、それが“角”だと分かった。

 角――ギャラルホン。

 知識じゃない。

 理解じゃない。

 身体が先に「そうだ」と言ってしまう。

 俺の掌の銀葉が、震えた。

 潮の満ち引きみたいな脈動が、強くなる。

 フェルが、息を吐く音が聞こえた。

「……やっぱりここか」

 ティリルは、何も言わなかった。

 その代わり、口元だけが、ほんの少しだけ硬い。

 ――知りすぎている。

 そういう“沈黙”だった。

 スイは、角へ目を離さず言う。

「近づくな、勝手に」

 怒りじゃなく、焦りに近い。

 俺は頷いて、足を止めないまま、速度だけを落とした。

 近づくほど、ギャラルホンは巨大になっていく。

 巨大というより、世界の比率がおかしくなる。

 遠いのに、近い。

 近いのに、遠い。

 存在そのものが、距離の常識を無視している。

 表面には、傷があった。

 刃物の傷じゃない。

 争いの傷でもない。

 何かが「世界から削ぎ落とされた」ような痕。

 これは、作られたものじゃない。

 “残されたもの”だ。

 角の根元に、窪みがあった。

 地面が抉られたみたいな窪み。

 中心に、黒い砂が溜まっている。

 そして、その砂の中に――何かが埋まっていた。

 最初は、骨。

 次に、金属。

 最後に、それが“角の一部”だと気づく。

 ギャラルホンは、一本じゃない。

 これは、折れたのか。

 それとも――最初から、分かれていたのか。

 ティリルが、やっと声を出した。

「……吹くための角は、ここに置かれたままじゃない」

 俺は聞き返す。

「じゃあ、どこに?」

 ティリルは、銀葉を見る。

 答える代わりに、掌の銀葉へ視線を落とした。

 銀葉が、じんわりと光を増す。

 それに呼応するように、角の根元の窪み――黒砂が、さらり、と動いた。

 風が吹いたわけじゃない。

 砂が、自分で動いたみたいに見えた。

 その中から、白いものが覗く。

 骨の白じゃない。

 紙の白でもない。

 月光に似た、冷たい白。

 スクレが、小さく呟いた。

「……いる」

 “いる”。

 ものに対して言う言葉じゃないはずなのに、なぜか正しい気がした。

 俺はしゃがみ込んだ。

 スイがすぐ横に立つ。

 止めはしない。

 ただ、いつでも俺を引き戻せる距離。

「俺がやる」

 そう言って、銀葉を砂の上にかざした。

 銀葉が、ふっと軽くなる。

 掌の熱が、砂へ移る。

 黒砂が、ゆっくり退いた。

 そこにあったのは――小さな角。

 大地に突き刺さった巨大な角の“欠片”みたいに見える。

 だが、欠片にしては整いすぎている。

 手に取れる大きさ。

 指がかかる曲線。

 握れば、しっくり来てしまう重さ。

 まるで最初から、「人の手に戻るため」に作られた形。

 俺は、息を止めた。

 触れたら、何かが変わる。

 そんな予感がした。

 スイが低く言う。

「……慎重に」

 俺は頷いて、そっと指を伸ばした。

 触れた瞬間、音が、鳴った。

 耳じゃない。

 胸の奥で。

 ――コォン……

 澄んだ音。

 冬の朝に氷を指で弾いたみたいな、透明な音。

 景色が揺れる。

 荒野の空が、一瞬だけ“抜ける”。

 星座が、さらに重なって見えた。

 そして、ほんの一瞬だけ――

 誰かが、ここで吹いた光景が見えた。

 巨大な闇が割れ、世界が息を呑み、遠くで何かが“目を開ける”。

 俺は反射で手を引きそうになる。

 けれど、指は離れなかった。

 握ったからだ。

 ギャラルホンを。

 小さな角は、俺の掌で、冷たく静かに存在していた。

 生き物みたいに。

 いや、もっと厄介なもの――

 「世界の合図」みたいに。

 フェルが、やっと笑った。

「……取れたな」

 その笑顔は、嬉しさじゃない。

 諦めと、覚悟が混ざっていた。

 ティリルは、俺の手元を見て、静かに言った。

「……これで、戻れなくなる」

「戻るって、何に?」

 聞いたのに、彼女は答えなかった。

 答えられないんじゃない。

 答えたくない顔だった。

 スクレが、ほんの少しだけ近づく。

 白布が風に揺れて、角の白と似た色を映す。

「……持った……ね」

 スイは短く命じた。

「しまえ。見せるな」

 俺は頷いて、ギャラルホンを胸の内側へ収めた。

 服の奥で、冷たい重さが、確かにある。

 その瞬間、荒野の風が、少しだけ変わった。

 匂いじゃない。

 温度でもない。

 ――気配が増えた。

 遠くの雲が、わずかに厚くなる。

 空の低さが、さらに低く感じる。

 まるで、世界が「気づいた」みたいだった。

 フェルが、ぼそりと言う。

「……あとは、“吹くタイミング”だ」

 ティリルが、かすかに笑った。

「タイミングを間違えたら、全部終わるわ」

 冗談みたいな声なのに、冗談じゃない。

 俺は胸に手を当てた。

 そこに角がある。

 世界を呼ぶための角がある。

 まだ、吹いていない。

 それでも、もう――

 何かが、こちらを見ている気がした。

 荒野は静かだった。

 でも、その静けさは、世界樹の下の静けさとは違う。

 ここは、嵐の前の静けさだ。

 俺は、空を見上げた。

 星座は重なったまま、どこかでゆっくりずれている。

 世界が、合図を待っている。

 俺の胸の奥が、同じ形で震えた。

 まだ、鳴らしていないのに。

 ギャラルホンは、服の奥で、静かに息をしていた。

 ――まるで、今か今かと、世界を起こす瞬間を待つように。

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