文明挽歌
ドラゴンは、ゆっくりと高度を落としていく。
都市の光が、近づく。
遠くから見たときは、ただの“遺構”だった。
だが、近づくほど、ここが、確かに「人が生きていた場所」だったことが、分かってしまう。
崩れていない道路。整った街路樹。街灯のように並ぶ、細い光柱。
どれも、戦争の最中に壊れたものじゃない。
――ある瞬間を境に、止まっただけだ。
ドラゴンが、滑るように石造とも金属とも違う地面へ降りる。
足をついた瞬間、振動が伝わる。
ドン……
ドン……
都市そのものが、心臓みたいに鼓動している。
俺は、ゆっくり歩き出す。
足音が、妙に大きく響いた。
建物の入り口は、開いたままだった。
日常の途中で、時間だけが奪われたみたいだった。
中へと入る。
空気は、冷たい。だが、腐敗の匂いはない。
机。椅子。壁一面の、光るパネル。
そして、小さな端末。
フェルが、それを拾う。
「……まだ、残ってる」
彼は、軽く触れる。
端末が、弱く光る。
文字が、浮かび上がる。
俺には読めない。
その代わりに、ティリルが、その内容を読み上げ始める
『《第412循環日》
今日、子どもが初めて浮遊補助を使った。
怖がって泣いたけど、最後は笑った。
この世界は、きっとよりよい方向に向かっていると思う。』
ティリルが、指を動かした。
『《第419循環日》
中央政府が、核循環装置の軍事転用を承認。
私は、反対した。
でも、誰も止められなかった。』
スイの肩が、わずかに揺れた。
次の記録。
『《第422循環日》
空が、赤い。
娘が、「夕焼けが長いね」と言った。
違う。
これは、夕焼けじゃない。』
俺は、息を止める。
端末の光が、弱くなる。
最後の記録。
『《なし》
もし、これを読む者がいるなら。
どうか、同じことを繰り返さないでほしい。
私たちは、世界を守るつもりだった。
ただ、それだけだった。』
光が、消えた。
ドン……
ドン……
スクレが、そっと床を見ていた。
その足元に、薄い金属板が落ちている。
拾い上げる。
そこには、子どもの絵が刻まれていた。
丸い太陽。歪な家。四人の人影。
そして、端に小さく書かれた文字。
「あしたも、ここで」
スクレの指が、ほんの少し震えた。
スイは、何も言わない。
フェルが、ゆっくり歩き出す。
「……行こう」
俺は、最後に都市を見渡す。
ここには、確かに人々の記憶があった。
笑いがあった。喧嘩があった。夢があった。
ドラゴンの背に戻る。
都市の中心、巨大な空洞。
その奥で、円環装置が、まだ微かに光っている。
ドン……
ドン……
ドン……
俺は、胸を押さえる。
自分の心臓と、同じリズムだった。
「……これを、止めるのか」
誰に聞いたわけでもない。
フェルは、答えない。
ティリルも、何も言わない。
スイだけが、短く言った。
「……終わらせる」
人々の記憶の上を。 消えなかった願いの上を。
文明が残した、最後の鼓動へ。
ドラゴンは、ゆっくりと空洞の中心へ降下していく。
都市の残光が、背後で遠ざかる。
俺たちの下には、円環装置。
その中心で、光が脈打っていた。
ドン……
ドン……
ドン……
鼓動が、強くなる。 俺の胸の奥まで、震える。
懐かしいような。 怖いような。
逃げたくなるのに、近づきたくなる。
矛盾した感情が、体の中で絡み合う。
ドラゴンが、装置の外周に降りた。
足を下ろす。 地面が、微かに温かい。
生き物みたいだった。
「……ここが、最後だ」
フェルが言った。
声は、いつも通り軽い。
でも、ほんの少しだけ重かった。
ティリルが、装置を見上げる。
その横顔は、どこか知っている景色を見ている人の顔だった。
俺たちは、円環の中心へ歩く。
一歩、二歩。
近づくほど、空気が濃くなる。
音が、消えていく。
鼓動だけが、残る。
ドン……
ドン……
ドン……
球体があった。
黒でもない。 白でもない。
色という概念そのものが、曖昧になるような光。
見ていると、距離感が狂う。
遠いのに、近い。小さいのに、巨大。
俺は、無意識に手を伸ばしかける。
その瞬間、スイが、俺の腕を掴んだ。
「触るな」
スイの声は、怒っているというより、焦っている声だった。
スクレが、少しだけ前に出る。
白布が、微かに揺れる。
球体の光が、強くなる。
ドン……
ドン……
ドン……
まるで、俺を、呼んでいるみたいに。
「……やっぱり」
フェルが、小さく呟く。
俺は振り返る。
フェルは、球体を見たまま言った。
「反応してる」
「……何に?」
俺が聞く。
フェルは、少しだけ黙る。
それから、 笑った。
「君に、かな」
冗談みたいに。
でも、ティリルは笑わなかった。
彼女は、球体を見たまま言った。
「……共鳴してる」
その言葉の意味を、俺は理解できない。でも、心臓だけが、理解していた。
ドン……
ドン……
ドン……
スイが、前に出る。
「やるぞ」
フェルが、器具を取り出す。
見覚えのある、核抽出装置。
今までより、ずっと慎重だった。
ティリルが、円環の外周へ歩く。
手をかざす。
すると、床の紋様が、淡く光る。
装置全体が、反応している。
まるで、「帰ってきた何か」を認識するみたいに。
俺の背中に、冷たい汗が流れる。
ティリルが、低く言った。
「……まだ、覚えてる」
フェルが、小さく息を吐く。
「そりゃそうだ。これ、世界の基準点だし」
軽い口調。
俺は、聞く。
「……お前ら、なんでそんなに知ってるんだ」
沈黙。
鼓動だけが、響く。
ドン……
ドン……
ドン……
フェルが、少しだけ肩をすくめる。
「……昔、似たのを見たことがある」
それだけ。
それだけしか、言わない。
スイが、短く言う。
「集中しろ」
フェルが、装置を球体へ近づける。
キィィィィ――
高い音。
空間が、歪む。
球体の光が、暴れる。
ドン!!
鼓動が、一度だけ強くなる。
都市全体が、震える。
遠くで、塔が崩れる音。
海が、揺れる。
フェルが、叫ぶ。
「今だ!!」
装置が、球体へ刺さる。
光が、裂ける。
俺の視界が、白くなる。
――光の中。
声が、聞こえる。
「成功する」
「必ず、制御できる」
「これで、世界は守られる」
笑い声。子どもの声。泣き声。
祈り。絶望。
全てが、一瞬で流れる。
光が、消える。
俺は、膝をついていた。
球体は、静かだった。鼓動が、消えている。
ドン……
……
……
もう、鳴らない。
ティリルが、目を閉じる。
「……終わった」
フェルが、装置を外す。
球体は、ゆっくり――
崩れた。
光の粒になって。
空気に溶けて跡形もなく、消えていった。
まるで、最初から存在しなかったみたいに。
都市の光が、一斉に消えた。
街灯。道路。塔。
静かに。
完全に。
死んだ。
俺は、都市を見る。
もう、鼓動はない。もう、光もない。
ただの――
遺跡。
フェルが、小さく言った。
「……これで、終わりだ」
ティリルが、続ける。
「世界の核は、もう残ってない」
風が、流れる。海が、揺れる。
あの振動は、ない。
スイが、短く言う。
「帰るぞ」
スクレは、少しだけ都市を見ていた。そして、ゆっくり、背を向けた。
ドラゴンの背に乗る。
ここには、確かに世界があった。
そして――
今、完全に終わった。
ドラゴンが、浮上する。
海が、遠ざかる。
光が、戻ってくる。
俺は、胸を押さえる。
もう――
鼓動は、聞こえなかった。
フェルとティリルが、何を知っているのか。
――まだ、何も知らない。
でも、きっと、いつか、聞く日が来る。
そんな予感だけが、残った。




