「平和」によって脅かされる俺の生活とアイデンティティ②
「貴様は……、何を言っているのだ?」
俺の言葉に、ラアトは悍しいとでも言いたげに目を丸くさせる。
「人族の間に『伝承』が広まってないっつーことは、人間側にも何かしらの思惑があるってことなんだろうよ。勇者の俺も知らないってところは、気に食わんところだがそれはまぁ……、この際どうでもいい。『伝承』を『伝承』のままにして置きたいってんなら、俺はそれに全力で乗るまでだ! 少なくともその間は、世界から火種が消えることはないからな!」
確かに、ここまでのラアトの話は聞き捨てならないものだ。
万が一、ヴィジュニッツ側が意図的に伝承について隠していたのだとすれば、ラアトの言う『三大魔神官と協力関係にある人族』は、皇国内部にいる可能性すらある。
となると、当然ネベーラたちともつぶさに情報共有しているだろうし、俺としても看過出来ない事態だ。
だが俺には一つ、確信に近い推論がある。
ネベーラは死に際に、『脱魔の王』がいる限り、代案などいくらでもあると宣っていた。
それが何を指すのかまでは知らないが、そうなればもはや『シャロをとっ捕まえてどうこう……』といった話ではない。
実際、他の三大魔神官もその『代案』とやらを見据えて動いているのだろう。
そして、仮にだ。
皇国の中に彼らと結託している人間がおり、既に事態は『脱魔の王』とやらが降臨した場合のシナリオに移行しているとしよう。
恐らくそうなると、全ての前提が崩れる。
であれば、わざわざ三大魔神官たちが俺の副業や負債について皇国側に伝えるとも思えないし、それを把握した皇国が俺を泳がせるメリットも皆無だ。
もし何らかのルートで把握したのであれば、実態解明のために、少なくとも一度は皇国に招集されることになるはずだ。
ところが、現状そういった類の指示は一度も受けていない。
であるなら、俺の無様な現況までは、皇国の耳に入っていないと考えるのが妥当だろう。
「き、貴様……、正気かっ!?」
ラアトはそう言うと、大きく目を見開き、驚愕する。
というより、到底勇者のものとは思えない言動を前に、たじろいでいるようにすら思える。
「……お前もアバドに負けず劣らずの常識人みたいだな。だがな……。自慢じゃないが、コッチはもう『勇者としての矜持』だとかに拘っていられるフェーズじゃねぇんだよ。表向きの体裁さえ、保ってりゃオールOKだ。『融和』だぁ? んなモン、シャロが俺の手元にいる限り、許すわけねぇだろ! アバドだってまだ生きてんだ! とりあえず表面上はお前らと対立しつつ、のらりくらりとやり過ごし、残りの三大魔神官の連中がおかしな動きを見せたら、全力でそれを阻止する! そうすりゃ、当面の間は俺のビジネスも安泰ってこった!」
俺がそうまくし立てると、ラアトは呆けた顔でしばらくの間絶句する。
そして……。
思い出したかのように、『フッ』と、ニヒルに笑う。
「んだよ……」
「いや、すまぬ。私が言えることではないが、本当に勇者の風上におけぬ輩だと思ってな。この人類の裏切り者が! クズめ! その分だと、ゆくゆくは現帝のことも切り捨てるのであろう? 全くけしからん! あの女魔帝が不憫で仕方ないわ!」
「ホントにお前が言うことじぇねぇな……。まぁお前がそう言うのも分かるけど。にしても、ちょっと言い過ぎじゃない? 一応初対面だよ? 俺たち」
俺がそう溢すと、ラアトは輪を掛けたようにクスクスと笑う。
一頻り笑うと、次の瞬間にはバツが悪そうな表情を浮かべる。
「……貴様の言いたいことは分かった。ただな。皇国の勇者よ。もう遅いのだ」
ラアトはそう言うと、浮かない表情で首からぶら下げた宝玉を見せつける。
「……この『邪光のアレキサンドライト』には、『混濁』の念のほか、もう一つ大きな役割がある。それは呪詛を宝玉に媒介させることによって、遠く離れた地からでも持ち主の念の影響下に置く、というものだ。これが何を意味するか。貴様なら、分かるだろう?」
「要するに、お前がコリッツ兵に紛れてココへやって来たのとほぼ同時に、ネベーラの呪詛が砦内に充満したってことか? まぁ手法はともかく、タイミング的にはそこだろうとは思っていたが」
「それだけではない……。我が主の『恭順』の念と、私の『増強』の念は至極相性が悪い。端的に言えば、私の念によって、『恭順』の念の服従効果も増してしまうのだ……」
「増すって……。具体的にどのくらいだ? だとしてもコッチには『至高』の」
「違うのだっ!」
俺の言葉に被せるように、ラアトは叫ぶ。
「違うのだ……。貴様も聞いたであろう? 我が主が新たに魔族の王と並ぶ位に任ぜられた、と。それはすなわち……、『至高』に準ずる力を手に入れたということだ。いくら、その小娘が『至高』に到達しているとて、あの呪詛を解くのは容易ではないはずだ」
「準ずる、だろ? お前の『増強』の念がどれほどのモンかは知らんが、現に俺はコイツに助けられた。それはどう見る?」
「私とて、完全に疑っているわけではない。だが……、分かるだろ? 皇国の勇者よ。そもそも『至高』などというものは、あらゆる常識や整合性を超越した先にある異物なのだ。それが具体的にどれほどのものなのか。果たして、我が主の力を超えるものなのか。あったとて、魔族の私がそれに縋ることは許されるのか。私には分からぬ……」
「コッチだって、腐ってもエチェド教徒だ。だからまぁ……、お前の言いたいことは分かるけどよ」
「『混濁』の念については、私の方で何とか解くことが出来た。未だ多少錯乱はしているが、もう間もなく意識を取り戻すだろう。だが、『恭順』の念は依然として彼らを蝕み続けている。やがて彼らは、今は亡き我が主の御霊を永久に追い続けるようになるだろう。ジフリンの民はもう……」
ラアトは苦虫を噛み潰すかのよう表情浮かべ、そう溢した。
「……まぁそう言うなよ。一応、やるだけやってみようぜ。至高様が言うには、飽くまで重要なのは呪詛が掛けられてからの時間らしいぞ。なぁ、シャロ。出来るよな?」
「うん! あたし、やってみたい!」
俺の問いかけに、シャロは両腕を上げ、意気込んでみせる。
「だとよ。どうする?」
そう聞くと、ラアトはしばし沈黙した後、ハァと意を決するように息を吐いた。
「小娘……、いや。『至高』の御方。ジフリンの民を……、救ってやって欲しい。彼らには何の咎もない! ただ争いの中で、偶然あの場に居合わせただけに過ぎぬ。あの中には……、私が魔族であることを知りながら、慈悲を与えてくれた者もいるのだ。だから、どうか……」
ラアトはシャロの前に跪き、声を震わせながらそう言った。
すると彼女は、その嬉々とした笑みに拍車を掛ける。
「任せて! じゃあえっと、ラアトだっけ? この中庭に、砦の人たちを全員集めてくれる? あ。サマリアとマーレは、砦の消火活動ね!」
「……あいよ。至高の御方」
「す、すごい! シャロちゃんが仕切ってる!」
ラアトの求めに対し、水を得た魚のように二つ返事で応じたシャロに一入の感慨を覚えつつ、俺とマーレは彼女の指示通り、砦の消火活動に当たるのだった。




