生きてるだけで偉い?
「何のために生きればいいのか……」
誰にも聞こえぬよう、私は静かに呟いた。
仕事命で生きてきた。定年退職までただひたすらに。
出世競争に明け暮れ、家庭を築く暇もなく、いつしか一人。
定年の日、花束と拍手をもらったその瞬間、私はすべてを失った気がした。
老後は年金と貯蓄で食べていける。
それは幸運なことだと人は言う。
だが、私は空っぽだった。
働いていた頃、やりたいことなどなかった。
会社にすべてを捧げていたからだ。
まるで、荒野に放り出された赤子のようだった。
何をすればいいのかわからない。
高齢者雇用のある仕事も考えたが、燃え尽きた私には、もうその気力すらなかった。
そして気づく。
――今の私は、社会が蔑む“ニート”と何が違うのだろうか、と。
若い頃は夢があった。自分を過信できる若さがあった。
だが今は、自分の限界も、届かぬものも、もう知っている。
それでも、朝五時には目が覚めてしまう。
会社員時代の癖だ。
コーヒーを淹れて、ただ、ぼんやりと時間が過ぎていくのを見ている。
そして思わず漏れる言葉。
「ああ……今日も一日が始まってしまった。」
自分の声が、妙に空虚だった。
まるで時間という牢獄に閉じ込められた囚人のようだった。
誰とも連絡は取っていない。
会社の同僚とは蹴落とし蹴落とされの関係だった。
定年後の孤独。
そして、何もせずに終わる毎日。
何もしていないのに、夜には「疲れた」と呟く自分がいた。
これではいけない。
私は、禅の本を手に取った。
そこで一つの言葉に出会った。
「無事是貴人」
――特別なことをせず、ただ穏やかに自然体で生きる人こそ尊い。
これは、「生きているだけで偉い」ということなのではないか?
だが、私はそれがどうしても信じられなかった。
人は社会に役割を与えられ、それを果たすからこそ価値があるのではないか。
「生きているだけで偉いのか?」
この問いが頭から離れなくなった。
私は、答えを探す旅に出ることにした。
目を閉じると、世界が揺らめいた。
気づけば、苔むす山寺の廊下にいた。
そこには、若き僧が座していた。
道元禅師――禅の祖。
「只管打坐。ただ坐る。それが尊いのです」
「……ただ坐るだけで?」
「はい。人は“成す”ことで価値を得ようとする。だが、“ある”ことこそ尊い。
坐るとは、自然と一つになること。世界を肯定することです」
その瞳には、疑いも迷いもなかった。
ただ、在る。それだけで、十分なのだと語っていた。
次に目を開けると、アルプスの山道にいた。
一人の男が、風の中に立っていた。帽子をかぶったその男は、フリードリヒ・ニーチェだった。
「君が探しているのは、意味か?」
「……はい。」
ニーチェは微笑んで言った。
「生きるとは苦しむこと。生き延びるとは、その苦しみに意味を見出すことだ。」
「苦しむことそのものが、生の証だ。
若者が夢を見るように、老人は意味を問い続ける。それが人間という存在だ」
私は立ち止まり、深く息を吸った。
その空気すらも、生きるということの一部だと感じた。
都会の公園。ベンチに座ると、隣に老紳士が腰掛けていた。
彼は紅茶を差し出し、微笑んだ。
「あなたが……アドラー博士?」
彼は静かに頷いた。
「人はただ存在しているだけで価値がある。」
私は息を呑んだ。
「……ただ、いるだけで?」
「ええ。他人に証明する必要などありません。
あなたは、あなたであるだけで、すでに尊いのです。」
ふと、噴水の音が心地よく響いてきた。
その音すら、自分の存在を肯定してくれているようだった。
深い森。木漏れ日。
そこにいたのは、チャールズ・ダーウィンだった。
「私は動物の進化を研究してきたが、ある事実に気づいた。」
「……何ですか?」
「動物にとって、“生きる”ことそのものが目的なのです。
ライオンは昼寝をし、鳥は風に乗る。ただ、それだけで良いのです。」
「では、なぜ人間は意味を求めるのです?」
「それは“言葉”を持つからです。
だが、命そのものは言葉など必要としない。
リスも、風も、あなたの心臓の鼓動も、“今”を生きているだけで美しい。」
夕陽が海を照らす。
そこに立っていたのは、アルベール・カミュ。
「あなたは人生に意味はないと説いたのに、生きろと叫んだ。」
カミュは頷いた。
「わたしは存在する。だから私は反抗する。
意味がないことに耐えながら生きること――それ自体が、人間の尊厳だ。」
私は風に吹かれながら、静かに目を閉じた。
意味がないことに抗いながら、それでも生きる。
そこに、確かに何かがあった。
本を閉じる。
今だ旅の道半ば。多くの偉人に出会ったがまだ納得の行く答えには辿り着いていない。
朝五時。私はコーヒーを淹れた。
何もすることはない。
だが、今までとは少しだけ違う気持ちで湯気を見つめていた。
窓の外、柔らかな光が差し込む。
そして、ふと呟いた。
「……生きているだけで偉い。なぜなら、生きているだけで、こんなにも疲れるのだから。」
その言葉が、自分の中にすっと落ちた気がした。
窓辺に座る老人の背中は、静かに丸くなっていた。
だが、その姿には、確かな満足があった。
答えを“探す”のではなく、
問いと“共に在る”ことを、受け入れたのだ。
「ただあるがままに、心穏やかに、自然体で生きている。
それこそが、尊いのだ」──『無事是貴人』
おわり。
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