暗殺令嬢
殺したのは、生きるためだった。
殺し続けたのは、生き続けるためだった。
物心ついた時には、暗殺組織にいた。貧困街から魔力適正がある子どもを買い集め、その下位組織は出来ていた。
あたしは物陰に捨てられていたのを拾われたらしい。だから、両親の顔は知らない。
3歳で体に禁忌の術式を刻まれて、武術と魔術を学んだ。
あの頃の自分は、考える事をしていなかった。ただその場の状況に反応して、最適な答えを返す人形。
幸い、武術も魔術も才があり、廃棄処分にはならずに10歳で最初の依頼を成し遂げ、暗殺者となった。
何も知らないから、人を殺すのは苦にならなかった。
12歳。彼女を殺す、その時までは。
「あなた、だぁれ?」
彼女と接触したのは、組織の命令だった。
孤児院の庭に潜り込み、ターゲットであるビアンカと親しくなる事。彼女は貧困街の出身で、両親に捨てられた孤児だったが、奇跡を起こせると噂が立っていた。
瀕死の状態で孤児院の前に捨てられた少年を、救ったというのだ。
「……あなたは?」
「わたしは、ビアンカ。ねえ、よかったら一緒に遊ばない?」
あたしは頷いた。夕暮れまで遊んだのち、子どもが増えている事に気づいたシスターによって、そのまま孤児院に引き取られた。
組織で、あたしはスイカと呼ばれていた。他の暗殺者も同じ。野菜や果物の名前が適当につけられていた。孤児院であたしは、別の名前で呼ばれて、ビアンカと行動をともにしていた。
彼女に、聖女候補たる力があるかどうかを、見極めるためだ。
当時は、今よりもずっと閉鎖的で、貴族階級に魔術は支配されていた。希少な聖女の力を持った一般市民、それも貧困街の出身だなど、許してはおけない。そんなくだらない理由だった。
「ねえ、おままごとしよう?」
「お手伝い中? わたしも手伝う!」
「わ! 字が書けるの? 教えてー」
接触を命じられたのはあたしだったのに、ビアンカは不思議と自分から近寄ってきた。理由を尋ねると、ビアンカはそっとあたしの頭を撫でた。
「わたし、ちょっと年下の妹が欲しかったの。あなたが来てから毎日楽しい。大好きだよ」
そう言って、ぎゅっと首筋に抱きついてきた。
その瞬間、一筋の涙が頬をつたった。
唖然として、その涙をぬぐう。自分の身体に、そんな機能がある事に驚いた。
あたしは、人生で生まれて初めて幸福だと思える日々を過ごした。
でも、そんなものは一週間も持たなかった。
ある日、料理をしていたシスターが指を切った。ビアンカは歌った。傷が治った。
大部屋をこっそりと抜け出し、あたしは組織に報告した。いつものように。
そして、殺害が命じられたのだ。
動揺したあたしは、その場で連絡係に交渉した。そんなもの、通るわけがなかった。
数日何もしないでいたら、組織から連絡が来た。これ以上待てない。お前がやらないのならば孤児院ごと処分する。そんな脅しだ。
当時のあたしには、知恵がなかった。力がなかった。考える事をやめていたから。彼女の殺害命令を聞いて、自分がどんな感情を持つのか。そんなことも想像できなかった。
どうしていいか分からずに、再び涙がこぼれ落ちる。今度の涙は冷たかった。枯れるまで泣いた。
その日、あたしはそっとビアンカの寝床へと忍び込んだ。ビアンカは気付き、目が覚めた。どんな顔をして、何を言えばいいのか分からずに、戸惑っているあたしを前に、ビアンカはそっと微笑んだ。
「わたし、死ぬのね」
「……どうして?」
「文字の読み書きができる孤児なんていないもの」
ビアンカは、全部気がついていた。あたしが、暗殺者だということを。
「シスターが言ってた。この力は、わたしなんかが持ってちゃいけないものなんだって」
「……ごめんなさい」
「泣かないで。大丈夫だから。……でも、痛くないようにしてくれると、とても嬉しい」
そう言ってあたしの頭を撫でるビアンカの手は震えていた。
涙で滲んだ視界の中、指先で幾重にも紋を描いた。丁寧に、丁寧に、絶対に痛くないように。
「大好き」
紋が組み上がる寸前、自然と、そんな言葉が溢れた。生まれて初めて口にした、温かい言葉。ビアンカは目を見開いて、「ありがとう」と微笑んだ。
魔術で眠るように意識を奪い、あたしは彼女の遺体を階段から突き落とした。
この日から、あたしの中で何かが終わり——そして、始まったのだ。
*
——4年後。
「ほお。元暗殺者にしちゃ、ちょっとは見れるじゃねえか」
クライヴの上から目線の渋い声に、あたしは唇をとがらせた。
「年頃の『娘』相手にその言い方は、いくらなんでも失礼じゃないっ?」
「へぇ。お前が身なりに関心を持つなんて吉報だな。実に若き令嬢らしい感性だ。耐久性を試して、一着駄目にしたスペック重視の馬鹿野郎だと思っていたぜ」
「うっ……。その節はその……ごめんなさい。でも、耐久性って実際に試さないと感覚わからないし……。いや、卒業生から要らなくなった服を買い取ったり、生地だけ工場から下ろしてもらったら、安く抑えられたり……?」
ボソボソと頭の中でそろばんを弾いていたら、クライヴの灰色の瞳が、じとーっとこちらに向けられていた。
「貧乏性もほどほどにしとけよ。今のお前はスイ=ヴァルシュ。この俺様、クライヴ=ヴァルシュの養女。貴族令嬢様ってことになっているんだからな」
「はいはい」
「『はい』は一回」
「は〜い」
チッという舌打ちの音と共に、黒と青の無骨な軍靴が、黒檀の執務机の上にドンと置かれた。
……うん。クライヴはまだあたしのような年齢の子供がいる年じゃないけど、居たとしても、いわゆる令嬢らしい素直でおしとやかな女の子では、絶対にないと思う。
態度デカいし、口悪いし、良い年してたまに俺様っていうし。
「まあ良い。尻尾を出すなよスイ。正体は絶対に明かすな。理解したな?」
「了解。成績は?」
「最上位だ。テメェなら楽勝だろ?」
「もちろん。なんなら、ナンバーワンだって楽勝だからっ」
強気の宣言に、クライヴは灰色の瞳を三日月にして、唇をニンマリと突き上げて笑った。 とても正義の味方、治安騎士団・第4部隊長とは思えない、悪魔のような笑い方。……あの笑顔の時は大抵、魔法銃を片手にズタボロに攻めてくるから、若干嫌な記憶が蘇る。
「ハッ。そうでなくちゃなぁ、期待しているぞスイカちゃん」
あたしは、その呼び名にはぁとため息を吐いた。
「その名前、捨てた」
ビアンカを殺したあの日から、あたしは考えるようになった。
組織に信用されるまでは任務をこなしつつ、力と知恵をつけた。人を殺すことをきちんと自覚した。感情を持った。
殺されて当然と思うものもいれば、殺したくないと思うものもいた。
そんな時は、ターゲットを殺さなくても済む方法を常に考え、丸く収める可能性があるならば追求した。
そんな日々を送る中、目をかけてくれたのがクライヴだ。出会いは最悪で殺されかけたが、今となってはいい思い出である。
「クライヴがつけてくれたんでしょ? 足を洗ったから、あたしは『スイ』。スイ=ヴァルシュだって」
「ン。だな」
今度は普通に、まるでそこらにいる優しそうなお父さんのような顔で笑って。
「スイ。テメェが使える猟犬だって証明して来い」
猟犬。野良犬だった私を、クライヴが拾ってくれた理由。
「使える? 一等優秀、有能、世紀の大天才の間違えでしょ」
照れ隠しに砕けた調子でそう言って、高鳴る鼓動を抑えて、不敵に微笑んで見せた。
これが、私に示された新しい道。
王立士官学校をナンバーワンで卒業し、クライヴのもとで、正しき刃を振るうのだ。
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