"Hello, world"
「昔、この世界には『道徳』とかいうルールが有ったらしいぜ」
競技場の座席からレースに視線を向けながらそう言うと、セヱレはホットドッグを口に運んだ
「『人の嫌がる事をしてはいけない』って決まりだったらしい」
「そんな事をしたら、人のやる事なすこと総てを嫌がるやつが得をするだけなんじゃないの?」
僕が口を挟む
セヱレはホットドッグの残りを口に押し込むと、「だから滅んだ」と一言呟き、コーラを飲み干した
火達磨にした奴隷をゴールまで走らせる「ファイヤーボール・レース」は、そろそろ最後のクライマックスを迎える所だった
奴隷たちの悲鳴と躰の焼ける匂いが競技場の外にまで伝わりそうな程に高まり、客席の興奮も最高潮だ
既に選手は、目算で言っても八割が死んでいる
場内では賭けに敗れたと思しき観客が物を壊したり、悪態を吐く姿が多く視られた
「「やっぱ昔って、やべー時代だったんだな」」
僕たちは同時にそう言った
「そんな事ないって、僕は思う」
前の席に居たメガネが、こちらに振り向くとそう言った
眼鏡をかけた癖っ毛の、背が低い同級生だ
入学式の時に本名を聞いた気がするけど、みんなメガネとしか呼ばないし、僕も名前を覚えていなかった
「かつてはこの世界には優しさとか愛が満ちていて、素晴らしい社会だったって、おじいちゃんが言ってた!」
「まただよ」
セヱレが呆れながら言った
「それは、お前とかじいちゃんが弱い奴だからそう思うだけだっての」
「そういう奴のために、昔はみんなが我慢して犠牲になってたんだろ」
言いながら、セヱレは自分の前のメガネの座席を何度も蹴飛ばす
セヱレはメガネのこういう話が本当に嫌いで、今日という今日は我慢の限界の様だった
その時、僕たちが眼を離していたレースの方では騒ぎが起きていた
コース上に乱入した人が居るらしく、係員が十人かそれ以上くらい警棒を持って集まっていく
乱入した男達は三人で、みんな小銃で武装していた
「ねえ、あれ…!」と僕が指差すと、セヱレもメガネも争うのを止めてコースに眼を向けた
「うわっ、最近よく聞くテロリストじゃん」
セヱレが言った
確かに、僕もニュースとかで聞いた事はあった
「人間の権利」とか「平等」とかを主張して、暴れ出す様な人殺しが近頃は増えてきたらしい
報道でも紹介されているテロリストのロゴを、男達も腕章として付けていた
「ねえ、これマズいよ」
「逃げよう」
僕はセヱレとメガネを順番に視た
残念ながら、メガネはテロリスト達に興味津々の様だった
──うわっ、やっぱりか
僕はなんとかメガネを連れ帰ろうと思ったが、何もかも遅かった
メガネは既にコース上に飛び込んでいて、あろう事かテロリストに話し掛けようとしていた
「あ、あのっ」
「僕っ、あなた達の思想に感銘を受けて…」
「何してんだ、戻れ!」と僕が声を掛けるより早く、テロリストがメガネの膝を銃で撃った
メガネは「信じられない」といった様な表情で撃たれた膝へ視線を向けると、そのまま立っていられなくなり倒れ込んだ
「視ろ!」
テロリスト達がメガネを指差しながら言う
「例え子供であろうと、我々はこんな残酷な見世物を楽しむ者を許さない!」
そして、一人がメガネの首を絞め上げると、持ち上げて何度も揺さぶった
係員達がみんなで止めようとしたが、全員銃で撃たれて、その場に血塗れになって倒れる
多分誰かが通報してると思うんだけど、きっと警察が来るまではまだ時間がありそうだ
僕は「メガネが死んじゃう!」と泣きながら騒いだが、セヱレは僕の腕を掴むと非常口の方へ僕を引き摺った
「お前まで死んだら仕方ないだろ!」
セヱレが言う
確かにその通りだった
帰り道、僕はずっと泣き続けていたけどセヱレは優しかった
夕方のニュースで知ったけど、メガネはやっぱり死んだみたいだった
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「近頃、訳の解らん事件が多いな」
翌朝、父さんがテレビでニュースを視ながら言った
昨日の競技場の事件の事だ
「お前も、出掛ける時は気を付けろよ」
奴隷の肉と骨から生成された固形栄養食を口に運びながら、父さんが僕に注意した
「学校の成績はどうなんだ?」
「お兄ちゃんみたいにはなるなよ」
僕のお兄ちゃんは、学校での成績が悪過ぎて卒業よりも早く奴隷になった
その後聞いた話だと、奴隷としても成績が悪くて食肉にされたらしい
確かに僕だってそんな目には遭いたくないけど、あまり成績は良くなかった
受験も近い
僕は「憂鬱だなぁ」と思いながら、朝食に血液調味料をかける
母さんが「かけ過ぎ!」と僕を叱った