第3章 再会(地下深くにて)
主な登場人物
ミヤマ・ヒカリ:本作のメイン・ヒロイン、トウキョウ・レフュージの元幹部職員
ケイトクシ・ヤストモ:かつてヒカリを占い、彼女を導くキーワードを授けた
エアカーが南262地区に到着する。周囲を見回すと、低い建物の1つにエレベーターらしきものが見つかった。エアカーから下りて「回送」と指示する。無人のエアカーはヒカリのアパートメントへと戻っていった。
そうしてヒカリは、レフュージ地下のマリンビークル基地側への入口に辿り着いた。
ヒカリはドアの横のコントロールパネルを開いて、センサーに向けてPITからシグナルを送った。イマージェンシー・キーだ。すると、それまで消えていたエレベーターのランプが点灯し、モーター音が唸り始めた。相当古風なエレベーターのようだ。
「OPEN」のボタンを押す。
ドアが開く。中へ入り、「地下第6層」のボタンを押す。ドアが閉まり、エレベーターはゆっくりと下降を始めた。
レフュージは、全面戦争となった第4次世界大戦を経て、寄るべきすべての国家が機能を失った中、放射能や生物化学兵器で汚染された地球上に取り残された1億人の人類のために、月を本部とする国際連邦が、地球30ヵ所に設置した大型シェルター。収容された者には「連邦市民」の地位が与えられ、国際連邦に保護されることとなった。
通常の生活空間は地上部分に作られ、各種のプラントやストック、非常時の避難施設が地下部分に設置されている。
地下第1層は、まず水リサイクル・加工プラント。おもに排水を上水処理して生活用水を作り出す。あわせて海から取水した海水を浄化、淡水化する。副産物の塩分やミネラルなどもレフュージでの生活には欠かせない。
作られた水の一部から、水素燃料を製造するプラントも設置されている。また、太陽光発電による電気の余剰分をためておく蓄電設備も、この層に置かれている。
第2層は光合成プラント。昼間はグラスファイバーの光で、夜は蓄電池で灯したランプで、24時間食用植物や工業原料となる植物が生産される。
第3層は食品・医薬品加工プラント。光合成プラントでできた食用植物を原料に、化学合成で様々な食料品や医薬品を生産する。ヒカリが毎朝食べていたパンや卵やベーコンもここで作られたもの。
第4層は日用品・工業品生産プラント。廃棄物をほぼ100%再利用して、日用品や工業品を生産する。光合成プラントでできた工業原料の植物も利用する。足りない原料は、定期的にキャラバンを編成して、レフュージ周辺で収集する。
第5層と第6層は水・食料・医薬品貯蔵庫。生産された水、食料、医薬品などの一部は、ここで備蓄用に加工して保存される。ネオ・トウキョウの人口が最大だったときを基準としても、2年は持ちこたえられるだけの分量がある。
第7層は非常用の避難スペースと備蓄庫。ネオ・トウキョウの設計上の最大人口を収容できる避難スペースと、ここの分だけで数ヶ月は持ちこたえられる水、食料、医薬品、日用品を備蓄する倉庫、そして大容量の蓄電池がある。
ヒカリの目指すマリンビークルの基地は、地下第6層の一角にある。
動き出してから3分ほど経っただろうか。エレベーターは第6層に到着しドアが開いた。外へ出ると、ヒカリはPITをタップしてフロアマップを表示した。基地までほぼ500メートル。ヒカリの足でも10分はかからない。
進むにつれてセンサー感知でランプが点灯しては消灯するする廊下を、幾つか角を曲がりながら進んでいく。壁も廊下もグレーのモノトーンだ。最後の角を曲がった。そこはマリンビークル基地入口前のホール。すると…
目に入ったのは、和装の老人の後ろ姿。伸び放題の白髪頭。
相手も振り返る。しばらく無言で向き合ったあと、はっと思い当たるヒカリ。
「ひょっとして…ヤストモさん、ですか?」
「お前は? ひょっとして」
「そうです、あなたの最後の客だったミヤマ・ヒカリです。あなたの苗字は、たしかケイトクシさんでしたっけ。」
「左様。陰陽博士の慶徳司 保友だ。」
長く伸びた髭を撫でるヤストモ。
ヤストモによれば、ヒカリを占った2週間後に彼に施されたケアが、手違いで失敗し、「カテゴリAとして日を改めてケアされるか、Bに繰り下げて最終日の一斉ケア対象とされるか」を選ぶように言われたとのこと。考えてBにしてもらうことにしたが、必要なチップ埋め込み手術の呼び出しが、いつまでたっても無かった。
「どうやらわしは『見捨てられた』ようでな。『ならば』というわけで、こうやって地下深くに身を潜めることにしたのだ」
ヤストモの口元に悟ったような笑みが浮かぶ。ホールの床に二人は座り込む。
「ここに来られて、どれくらいになるんですか?」
「ざっと3ヶ月かな。快適だぞ、ここは。飲むもの、食べるものには困らんし、暑くも寒くもない。そこのセンターにはシャワーもある。極楽、極楽」
改めてヒカリが見る相手の姿。
服はよれよれだが、シャワーのおかげか、体はこざっぱりとしている様子。
「ところで、お前さんの事情も聞かせてはくれないか?」
ヒカリが、この3日間の自分の身の上に起こったことを話す。
いちいち「ふんふん」と頷きながら聞くヤストモ。
「わしが占った『一厘の生』を授かったわけだな。お互い『生き残されて』しまった」
「ヤストモさんは、これからどうされるのですか?」
「わしはここに留まる。この場所で星の業火に焼かれて果てるなら、それもまたよし。ところでお前さんはどうするのだ?」
「この先の基地にあるマリンビークルで、ネオ・トウキョウを離れようと思います」
「行くあてはあるのか?」
ヤストモの目を真っ直ぐに見てヒカリが言う。
「たしか占って下さったとき、『会いたいと思う者のところへ向かうとよい』と仰ってられましたよね」
「そうだった」
「考えてみました。わたしが会いたいと思う人は、二人を除いてみんな死んでしまっていることがわかっています。二人のうち一人、息子は火星にいますから行くことは不可能です」
「そうだな」とヤストモが頷く。
「残りの一人はわたしの実の祖父です。祖父は若いときに調査隊に加わって大陸に向かい、そこで音信不通になったと聞いています。手掛かりになるのはこれしかないのですが、これを持って大陸へ向かおうと思います」
PITのカバーに挟んだ家族の写真のうち、一枚を取り出してヤストモに手渡した。
少し目を細くして写真を見つめるヤストモ。写真を裏返して言う。
「何か数字が書いてあるな」
「そうなんです。『30115』って書いてあるんですけれど『何の数字だろう』と思ってたんです」
「…よく見ると…『30』と『115』の間が少し離れてはおらんか?」
指差しながらヤストモが言う。
「言われてみればそうですね。『30、115』ってことでしょうか」
「いずれにせよ、じいさんのところへ向かうのに手掛かりがこの写真だけということなら、この数字がお前さんを導いてくれることを祈ろう」
「そうですね。そう信じてみよう思います。」
思いがけないところで、思いも寄らない人に会ったためだろうか、離れ難い気持ちになりそうだった。打ち消すようにヒカリが言う。
「マリンビークルが動かせないようになるといけないので、そろそろ行きます」
「そうだ。一度『離れる』と決めたのなら、迷わず行くがよい」
二人は立ち上がり、ヤストモの案内で、水と食料の貯蔵庫に向かった。
ちょうど昼食時だったので、ヤストモお薦めの非常食を食べてから行くこととした。水を少し入れて非常食用ウォーマーで温めると、スキヤキ膳のでき上がり。
「おいしい」
ヒカリの家にあった非常食と比べると天と地の差だ。
「毎日こんなおいしいもの食べてらっしゃるんですか?」
「いやいや、今日は特別だ」
大満足の食事を終えると、早々に出発準備。部屋から持ってきた分と合わせて、2週間くらいは凌げそうな量の食料と水を、ヒカリはバッグの中に詰め込む。コーヒーも忘れない。
「お世話になりました。いろいろ教えていただいてタダなんて…」
「なんのなんの。最後の客人が麗しい女性で、わしも陰陽師冥利というところだ」
「褒めたって、いまさらお代金払いませんよ」
「ハッハッハ…」
高笑いするとヤストモが続ける。
「お互いに生き残れたら、また占ってやろう。ただしそのときは、正規料金いただくぞ。」
「そうですね…お互い…」
「幸運を祈る」とヤストモ。
「ヤストモさんも。あ、そうだ。お礼代わりがありました。PITを出して下さい」
ヤストモが自分のPITを出す。
ヒカリは自分のPITから、トウキョウ・レフュージのイマージェンシー・キーを、ヤストモのPITに送った。
「いろんなシステムが停止して、使えなくなるものが出てくると思います。そのときは、これを、使いたいもののコントロールパネルのセンサーに送信して起動して下さい」
そう言うとヒカリは、マリンビークル基地のドアに向かって歩き出した。
ドアの手前で、振り返るヒカリ。
「どうぞお元気で!」と叫ぶ。
「平安貴族の血筋はしぶといのだ。心配するな!」とヤストモが叫ぶ。
コントロールパネルを開いて、センサーに向けてPITからイマージェンシー・キーを送信する。ドアが開く。基地へと入るヒカリの後ろでドアが勝手に閉まり、人の気配も消えた。