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第2章 ごめんね、アカネ

主な登場人物


ミヤマ・ヒカリ:本作のメイン・ヒロイン、トウキョウ・レフュージの元幹部職員

アカネ:ヒカリの職場の端末のボイスインターフェース

ケイトクシ・ヤストモ:かつてヒカリを占い、のちに彼女を導くキーワードを授けた

 翌3日の朝、ヒカリは5時に目覚めた。3日ぶりのシャワーを浴びると、さっとお肌のケアをして、髪を整え、歯をみがく。

 熱いブラックコーヒーを飲みたいが、非常用食料の中には無い。コーヒーマシンが生きていることを期待して、まだ早いけれど、PITと非常食一袋を持ってオフィスに向かう。

 スカイブルーのシャツに濃紺のデニムのパンツ。ウォーキングシューズを履く。

 パーキング入口のドアに「オープン」と言うと、「おはよう、ヒカリさん」と言ってドアが開いた。エアカーのほうも問題なしだ。「出勤」と言ってオフィスに向かう。

 オフィス側の生体認証も問題なくクリアした。まずはコーヒーマシンに向かう。ちゃんと作動して、ヒカリは熱いブラックコーヒーにありついた。


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 その頃、月の連邦本部にあるモニターセンターでは、夜勤のスタッフがトウキョウ・レフュージのデータに異常が見られることに気づいた。6月30日にケアされた全員の死亡が確認されたという報告が上がっているにもかかわらず、「人間」による生体認証が行われた痕跡があった。朝になれば出勤してくる上司に報告できるよう、データの解析を始めた。

 生体認証を行った「人間」が特定された。

 氏名:ミヤマ・ヒカリ

 年齢:28歳

 身分:トウキョウ・レフュージ統治府情報支援支部副支部長


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 ヒカリはコーヒーをお代わりしながら、非常食を食べ、時間が過ぎるのを待った。

 10時頃になったのを見計らって、「自分の部屋」に向かう。自動認証でドアが開く。部屋の中に入り、デスクへと向かう。

「あれ、ヒカリ。お休みじゃないんですか?」

女声ボーカロイドのアカネの声。ヒカリがカスタマイズした、シスターAIのボイスインターフェースだ。

「アカネに教えて欲しいことがあって。MATESの『A』ってなんの略だったっけ?」

モニターの前に座りながら、ヒカリがアカネに問う。

「MATESは『Message Almighty Transmission and Exchange System』ですから『A』は『Almighty』の『A』ですね」

「そうそう、『Almighty』だったわね」

胸につかえていたものが取れてすっきりとはしたが、こんな状況で我ながら馬鹿な話をしてしまった、ヒカリは思った。

「ヒカリ、それを聞きにだけ来たのですか?」と怪訝そうにアカネ。

「アカネ、お願いがあるの。少しの間、静かにしていてくれない?」とヒカリ。

 ヒカリは電源を入れたモニターを見て、PITとの接続ができていることを確認する。

「ヒカリ、PITとの接続認証を忘れていますよ」とアカネ。

「お願い、静かにして。アカネ」とヒカリ。

 ヒカリは連邦マザーAIのファイルに接続しようとしている。もちろんアクセス認証無しに、ハッキングの手法を使う。

 いずれマザーAIが探知して接続を切りにくる。時間との戦いだ。

 少しでも時間を稼げるように、ヒカリは自分の端末を「ウォール」で守った。

「ヒカリ、あなたがやっているのは不正アクセスです。すぐに止めて下さい」とアカネ。

「だから『黙っていて』って言ってるじゃないの!」と声を荒げるヒカリ。

 マザーAIのファイルから、ヒカリはまず、東アジア地域の地理情報を手に入れる。自分の端末を経由してPITに順次ダウンロードする。

「ヒカリ、私の言うことを聞いてくれないなら、通報しなければなりません」とアカネ。

「お願いだから、アカネ、何も言わないで」

 言っても仕方がないことはわかっているけれど、つい言ってしまう。

「ヒカリ、お願い。もうやめて!」

 アカネの声で懇願されると、どうにもいたたまれない。

「ごめんね、アカネ」

 ヒカリはボイスインターフェースのカスタマイズ設定をOFFにした。すると、中性的で平板な声に切り替わった。

「警告。警告。不正アクセスです。通報します。いますぐ止めるように」

 デフォルト設定のボイスインターフェースだ。こいつのほうがはるかに無視しやすい。

 地理情報が終わると、続けてシャンハイ・レフュージの情報をダウンロードし始めた。

 まず「イマージェンシー・キー」を手に入れる。それからレフュージに関する基本情報。

 相変わらず「…不正アクセスです。通報します…」との声が続く。マザーAIのほうも探知を進めているだろう。「ウォール」の耐性レベルを表す数値が徐々に下がっている。破られるのも時間の問題だ。

 シャンハイ・レフュージが終わった。

 次はティエンジン・レフュージだ。イマージェンシー・キーを手に入れ残りの情報にとりかかる。ダウンロード速度が遅くなった。マザーAIの防御機能だろう。「ウォール」の耐性レベルは半分を切った。ヒカリは祈るような気持ちでモニターとPITを眺め続けた。

「警告。警告。不正アクセスです。通報します。いますぐ止めるように」

 ティエンジンが終わった。耐性レベルは4分の1。

 すかさずヒカリはホンコン・レフュージにとりかかった。ちょうどイマージェンシー・キーのダウンロードが終わったとき。

「ビーーービーーービーーー…」

 モニターから大音響のアラーム音が聞こえた。反射的にPIT側から接続を切るヒカリ。接続したままでマザーAIに侵入されたら、彼女のPITは一溜りもない。確認するとPIT側の情報はすべて大丈夫のようだ。

 ホンコンの情報が手に入らなかったが、イマージェンシー・キーで何とかなるだろう。


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 月の連邦本部にあるモニターセンターの夜勤スタッフは、マザーAIのファイルに、トウキョウ・レフュージから不正アクセスが行われたことを確認した。時間にして10分弱。マザーAIの自動防御機能でアクセス元端末を強制終了し、隔離した。

 上司への報告のために、持ち出された情報を確認する。

 ・東アジア地域の地理情報

 ・シャンハイ・レフュージの情報(イマージェンシー・キーを含む)

 ・ティエンジン・レフュージの情報(イマージェンシー・キーを含む)

 ・ホンコン・レフュージのイマージェンシー・キー

 アクセス元端末についても確認する。

 ・設置場所:トウキョウ・レフュージ統治府情報支援支部オフィス

 ・登録利用者:副支部長 ミヤマ・ヒカリ

(また「ミヤマ・ヒカリ」か…)


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 強制終了されたモニターは、警告音も止んで沈黙している。おそらく隔離されて、使い物にならなくなっているだろう。緊張下に置かれたヒカリ。解放されて、ぐったりとしている。

 刺激を与えるように首を左右に振り、立ち上がると、ヒカリは部屋から出てコーヒーマシンへ行き、温めに淹れたブラックコーヒーを一気に飲みこみ、部屋へと取って返す。モニターも沈黙して、音というものが一切感じられない空間。

「最終日」に、この部屋を後にしたときのことを思い出した…


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「17時30分ですよ、ヒカリ」とアカネが告げる。

「明日からお休みですね」

「そう、お休みね」

「どうかよい休日を」

「アカネ、ほんとにいろいろとありがとう」

 アカネともこれでお別れ、か。


 帰り支度をしていたら、なぜだろう、無性に髪を切りたくなった。

 バッグをオフィスに置いておき、PITだけ持って、ヘアサロンへ向かう。エレベーターで1階に下り、1ブロック歩いて5分ほどのところに、行きつけの店がある。スライドドアが自動で開くと、中から「いらっしゃいませ」の声。ロボットがお出迎え。人間のスタッフは、もう2年ほど見かけない。促されて、奥から2番目のチェアに腰をおろす。

 わたしのやせっぽちの体にケープを被せながらロボットが聞く。

「どのようになされますか」

「短く…そうね、思いっきり短くしたいわ」

「ディスプレイにヘアカタログが映ります。ご希望のサンプルがあればお教え下さい。」

 最初の、違う。次、これも違う。その次…どうもいま一つ。

 4番目のサンプルに目が留まる。

「止めて」

 おでこの真ん中ぐらいのところで、切り揃えた前髪。横は後ろに流して、耳を完全に出している。後ろは短くカットした髪を、ふんわりと襟足あたりまで巻き上げている。

「映画『ローマの休日』オードリー・ヘプバーンのヘアスタイル」とある。

「これにしてちょうだい。」とロボットに告げる。

「かしこまりました」と言って、ロボットが動き出す。


 学生のとき地理の授業で教わった。イタリアのローマは「永遠の都」と称されていたと。

「永遠の都」「ローマの休日」

…「永遠の休日」

 アカネの最後の言葉は「どうかよい休日を」だったっけ。


 ロボットが鋏を使う音が、静かな店内に響く。わたしの他に誰も客はいない。

 そうね、こんな日に「髪を切ろう」なんて人、そうそういないわよね。この時間だし、サロンにとって、わたしが最後の客になるのかしら。

「最後の客」といえば、2年前にこんなことがあったのを、思い出した…


 息子のマモルと夫のカゲヒコを、相次いで「見送った」直後。さすがに応えたのだろう、わたしはまる1週間寝込んだ。出勤したときには、体力が相当落ちているのを感じた。

 2日目の勤務が終わったあと、エアカーを回送させて、歩いて帰宅した。衰えた体力の回復と気分転換を兼ねて、歩いて1時間ほどで帰宅するつもりだった。

 西へ2ブロック歩いて右に曲がると、ちょっとしたショップが並ぶ通り。角から3つめの小さなビルの1階の前に、「占い」とだけ書かれたスタンド看板が出ている。

 占い師だろうか、和装で白髪を長く伸ばした男性が中にいた。

「覗いとらんで入ってこい。安くしとくぞ」とその老人がわたしに言った。

 まあ気分転換になるか、と思い、店内へと入った。

 白い布が掛かった机の向こうに、老人が座っている。その前には、漢字が配置された四角い台の上に円盤が乗っかったものがある。円盤は外側から3列、文字を配した円があって、真ん中には北斗七星らしき星座が描かれている。横には何やら古めかしい冊子。

「おかけなさい」と老人に勧められるまま席につくと、向かい合わせになる。

「わしはこういう者だ」と言って、年老いた占い師が、時代がかった名刺を差し出す。

 名詞には「陰陽博士 慶徳司 保友」

「博士…博士号をお持ちなんですか?」

「その博士ではない。『おんみょうはかせ』といって、古代から続く宮中の官職の名である」

「お名前は何と読むのですか?」

「ケイトクシ・ヤストモ。れっきとした平安貴族の末裔だ」

 カテゴリAの彼は、2週間後に施されるケアに備えて、1週間後にはホスピタルに収容されることになっている。身辺整理もあって今日で店仕舞いとのこと。

「そうですか…じゃあ、わたしが最後の客ということになるのですか」

「そうだな、そうすることとしよう。そこで通常料金30連邦ドルのところ、特別に…」

「特別に?」

「1割引きの27ドル!」

 2年近く前のことなのに、ありありと思い出す。

「…もう少し安くなりません?」

「はっはっは、冗談、冗談。無料で占って進ぜよう」

「それはありがとうございます。よろしくお願いします」

「なんとかはかせ」のヤストモさんから、名前、生年月日、家族構成、などの質問を受けた。

 質問が終わると、彼は机の上の円盤を動かし、冊子を見、また円盤を動かし…しばらくしてこう切り出した。

「お前の運命だが…」と低い声で、彼がゆっくりと言う。

「お前は、近々死ぬ。九分九厘死ぬ。」


「…あの~、いくら無料にしても」

一呼吸おいてわたしは続けた。

「当たり前じゃないですか。わたしだってカテゴリBでケアされるんですから。それに『九分九厘』って…99%の確率っていうことですか?」

「話は最後まで聞け」と、老占い師は言い聞かせるような口調で言った。

「大事なのは数字ではない。お前には『一厘の生』がある、ということじゃ」

「一厘の生」

 わたしは繰り返した。

「九分九厘死ぬ定めのお前が、もしも『一厘の生』を授かったときは…」

「どうすればいいんですか?」

「お前が『会いたい』と思う者のところへ向かうとよい」…


 いつの間にかロボットも仕上げにかかっていた。

「これでいかがでしょうか。」

 前面の鏡とロボットが手にした鏡に映った仕上がりをチェックする。

「OK。いいわ」

「とてもお似合いですよ」

 ドライヤーと櫛で髪型を整えると、ケープを外してくれる。

 服をブラシで払って、カット完了。

 PITで代金20連邦ドルを払って、スライドドアに向かう。

「ありがとうございました。『また』お越し下さいませ」とロボット。

 襟元に直にあたる空気を感じながら、オフィスに戻る。


 副支部長に任命されてから、ほぼ3年間過ごした部屋を一通り見渡す。私物は、昨日のうちに引き払っているから、今日はもう何もない。

 バッグにPITを入れて部屋を出ると、オフィスを後にする。もう誰も残っていない様子。

 せっかくのヘアスタイルも、誰にも見せることなく終わることになりそうだ…


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 ぐずぐずしていると、マザーAIが警備ロボットを手配して捕まるかもしれない。とり急ぎ持っていくべきものがないか、改めて確認する。デスクのドロワを開ける。

 「メガネ」があるのに気づいた。統治府から支給されたメガネ型のウェアラブルデバイスだ。容量は限られているがチップもメモリもある。使い勝手でいえばPITと連動させてモニター代わりに使うのが一番だが、エア・ディスプレイが普通のいま、こんな時代遅れのデバイスを使う人間は滅多にいない。ヒカリも眼球のすぐ前にモニター映像が表示されるのが苦手で、使ってこなかった。けれど、役に立つかもしれない。持って行くことにした。

 他には…何も持って行くものは無い。PITと「メガネ」を持って部屋を後にすることにする。今度こそ本当に最後になるだろう。

「さよなら、アカネ」

 沈黙したままのモニターに向かって、ヒカリは呟いた。

 オフィスを出ると、パーキングから愛車に乗って、いったんアパートメントへ戻る。バッグの中に「メガネ」を入れる。PITで、マリンビークルの基地に一番近い、地下へのエレベーターの位置を確認する。

 かつてカゲヒコとマサルと過ごした、慣れ親しんだ部屋ともお別れ。睡眠剤の影響とは違う、どこか体が重い感じがする。

「離れたくない」という気持ちの表れだろうか。

(感傷に浸っている場合じゃないわ。先に進まなくちゃ)

 部屋を後にし、ヒカリはパーキングでエアカーに乗り込んだ。

「目的地は?」の問いに「南262地区の地下行きのエレベーター」と答える。

「了解」の声とともに、パーキングのメインゲートが開き、エアカーが発信する。


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