第1章 「会いたい」と思う者
主な登場人物
ミヤマ・ヒカリ:本作のメイン・ヒロイン、トウキョウ・レフュージの元幹部職員
カゲヒコ(オガワ・カゲヒコ):ヒカリの夫
マモル(オガワ・マモル):ヒカリの一人息子
マルガリータ・ヨシコ・ホウジョウ:ヒカリの同級生
老占い師:かつてヒカリを占い、キーワードを授けた
(………「一厘の生」を授かったときは…どうするんだっけ?…)
意識が戻り始めたとき、脳裏に浮かんだのは、かつて老占い師から聞いた言葉だった。
ヒカリは自分の身体が、二体のロボットによって運ばれていることを認識した。一体は腋のところ、もう一体は膝の裏側を持っている。
(…どこに…連れてかれるんだろう)
ネオ・トウキョウ西13区に位置するヒカリのアパートメント。そのエレベーターで、1階へ下っているところだった。
夢うつつの状態で、彼女は思い出した…
(「お前が『会いたい』と思う者のところへ向かうとよい」…)
アパートメントの前の通りを1ブロックほど行ったところに、地上走行型のトラックが駐車している。二体のロボットに担がれたまま、トラックの後部に着いた。ロボットたちは、反動をつけてヒカリのスリムな体をトラックの荷台に投げ込んだ。
「積み荷」の上に放り出されるヒカリ。
(何だろう、仄かに温かくて、表面が柔らかいこの感じ)
意識がはっきりしてくる。上体を少し起こす。腕を動かし「積み荷」の感触をさらに探る。
「人体だ!」
ヒカリは、自分の置かれている状況をすぐに悟った。
このままでいると、ターミナル・ケアされた「カテゴリB」の一員として、一緒に処分されてしまう…逃げなくちゃ。
うつぶせになって荷台から辺りを見回すと、視界には一体のロボットも入って来ない。
荷台から飛び降りる。トラックの陰に身を隠すようにして、もう一度辺りを確認する。
移動するなら今だ。小走りに通りを進んでアパートメントに向かう。1ブロックほど戻ってエレベーターの前に着くと、しゃがんで気配を窺う。しばらくそのままの姿勢でいた。
アパートメントにはもうロボットはいない、と確信すると、エレベーターに乗り込み、4階へ向かう。空き家になって久しい2部屋の前を通って、自分の部屋の前に立つ。
「オープン」と言うと、ドアが開く。生体認証はまだ機能しているようだ。
キッチンで水を一杯飲む。強烈な空腹感に気づく。フードストッカーは空のはず。
どれだけ眠ってたんだろう。
電源が入ったままの携帯情報端末PIT(Portable Information Terminal)を見る。
「7月2日13時48分」
6月30日の22時少し前に寝たから、40時間近く眠っていたことになる。
さっきまで身を横たえていたベッドに再び寝転がる。鳴りっぱなしのOの曲をストップする。4倍量服用した睡眠剤の影響だろうか、ぼんやりとした頭に軽い頭痛を感じる。
しばし眠りに落ちる…
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2289年6月30日夜。
フードストッカーのメディカルボックスに、今日の分の睡眠剤と安定剤が届いている。取り出して安定剤を捨てる。
支給の精神安定剤は、カゲヒコがケアされた直後から服用を止めている。試しに2、3日飲むのを止めて様子を見たら大丈夫だった。それから、飲むのは睡眠導入剤だけにしている。
BGMを流すのは寝る前だけ、と決めていた。仕事中も食事中も、家のことをしてるときも、休みの日の昼間寛いでいるときも、BGMは流さなかった。
昨日は、マモルが火星から1週間前に送信してくれた、天才少女ピアニストのミユキちゃんが演ずる、ショパンのト短調のバラードを聴きながら寝た。月へ向かうプレインの中で、マモルと隣の席になり、そのまま火星まで一緒に向かって、仲良しになったというミユキちゃん。その家族のことはマモルに何度か聞いたけれど、最後まで教えてくれなかった。彼なりの気の遣い方だったんだろうな。
今日は、最近「はまって」いる、Oにしよう。20世紀後半から21世紀にかけて活動した女性ミュージシャンだ。
彼女の曲で特にお気に入りの2曲を最後のBGMに選んだ。
22時少し前、ふだんの4倍量支給された睡眠剤を一気に服用してベッドに入る。
すっかり眠りに落ちるまでBGMが続くよう、連続再生モードにする。
マモルにMATESを返す。
「安心しました。ママはもう寝ますね。おやすみなさい」
Oの一曲目が流れ出す…
髪を切りたくなったの、この曲の影響だったのかな。誰にもすれ違わなかったけど…
「MATES」の「A」が何の頭文字だったか…アカネに聞くの、忘れちゃった…
楽曲を2回繰り返し、3回目が始まる頃。徐々に眠気が訪れる。
Oの二曲目。「甘いキッスと目覚め」についての一節。
もう二度と……目覚める……ことの……ない………….
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再び目覚めると、時刻は17時過ぎ。相変わらずの空腹感。
そういえば、非常用ストッカーに非常食があったはず。この際なんでも構わない。フードストッカーの横の非常用ストッカーを開けて、非常食を取り出す。キッチンで水を汲み、板チョコと同じくらいの大きさの固形物の包装紙を開ける。
クッキーともケーキともつかない、微かに甘い香りのする非常食。一口齧って咀嚼して飲み込む。味はビミョー。でも空腹には代えられない。最後は水で流し込むようにして完食。
頭痛は治まったようだが、相変わらずぼんやりとした頭で、ヒカリは何がどうなっているのかを考え始めた。
6月30日、日付の変わる頃、ネオ・トウキョウの全体に「電磁波」が流れたはず。そして胸に埋め込まれたチップが反応して電流が心臓を襲い、わたしは死を迎えたはずだ。
「最終日」にオフィスのわたしの部屋に訪れた、とび切り優秀な部下が二人。吞兵衛でいつも不敵な態度のトノオカ・ヤスシさん。生真面目で最後まで背筋がしゃんとしたイ・ミンジュンさん。
そして、マルグことマルガリータ・ヨシコ・ホウジョウ…
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「ヒ・カ・リ?」と呼ぶ声。マルガリータ・ヨシコ・ホウジョウの声だ。
部屋のドアへと小走りで向かう。
「マルグ!」
「ヒカリ!」
ふたりは手を伸ばして抱き合う。
「来てくれたのね。もう仕事は終わったの?」
「今日のカウンセリングは午前中で終わり。さっきレポートを書き終わったところ。ずいぶん遅れたけど、ハッピー・バースデー!」
「ありがとう。やっぱ直に聞くと、嬉しい」
マルガリータとわたしは、ミドルスクール2年のときに同じクラスになり、親友になった。ハイスクールのあいだ、恋多き彼女は恋の悩みをわたしに打ち明けた。「コンピュータひとすじ」で恋愛に興味のなかったわたしは、ただひたすら彼女の話を聞くだけだった。
ハイスクールで飛び級したわたしより1年遅れて、彼女はアカデミーに入学した。専攻を臨床心理学にしぼって3年で中期課程まで修了し、修士の学位と公認心理カウンセラーの資格をとった。そしてわたしと同時に医務官として統治府に入った。
彼女の職場は同じビルの5階にある。会おうと思えばいつでも会いにいける距離だけれど、お互いになかなか忙しくて、月に一度ランチを一緒にする程度だった。そのうちケアが本格化するにつれてカウンセラーのマルガリータが多忙となって、ランチもままならなくなってきた。毎日MATESを交わすのがやっとだった。
マルガリータにソファーをすすめて、自分も向かいのソファーに腰をおろした。
「顔を合わせるのは3ヶ月ぶりかしら。マルグ。どうだった?」
「うん。カテゴリAのケアが終わる5月までは超忙しくて、時間外までやってやっとこなしていたわ。6月になってもまだ忙しくって、最近やっと落ち着いたって感じ」
カウンセリング希望者に対しては、まずAIカウンセラーが対応する。9割以上のクライアントは、AIのカウンセリングと処方した安定剤で落ち着くことができる。AIでは解決しなかった残り1割弱を、彼女たち人間のカウンセラーが対応することになる。
「あなた方が対応するのは手強い相手ばかりだものね」
「今週担当したクライアントで、最初はずーと黙っている人がいたの。カウンセラーは傾聴が基本だから、相手がなにか話し出すまで待つわけなんだけれど、他の人とくらべても黙っている時間が異常に長いし、いつまでも待ってるわけにいかないから『いかがですか?』って、なるべく穏やかに聞いたわけ」
「すると」
「そうしたら突然立ち上がって『いかがもへったくりもねぇだろう!』って怒鳴り出したの」
「あら」
「私に殴りかからん勢いだったから、部屋にいたガードロボットが彼を取り押さえて」
「大変だったんだ」
「取り押さえられながら彼が、『どうしておれがこんな目にあわなきゃならねーんだよ』と泣きわめくの」
「『どうしておれが…』って言う人のこと、前にもお話ししてくれたわよね」
「ええ。毎日のようにあるわ」
「みんなきっと、多かれ少なかれそう思っているんでしょうね」
「『どうしておれが…』『どうして私が…』」
「あー、それもこれも今日でおしまい、か」とマルグがぽつりとひと言。
「大変だったよね」
「うん」
「つらいこと、いっぱいあったよね」
「う、うん…そうね」
「よく頑張ったよね」
「…うん」
マルグがどんどん涙声になってくる。
立ち上がってマルグの隣に腰掛けた。マルグの肩に右手を回し、そして左手を回した。
「言いたいこと、言っちゃいなよ」とわたし。
「…私だって…私だって、どれだけ言いたかったか!」
マルグの顔は涙でぐじょぐじょになっている。
「そうよね…言いたかったよね」
「どうして私が…こんなことにならなきゃならなかったの?」
「そうよ、その通りよ」
「まだ30にも…なっていないのに」
「そうよ…わたしもそうよ」
「もっと…生きていたかったよぉ。もっと…もっと…」
わたしの涙腺も崩壊した。
人の気配のないオフィス。わたしたちはぎゅっと抱きあって、気のすむまで泣き続けた…
10分ほど経っただろうか。
しゃくりあげながらマルグが言った「…ありがとう」
「…わたしこそ」
「あなたが最後までいてくれて、ほんとによかった。だって、こんなふうにさらけ出せるの、あなたしかいないから」
「そう言ってくれて、嬉しい」
マルグのほうから、回していた腕をほどいた。
隣り合わせのまま、しばらくじっとしていた…
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トノオカさん。イ・ミンジュンさん。マルグ。みんなわたしと同じく、「最終日」に一斉にターミナル・ケアが施される「カテゴリB」の一員として亡くなっているはず。
(…じゃあ、なぜわたしはこうして生きているの?)
0.0002パーセントという「奇跡的」に低い確率でターミナル・ケアが失敗する、とヒカリは聞いたことがある。ぼんやりとした頭で計算する。
(…50万人に一人)
もしヒカリのケアが失敗したのだとすると、このネオ・トウキョウでいま生きているのは、確率的には「わたし一人」ということになる。
(生き残った…いや、生き「残されて」しまった…)
来ないはずだった「来月」をヒカリが生きている、ということは、AIにもう気づかれただろうか。ヒカリを運搬しようとしたロボットたちが、処分前に照合を行うだろうか。もし行えば、処分対象になるべきヒカリの身体が、その中にないことに気づくはず。
拘束されて再びケアされるのだけは、絶対にイヤだ。
(わたしは、どうすればいいの?)
さっき部屋に入るときは音声認証で入ることができた。ケアが完了したことになれば、生体認証のデータも遠からずリセットされるはず。
各レフュージには、非常時のためすべてのシステムを作動させることのできる、イマージェンシー・キーという認証コードがある。ヒカリはトウキョウ・レフュージのイマージェンシー・キーを所持することが許された、限られたスタッフの一人だ。いざとなればどうにかなる。けれど、何かをするのに残された時間は、そんなに無いと考えたほうがいい。
(そういえば…)
ロボットに運ばれているとき、夢うつつに記憶に表れた、老占い師の言葉を思い出した。
「『一厘の生』を授かったときは、お前が『会いたい』と思う者のところへ向かうとよい…」
(こうして生きているのが「奇跡」だとしたら、占いに従ってみるのがいいのかもしれない)
だとすると、「会いたいと思う者」とは?
家族は、ひとり火星に行ったマモルを残して、みなケアされてしまった。友人たちもほとんどがケアされ、わずかな者が火星に行った。さすがに火星には行けない。
(どうしよう…)
そのとき、両親がケアされる前の最期の面会で、大陸で行方不明になったマモルおじいちゃんについて、父のマサヒロが呟いた言葉を思い出した。
「…大陸のどこかで、まだ生きているかもしれないな」
(じゃあ、大陸に向かえば、ということかしら)
どうやって? エアカーは航続距離から無理。エアプレインは、わたしには操縦が無理。
(そうすると…マリンビークルか)
ひとまず、マリンビークルの基地がある地下第6層に向かうこととする。
大型バッグを取り出す。ケアされる者に付与された特別休暇の「メイドノミヤゲ」を使い、VR豪華客船クルーズに、夫のカゲヒコと息子のマモルと参加したとき用意したものだ。残りの非常食をバッグに入れ、夏秋物の活動的な服を選び、冬物のジャケットを一つだけ加え、一緒に詰め込む。肌着と靴下1週間分、歯磨きとお肌のケア用品、最小限のお化粧道具。
そしてドロワの最上段から、母のカヨコに18歳の誕生日にプレゼントとして貰った、天然アレキサンドライトのリングのケースを取り出し、中身を確認してバッグに入れる。
頭もはっきりしてきた。
次は「情報」だ。
トウキョウ・レフュージに関する情報は、自分のPITにすべて入っている。けれど大陸に関する情報となると、レフュージのシスターAIでも無理。月の連邦本部のマザーAIから手に入れるしかない。月が寝ている時間帯に作戦決行なら、明朝10時というところか。
あとはPITの充電。フルの状態なら1ヶ月は持つ。
あれこれしているうちに、時刻は22時になろうとしている。睡眠を取ることとする。