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短歌「孤独の花道」


この道は

幽霊湯豆腐

雪の墓

命の果てまで

孤独の花道


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公式企画「俳人・歌人になろう!2023」参加作品です。


▼小説家になろう 公式企画サイト

https://syosetu.com/event/haikutanka2023/

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【解説】

 昔なにかの本を読んでいて、とある一句に出会った。

 久保田万太郎という人の句らしい。



 湯豆腐やいのちのはてのうすあかり



 万太郎、やるではないか万太郎。

 普段他人の作品を批判しがちな私が素直にそう思えるほど、私はこの句に感銘を受けた。

 

 湯豆腐がうすあかりの下で揺蕩うその情景が美しい。

 それを命の果てだとする表現力が素晴らしい。

 一般家庭の食卓にもあるような身近な孤独を、生命の神秘として描く、その着眼点には畏敬の念すら抱く。


 私はこの句に出会ってから片時も、この句を忘れたことがない。


 しかし。

 しかしだ万太郎。

 

 自称令和のソクラテスこと、この文士Mもまた、孤独と共に生きてきた人間である。

 私の胸が万太郎の句に共鳴するのは、私と万太郎が共に同じ孤独の光景を見たことがあるからだろう。

 

 ただし、見たものは同じでも、感じたものは違う。


 私は確かに湯豆腐が命の果てだとは思うけど、それを単なる「うすあかり」だとは思わない。

 

 私は毎日を幽霊のように生きている。

 だが、それを「うすあかり」のような人生だったとは思わないし、この孤独に負い目や引け目を感じることはない。


 死んだ後は雪山にポツンとお墓が建つだけか。

 それでもいいだろう。

 むしろ堂々と行こうぜ。


 この命の果てにあるうすあかりの道を。


 万太郎よ。私にとってのこの道は、孤独という名の花道なのだ。



【補足と宣伝】

 なお本作は拙作『アイダシャフト』に登場するキャラクターの口上でもある。

 そちらは七五調にアレンジされており、

「幽霊湯豆腐雪の墓、命の果てまで一人きり、この縁誰にも解されぬと~~」

 と連歌が続く。

 興味のある方は是非読まれたし。

 



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