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魔の鴉がやってくる。『七ツ森』  作者: 安田景壹


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『七ツ森』20


      20


 木々が焼ける。呪力の炎によって。

 百人部隊が持つ奇妙な形の銃器は、使用者の呪力を弾として放つ武器である。通称を(カース)(パルス)ライフル。呪弾モード、呪炎モードの二つのモードに切り替えられ、用途に応じて使い分けられる。


 破壊活動もまた、場の呪力を増す行為だ。器物や自然が破壊される様は人間にネガティブな感情を(もたら)す。また人間でなくとも、そこに生きる動物たちは住処や餌を失い、苦しんで死ぬ。その死に際の苦痛が、また呪力を産む。


 永遠に拡大される地獄。

 それこそが望んだものだ。


 分隊の一人、先日百人部隊に入ったばかりの彼は、淡々と森を焼いていた。部隊への適性を認められての入隊だった。呪力が高く、取り立て決まった信仰対象がいなかったためだ。

 呪力を高められるなら、信心を捧げるのはどんな怪物でもいい。胸にあるのは、この世界そのものを焼き払いたいという思いだけである。


『呪力の乗り(・・)が悪い』


 攻撃分隊同士の通信。ただの愚痴だ。だが、攻撃隊全体が感じている事でもある。普通の森ならあっという間に燃え広がるはずの呪炎が、木々の一、二本、焼くのにも時間がかかっている。


『ここの魔力は濃すぎる。ブーストしよう』

『あまり調子に乗ると早々と使い切ってしまう。先はまだ長い。温存しないと』


 通信機越しに隊員同士の会話が続く。


「ちっ。うるさい奴らだ」


 同じ分隊の隊員が、通信に乗らないように悪態をついた。

周辺にはもう一人の分隊員のほかに、六人の攻撃隊員が散らばって森を焼いている。

 本来、分隊同士は距離を取り、広範囲を破壊するはずだったが、入り組んだ森の中を進むうち、ほかの分隊と合流してしまったのだ。


「おい。この辺りでそろそろ道に出るはずだろう。森の中にさらに入っていってないか」


 悪態をついた隊員が不審げに言った。

 確かに、と彼は辺りを見渡し、それから脳裏に第三の森の地図を描き出す。呪力を用いれば紙の地図も現代科学の産物である小型デバイスもいらない。内通者であった魔術師が夜明けの箱舟に明け渡した地図は、百人部隊全員の脳に呪力によって正確に刻み付けられている。

 その地図によれば、現在地は森の中に作られた運搬路のはずである。だが、実際には深く薄暗い森の中をひたすらに進んでおり、道などはどこにも見当たらない。


「迷ったのか? くそ、一度引き返したほうがいいんじゃないか?」

「落ち着け。我々の任務は森の破壊だ。確かに地図とは合致していないが、無駄な時間は使えない。最終的には全部焼き払うんだ。ここも燃やして道を切り開こう」


 別の分隊員の言葉に、彼も頷いた。


「賛成です。ここで手を止めたくない」

「いいや、戻るべきだ。もしくはブーストして森を抜けるべきだ。地図と現状が合っていない以上、俺たちは偽情報を掴まされたのかもしれない」


 引き返し、ないし転進の主張には理がある。彼にもそれはわかった。だが、彼らは兵士であると同時に呪術師なのだ。呪術師とはこの世に怒りを持つ者。世の理を破壊する事を至上命題とする者。

 理に縋る者は怒りが足りない。情報の齟齬が何だというのか。全てを焼き払い進めばよい。呪う力を持つ者ならば、そうして当然だ。


「おい! 気を付けろ!」


 話し合いに参加していなかったほかの分隊員が声を上げた。


「熊だ!」


 隊員たちは一斉に身構えた。木々の影からぬっと姿を現したのは二メートルほどの(ひぐま)である。百人部隊は精鋭呪術師の部隊であり、たとえ相手が羆であっても怖気づくような者はいない。が、ここは魔力満ちる第三の森だ。日頃から魔力を吸収している野生動物なら警戒は必須であり、対処は最速で行うべきだ。


 彼は、C・Pライフルを素早く呪弾モードに切り替えた。木々を焼くのもいいが、羆ほどの生命体を殺せば、死に際の苦痛や無念が呪いを呼ぶ。生き物がいるなら、この作戦では殺し得だ。


「待て! 撃つな!」


 ほかの隊員が制止の声を上げるのとほぼ同じタイミングで、臨戦態勢に入っていた羆の顔に、何かが素早く取り付いた。それの十本の触腕が羆の頭部を完全にホールドし、その呼吸を瞬く間に封じる。

 怪殖子(ゾルファーケン)、だ。

 取り付いた怪殖子の蕾状の胴体が開く。内側にびっしりと生えた細かい牙のような歯が見えた。胴体部の役割はほとんどが排気口で、生き物に取り付いた場合はそこから赤い粒子の形で呪力を拡散する。


「へ、へへへ」


 周囲の隊員たちが卑しく笑った。突然の羆に驚いたのは事実だが、それがすぐさま怪殖子の苗床になるのはおかしいものだ。気分がいい。呪いとは秩序が崩壊する事。その規模が大きいにしろ小さいにしろ、崩壊する様を間近で見られるだけでも高揚する。

 彼らは、揃いも揃って呪術師である。

 怪殖子に生命エネルギーを吸い出され、力を失った羆が、どう、と倒れた。


「たく、驚かせやがって!」


 隊員の一人が、倒れた羆の足を蹴り飛ばした。反応はない。すでに立ち上がる体力もないだろう。


「いいところで来てくれたぜ。〝海洋の悪夢〟に感謝する」

「こいつ、プラントになるかもな。もっと獲物を探してくるか」


 怪殖子がプラントと呼ばれる成体となるか否かは個体差があり、幼体である怪殖子の段階では見分けがつかない。ただし、プラントになる個体は必ず存在し、呪力の満ちた縄張りの内なら、プラントは毎秒ごとに怪殖子を生み出せる。

 第三の森の中にプラントを複数設置できれば、それだけでこの作戦は成功するのだ。


「いや。やはり全力で森を抜けるべきだ。ほかの連中とも交信して、状況を確認したほうがいい」


 転進派の隊員が、再度同じ主張を繰り返した。


「すでにプラントになっている怪殖子がいるかもしれない。ここは魔力が濃すぎる。呪力の共感も薄くなってきた。ブーストして一気に離脱すべきだ」

「臆病風に吹かれたか? もっと呪いに身を委ねろ」

「そうだ。ブーストするならここを拠点として、一帯を焼き払うべきだ。動物どもがいれば、怪殖子に食わせられる」

「いや、しかし――」


 苛々する。百人部隊は精鋭揃いではなかったのか。一刻も早くこの世界を破滅させたい。そういう連中の集まりではなかったのか。


「……お前ら」


 入隊して日が浅いという事実など、彼の中では何の意味もない。破壊の手を止めて言い合いを始めた先輩呪術師どもに業を煮やし、彼は思わずC・Pライフルの引き金に指を掛けた。

 ――どさっ、と。

 何かが、彼の肩に落ちてきたのは、その時だった。


「……?」


 落下物が、ぬらりと動いた。鎌首をもたげ、彼に向かって牙を剥く。

 ――蛇だ。


「っ!?」


 思わず腕で蛇を払いのけて、彼は後方に飛びずさった。


「ぐぅっ! 何だ!?」

「鼠だ! 鼠の大群だ!」


 異変が起こっていた。足元を、鼠を始めとするリスや兎、蛇などの小動物の群れが駆け巡っていた。鋭い前歯が隊員たちの足に噛みつく。同時に、羽音が聞こえる。梟やアカゲラ、森に棲んでいるであろう野鳥が、群れを成して旋回している。木々の隙間を縫って、彼らを取り囲むように走り回っているのは鹿、熊、クズリ。いずれも尋常ではない数だ。


 いくら魔力の森とはいえ、動物たちはこんな動きをしない。何だ。一体何が起こっている。

 無数の動物たちが渦を巻き、ある一点に集まっていく。深緑の光を発しながら動物たちは一つの塊となり、塊は人型に変化する。

 ピシッ、と。空気を裂くような音がした。動物の群れとは別の何かが弧を描いて宙を舞い、深緑の人型の腕がそれをキャッチする。


 深緑の光が収まる。砂色の長髪が揺れた。着古したローブの裾が見えた。何かが地面に滴った。ローブの人物の手に掴まれた怪殖子の胴体には穴が開いており、粘性のある体液がそこから漏れていた。

 その人物は、丸眼鏡の位置を直し、手に掴んだ怪殖子の死骸を冷たい目で見つめた。


怪殖子(ゾルファーケン)……。灰色異海(グレー・オーシャン)の果ての海にいた怪物の眷属か。君たちもあそこまで行ったのかい」


 声に、何の抑揚もない。

 佇まいは自然で、まるで散歩にでも来たかのようだ。

 だが、底が知れない。突如として現れたこの人物は、精鋭呪術師である百人部隊の隊員の目で以ても、その力量が分からない。


「森の……魔術師」


 足を負傷し、その場に膝を突いた隊員が、緊張に震える声で言った。


「ニールス・ユーダリル……」


 ……ああ、こいつが。この男が。

 この広大な森の主である魔術師なのか。

 丸眼鏡越しに、魔術師の冷めた目が隊員たちを見た。


「よかったよ。多少は人数のいるグループに会えて。君らは、夜明けの箱舟で間違いないね? 噂の百人部隊とやらだろう?」


 頷く者はいなかった。いや、返答できる者がいなかった。肉体が強張っている。これでは……そう、まるでこれでは怪物の目の前に放り出された、力のない人間のようではないか。


「答えてくれよ。少し困っているんだ。君らのヘルメットは霊視を防げるようだね。おかげで事情を聞き出さなきゃならない。そのボンベは呪力の供給器(ブースター)だろう? 銃は見た事がないが、高そうだね。夜明けの箱舟には資金協力を行う有力者がいると聞いていたが、本当のようだ」


 何故だろう。話し振りに違和感がある。この男は、ここで初めて攻撃隊員と会ったのではないのか? 通信機はONのままなのに、さっきから声の一つも聞こえてこないのは何故だ?


「悪いが時間がない」


 怪殖子の死骸が、燃え上がった。瞬く間に灰になり、地面に落ちる。


「一人残ればいい。話を聞かせてもらうよ」


 気配がした。戦闘の兆し。その瞬間、彼は動いた。供給器のボンベを固定するためのベルトは腹部に巻かれていて、そのバックルについたダイヤルを素早く操作し、呪力の供給量を最大限にする。ボンベからマスクに赤い粒子が大量に運ばれ、恐怖も緊張も、呪力が齎す狂気によって打ち消される。C・Pライフルの照準を合わせる。コンマ一秒。

引き金を引く――!


 その瞬間、見えた。ニールス・ユーダリルの手の中に黒い弓が出現するのが。その背に、矢の入った矢筒が現れるのが。淀みのない動作で弓に矢をつがえる。目で追えたのはそこまでだ。次の瞬間には、ニールス・ユーダリルが眼前に迫っていた。


「な――っ!?」


 C・Pライフルの引き金を引く直前、銃身が蹴り上げられ、腹部に重い一撃が入った。打撃。ただの拳だ。魔力が込められているかもわからない。反吐が、腹部から食道までを一気に駆け上がる。マスクのせいで逃げ場を失った吐瀉物が喉を詰まらせる。


「森の魔術師ぃっ!」


 ほかの隊員がC・Pライフルを撃った。呪弾の連射音が森に響き渡る。が、ニールスには掠りもしない。空気を切り裂く音がして、いかなる魔術か、まるでミサイルのように円弧を描いた矢が、背後から隊員の胸を貫いた。その矢をキャッチしたニールスの指先が、滑らかな動作で再び弓の弦に矢をつがえる。射る。放たれた矢が視界から消える。誰の目にも追えてはいまい。


 ニールスの爪先が、転進派だった隊員の頭部を刈っていた。ハイキック。破砕音も、骨の折れる音もしない。だが、隊員の身体は崩れ落ちていた。その向こうで、逃げようとした隊員の首筋に矢が突き刺さった。足を負傷した隊員が悲鳴を上げた。そこには精鋭の矜持はない。ニールスは無表情のまま新たな矢を放ち、悲鳴を上げた隊員の心臓を貫いた。


 ――四人。


 C・Pライフルから呪炎が躍る。ニールスの背後に炎が迫る。奇襲を仕掛けた隊員が喜色の笑みを浮かべたが、ニールスは淡々と三本目の矢をつがえるや、振り向きもせずに放った。異様な軌道を描き、矢が側面から奇襲者を襲う。避ける間もなく側頭部に矢が刺さり、地面に隊員が倒れ込んだ。ニールスは足元の死体が背負ったボンベを強引に引き千切ると、無謀にも反撃を試みた三人の隊員を次々とそれで殴り倒した。


 ――八人。


 精鋭と持て囃され、この世を呪いで焼き払うと意気込んでいた百人部隊の隊員が八人、瞬く間に倒された。


「待たせたね」


 ボンベを投げ捨て、ニールスは最初の標的であった彼に近付くと、呪力を供給していたマスクをもぎ取った。

 口の中に詰まった汚物を吐き出す。立てなかった。ようやくできた呼吸でさえ苦しい。

 何故まだ自分は生きている?

 決まっている。情報源として、僅かばかり生かされただけの事。

 もはや、逃げられない。


「さ、話を聞かせてもらおう。ヘルメットはどうせ壊すから、隠し立てはしなくていい」


 冷たい目が、彼を見下ろしていた。身体に満ちているはずの呪力はどこにも感じられなかった。必要に駆られて信心を示した異界の神が助けにくる様子もなかった。目の前にいるのは魔術師ただ一人。

 いや、もう一体。その背後から重々しい足取りでやってくるのは、先ほどまで衰弱していたはずの羆だ。呪いの炎に焼かれたはずの木々もまた、異様な速度で再生している。


「作戦内容、構成員、そのほか君が知っている事を全て教えてもらおう。君たちは古き王の森を焼き、呪いを撒き散らした。侵略者は狩る。一人残らず。誰も、この森からは出られない」


 ニールスの掌が、彼のヘルメットに触れる。だが、もはや感覚がない。一分、あるいはそれよりも早く、自分は死ぬ。魔の森を汚した罪により、一片の慈悲もなく。すでに百人部隊は獲物だった。侵略のために足を踏み入れたその時から、自分たちは獲物となったのだ。狩人はここにいる。目の前に。森の魔術師、ニールス・ユーダリルがここにいる。


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