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8.かいぶつとつた

長くなると思って分割したけど、思ったほどじゃなかったんです。


 少女は丸い座布団の上に座っていた。

 それを自分は丸い本棚の上から見下ろしていた。


「…また聞こえたよ。あなたの声」

『ずいぶんと、時間がかかってしまった』

「そうだね」

『その間に主にも変化があったようじゃな』

「変わらないのは無理だよ」


 丸い部屋、丸い机に丸い座布団。丸い本棚に丸い窓に丸いドア。丸いと言っても、あの頃とは違い、多少楕円に近い形をしている。そして色の少なくなった水玉の壁紙。色が減ったのは大人になって可能性が減ったということか。それは自然なことだ。

 一目瞭然の違い。それはこの絡み付くように生えた蔦、そしてその隙間から生える小さな花。門を見た時から感じていた不安。それはこの部屋に来たとき本物になった。


『この蔦は何じゃ?』

「何だろうね。いつの間にか部屋を覆ってたの」

『主は次から次に問題を…』

「人は問題を抱えて生きていくんだよ」

『じゃが、解決せずに放置するのは感心せん。主、台風は平気になったのか?』

「台風…ね。私ももう大人だからね。泣いたり騒いだりしないよ。平気かって言うとそうじゃないけど」

『怪物はどうする』


 外が暗くなる。窓から三角につり上がった真っ赤な目が覗いていた。

 ビュウビュウという鳴き声、屋根を叩き、窓をガタガタ揺らす。怪物。あの時と変わらない巨大な怪物。

 それはトラウマだ。

 かつて少女は台風に父親を奪われた。

「絶対に出るんじゃないぞ。外には怖い怪物が居るからな」

 そんな言葉を残していった正義感の強い父親。

 少女はそれを信じた。信じ待ち続けた。だが、父親は帰らなかった。怪物に食べられてしまったんだ。

 そして怪物は残り、少女は部屋ルールに縛られた。


『どうする?』

「………」

『主は彼奴を心に飼ったまま暮らして行くのか?!』


 少し言葉が強くなる。


「私、あなたが行ってしまってから色々考えたんだ」


 少女は落ち着いた口調で話し始める。


『………』

「最初は私、いつかこいつを倒してやるんだって思ってた」


 少女は窓の真っ赤な目を見つめた。優しく、いとおしいもの見るような瞳で。


「でも、今は違うの」

『………』

「私は小さいときにお父さんを亡くしてしまった。…だからかな、あんまりお父さんのこと憶えてないんだ。大好きだったはずなのに。今、お父さんの遺影を見ても全然ピンとこなくて」

『幼少の頃の記憶は曖昧なもの。当然じゃよ』

「そう。だから私はこのお父さんを感じられる場所を大切にしたいの。お父さんが守ってくれるこの場所を。…それはあの怪物も含めてこの場所になるの。だから、私はあの怪物を消さない。…消せない」

『彼奴と過ごしてゆくと言うのか?』


 少女はこくりと頷いた。

 あれほど怖がっていた、泣くほど怖がっていた怪物を消さないか。この長い時間は少女に思った以上の大きな変化を与えていたようだ。


『…はぁ、主には驚かされる。まさか、トラウマを取り込んでしまうとは』

「あなたがもう少し早く現れたなら、また違う結末になっていたかもしれないね」

『再び同じ場所を訪れることはなかなかに骨が折れる行為じゃったよ。もう二度とはせぬ』


 しかもほぼ無駄足になってしまった。


『じゃが、見逃せぬものがある』

「?」

『この蔦じゃ。最初は主がトラウマに捕らわれ続けた結果じゃと思ったが、その可能性はさっきの話で消えた。何か別にあるのではないか?』

「あ、えっと…」


 何かはぐらかすように少女は言葉を濁らせた。


『心当たりがあるのじゃな』






 ***






「ミナちゃん! ミナちゃん!」


 ああん、もうっ! 早く起きてよ。私一人じゃこの空気耐えらんない。早くこっちに戻ってきてよ。


「あ、あの、出直してきましょうか…」

「だ、大丈夫です! すぐ起こします!」


 頬を掻き、困ったような顔をするそいつに言い放ち、私はミナちゃんを揺さぶり続ける。

 すると、ようやくミナちゃんは反応を示した。


「…どうしたのチーちゃん?」

「どうしたもこうしたもないよ! 取り合えずあれ見て!」


 私はそいつを指差した。

 あれ呼ばわりしたり指差したり失礼かもしれないが、それほど私は混乱していたのだ。

 ミナちゃんが言ってたあれはフラグだったんだね。これの伏線だったんだね!?

 ミナちゃんはゆっくりと頭をそいつに向けた。

 その瞬間、ミナちゃんはパッと目を見開き私をはねのけ、慌てて少し乱れた衣服を整えて正座した。物凄い早業だった。


「か、神原さん!」

「どうも。お取り込み中だったかな?」

「と、とんでもないです!」

「そう。でも懐かしい友達との再会だったんだよね。やっぱり、俺帰るよ」

「だ、大丈夫です! ねっ? チーちゃん!」

「う、うん…」


 私は大丈夫じゃないです。はねのけられたときに尻餅つきました。痛いです。そして誰、この人。神原さんって言ってたみたいだけど。それにミナちゃんの尋常じゃないその態度。正直展開についていけてないです。おまけにちょっと鼻息荒いですよ、ミナちゃん。


「ど、どうぞ。そんなところに立ってないで座ってください」

「それじゃあ、お言葉に甘えて…」


 神原という人は机の一角に座った。


「あ、あのぅ、もしかして私お邪魔なんじゃあ…」

「だ、大丈夫だよチーちゃん!」

「そうですよ。お構い無く」


 ミナちゃんからすれば、私も、この神原という人も帰したくない人物なのだろう。でも私は全然大丈夫じゃないし。お構いしたいし。ああもう。このアウェイな空気何とかしてよ…。何かと理由つけて逃げ出したい。


「そうだ。チーちゃん、紹介しとくね。神原さん。仕事の先輩なの」

「先輩と言っても、3年くらいなもんなんだけどね。どうも、はじめまして。神原ユウスケです」


 神原さんは軽く礼をした。


「それで、こっちが私の幼稚園の時からの友達のチーちゃんです」

「はじめまして。相沢チサです」


 私も軽くお辞儀する。

 で、自己紹介はしたけどやっぱり気まずい雰囲気は変わらないわけで…。


「それで神原さん、今日はどうしたんですか?」

「あ、いや、例の件についてだったんだけど」


 ボンッと、何か爆発するような音が聞こえた…、ような気がした。ミナちゃんを見ると、それはもうトマトみたいに…、いや、イチゴの方が可愛らしいか。とにかく頭から湯気が立ち上りそうなくらい顔を真っ赤にしていたのだ。


「例の件?」

「あ、うう…」

「なんなの?」


 ミナちゃんに訊ねるとこっそり耳打ちしてくれた。それは驚きの内容だった。


「えっ? ぷろぽぉず? プロポーズ!?」

「ああ! そんなおっきな声で言わないで!」

「はへー、そうなんだ」


 神原さんも少し照れたように頬を掻いていた。

 ふぅん。決してカッコいい顔ではないけど、話してた感じ悪い印象はない。身だしなみもしっかりしてるし、爽やかなイメージ。悪い人じゃなさそうだけど…。


「ミナちゃん、さっき私をお嫁さんにしてくれるって言ってたのに…」


 思いっきり甘えた声で言ってみる。我ながらなんと恥ずかしい演技だろうか。


「「えっ!!」」


 空気が凍りついた。


「ちょ、ちょっとチーちゃん! 突然何言い出して…!」

「あれは嘘だったの?」


 うるうる攻撃。


「え? う、嘘はないけど、お嫁さんとかそれは言葉のあやで…」

「結婚は…?」

「だ、だから、それは…。あ、か、神原さん。私そんなんじゃないですから!」

「あ、ああ…。わかってるよ」


 やべ、ちょっと引いてる。


「神原さん、本当にミナちゃんと結婚したいんですか?」

「ああ、もちろん」


 ほぉ、ストレートに仰る。


「そうですか…。あ、さっきのは冗談だよ。二人とも本気にしないでね」

「チーちゃん!」


 うんうん。プンスカ怒ってるミナちゃんかわいい。


「私としては大切な友達に幸せになってほしいんだ。だからちょっと意地悪しちゃった。ごめんね」

「もう、びっくりしたよ…」

「ごめんごめん」


 あの程度じゃあんまり確証は持てないけど、この神原さんはちゃんとミナちゃんの中身も見てくれてるってことはなんとなくわかった。


「神原さん。ミナちゃんのことよろしくお願いします」

「あはは…、どうやら君には認めてもらえたみたいだね」


 ………ん?

 君には?


「俺がプロポーズしたのは1週間前なんだ。まだ本人には返事をもらってないんだよ」

「えっ?!」


 なんですってぇー!!

 ミナちゃんの肩をがっしり掴んで揺らす。震度7ぐらいの勢いで揺らす。


「なんで?! 何でなのミナちゃん!!」

「あぁ…。や、めてチーちゃん。ふらふらするぅ」


 私すっごい恥ずかしい台詞言ったのにそれはないよ!

 まだまだ揺らす。


「やぁめぇてぇ…、うっぷ…」


 ミナちゃんが口を押さえて青い顔をしているのに気が付いた。

 さすがに揺らすのをやめる。


「きもちわるい…」

「ごめん。…でもどうして返事しないの? さっきの私の冗談を必死で止めてたくらいなんだから、嫌ではないんでしょ?」

「………おぇ」

「あーっ! ちょ、ちょっとミナちゃん!!」


 ミナちゃんを抱え立ち上がる。


「すみません神原さん、ちょっと失礼します」

「あ、ああ…」


 とりあえずミナちゃんを洗面所まで連れていかなきゃ。プロポーズしてる人の前で吐かせるわけにはいかない。私のせいだしね…。

 私はミナちゃんを支えて部屋を出た。


「私ね…」

「どうしたの?」

「私、どうしたらいいんだろう」

「どうしたらって…」

「わかんないの。神原さんはいい人だけど、…私なんかと結婚していいのかな」

「なにその贅沢な悩み」


 洗面所まで運んであげようと思ったけどやっぱりやめた。


「彼氏できない私の前でよくそんなことが言えるねぇ」


 ミナちゃんのほっぺたをつまむ。


「伸ばすぞ。恵比寿さまみたいな顔になるまでほっぺたを伸ばすぞ!」

「ひ、ひはい。やめへぇ…」

「いやだ」

「ううう…」


 これでもかってぐらい伸ばしたあとほっぺたを放した。

 少し赤くなったほっぺたをミナちゃんはさすっていた。


「ミナちゃんが何を悩んでるか知らないけど、結婚するにしろ、しないにしろ、はっきり意思表示しなきゃ。神原さん生殺しだよ、あれ」

「…うん」


 まったく、久しぶりにミナちゃんに会えたと思ったら、はねこは空気読まないし、結婚の話が出てくるし…。まともに話せたもんじゃない。

 もっと話したいことがあったのに。できないとわかると、やりたいことって出てくるんだよね。


「ごめんね。チーちゃん」

「えっ、なんで?」

「せっかく会いに来てくれたのに、こっちが落ち着いてなくて」

「そうだよ。ほんと忙しないったらありゃしない」

「本当にごめん…」

「………」


 そんな真面目に謝られると対応に困っちゃうよ。


「…ふぅ、でも私も何の連絡も入れずに来たわけだし。本来なら予定にないイレギュラー。そりゃバタバタもするよね」

「うん、ごめん」

「謝ってばっかりだね」

「ごめん。…あ」

「そんな決まりきった流れ作らないでよ」

「ご、ごめ…、う…」

「まったく…。そうね、しっかり自分の意思を持って笑ってくれたら許してあげてもいいよ」


 戸惑うような表情を見せ、ミナちゃんは考えるように俯いた。

 確かに、結婚なんて人生を左右する選択。すぐに答えが出るはずもない。でも、ミナちゃんには少なくとも1週間の間考える時間はあった。それに、自分自身のあの反応を考えれば答えは自ずと出てくるはずだ。


「うん。ありがとう」


 あの時と変わらない笑顔だ。あの頃の優しくて頼もしい笑顔。怖がりの私を勇気づけてくれた笑顔。答えはそれで十分だ。

 こんなつまらないことで、あなたにそれを失ってほしくないんだよ。






 ***






『……これは?』


 部屋を覆っていた蔦はみるみるうちに短くなっていった。あちら側で何があったかは知らない。けれども、あの少女を縛っていたものは無くなった…、ということなのだろう。

 蔦が消えると、その下からたくさんの花が顔を出した。蔦に縛られ、潰されていた花は光を浴び花開いて行く。あっという間に部屋は花で埋め尽くされていた。


『ふん、あの娘の仕業か』


 しかし、これで本当に無駄足になってしまった。

 あの少女は強く成長していたのだ。自分の助力も必要ないほどに。


『そもそも、おこがましい行為じゃったな…』


 ああ、それは自分の存在理由の否定だ。少なくともこれまで自分はそのために存在していると思っていた。しかし、たった今それがどんなにふざけた行為だったのか思い知らされてしまった。

 もうこの場所に自分は必要ない。潮時だ。次のはこにわへ行こう。

 花の絨毯の上を歩く。

 なぜか少し寂しい気持ちだった。

 この生活を始めてから久しく感じなかった感情だ。一人には慣れている。

 いや、…違う。

 そういうのじゃない。

 もっとムズかゆくて、重くて、悲しい何か。

 なぜだろう。今、この羽で羽ばたくことができない気がする。猫のように気儘に生きていけない気がする。

 なぜだろう。

 足が動かない。

 あるのに無いような、神経がまるで通っていないゴムのような足。

 そうだ。

 これはずっと昔に感じたことだ。


「はねこさん!」


 いつの間にか少女が目の前にに立っていた。あの怯えていた少女とは違う、すっかり成長した姿の少女。


『なんじゃ』


 自分の状況を悟られたくはない。今までのように傲慢に振る舞う。


「ありがとう」

『ふん。結局儂はなにもしておらぬ。その言葉は主の友に向けるべきじゃ』

「もちろん。だからあなたにも伝えたの」

『は?』

「私とチーちゃん、幼稚園以来の仲なんだよ? それがこうしていい友達でいられるんだもの。あなたとだって…」

『じゃが、儂はつぎのはこにわへ行く。主とはもう二度と…、いや、三度とは会わぬ』

「会えるとか会えないとかそんな話じゃないんだよ。友達でいられるかいられないかただそれだけ」

『…ふん』


 まったくつまらない出会いをしてしまったものだ。こちら側の住人は決して仲間を作ろうとはしない。そもそもそんなもの不要なのだ。明日はどこへ行くかもわからない連中とまともに付き合えるはずがない。


『まぁ、いいじゃろう。これまでの生活の中で主は初めて二度会えた人間じゃ。もしかすれば三度目もあるのかもしれぬ』

「うん! きっと会えるよ」


 少女は手を差し出した。

 それが何がしたいのか分からず首を傾げてしまう。


「握手。そんな手だから握るのは私だけど」


 右前足を差し出す。

 少女はしっかりその足を握ってくれた。


「そうだ。そういえば私の自己紹介まだしてなかったよね?」

『ふん。名前なんぞ知る必要はない』


 少女は怒ったような顔でこちらを見ていた。


『…じゃが、そんな話ではない、と言うのじゃろう?』

「その通り。よくできました」


 嬉しくない誉められ方だ。


「じゃあ改めまして。私は【倉崎ミナコ】。よろしくね、はねこさん」

『…クラ、サキ…、じゃと?』


 時間が止まるかと思った。いや、逆だ。止まっていた時間が動き出したと言ってもいい。それだけその言葉は衝撃的だったのだ。けれど、偶然かもしれない。そうそう都合のいい話があるはずがない。確認しなければなるまい。正義感の強い、少女の亡くなった父親。


『ま、まさか、亡くなった主の父の名は【倉崎ソウイチ】ではないか?』

「えっ? そうだけど。私お父さんの名前言ったことあったっけ?」

『…では、【倉崎サクラコ】という女性は知っておるか?』

「サクラコはおばあちゃんの名前だよ」


 ああ、あぁ、あぁっ! 

 なんという巡り合わせ。こんなことが有り得るのか!?


『ははっ、はっはっはっは! 馬鹿な。こんなことが…!』

「ど、どうしたのはねこさん?」

『いや、少し面白い話を思い出しただけじゃよ』


 そう。

 面白い昔話。

 記憶の断片に残る、桜の咲いていた春のあの日。

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