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6.ほうかいぜんや

 ちょっとあの人(?)に触れるお話。

 屋根の上。暖かい陽射しは緩やかな微睡みと共にやってくる。それに身を任せていると今日は珍しいものが現れた。


『やぁ、あなたは私と同族のようですね』


 極稀にこういう奴と出会うことがある。

 自分と同じような連中が居ることは最近まで知らなかった。だから初めて会ったときはすごく驚いたものだ。


『失礼ですがお名前を伺っても?』


 眉を潜める。こういう社交的な奴は少し苦手だ。知らない間に自分の情報をかっさらっていく。そのくせ、こちらはあまり情報を引き出せていないことが多い。実に不快だ。


『あ、すみません。こちらから名乗るべきでしたね』


 そいつは背広の中からケースを一つ取り出した。そのケースを開いて小さい紙を一枚抜き取った。


『私、こういう者です』


 その紙を手渡される。

 綺麗に作られた名刺だった。だが、生憎名刺なぞ持ち合わせていない。そもそも、この生活で名刺が必要になるとは思いもしなかった。


『いえいえ、構いません。一度きりの出会いですから』


 まあ、そうだろう。一ヶ所に留まることを知らない者同士。もう一度会うというのは奇跡にも等しい。

 だから相手の顔も名前も覚える必要はない。姿や固有名詞は然したる意味を発揮できないのだ。


『あなたは、こちらで何を?』


 見ての通り日向ぼっこだ。できるならあまり構わないでほしい。


『ここはもうすぐ終わる場所ですからね。興味を惹かれるのはわかります。こういう場面に立ち合う機械はそうそうありませんからね』


 確かにもうすぐここは無くなる。崩れていく様をゆっくり見ていたかったのだが、横でこうもゴタゴタ言われると興が逸れてしまう。


『そう怖い顔をしないでください。事が始まれば私も静かに傍観しますよ』


 できれば一人がいいのだが。静かにすると言うなら邪険にするまい。


『のどかな場所ですね。ついさっきまで騒がしい場所に居たもので、こういう場所は落ち着きます』

『ほぅ、奇遇じゃな。儂もついさっきまでそんな場所に居たんじゃ。騒がしいのは苦手でな』

『ようやく話してくださいましたね。嬉しいですよ』

『ふん。儂としては主に好かれようが嫌われようがどちらでもよいがな』


 そいつは苦笑いすると、下を見た。


『ほら、ここの主人が出てきましたよ。少し騒ぎすぎましたかね』


 そいつに続いて下を見る。すっかり頭が禿げ上がり、腰もほぼ直角に曲がってしまった老人がこちらを見ていた。


「こんな時期にお客さんかな?」


 老人はこちらに興味を持ったようだ。ひょいひょいと手招きする。


『残念ですが私は対話したくないので。あなた行ってください』

『自分勝手な奴じゃな』

『ええ、私は生前からそんな生き方をしてきましたから』


 どこかで聞いたようなやり取りをした後、そいつは立ち上りこの場所を立ち去った。


「背広の方は行ってしまったのですか。あなたは?」


 首を左右に振る。


「よかったらこちらでお話ししませんか? 時間はそんなにありませんが」


 老人は和やかな笑みを浮かべていた。

 とてもこれから終わってしまう場所の住人には見えなかった。


『そこからじゃといざというとき間に合わぬ。ここでよければ話を聞こう』

「そうですか。ええ、えぇ、構いませんよ」


 老人はどこからともなく椅子を運び出してきた。そしてそこに腰かけ、懐から煙草を取り出した。


『主のような老体にはよくないのではないか?』

「お気遣いありがとうございます。しかし、ここではいくら吸っても害はありませんよ」


 そうだった。

 あまりにも当たり前のように行動するものだから少しごちゃごちゃになってしまったか。


「私にはね、孫が居りまして」


 老人は煙草に火をつけた。白い帯状の煙が空へ伸びていく。


「それがね、またかわいいくて。私を見つけると、じーじー、って走ってくるんですよ。もうかわいくてかわいくて仕方ないんですよ。あ、孫の名前はケンジというんです。娘夫婦の一人目の子供なんです。一人目なのにケンジなんてつけて最初はどうも気に食わなかったんですが、それでもあそこまでなつかれたら顔も綻んでしまいますよ。貴方にはお孫さんはおいででしたか?」

『…いや。儂は孫の顔を見る前にな。今はどうか知らぬが』

「これは失礼。話題を変えましょうか」


 老人は白い息を吐き出した。


「煙草は吸いますか?」

『酒ならば少々』

「ああ、お酒もいいですね。私は日本酒に目がなかったんですよ。毎日仕事から帰ると飲んでいました。おかげで妻には迷惑をかけましたが…」


 老人は困ったように笑った。


「妻に先立たれてからはきっぱりとやめました。娘たちまでに迷惑はかけたくありませんでしたから。それでもね、ここでは煙草も酒も常に解禁状態でしたから、気は幾分紛れました。ただ、どちらも味だけなのは残念でしたけどね」


 老人は煙草の灰を落とす。灰は風に流されどこかへ消えてしまう。


「そういえば、あなたはどうしてそのように過ごしているのですか?」

『儂はただ羽ばたいただけじゃよ』

「そうですか。では、どうやってこの場所へ? あなたとはおそらく初対面のはずなんですが」

『さあな。じゃが、見当はついておるよ。おそらく、逃げ出したのが原因じゃ』

「逃げ出した、とは?」

『主は知らなくともよい』

「なぜです?」

『…最近は物忘れ酷くて困る』

「なるほど。それは困りものですね」


 老人はふふと笑った。


「私もね、呆けてしまうことが多いんですよ。娘たちには痴呆と言われてしまいました」

『呆けておるようには見えぬがな』

「ありがとうございます。しかし、歳をとってこちら側に入り浸りすぎたせいかもしれません」


 人の体感時間は、産まれてから成人するまで、そして成人してから死ぬまでで同じだという。それは、こちら側に来ている時間が長くなるからだ。若い間はあちら側での経過時間は大したことないが、歳をとれば下手をすれば一日が経過することなどざらだ。それによって、こちら側とあちら側でズレが生じるようになる。二重の生活は決していいとはいえない。


「もう少し向こう側に居るようにすればよかったかもしれません」

『未練があるか?』

「…そうですね。無いとは言い切れません。娘達や孫ともう少し話がしたかったです。しかし、話をしようにもあちらの私は延命装置をつけられたような体ですから。それに、時間もありません」

『儂のようになれば可能じゃ』


 老人は目を丸くした。驚いたように口を開けたせいで、煙草がポトリと地面に落ちた。


「それは、娘たちにもまた会えるということですか?」

『そうじゃ、その者たちの場所に住まうという形でな』


 老人は考えるような仕草をする。

 各々の場所。本来なら他人が侵してはならない領域だ。入っていいのは本人、もしくは深い交友を持つ限られた人物に限る。

 自分のようなるということは、人の領域に無断で入る事ができるようになるということだ。それは留まる場所がある者にとってはこの上なく便利なものだ。しかし、留まる場所も無く、帰る場所も無い者も居る。拠り所を持たぬ者は放浪という道を選ばざるを得なくなってしまう。


「あなたの生き方には大変興味があります」

『ならば…』

「いえ、待ってください。申し出は有り難いですがお断りいたします。すみません」

『…謝る必要はない。末を見据えるなら懸命な判断じゃろう』

「あなたは後悔しておいでで?」

『いや。儂はこれでよいと思っておる。こう見えて楽しんでおるのじゃ。今の生活をな』

「そうですか」


 老人は地面で燻っていた煙草を踏み潰し、火を消した。よく見れば、煙草が地面のあちこちに落ちていた。老人は相当な数の煙草をここで吸ってきたのだろう。


「さて…、そろそろ私はおいとまします。お付き合い感謝しますよ」

『構わぬよ』


 老人はまた部屋へ帰っていった。

 人生経験が長いと何か悟ってしまう者があるのだろう。少し落ち込んだような悲しげな表情だった。


『そろそろか』


 あちら側ではどれだけ時が過ぎたろう。ここで老人と話した時間はせいぜい15分程度。一日、いや、もう少し経過しているだろうか。

 空に一筋の光が射す。日の光とはまた違う光。太陽の隣の亀裂から射し込む黒い光。

 もう出よう。

 ここはもう数分としないうちに消えてしまう。巻き込まれれば自分も共に消滅してしまう。

 黒い光に呑まれていく場所を背に、再び次のはこにわへと足を運ぶ。






 ***






「……こ! はねこ!」

『…なんじゃ』

「なんじゃじゃないよ! 門が出たの! ミナちゃんの門!」

『!』


 急いで外に出た。先日門が出現していた場所へ走る。しかし、そこにはただの塀しかなかった。また消えてしまったようだ。


「もうっ! はねこを呼びに行ってる間に消えちゃったよ」

『すまぬ…』

「…あれ? らしくないね」

『少し、昔の夢を見ておった』

「どんな?」

『主には関係ない』

「やっぱムカつく…」

『しかし、主の場所は小ぶりじゃな』

「小ぶ…」

『まぁ、主の体格に見合った大きさじゃ』


 このチサという娘、小さいということにコンプレックスを抱いておるようじゃが、自分の要領をきちんと弁えておる。


「寒いに続いて今度は小さいですってー? 本当にわがままな猫ちゃんだことー」

『ふん。事実をありのままに述べただけじゃよ』


 まぁ、感情の制御にはムラがあるようじゃ。じゃが特筆すべきもまた、感情の制御にある。恐怖という感情、その感情においてのみこやつは完璧に制御しておる。

 台風を恐れるあの娘とは相性がよいのかもしれぬ。


「猫ちゃん、逃げちゃだめよー。逃げてばかりじゃダメなんだからねー」

『……ふん』


 逃げるか。

 あの日あそこを逃げ出したのは間違っていたのだろうか。

―――――

「あなたは後悔しておいでで?」

―――――

 あのとき老人はそう問いかけてきた。

 後悔しない生き方をするのは難しい。失敗をしてはいけないのだから。そうであるなら、後悔する方がよっぽど人の人生らしいのだろう。

 今の生活は楽しんでいる。じゃが、だからといって後悔していないとは言い切れないのではないだろうか。


『考えを改めるのも悪くないのかもしれぬ』

「ようやくわかってくれたのね」

『主のことではない』

「ムカつく…」

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