2.ひゃくえんじょう
「二丁目の山田さん家、塀が出来たんですって!」
「ъ(゜∀゜)ヘィ」
「っち…」
掌にある百円玉を見ながら、舌打ちした。
あー、次のバイト代が入るまであと一週間。
百円で生きていけるか?
もちろん冷蔵庫には何も入ってねぇ。
インスタント麺もカップ麺もねぇ。
米もパンもねぇ。
お菓子もねぇ。
あー、百円くらいあればパンの耳くらい買えるか。
あー、パン屋隣町にしかねぇ。
隣町へ行くには山を越えねぇと。
その足がねぇ。
自分の足で…。
行く気がねぇ。
あー、でも水分とりゃなんとかなるか。
なんねぇ。
このまま餓死か。
情けねぇ。
あー、マヨネーズならまだあったな。
確か、山で遭難した人がマヨネーズと水だけで生き残ったって話があったような。
…あてになんねぇ。
「あちぃ…」
もう冬になるのにストーブと扇風機が同居だぞ。昼は暑くて朝晩は寒い。異常気象だよ、異常気象。
あー、厳しい世の中だねぇ。
俺が一体何したってんだ。
…あー、なんもしてねぇ。
「………」
いやまて、何で俺こんな状況に追い込まれてるわけ?
この倹約家の俺がだよ。なんでこんな貧しい生活してんの?
いやいや、今日までの行動を思い出せ。
俺は何をした?
大学行ってバイトして帰って寝て起きて大学行ってバイトし…。
あれ?
普通じゃん。
ん、何か特別なことしたっけ?
いかがわしい店には通ってねぇだろ。ゲームも買ってねぇし漫画も買ってねぇ。弁当も買ってねぇし、かといって食材を買ったわけでもねぇ。
金を使う要素が全く無いわけだが…。
あー、そうだ。
実家に連絡しよう。頼んでちょっとだけ入れてもらおう。
そうと決まればケータイケータイ。
「………」
体をまさぐっても、ケータイらしき物は見当たらない。
「あ、あらぁ?」
落とした?
ケータイを?
「なんでやねん!」
キレのいいつっこみは空を叩く。
「………」
あかんあかん、落ち着くんや。人に見られたら明らかに変人扱いされてまう。
待て待て。心中語がおかしくなっとる。中途半端に混ざっとるやん。
落ち着け俺。
そう、ケータイがないんだ。
何処かに置いてきたか?
だとしたら何処に。
何処かに寄ったか?
寄った記憶はない。とすると何処かに落とした。
やべぇ。
本気でマジでやべぇ。
どうやって連絡すりゃいいんだ。
あ、そうか! 公衆電話だ! 公衆電話を使えばいいんだ!
えっと確か駅前か公園にあったな。
こっからだと公園のが近いか。
そうと決まれば急げや走れ。
公園まで走れば1分程度。すぐそこだ。
急いだ。特に意味はないけど急いだ。
そして公園に。
「つい…、…あれ?」
そこは公園じゃなかった。
部屋だった。
薄い水色の壁紙の部屋。掃除されていないのか部屋の所々は黒く煤けている。三畳程度の狭い畳部屋。家具は特にないが、部屋の真ん中に置いてある花瓶に一輪の花が生けてある。
「………」
どこでどう間違えたら町中でこんな部屋に辿り着く。
とにかく出よう。一応不法侵入なわけだし。
襖を開けて部屋を出る。
すぐ外に繋がっていた。
どんな糞設計の部屋だよ。
まぁいい。とりあえず戻って公園に。
塀をつたい出口を探す。
「ありゃ?」
一周してしまった。
「なんで?」
出口がねぇ。
無限回廊かよここは。
あー、でもあれは確か階段だったよな。
いや、どちらにせよ閉じ込められたのには変わりない。
んー、とりあえず塀を越えるか。
丁度俺の身長くらいの高さだ。
「軽く越えられる」
塀に手をかけようとした瞬間、俺の手は何かに弾かれてしまった。
「ってぇ…」
手を振って痛いのを我慢する。どうなっているのか確認するため、もう一度塀を見ると。
「えー…」
塀がものすごく高くなっていた。
何て言うか天まで届くぐらい。
そのくせに周囲が暗くならないのは塀にできた綺麗な明かり取りのおかげか。
狭くなった空を唖然と見上げる。
「ありえへん…」
『お主。ここの人じゃな?』
「え?」
辺りを見渡すが声を発した人物は見当たらない。
『ここじゃよ、ここ』
その声を頼りに探すと、一匹の猫が見つかる。
さっきの三畳の部屋があった建物の屋根の上に座っている。
「猫?」
猫のようだけど羽っぽいのが生えている。
『違うわい! 確かに羽から猫が映えとるが全然違う!』
「うわっ、つか喋ってる。動画撮っとこ。って、ケータイ落としたんだった」
猫は逃げもせずそこに座っている。
いささか不機嫌な面持ちで。
『どうしてくれるんじゃ。せっかく気持ちよく日向ぼっこをしておったというのに…。塀をこーんなに高くしてしまいおって』
「と言われても…」
勝手な猫だ。
『まぁよい。主の場所にケチつける儂が間違っておるのじゃから』
「は、はぁ…」
俺の場所?
『して、主はなぜここに居るのじゃ?』
「あんたの理屈で言うと俺の場所なんだから俺が居てもおかしくないんじゃねぇの?」
『…見かけによらず、知恵はあるようじゃな』
大きなお世話だ。
『ならば質問を変えよう。主は何のためにここに来たのじゃ?』
「公園の公衆電話を使おうと思ったんだ。そしたら公園じゃなくてここに来た」
『ほぉ、今時公衆電話?』
「ケータイを落としたんだ。仕方ねぇだろ」
『ほぉほぉ』
訳がわからん。しかもなんかムカつく。
「んなことよりあんた、ここから出る方法を知らねぇか?」
『簡単じゃ。その塀を越えればよい』
「さっきまでなら簡単だったんだけどな。この高さは無理だ」
『そんなことなかろう。…ほれ』
猫はひょいと…、いや、ぎゅーんって感じで塀の上まで飛んでいった。
そりゃ、羽があって飛べるなら高さなんて関係ないだろうが、こちとらただの人間だぞ。ロッククライミングならぬヘイクライミングをしなけりゃなんねぇ。
ヘイクライミング…。
あー、なんかノリがいい。
『大した高さではなかろう?』
塀のてっぺんから猫が言う。
「大した高さだよ!」
『ふむ、意気地無しめ』
ふわりと猫はもとの場所に着地した。
「つかお前さ、勝手なこと言い過ぎ」
『ふむ、勝手気儘に生きてきたでの』
あー言えばこー言う…。
「あー、もういいよ。他の方法を探すから」
『主はなぜその塀が越えられぬと思う?』
「はぁ? 見ての通り高過ぎんだよ。この塀は東京タワーかっての」
『ふむ、ではどれくらいだったら越えられるのじゃ?』
「そうだな…」
自分の腰くらいの高さの場所に手を出す。
「こーんくらい低けりゃ楽だな」
『ならば余裕じゃろう?』
「だから、この高さじゃあ…」
高い塀を見上げたら広い空が見えた。
「…えー」
あのクソ高い塀が何処にも見当たらない。
空から徐々に視界を下ろしていく。かなり下まで視界をずらすと、自分の腰くらいの高さまで縮んだ塀が見つかった。
「あんたなんかした?」
猫に聞く。
猫は首を横に降った。
『言ったじゃろう? ここは主の場所。この場所に干渉できるのは主だけじゃよ』
「あんたが言ってる意味わかんねぇけど、とにかくこれで出られる。じゃあな」
猫に別れを告げ塀を越えようと、手をかける。
―ベシッ!
「ってぇ!」
手が塀から弾かれた。
というか、何かが当たって思わず手を引いた。
「またかよ…」
手を振って痛みを我慢する。
『何か落ちたようじゃが?』
猫が指差す(指はないが…)先に視線をやる。そこには円く、銀色に光るものが落ちていた。俺のなけなしの財産と同じ額のそれ。
「百円? なんでこんなところに」
ふと自分のポケットを探ってみた。ケータイはおろか、百円も入ってなかった。
「じゃあこれは俺の?」
百円を拾い、まじまじとそれを見つめる。
見れば見るほど自分の百円っぽい。うん。間違いない。俺の百円だ。何度も数え直した俺の百円に間違いない。ほら、この傷の位置とか完璧だ。俺しかわからないだろうけど。
『守銭奴』
「うっさい! これが今の俺の全てなんだよ!」
猫を睨み付けるがまるで気にしていないようだ。
「まぁ、あんたのおかげで本当の文無しにならずに済んだよ。一応礼を言っておく。ありがとう」
『ほれほれ、わかったからとっと行け。儂はもう少し日向ぼっこしたいんじゃ。静かな場所でな』
人がせっかく素直に礼を言ってんのにこの猫は。
不満をぶつけてやりたかったが、これ以上ここに居ると余計に不満が溜まりそうなので今回は黙っておく。
まぁ、なんか長くなったけど、ようやくここから…。
と塀に手を置いた瞬間。
―ベシッ!
「ってぇ!!」
また手に何かがぶつかった。
「ったく! 何だってんだよ!!」
『ほれ、また落としとるぞ』
猫が言う。
「え?」
足元にまた百円が落ちていた。
「…まさか」
ポケットを探してみると百円は無かった。
落ちていた百円を拾ってみると、やはりそれは自分の百円だった。ポケットに穴が開いてる風でもないし、なんでこんなに落とすんだ? それに何がぶつかってんだよ。塀に手を置くとぶつかるのか?
手を置く。
―ベシッ!
手を置く。
―ベシッ!
置く置く!
―ベシベシッ!
置く置く置く置く置く!!
―ベシベシベシベシベシッ!!
「痛てぇ…」
『主はさっきから何をやっとるんじゃっ!!』
でもわかった。
「塀に手を置いたらこの百円が飛んでくる」
地面に落ちている百円を拾う。さっきポケットに入れた百円。それが塀に手を置くと塀の向こう側から飛んできて確実に自分に当たる。
なんでかわからんが。
「なぁ猫」
『じゃから儂は猫ではない!』
「今さらどうでもいい」
『どうでも?!』
「それよりさっき塀に登ったときはなんともなかったか?」
『なかった』
それなら百円が狙ってるのは俺か。じゃあ何のために飛んでくる。
「おい猫」
『ツーン』
「ねーこー」
『ツンツン』
「はぁ、じゃあなんて呼べばいいんだよ」
『んんー。儂に名は無い。じゃが最近は【はねこ】と名乗っておるよ』
「了解。じゃあはねこ。お前この塀の向こうに行けるか?」
『行けるじゃろうが、行かぬぞ?』
「なんで?」
『別の【はこにわ】に行ってしまうでの』
「別の箱庭?」
『主には関係ないことじゃ』
「まぁ、どうでもいいけど。行きたくないなら強制しねぇよ」
となると自分で確かめるしかないか。塀に触れずに越えるとどうなるか。塀に触れることで百円が飛んでくるのなら触れなければ越えられるはず。腰の高さ程度の塀だ。触れずに越えるのは難しくないだろう。こう見えて俺は高校時代ハードルの選手だった。…ってことは無いが、運動神経はそれなりに持ち合わせているつもりだ。
塀から離れ、助走の距離をとった。
よし、行ける。
「いくぞ。せー…」
『待て』
これからというときに猫が止める。
「なんだよ」
『主は昨日の夕食に何を食べたか憶えておるか?』
「はぁ? そんなもん忘れたよ」
『トイレは?』
「…さあな」
『ふむ…』
それだけ聞くとはねこは黙った。
なんのための質問だか見当がつかない。
「よし。今度こそ…」
いち、にの、さん!
塀へ向かって走り、タイミングを見計らって踏み切る。
大丈夫。完璧に越えた。
そう思った瞬間だ。
後方からガタンと何か倒れるような音がした。
『なるほど。これで主の状況が読めた。…まぁ、越えてしまった今となっては関係の無いことじゃな』
関係無いのはこちらもだ。
あの猫が何か言ったあと、背中にとてつもない熱気を感じたが、それも関係ない。でもこの焼けるような熱気はなんだ?
***
「気がついたか!」
「先生! 先生を呼んでこい!」
しばらくすると白い服の男がやって来て、なにやら調べ始めた。
「跡は残ってしまうでしょうが、意識もはっきりしてますし問題なさそうです。大事をとるため、もう数日入院たままですが、それで異常がなければすぐ退院できるでしょう」
「ありがとうございます」
訳がわからないまま色々されたけど、これはいったいどういうことだ。
「ケンジ、大丈夫か?」
白髪混じりの男が言う。あー、父さんか。
じゃあこっちの女の人は母さんか。
「なんか、よくわかんないんだけど…」
「先生?」
母さんが心配そうに先生を見た。
「ショックによる一時的な記憶障害でしょう。念のため、後程検査しましょう」
「あんたのアパート火事にあったんだよ。覚えてないのかい?」
「火事…?」
あー、そういえばそんなことがあったような。
「出火原因は警察でもわかってないようだが、お前何か憶えてないか?」
火事、何かしたのか、俺。
「でもよかった。あんた一週間も目が覚めないから母さん心配で心配で。このままだったらどうしようかって…」
母さんが泣く。
「な、泣くなよ。ほら、俺大丈夫だし、元気だし」
と言ってもアレなんだろう。そうアレ。えっと、感涙?
「ケンジ、なんか食いたいもんはあるか? 用意できるもんなら今すぐ持ってくるぞ」
「お父さん、確か売店にパンが」
「じゃあ買って来るよ。って、ああ、財布置いてきたんだ。百円しかないよ」
「もう、お父さんったら。はい」
母さんが鞄から財布を出す。
「ほんと、忘れっぽいんですから」
「すまんすまん。しかし、今時百円じゃジュースも買えないとはな」
たまに百円の自販機も見かけるけど、そういう意味じゃないか。
「………」
百円。
「そうか百円!!」
突然飛び起きたので皆吃驚したようだ。
「ひ、百円がどうかしたのか?」
そうだ。百円の意味がわかった。まさかそうか。
確かあの日。
「なあ、もう一人居なかったか?」
「へ?」
「俺の他にもう一人居たはずなんだ。あいつはどうした!?」
「…彼女ならすぐに退院しましたよ。あなたより軽傷だったので」
先生が言った。
「そ、そうか。よかった」
ちょっとした遊びだった。百円を使ったコイントス。表か裏かで勝負してた。
そしたらあいつもやりたいって言い出した。するとこれがとんでもなく下手糞で何回やっても明後日の方向へ。そうしたらその百円がストーブの後ろに転がって、あいつそれを取りに行こうとしたんだ。そしたら扇風機の線に引っ掛かって、すっ転んで、ストーブが倒れて…。
「ケンジ、何か思い出したの?」
「あー、いや、なんでも…」
こんなのが出火原因だって、ああ、口が裂けても言えないわ。
つまり、間接的にとはいえ俺は百円に殺されかけたわけだ。馬鹿らし。
幸い出火原因はわかってないみたいだし、記憶障害ってことにして警察が解明するまで黙っとこ。
それがいい。
でもあいつ今何してんだろ。すぐに退院したみたいだけど。父さん達の様子じゃあいつには会ってないみたいだな。見舞いには来てくれなかったのか。変に気負ってなけりゃいいけど。
窓の外を見た。
青い空が広がっている。
その中にふと別の色が混じる。
窓際に置いてあった花瓶に花が一輪生けてあった。
「あれは…」
俺が言うと母さんが口を開いた。
「ああ、いつの間にか生けてあったの。誰かお見舞いに来てくれたのかしら。大体いつもこの時間に来てたんだけど、来るたびに水も入れ換えてあるの。今日もね」
そうか。
ちらりとしか見てなかったけどあの部屋にあった花だ。あの部屋の真ん中にあった薄桃色の花。
あいつの好きな花だ。
なんだ。
来てくれたのか。
毎日水が入れ換えてあるということは、それが夜か朝か知らないが必ず現れると言うこと。少なくとも明日のこの時間までにそいつの姿を見ることができるだろう。
当然そいつは俺が目を覚ましたことは知らないはず。
これからが少しだけ楽しみになった。




