10.はるのあのひ
ネネコさんは僕のところに遊びに来なくなった。ネネコさんの病室に遊びに行ったけれど、そこにネネコさんは居なかった。
ぜんぜんそんな風には見えなかった。病気なのかと疑いたくなるくらい元気だったから、あんなことになるなんて全然思いもしなかった。そういえば、ネネコさんはどんな病気だったんだろう。それとも怪我だったのかな。
看護婦さんにネネコさんがどこに居るのかと訪ねた。だけど、教えてくれなかった。
お医者さんにネネコさんはどうして入院していたのか訪ねた。だけど、コジンジョウホウがなんとかって言って教えてくれなかった。
相部屋の人にネネコさんがどこに行ったのか聞いてみた。だけど、何も答えてくれなかった。
今日は雨だ。ネネコさんと遊べないから、散歩に出ることがまた多くなっていたけど、この天気じゃ無理だ。窓の外を見ると、中庭に植えられている桜の木が見える。これだけ雨が強かったら桜の花も全部散っちゃうかもしれない。掃除が大変なんだろうな。
でも、どうしよう。テレビは面白くないし、かといって病院の中を歩き回るのは迷惑になりそうだし。
ふと、ブックカバーのついた一冊の本が目に留まった。ネネコさんにもらった本だ。あの日以来、全く開いていない。だって今は全然質問されないし、半分強制的に読まされていたものだったし、ネネコさんが来ないなら読む意味がないし…。
ファンタジーって言うけれど、今まで読んだ感じ子供向けっぽくない。
読み始めた頃、何でこの話が好きなのか。そんなことをネネコさんに訊いたことがあった。
すると、ネネコさんは、
「バッドエンドだから」
と答えた。
バッドエンドか好きっていうのは少しわからない。僕が首を傾げると、
「救いがないところが、現実的で好きなの。ファンタジーなんだけどね」
そう言ったあと、「それと、猫もかわいいし」とネネコさんは付け足した。
「主人公がヒロインの呪いを解くだけの話だけど、結末は一見の価値ありだよ」
主人公のキスで呪いが解けるなんてありきたりな話じゃないんだろうな。思い出したら少し気になりだした。
本を掴んでこの前読んだところまでのページを開く。
内容、忘れちゃったな。少しページを戻してそこから読み始めることにした。
分厚くない本だけれど、活字慣れしてない僕は読みきるまで五日もかかってしまった。
本の内容はこうだった。
主人公であるエリオットには将来を約束した女性がいた。それがヒロインであるレイン。しかし、彼女は呪いにかかってしまう。呪いは人から人へと伝染していくものだった。その呪いは大昔の魔女の呪いで、永遠の眠りへと誘うもの。その呪いを解くためには、『ティカースの指輪』という物を手に入れなければならなかった。指輪は全部で10個あり、それを十指全てに嵌め、強力な精神をもって呪いに打ち克たねばならない。ただし、その指輪を手に入れるためには、それぞれの指輪を守護する番人に認められなければならない。番人は怪物だったり、場所だったり、人間だったり。その番人の一人が、ウォルスという人間。彼はエリオットに助言したり、協力したり、そして行く手を阻んだり、様々な形で登場する。最終的に、エリオットは彼を倒し、最後の指輪を手に入れる。そして、既に眠りに堕ちてしまったレインを救うために、呪いへと挑んだ。ただ、その呪いを解く方法は、呪いを自らに移すもの。彼は呪いを全て自らに移すことに成功した。そして、ヒロインは助かるのだが、これまで厳しい戦いを続けてきたエリオットの体は呪いに耐えきれず死んでしまうのだ。呪いは彼が指輪をしたまま死んでしまったので、どこへも行けず、彼と共に眠ることになった。
主人公が死んでしまう。バッドエンドだった。残されたヒロインはこの後をどんな風にして生きていくんだろう。この本にはそこから先は描かれていない。自分のために誰かが死んで、愛する人のいなくなった世界を生きていく。バッドエンドの後は、いくら先を描いてもバッドエンドのままなんだ。
展開は面白かったけど、僕はこの話は好きになれそうになかった。
たぶん、ネネコさんにそう言ったら、押し付けるつもりはないって言うんだろうな。
「………」
読み終わった本をもう一度開いてみる。貰ったものだけど、やっぱりこの本は返そう。
「ハルキ君」
その声に一瞬喜びそうになった。でも、もう慣れたものだ。
「リハビリいこうか」
看護婦さんの声なんだ。
「はい」
ネネコさんどこにいるんだろ。ずっと顔を見せてくれない。ずっと顔を見ていない。
僕、もうすぐ退院するのに…。
「あ、すみません。何か書くもの持っていませんか?」
看護婦さんは不思議そうな顔でボールペンを貸してくれた。
***
春も終わりに近かった。桜の木にも緑色の葉が目立ち始めている。あの雨の日桜が散ることを心配したけれど、それは大したことじゃなかった。まだ、薄桃色の花をこの窓から見ることができる。
「いよいよ、明日退院だね」
お医者さんや看護婦さん、相部屋の人たちがお祝いの言葉をかけてくれた。
嬉しいような寂しいような。でも、やっぱり寂しい気持ちの方が少し強いのかもしれない。
結局ネネコさんにはあの日を最後に会っていないんだ。だからあの本も返していない。
ギプスは外れて、簡易の固定だけになっている。まだ松葉杖は必要だけど、足の調子いいし、今日はネネコさんを探して歩いてみようと思う。
でも探すって言ったってどこをどう探せばいいんだろう。誰かが教えてくれるわけでもなし、場所を知っているわけでもなし。
うん、そうだ。分からないなら全部回っちゃえばいいんだ。全部の病棟。全部の場所。さすがに女子トイレとかは確かめられないけど。今の僕なら少しくらい無理したって平気だ。
そう思って歩き出す。
でも、その考えは甘かった。病院は思った以上に大きくて広かった。途中にある休憩室とかで何回も休んだ。僕は全ての病棟を回った。でも、ネネコさんは見つからなかった。
時間がかかった。探せる場所は全部行ったつもりだけど。すれ違いという可能性もあるし。だけど、もう一度回るというのは時間的にも体力的にもつらかった。
僕は自分の病室に引き返した。
「あ、ハルキ君!」
「え、あ、ネネコさん?」
驚いた。だって、ネネコさんがそこにいたんだから。でも、元気そうで安心したんだ。
「大丈夫なんですか?」
「ふん、私があのくらいでどうにかなると思う?」
僕は首を横に振った。
それを見るとネネコさんはにこりと笑って言った。
「聞いたよ。明日退院なんだって?」
「う、うん」
「おめでとう」
「ありがとう」
なんだか少し気恥ずかしかった。
「そうだ。借りてた本返さなきゃ」
僕はベッドの横にある棚からブックカバーのついた本を取り出した。それをネネコさんに手渡す。
「あけだつもりだったけど?」
「やっぱり返します。ネネコさんのお気に入りなんでしょ?」
「ありがとう。全部読んだ?」
「うん」
「どうだった?」
「面白かったかよ。あと、猫かわいかった」
「ふふん、だよね」
何やらネネコさんはご満悦のようだ。
「…そういえばネネコさん、今はどこに居るの? 部屋変わっちゃったみたいだけど」
「ん、A棟の四階だよ」
「A棟の?」
あそこも回ったはずだけど…、見落としてたのかな。確かにちょっと急いで回ったから、そうなのかも。一人で納得した。そしてもうひとつ質問する。ずっと気になっていたことだ。
「ネネコさんてどうして入院してるんですか?」
そう質問すれば病名とか、深く答える必要はないと思った。正直、これは余計な詮索だから。
「私、小さい頃から体が弱くて」
あんなに元気に走り回ってるのに。と、疑いたくなるけど、それはこの間のことで本当だとわかっている。
「ま、仕方ないよね」
ネネコさんは残念そうに笑った。
「さてさて、辛気臭い話はおいといて、今日も問題出そうか」
「えー」
「全部読んだんでしょ! 問題は全部から出ます」
何とかして話題を逸らしたい。
「あ、えっと…」
「と見せかけて、今日は問題出しません」
「へ?」
「その代わり、ちょっと付き合ってよ」
これで問題に挑戦しなくてよくなったわけだけど、なんだか拍子抜けしてしまう。だけど、どこ行くんだろう。
僕は先を歩くネネコさんの後をモタモタとついていく。さっきまで歩き回っていた疲れがとれてない。苦しいっていうほどじゃないけど、怪我していない方の足の裏が痛い。
ネネコさんはどうやらA棟に向かっているようだ。今日回った道だからなんとなくわかった。
階段を上る。階段はもううんざりだけど仕方ない。
まだ上る。
まだまだ上る。
もっと上る。
A棟の四階だ。他の階より小綺麗で落ち着いた場所だ。…あれ、こんな場所あったっけ。
僕らは四階を通り過ぎ、さらに階段を上った。
そこには狭い踊り場と扉が一つ。ネネコさんがその扉を開く。
少しだけ冷たい風が体を刺す。
「屋上?」
「そっ。来たことないでしょ? いい天気でよかったね」
高い柵で囲われた屋上。高さで言ったら五階の位置にある屋上だ。遠くが見渡せる景色はよかった。ちょっと風は強いけど、それでもむしろ心地よいほどだ。
「こんな場所があったんだ」
「意外だけどあんまり知られてないんだ。知ってるのは私みたいに長期入院の人ぐらいじゃないかな」
「こんな場所があるんだったら、ここも散歩コースにしたかったなぁ」
「もっと早く教えてあげればよかったかな」
「そうだよ。今ごろになって教えるなんて…」
「ごめんね。でもここはちょっと特別なんだ」
「特別って?」
「A棟は他の棟より高いの」
「なんでそれが特別なの?」
「そもそもA棟はちょっと他と違うんだよ」
「違う?」
「他の棟は全部三階建てなのに、A棟だけ四階建てなの。知ってた?」
「………あ、そういえば」
そうか。僕は勝手に全部三階建てだと思ってたんだ。だからA棟の四階を見落としていた。どうりで見覚えが無いわけだ。
「でもなんで…」
ポッと口から出た言葉だった。すぐに後悔した。
「四階には、今後病気が治る見込みがない人達が居る場所なんだ。すぐに居なくなっちゃう人達の場所なの」
訊くんじゃなかった。
「ある種の隔離病棟みたいなものかな」
何てバカな発言をしたんだ。
「まぁ、仕方ないよね」
仕方ないなんて…。
「ハルキ君前に言ってくれたでしょ。私の事忘れないようにしてくれるって」
「…うん」
「私、それだけで嬉しいよ」
「そんな…」
「ありがとう」
なんでそんな顔してお礼なんか言うんだよ。なんで僕にそんなこと言うんだよ。僕はどんな顔して明日退院すればいいんだよ。ネネコさんみたいに仕方ないって言ったらいいのか。
「だけど、私の事なんか忘れていいよ。会えなくなるような人の事なんて憶えておく必要ないよ。前と言ってることは逆だけど、ね」
「絶対やだ」
忘れろなんて言うくらいなら、僕の前に現れなければよかったのに。あの日僕にぶつからなければそれでよかったんだ。ちゃんと前を向いて歩かなかったからこんなことになったんだ。本なんか僕に渡さなければよかったんだ。
「ふん、強制はしないけどね」
ぷいと顔を背け、ネネコさんは下りる階段の方へ歩いていった。
ああもうっ! なんでこんな嫌な気持ちになったんだ。最後の最後でネネコさんが嫌いになりそうだ。それは嫌だ。
「ハルキ君、置いてくよ」
「あ、ま、待って」
ネネコさんが踊り場で手招きをしていた。
どうしてそんなに普通にしていられるんだろう。 ネネコさんにとって僕はその程度の友達だったということなのだろうか。そもそも、友達になっていたのだろうか。短い付き合いでは友達になれないのだろうか。確か前にそんな話した気がする。
…言ってることと考えてることは矛盾してばっかりだ。
「ハルキ君!」
「今向かってるって」
簡易の固定だけになって軽くなったはずの僕の足。なのに、キプスをしていた時以上に足が重たい気がする。
「まだ、行きたい場所があるんだから早く」
院内案内みたいなことをしたいのだろうか。今さら感があるけど。
「ほらほら、次はこ…うば……い…に……」
それは前に見たことがある景色だった。女の子の声が途切れ途切れになって、そのまま…。
「!!」
言葉にならない声だった。ここは場所が悪い。今ネネコさんが立っている場所は階段の。
僕は駆け出していた。
ぐらりぐらり揺れているネネコさんに向かって。足が切り落とされるような痛みを感じた。でも、そんなのに構っている暇はないんだ。一瞬でも早くあの場所に行かないと。
ネネコさんの体はもうかなり傾いていた。ああ、その後どうなるかを誰が見ても予測できる。
届くか? 間に合うか? そんな自問も今はロスタイムに繋がる。走れ。あの人が危ないんだ。
「ネネコさんっ!」
跳んだのか、それとも転んだだけなのか、どちらにしろそのおかげで僕はネネコさんを掴むことができた。必死で抱え込んだ。あとは、こちら側に引き上げるだけなのだが、そうもいかなかった。僕の体はネネコさんと一緒に傾いていく。さっき頑張った足はまるで力が入らなかった。片足で踏ん張れるはずがないんだ。
そして僕は、ネネコさんを抱えたまま階段を転げ落ちることになってしまった。
ごろごろごろごろ。最後に聞こえた音は今まで聞いたことがない音だった。身体の中に直接響くような鈍い音だ。それがなんなのかはわからなかった。
そうだ、ネネコさんは?
ゆっくりと首を動かし、ネネコさんを探した。
けれども見つからない。視界が真っ暗でどこに何があるのか全然わからなかった。
***
周囲は暗い。真っ暗だ。
自分の前には道があった。その道はずっと続いていて、その先に塀と門があった。
ここはどこだろう。そう思いながらも道を歩き出す。やけに視界が低い気がする。それに足も痛くない。何より身軽だ。悪い気はしない。
僕が歩くと後ろの道は消えていく。そのせいか、妙に急かされている気がする。よくみれば、自分の前の道もだんだん狭くなっているように見える。
だめだ。急がないと取り残される。僕は走った。思ったより僕は早く動けた。
道を駆け抜け、その先の門を潜った。
その先は夜の学校の図書室のような場所だった。
とても11歳の思考とは思えない…。うぅ、力不足です。すみません。




