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纏綿

 あれ、絡まっちゃったな、という男性の声と、ショルダーバッグのストラップを引っ張られる感覚で振り返る。二メートルほど離れたところに、スーツ姿の若い男が下を向いて立っていた。革靴の紐がほどけている。バッグのストラップに男性の持ち物が絡まったのか、そうでなければ強引なナンパかとも思ったが、どうやらただの独り言だったらしい。


 歩きだしてから、ふと、靴紐が解けたのに絡まったは変だなと気づき、もう一度振り返ろうとして思いとどまった。そういうナンパや詐欺の手口ということも考えられる。早く仕事が終わったというのに、変なやつに絡まれては堪らない。


 駅へと向かう小径こみちを早足で歩いていると、「あー、もう! 絡まっちゃったー」と今度は女性の声がした。さすがに自分には関係ないだろうと歩き去ろうとしたところ、またもやバッグを引っ張られた。


「なんですか」と振り返る。思いのほかトゲのある声を出してしまった。が、そばには誰もおらず、少し離れた場所で大学生らしき女性が、絡まったイヤホンコードと奮闘している姿があった。こちらに気づいている様子はない。


 では何がバッグを引っ張ったのかと周囲を見まわす。電柱の足場か、もしくは看板の出っ張りにでも引っ掛けたのだろうか。しかし、それらしき物は見当たらない。幅の狭い道だから車が通ることはないにしても、自転車や原付きの往来はあるので、できるだけ側溝よりを歩いているのだが、それでもブロック塀との距離は数十センチメートルはある。


 気のせい、それとも自分の肘がストラップに当たり、引っ張られたように錯覚しただけか。立ち止まって衣服を点検する。羽織っている春物のベージュのジャケットを、ボディチェックよろしく上から撫で下ろす。身体をひねり、背中の見える範囲と、テラコッタブラウンの九分丈パンツの側面も確認する。異常はない。


 やはり錯覚だったかと歩きはじめた途端、「おい、絡まってるじゃねぇか!」と年配らしき男性の怒ったような声が聞こえ、身を震わせると同時に背後を振り向いた。五、六十代と思われる白髪の目立つ男性が、停めてある自転車の後輪の前にしゃがみ、スポークに絡みついた糸のようなものを引っ張っている。


 あの年代の出す大声は苦手だ。生理的に受け付けない。路上で独り言を呟くだけでも不審なのに、なぜ怒鳴るのか理解できない。怒りをぶちまけたところで問題が解決するわけでもあるまい。


 男性の声から逃れようと、自然と歩みが速くなる。角を曲がり、交通量の多い大通りへ出さえすれば、あの汚らしいダミ声は騒音で聞こえなくなるはずだ。


 苛立っていたせいか、わたしはろくに左右の確認もせず、大通りに面した歩道へと足を踏み出した。瞬間、眼前に迫る大型トレーラーの運転手と目が合った。




 場が騒然とする中、トレーラーの後輪に絡まった女性を見下ろしながら、輪郭のぼやけた黒い影が呟いた。


「だから絡まってるって、何度も教えてあげたのに」




                              了

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