導き
「ホー、ホー」
夜の森から聞こえる、生き物達の声。規則的なその鳴き声が、森のあちらこちらから聞こえていた。漆黒に支配された森の闇からは、静寂と、今にも何か飛び出してきそうな緊張感が隣り合わせにあった。
「…」
ボクは1人、眠る事なくその夜闇の向こうを見つめていた。今眠ってしまうと、またあの夢の続きが始まってしまう。そんな不安がボクをそうさせていた。…何より、ボクは夜になっても、あまり眠くはならなかった。
―ガザ、ガサ、ガサ。
耳を澄ますと、草を掻き分け歩く様な音が聞こえる。いつの間にか、今まで聞こえていた森の生き物達の声が消えていた。
「…!」
ボクは咄嗟に身構え、静かに眠る彼女を背中で庇いながら立ち上がる。
―ガサガサ。
今まで出会った生き物達とは違う、大きな気配。夢の続きが突如始まる様な、そんな恐怖感がボクを襲う。
―ガサガサ!
漆黒の夜闇から抜け出た影は、木の枝の様な大きな角を持った動物だった。
「…な、なんだ」
緊張の糸が切れ、どっと疲れが出る。一方その豪華な角を持った生き物は、闇に馴染んだ2つの瞳でボクを一瞥すると、また悠々と森の道を歩いていってしまった。
再び穏やかさを取り戻した暗闇の森。夜の世界にはいつの間にか、また生き物達の歌声が戻っていた…。
「ピヨピヨピヨ…」
「ピピピピピ…」
純白の光に包まれた、光の森。朝霧が枝葉の間をゆっくりと霞ませ、木々と大地に湿り気を与えていく。大気中を舞う水滴は“パパ”の光を照り返し、星屑の様に輝き煌く。白い光と瑞々しい朝露に満ちた、気持ちのいい朝だった。
「よく眠れたかい?」
ボクはそう、肩を並べて歩く彼女に話しかける。
「うん。眠っている間も、隣にいてくれる人がいるから」
彼女は小さく微笑みながら答えた。ボクはなんとなく、夜の出来事を見透かされた様な気がして、少し恥ずかしくなった。
「よかったよ」
そんなボクらを、まだ出口の見えない森の小路は導き続ける。少しずつ一歩ずつ、でも確実に。その道の向こうへと。
澄みきった空気を胸いっぱいに吸い込み、朝の森を進んでいく。“パパ”の恵みをいっぱいに受けた草原の大気とはまた違う、森の息吹。どこかひんやりとした透明な風が、前に進むボクの頬を伝い流れていく。
「結構広いんだね…、どこまで続いているんだろう?」
話す話題もあまり無く、そう彼女に問いかけてみる。
「うん…。こんなに大きな森だったなんて、知らなかった」
そう答えながら、どこか遠くを見つめている。そんな彼女の横顔を眺めていると、不意に彼女と眼があった。
「…森の中は嫌い?」
「…え、いや。そんな事はないよ」
彼女の真っ直ぐな眼差しが、ボクの中に潜む不安の種を見透かしてしまう様な気がして、思わず視線を外してしまった。
「…」
そんなボクの様子を、彼女はただ静かに見つめていた。
ボクは、あの夢の続きを確かめたいのかもしれない。その先に、ボクが何をしていたのか、何を怖れていたのか、その答えがある。この森が終わった時に、その景色の向こうに...
葉に残った最後の朝露も零れ、緑の世界を映しながら大地へと還っていく。出発した時にはまだボクらの近くで白く輝いていた“パパ”も、見上げればもう空の頂近くまで昇っていた。
朝の森は静まり返り、時折聞こえるチルルの仲間の歌声だけが小さく木霊している。ボクらを導く小路は、いつの間にか徐々に傾斜がついていた。
「大丈夫? 木の根に気をつけて」
先を歩くボクは、後ろを振り返りながら彼女に問いかける。
「うん。踏んだりしないから大丈夫」
次第に降り始めた小路。木の根に躓かない様、注意しながら進む。…もっとも彼女は、足を採られる事より、木の根を踏んでしまう事の方を心配している様だけど。
「今度こそ、チルル達に追いつけるといいね」
「…うん」
俯いたまま頷く彼女。ボクは、何気なく口にした自分の言葉に、はっとなった。この旅の目的は、彼女をもう一度チルル達の飛ぶ空を見せてあげる事だったじゃないか。彼女の為のはずだった旅路、その目的を忘れたらダメじゃないか。
ボクは頭を切り替え、前を見据えて歩を進める。やがて小路の先に、小さな白い光のトンネルが見えてきた。足下を見てばかりでは、きっと気付けなかったその先に。
…そこが、この世界の終わりだった。