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恵み

 うっすらと白い光が空を包み、再び朝が訪れる。白と黒の境界線が、また世界の天辺目掛けて上がっていく。瞼の上からでもわかる、“パパ”の恵みを受ける世界。

「おはよう」

 どちらともなく、言葉を交わす。

「おはよう、“パパ”」

 彼女はそう歌う様に囁き、空に向け両手を伸ばす。丘の上から眺める世界にも、新緑の海が朝の輝きを葉ではね返し、輝いて見える。

「あれ?」

 丘から望む無音の世界には、どこか違う物があった。

「…あれは?」

 彼女が指差す先をボクも見つめる。草原には木々が数本、あちらこちらに生えていた。たしかに何も無かったはずだったのに、一夜に生えたとは思えないほどの大きさだった。

「カサルカに似てる…」

 彼女がそう呟く。たしかに、カサルカを小さくしたような木々だった。

「不思議だね...」

 ボクから彼女に話しかける。

「そうね。でも、貴方から教えてもらった言葉が使えるから、嬉しい」

 そう言って、彼女は嬉しそうに微笑んだ。


 カサルカの実は、彼女の手に丁度届く位置に生っている。彼女の為の樹の、彼女の為の実は、以前食べさせてもらった時より多く生っている様な気がした。

『…ボクの分も用意してくれたのかな?』

 そう考えながらも、またカサルカの“恵み”をかじる。

「…?」

 先に食べていた彼女が不思議そうな顔をする。ボクも続けて口をつける。

「…あれ、甘い」

 前回と違うしっかりとした食感と、確かにわかる「甘味」があった。

「これだよ! これが「甘い」って味なんだ」

 ボクは少し興奮気味になりながら彼女に言った。

「これが…、味?」

 彼女は瞼を閉じ、味を噛み締める様にゆっくりと租借する。

「これだけじゃないよ。他にも「辛い」とか「すっぱい」とか…、いろいろあるんだよ」

「…たくさんあるんだね」

 木の実を見つめ、ゆっくりと呟く彼女。しかし、その声はどこか寂しそうに沈んでいる様だった。

「…ねぇ」

 彼女の瞳が、急にボクの顔を見つめる。

「貴方は昨日、私に味は「また食べたくなる物」だと教えてくれたでしょ?」

「うん」

 ゆっくりと言葉を選びながら話す彼女。一方ボクは、彼女の憂いの理由がまだわからなかった。

「なら、甘い味がする実は、もっと食べたいと思う?」

 彼女がボクから視線を外し、見つめる先には…。大きく両腕を広げ、時折さざめく大気に緑の葉っぱを揺らすカサルカ。その枝に実る純白の実達だった。

「…」

 ボクは答えられずにいた。カサルカは彼女の為の樹。もちろんその実も彼女の為の実だ。それを、余所者のボクが多く欲する様な事は、しちゃいけない。

 …それでも、カサルカの実が昨日を比べ物にならないくらい美味しくなっている事も事実だった。

「…もし」

 彼女が続ける。

「もし、一日の糧より多く望ませる物が「味」なら、それは「欲」のものだと思う」

 彼女の囁くように微かで、それでもしっかりと意思の強い声。その言葉が、ボクの胸に刺さった。

「そうかもしれないね... でもボクは、カサルカへの感謝を忘れないよ。…あと、君にもね」

 …だから大丈夫。ボクを信じてほしい。

「…ごめんなさい。ありがとう」

 彼女が頷く。

「そうだよね、ごめんね…」

 彼女が申し訳なさそうに首をすくめる。そしてまだ少し憂いを秘めた瞳が、再びカサルカを優しく見つめた。

「私はもう、悲しい事は全て忘れてしまった筈なのに…。まだどこかで、覚えているのかな」

 誰に問いかけるでもない、彼女の小さな言葉。

「・・・」

 大気の流れが途切れれば、再び世界は無音が支配する。

 ボクらは二人、カサルカの影から時折のぞく“パパ”の光を受け、その大樹を見上げていた。


 突然生えた青々とした木々と、味をつけた純白の実。カサルカの姿を眺めながら、朝から起こった不思議な事について考えてみても、ボクには到底わかりっこなかった。白い実達は、“パパ”からの光の加減なのか、少し色づいている様にも見えた。

「…ぁ」

 カサルカを眺め続け首が痛くなってきた頃。ボクは不思議な物を見つけ、思わず声を漏らしてしまった・

「どうしたの?」

 隣にいた彼女がその声に返す。

「1つだけ、色の違う実があるんだ…」

 ボクはそう言って指で“それ”を指し示す。彼女の手が届く位置に生った白い実達より遥か上部、枝葉の隙間に隠されたかの様にその実は生っていた。

「…!」

 隣で彼女が、静かに息を飲むのがわかった。

 他の白い実より一回り小さく見えるその実は、まるで沈む直前の“パパ”の様に、真っ赤に燃える様な紅い果実だった。

「あの実だけ、他の実達と違うみたいだね」

 そう声をかけても、彼女は実から視線を外さず、ただ押し黙ったまま見つけ続けている。

「どうし…」

「それは…、ダメ」

 ボクが彼女の肩に手をかけようとしたその時、今までの中で一番強く、彼女が声を発した。

「ど、どうしたの?」

「あれは…、カサルカの本当の“恵み”なの」

 彼女は慎重に吟味しながら言葉を紡いでいく。

「本当の…“恵み”?」

「そう」

 彼女がゆっくり頷きながら、しばらく口を閉ざす。

「あれはね…」

「…うん」

「あれは…、世界の悲しみをカサルカが救い上げてくれた時に生った、悲しい記憶の“恵み”なの」

 ボクには、彼女の言葉の意味がわからなかった。

「この大地に眠っていた、いろんな哀しい生命を全て集めて…、1つの“恵み”にしたの」

 そう言いながら、彼女は唇を噛み締める様に下を向く。まるで悲しい思い出を堪える様に…。

「…生命の実」

 そう呟いたボクの言葉。それをかき消す様に風は舞い、カサルカがまた揺らめき枝葉を鳴らした。

 天上に輝く“パパ”は、そんなボクらを優しく強く、照らし続けてくれていた。



 空高くで輝く“パパ”は、再び大地を目指し帰路へと歩を進め始める。じきに、朝と夜の境界線が再び向こうの空に現れるだろう。

 世界は、そよぐ風の伴奏と彼女の詩だけが響き。どこまでも続く白い空からは、去り往く“パパ”の穏やかな光を受けて、至福の時を過ごしていた。

 そして丘には、さわやかな大気が通り過ぎていく。

「…なんだろう、これ」

 そよ風の中、彼女の不思議そうな声。

「え?」

「なんだか、大気が不思議…」

 そう言いながら彼女は目を瞑り、くんくんと可愛らしく鼻を動かしている。ボクもそれにつられ、風の匂いを嗅ぐ。“パパ”の恵みをいっぱいに受けた若草の匂いとは別に、優しくやわらかな香りがあった。

「…ほんとだ、甘い匂いがするね」

「・・・“匂い”」

 彼女が瞼を開き、不思議そうな2つの瞳が流れる大気を見つめている。彼女にとって、草の匂い以外で初めて嗅ぐ匂いなのだろう。

「いい匂いだね」

 再び瞼を閉じながら大気を吸い込む彼女に、ボクから話しかける。

「…うん。いい匂い」

 彼女が噛み締める様に頷く。

「この匂いは…」

 ボクは鼻を頼りに風上に匂いを辿る。…その先には。

「カサルカ」

 一緒に匂いを辿っていた彼女とボクが、共に見つめる先には、“パパ”の輝きを一身に浴びる大樹。さらに鮮やかに色づいた果実から、その甘酸っぱい香りを漂わせていた。

「これも…、カサルカの“恵み”なの?」

 彼女が1人呟く。

ボクには、幻想的でどこか寂しいこの世界が、少しずつ色づいていっている様な…。そんな“嬉しさ”と“期待”が芽生え始める。いや、ボクだけじゃない。隣で大樹を見守る彼女も、同じ想いなのかもしれない。

 空と大地と、その大地にそびえる1本の大樹と、“パパ”と“ママ”だけだった世界。そんな世界に1人暮らしていた彼女は、一体どんな想いだったんだろうか?

「…チル、チルル」

 ボクらの上から…、空から軽やかな歌声が聞こえた。

「ぁ…」

 天を見上げた彼女が見上げた先には、大空を舞う1つの小さな影。空と風を讃える様に謳うその影は、ゆっくりと弧を描きこちらへ向かってきた。

「チルチル、チルルルル…」

 その声の主は、小さい身体に真っ白な羽毛を纏い、小さな翼で懸命に羽ばたく可愛らしい生き物だった。

 名前は知らないはずなのに、どこが見覚えのある生き物だった。

「…」

 彼女は食い入る様にその生き物を見つめている。声を出したら逃げてしまうかもしれないので、ボクも黙ってその生き物と、その子に興味津々の彼女を見守る事にする。

「チルル、チルル」

 その小さな歌い手はボクらの上を通り過ぎ、カサルカの枝に止まる。

「チル、チチル?」

 そのまま小首を傾げる様な仕草を見せると、カサルカの実をついばみ始めた。

「Onatik Arakokod AtanA?」

 彼女が枝の下まで行き、懸命に話しかける。初めて出会った時のあの不思議な言葉で。…しかしその生き物は、まるで彼女の事が見えていないかの様に実をついばみ続けている。

「…通じないのかな」

 彼女ががっかりと肩を落とし、ボクの方へと振り返る。

「たまに遠くの空を飛んでいるのを見た事があったけど、こんなに近くで見たのは初めてだったのに…」

 残念そうにそう呟いた。

「…そうだったんだ」

 そう答えたボクは、遠くの空を見つめ孤独に佇む彼女の姿を想い、胸が苦しくなってしまった。

その時彼女は、どんな気持ちだったんだろうか? …ボクにはとても想像できやしなかった。

「もしかしたら、カサルカの実の匂いに誘われて来たのかもしれないね」

 なんとか彼女を元気付けてあげないと。そう思ってみても、なかなかいい言葉が見つからない。結局、そんな事しか言えなかった。

「…なら、この出会いもカサルカの“恵み”?」

 彼女が、枝にとまり夢中で実をついばむ可愛らしい生き物と、大樹・カサルカ。そしてボクの顔を順々に見比べていく。

「…そうなのかもしれないね」

 ボクが彼女に出会う事が出来たのも、この樹のお陰…なのかもしれない。

「なら私は、カサルカがくれた“恵み”を大事に使いたい」

 そう彼女は背筋を伸ばし、深呼吸をしてから、再び枝の下へと近づく。

「…そう言えば、キミはその子の名前は知ってるの?」

 ボクは、未だその名を思い出す事が出来ずにいた。

「…」

 軽やかだった足取りが止まる。

「遠くで見ていただけだから、…名前はわからない」

 気まずそうな答えが返ってきた。

「…そうなんだ。ボクはてっきり、“パパ”や“ママ”やカサルカみたいに名前があるのかと思っていたよ」

 そんな彼女に、苦笑いでボクも返した。

「それは、私がそう呼んでいるだけだから」

 立ち止まり、ボクの方を振り返る彼女には、先ほどまでの元気は失われてしまっていた。

「それでもいいんだよ、キミがそう名づけたなら」

 ボクは彼女を元気付けたい。ただその一心でそう言ってしまっていた。その言葉に、根拠なんてどこにもないのに。それでも、どこかに確信めいた自信はあったのかもしれない。

「名前。私がつけていいの?」

 ボクに。いやその生き物にも訊ねる様に、彼女が問いかける。

「うん、いいと思うよ」

 彼女が「カサルカ」と名づけた大樹は、しっかりと彼女の言葉に答えている。だから、きっと大丈夫。

「なら、貴女は…」

 そこで言葉を切ると、深く息を吸い。

「羽根を纏った空の子、チルル」

 そう謳う様に名づけた。

「チルル?」

 初めて彼女に振り向くチルル。

「…ぁ」

 小さく可愛らしい声で鳴く“チルル”。彼女がゆっくりと手を伸ばすとチルルは枝から舞い上がり…、彼女の指に止まり、「チルル」と小さく鳴いた。

「…よかった」

 彼女がほっとした様に微笑みを取り戻す。

「チルルも独りなの?」

 そう彼女が指の上の小さなチルルに話しかける。

「チル、チルル!」

「え?」

 一際大きな声で鳴くチルル。その見つめる空には、いつの間にか大空いっぱいのチルル達が優雅に列を成して飛んでいた。

「…!」

 雄大で美しいその光景に、ボクも彼女もしばし息を飲む。

「チルル、チルル!」

「チルルル、チルル」

 大空のチルル達も、1羽のチルルの声に応える様に歌う。

「仲間が呼んでいるんだね…。おかえり、チルル」

 彼女は名残惜しそうに指に止まった小さな友達を一瞬見つめ…、その指を天に届ける様に高く掲げる。

「チルル!」

 ボクらへの別れの挨拶なのか。そう一声鳴き、そのチルルは空高く群のもとへと戻っていく。

 “パパ”の光の中に飛び往くチルル。輝きを抜けたその真っ白だった姿は空色へと色づき、同じように空色や若草色に色づいた仲間達のもとに戻っていった…。


 傾き始めた“パパ”の下、ボクらはただ黙って、チルル達の影が空の彼方に見えなくなるまで見送り続けていた。



 向こうの空にうっすらと白い影を見せた“ママ”のゆらめき。朱と黒の境はまた空高くに架かり、別れの色に空が燃える。

 時折、大気が低く唸る様な音を立て、その音に合わせる様に深緑色の草原が波間の様にさらさと靡いていく。ボクの頬に当たる冷たさを増してきた夜の風が、もうじきに暗くなっていく事を告げる。

「…」

 ボクと彼女はまだ、“パパ”の沈み往く空を。チルル達が飛び去っていった赤い空を見つめていた。

「…もう、“ママ”があんなに高く昇っていたんだね」

 反対側の空を見上げ、そう彼女に言った。

「…うん」

 彼女はどこかうわの空の様で、小さく頷くだけだった。

「チルル達は、何処に向かって行くのかな…?」

「え…?」

 彼女の小さな呟きは、ボクの元に届く前に風に飛ばされて消えてしまった。

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