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終末(前編)

 翌朝、僕達は早速、世界を戻す為の術を探し始めた。…と言っても簡単な事じゃない。少なくとも、僕が考えてどうにかなる問題では無かった。

「…ごめん。昨日あれだけ言っておいて、…僕は無力だ」

 昼前には行き詰まり、意気消沈していた。

「これは私が考えないといけない事だから、仕方ないと思う。貴方が隣にいてくれれば、それが私の力になるから」

 励ましてくれている事もわかっているけれど、やっぱり彼女がそう言ってくれる事は素直に嬉しかった。…そして何より、何も手伝えない自分が悔しかった。

「そう言ってもらえると嬉しいよ。…何より、君の笑顔が見れて、本当に良かった」

 僕の言葉に彼女が優しく微笑み返す。そしてまた、2人一緒に考える。世界が良くなる方法を、世界が色づく方法を。

「焦っても仕方ないから」

 彼女はそう言って、ゆったりとカサルカに身を預け眼を閉じた。僕もそれに倣い、彼女の隣に腰を下ろした。

「……」

 のどかな午後、“パパ”は天高くに昇り、世界を暖かく照らす。僕らの上にはカサルカの作る緑の天井が広がり、時折風に揺れて差し込む木漏れ日が眩しいけれど、心地よかった。

「…ぁ」

 一際強い風が丘を通り抜け、僕は息を呑んだ。揺れるカサルカの枝葉のその奥に、その真っ赤な果実は実っていた。深く染まる紅い“恵み”。夕日の様なその果実へと、僕の視線は注がれる。

「…これだ、これだよ!」

 僕は弾かれた様に立ち上がった。午後のまどろみの中にいた彼女が、驚いた様に僕を見つめている。

「どうしたの?」

「見つけたんだよ! これで世界を戻す事が出来るかもしれない!」

 興奮気味に息巻く僕。それとは対照的に、彼女は落ち着き問い返した。

「…一体、どうやって戻すって言うの?」

 そんなまさか。とでも言いたげな彼女の顔。その声色には、どこか陰りがある様な…。

「君が以前教えてくれた、カサルカの“恵み”。その実を大地に還せば、もしかしたら…、カサルカが掬い上げた記憶が大地に戻るんじゃ……」

「それはダメ!」

 僕の言葉が終わるか終わらないかのうちに彼女が声を上げた。…その声は以前聞いたものと同じくらい強く、否定的だった。

「…その“恵み”は世界の生命。その“恵み”を採ったらダメ」

 立ち上がった彼女が、僕の瞳を真っ直ぐに見つめる。いつしか空に浮かび出た暗雲が陽光を遮り、丘に闇が訪れる。

「それが、その実が“生命の実”ならば、その実に詰まった想いを解き放とう。…どうか、僕達“人間”を赦してほしい」

 僕は彼女に訴えかける。僕だって人間を心から愛せているか、わからない。それでも、それで彼女の後悔が晴れるなら、僕は・・・。

「…たしかに、貴方の方法は間違っていないと思う。世界の憂いた生命を救う、“生命の樹”が掬い集めたその“恵み”を大地に還せれば、世界の姿を取り戻せるかもしれない。Adam達が生み出した数多の“知恵”や“想い”と一緒に」

 そこまで言って彼女は俯き大地を見つめる、そして躊躇う様に口を閉ざした。…僕達の間を吹きすさぶ風が、低い唸りを上げた。

「…でも。

 それでも、私の憂いは晴れたりしない」

 再び顔を上げた彼女。その顔は思わず抱きしめてしまいになる、悲しいものだった。

「何がそんなに、君を悲しませているんだい…? 僕じゃ、君の力になれないかな?」

「…どうしてだと思う?」

 彼女に始めて、答えをはぐらかされた。そしてただただ、悲しい微笑みを浮かべるだけで、それ以上は何も教えてはくれなかった。

 暗雲は消え、世界は静寂を取り戻す。それでも僕の胸の雲は晴れず、彼女の悲しい微笑みだけが、いつまでも焼き付いて離れなかった。

「…世界を還しましょう。いつまでも、カサルカに重荷を背負わせているわけにはいかないもの」

 隣で彼女が言った。

「…そうだね」

 僕達はカサルカの樹の下で、その大きな姿を見上げる。一陣の風が抜け、新緑の絨毯を揺らしていく。僕は彼女の手を握り、想いを伝える。

 少しずつ、一歩ずつ、僕達は歩いていく。世界という名の旅路を。



「…今日も芽は出てないね」

「うん…」

 カサルカから少しだけ離れた、よく日の当たる場所。僕達の見つめる先には、何も無い地肌があった。

 “生命の実”を大地に還す事を決めたあの日、僕はカサルカに登り、その実を摘み取った。近くで見るその実は“林檎”によく似た形をしていた。しかし、両手に収まるその実は驚くほど重かった。まさに、“生命の重み”なのかもしれないと感じた。

 そして、その実をカサルカの隣に埋める。その日から3日が経っていた。

「……」

「そんなに見つめてたって急に出てこないよ…。気長に待とう」

 ちらちらと実を植えた場所へと視線を送る彼女。

「うん…」

 そう言いながらも、やはり気になっている様だった。彼女も僕と同じ様に、その芽吹きを心待ちにしてくれているのなら、とても嬉しかった。


 僕は毎朝、朝露を集めては実を植えた場所に水をやる。それが日課になってから、もう6日が経とうとしていた。

 今日もまた朝露を集め、まだ見ぬ若葉を思い描き水を与え…ようと思いその場所に向かうと、小さな緑の羽根が大地から生えている。それは、芽吹いたばかりの若葉だった。

「あ……! やった、ついに生えたんだ!」

「…どうしたの?」

 気がつけば僕の後ろから、まだどこか眠そうな彼女の声が聞こえる。

「見てごらんよ。ついにカサルカの“恵み”が芽吹いたんだよ!!」

 新しく生まれた生命の若葉を指差すと、彼女の顔色が変わった。

「…ぁ。ああ! そうなんだね…、やっと芽吹いてくれたの」

 その場にしゃがみこみ、生まれたての生命を愛おしげに見つめる。その顔は、我が子を見守る母の様に温かく、穏やかなものだった。

「元気に育つといいね」

「…限りある生命だもの。元気に…、立派に育たないと」

 そう言って弱弱しく微笑む彼女。

「在るべき世界、在りし日の風景、いつかはそこに…。

 いつかその“はじまりの日”へと還るのだから、その終末を怖れてはいけないのにね」

 彼女の瞳は遠く遠く、空の彼方へと向けられる。僕は彼女の言葉の意味がわからず、ただただ隣で見守る事しかできなかった。



 新しい生命が宿ってから、また5日が経った。新緑の若葉は若木へと育ち、次第にその姿を変えていく。…しかし、大きく育ったが故に問題があった。

「…やっぱり、水が足りないのかな」

 “恵みの木”の青々と茂る葉達。一方その枝先の葉にまで目を移せば、力なく、少しずつ水気を失い萎れていた。

「もっと…、もっと水を集めないと」

 僕は再び立ち上がり、水を集める為に歩き出した。

「……」

 そんな僕の様子を、彼女は黙って見つめていた。

「…もう1度、朝露を集めてくるよ」

 彼女の方を振り返り、そうとだけ告げた。

「貴方は、もうずっと休んでいないでしょ? それにもう“パパ”も高く昇っているから、朝露は望めないと思うけど…?」

 たしかに、彼女の言う通りだった。“パパ”の日差しが大地を照らしてから、もうかなりの時間が経っていた。今からでは、到底集まりっこないだろう。

「…そうだね」

 僕は今更ながら、生命の重みを思い知った。

「やっぱり、カサルカの様に、強く大きく育てるのは大変なんだね」

「カサルカと、この木は違うもの。

カサルカは世界の生命、無垢なる魂。この子は進化の知恵、限りある生命。2つは対で、似て…非なるものだから」

 彼女はそう悲しく謳う様に話すと、若木へと視線を落とす。

「…とにかく、君にそんな事を言っても、木は元気にならないしね。どこか水がある場所は知らない?」

 僕の問いかけに、彼女は黙って首を振った。

「そうだよね…」

 訊ねた僕も今までに、そんな光景を見たことは無かった。

カサルカは世界の生命。きっと水が無くとも、その樹が枯れる事はないのだろう。

「…水より」

 僕がそんな考え事をしていると、急に彼女が口を開いた。

「え?」

「水より、時がこの子を妨げているの」

 そう言って彼女は、小さな若木の根元に両膝をつく。

「この世界は、“はじまりの時”を繰り返す世界。

怖れも不安も無い世界は、明日を失った世界。世界はまだ見ぬ明日に怯える事なく、平穏の対価に変化を失った。…貴方は、この意味がわかる?」

 祈る様に両手を伸ばし、枯れ始めた枝葉を優しく包み込む。そうして再び手を開けば、見違える様に青々とした新緑の若葉があった。

「…!」

 僕は驚き目を見張った。…しかしその復活も刹那、また葉は萎れ、生気の無い色へと戻ってしまった。

「…それは、君が前に話してくれた、“成長の無い世界”だから?」

 僕の言葉に、黙って彼女は頷いた。

「“はじまりの時”に無いものは消えるだけ。だからこの子も…」

 そう言って僕を見上げる彼女の瞳は悲しく、ただ哀しい微笑みを浮かべるだけだった。

「それでも、その“恵みの木”は、ここまで大きく育ったんだよ?」

 今はもう、座った僕達の背丈よりも大きく育ってくれた“恵みの木”。

「それは…」

 彼女は力なく若木を見つめ、また僕を見つめる。

「…こうしている間も、木が乾いてしまうね。僕は周りを探してくるよ」

 彼女はただ小さな声で「うん」とだけ答えた。僕は丘の周りに水がないか、探して歩いてみる事にした。


 …結局、その日の夜になっても、水を得る事は出来なかった。



 明くる日。朝、と言ってもまだ“パパ”は地平線の向こうに隠れ、蒼黒い夜の帳が空を包み込む時間。僕は起きだし、彼女を残して朝露を集めようとカサルカの下から歩き出す。

 今日こそ、たくさん水を集めないと。そう思い立ち、こうして早朝から朝露を集める事にした。大気は凛として冷たく、清々しい香りに包まれていた。

「…待って、私もいく」

 丘を降る僕の後ろから、声が聞こえた。

「ぁ!」

 振り返れば、さっきまで安らかな寝息を立てていた筈の彼女が、そこに立っていた。

「よく眠っているみたいだったから、起こさなかったんだけど…」

「…私も、世界を戻したいもの。貴方だけにさせたりしないから」

 優しく微笑み、そう答える彼女。

「それじゃあ…、一緒に朝露を集めてもらってもいいかな?」

 彼女は小さく頷き、僕達は一緒に夜明け前の草原に歩を進める。見渡す限り広がる、潤いの新緑の海。その水平線の向こうから、また新しい“パパ”の光が顔を覗かせた。

「おはよう、新しい朝」

 草原を渡る風に吹かれながら、僕達はどちらとも無くそう言った。また、今日が始まる。


「ありがとう。君のお陰で沢山集まったよ」

「私だって…、その成長が見たいもの」

 そう言って優しく微笑み返す彼女。その笑顔の為なら、きっと“恵みの木”だって応えてくれる。

 集めた雫を零さない様に気をつけながら、僕達は丘を登る。瑞々しい若草の香りが立ち込める大気が、朝の草原を包み込んでいた。…しかし、その先にある光景に、僕と彼女の歩みは止まった。

「…そんな」

 彼女が大切に集めた雫が零れ、大地に帰る。

「…枯れてる」

 立ち竦む僕達の前には、枯れ果てた“恵みの木”の姿が。緑の葉は土色に淀み、枝は力なく揺れるばかり…。僕が日の出前に見た姿とは、まるで違うものだった。

「ま、まだ。この水をあげれば…」

 僕の言葉を打ち消す様に、彼女は首を横に振った。

「…もう手遅れ。たとえ水をあげても、この量じゃ…、今日の分の糧にすら遠い」

「……」

 そう言われ、僕は何も言えなかった。彼女の悲しそうな2つの瞳が、僕へと向けられる。

「貴方は頑張ったと思う。ただ、世界が“バン”を認めなかっただけ」

 全身から力が抜けていく。脚が振るえ、突然重くなる。普段何気なくしていた、立つという動作が、突然大変な物に変わってしまう様な。そんな奇妙な感覚だった。

「もう諦めましょう。そして、一緒に暮らしましょう? 私と、この世界で。

 たしかに変化に乏しい世界だけれど…、安息の明日が待つ世界。貴方はこの世界が嫌い?」

 呆然とする僕に、彼女が優しく語り掛ける。でも、その顔はどこか寂しげで、切なげで。自分の想いと、彼女の想い。心が行き違ってしまった様に、もどかしくて。僕には、彼女の気持ちが理解できなかった。僕の表情から、僕の胸の内を察してしまったのか、彼女は小さく「…そう」とだけ呟いた。

 晴れ渡る空の下、果てまで望む雲ひとつない蒼穹の中。天土を結ぶ約束の丘は、静寂に暮れる。


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