出会い
遠く遠く、遥か地平線の向こうに...
右の空には紅く燃える様に輝きの球が、ボクの行く手に光を灯す。左の空からは、朧に照らす揺らぐ光が、足元を優しく照らす…。
ボクは朝と夜の間を歩き続ける。どこから来て、どこに行くのかわからない。ただ、朝と夜が隣り合った静寂の世界を進んでいく。
足元に茂る新緑も、吹き抜ける大気も、その名を思い出すには時間がかかる。なにより、ボクは誰なんだろう?
その名を失くした世界は、幻想的で何処か色の無い世界だった。
地平線の彼方までどこまでも、同じ景色が続いていた。果てしなく続く若草色の海、そこを波打つ様になだらかな丘が続いている。しかしその中に1つ、他と違う物がある。小高い丘の上に、それは立っていた。まるで空に手を伸ばすように高く、大きく。枝葉を伸ばす1本の大樹。
―あそこの丘から見渡せば、何か見つかるかもしれない…。
ボクはその丘に向け歩を進める。まるでこの世界の中心から全てを見守っている様なその場所へ。緑に覆われた丘を登り、序々にその姿が見えてくる。そして、大樹の根元にたどり着く。近くで見上げてみると、それはとても大きく立派な大樹だった。
「Mada?」
不意に、不思議な音がボクに呼びかける。それはこの世界で初めて聞いた人の声。
「Mada omoteros Nab AwatanA?」
聞いたこともない、不思議な言葉。驚いて振り向けば、いつの間にかボクの後ろに現れていた少女は、そうボクに問いかけた。
「ま、マダ?」
かろうじて聞き取れたのは最初の部分だけ。せっかく見つけた人なのに、言葉が通じない事にボクは落胆した。
「ごめん、君の言葉がわからないんだ…」
通じないだろうけど。ボクは彼女にそう告げた。
「…?」
やっぱり言葉が通じていないのだろう。彼女はキョトンとした顔で小首をかしげる。
「ぁ…」
彼女がはっとした様に小さく声を漏らす。
「ごめんなさい。…出会えたのは久しぶりだったから…」
そう彼女は、ボクにもわかる言葉を話した。
それが、彼女とボクの最初の出会いだった・・・。
二つに分かれた空、朝と夜の境界がボクらの真上を通り過ぎていく世界。次第に空を夜の闇が覆っていく。
「天土を讃える空のきざはし、カサルカ」
そう謳う様に名を呼び、彼女は優しく大樹に触れる。
「それが、その樹の名前?」
ボクの問いかけに振り向くが、彼女はまた小首をかしげている。
「“樹”っていうのは、何?」
不思議そうな澄んだ瞳がボクを見つめる。一方ボクは、言葉に詰まってしまっていた。“樹”が何か、どう説明すればいいんだろう?
「カサルカの事を、貴方達はそう呼ぶの?」
答えに悩み、黙ったままだったボクに、彼女から問いかける。
「…そうだね。そういう形をした物を『樹』って呼んでる」
そうは言ってみたけれど、こんな説明するのは初めてだ。
「・・・」
しばらく考える彼女。その間、世界に音がなくなる。
「そう言えば、古い昔にそんな言葉を聞いたかもしれない…」
彼女が噛み締める様に言葉を少しずつ紡いでいく。まるで昔の記憶を掬い上げる様に。
「ありがとう、貴方のお陰で思い出す事が出来た」
そして、顔を上げにっこりと微笑んだ。
―カサカサ。
一陣の風が丘を吹きぬけ、大樹“カサルカ”がまるで枝葉を鳴らしそれに応える様に音を奏でる。
ボクは彼女が「カサルカ」と名づけた理由が、わかった様な気がした。
「もうすぐ“パパ”が消えてしまうけど、貴方はどうするの?」
空の境界線がずいぶんと地平線まで近づいている。ボクらの立つ丘も、夜闇に染まりつつあった。
「“パパ”っていうのは、あの輝く光の球のこと?」
燃え尽きる前の最後の赤を放つ光の球を指差しながら、ボクは彼女に問いかけた。その色は、どこか寂しい色をしていた。
「そう。頼もしくて力強い名前でしょ?」
そう答えながら、彼女も一緒に去り行く朝を見つめていた。
「でも大丈夫、夜には“ママ”が優しく見守ってくれるから」
そう言って振り向いた先には、先ほどより明るく光を放つ朧な玉。蒼暗い夜天を優しく照らす光が、そこにはあった。
「…貴方も、何処かに行く途中なの?」
どこか寂しそうな顔をする彼女。
「ボクは何処から来て、何処に行けばいいのかもわかってないんだ…」
この丘から見渡せば、何かわかるかもしれない。そう考え歩いてきた事。それを彼女に話した。
「…そうだったの。ならここで過ごせばいいと思う。カサルカの“恵み”もきっと貴方を歓迎してくれるから」
彼女の微笑みと、カサルカが風に揺られ枝葉を鳴らす優しい音がボクを迎えてくれていた。
青白い光に彩られた世界。青と黒のコントラストに“ママ”の朧な光が輝きを与えていく。
夜の世界に輝きを与えてくれるのが“ママ”の恵みならば、カサルカの恵みは喉を潤す恵みの実だった。
「これが…カサルカの実なの?」
彼女から渡された木の実は不思議な色をしていた。両手に収まる大きさの小ぶりな実は、色が無く真っ白だった。軽く、感触もあまりない。まるで雲を掴んでいるような気分だった。
「どうしたの? どうぞ」
手に持ったままの実を眺めるボクを、不思議そうに彼女が見つめる。
「大丈夫、そのまま食べて平気だから」
そう言って彼女は、自分の分を少しかじる。ボクも自分の木の実に口をつけた。
「・・・」
真っ白な実は不思議な味がした。やわらかい様なその実には、しっかりとした味がない。甘いようなすっぱいような、それでいてどれでもない様な。喉も潤うし空腹も満たされるかもしれない、けれど「美味しい」という感想はなかった。「食べられる幻」、そんな木の実だった。
「…変わった味だね」
食べ終わり感想を口にする。
「…味って?」
また彼女が不思議そうな顔をした。この世界には「味」はないのだろうか。
「「甘い」とか「辛い」とか…、また食べたいって思うもの…かな」
「…不思議ね」
ボク自身、あまり上手に説明できていなかった。
“ママ”が真上まで達し、“パパ”の輝きを完全に消し去った頃。ボクはカサルカに背を預けながら、空を見上げていた。よく見てみると、“ママ”以外にも小さな光があちらこちらに見える。
「…綺麗だね」
誰も返してくれない事はわかっている。隣では彼女がボクと同じ様に身体をカサルカに預け眠っていた。
ボクは何故か眠くならなかった。ただ黙って夜空を見上げながら、色の無い鮮やかなこの世界の事を考え続けていた…。