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08 自覚

 それからというもの、アルバートは毎日のようにロレーヌの元に通った。

 二人きりで卓を囲み、茶を飲み、花を賛美し、会話を弾ませる。それは今までのロレーヌの生活には無かったことであったが、不思議と心地よかった。

 ロレーヌはロレーヌで、日々の医療に決して少なくないストレスを感じていたのだろう。少しなら気にならなかったストレスも、ずっと溜まっていけば精神を侵す。それをアルバートが笑いかけることで癒され、日々のお勤めにも張りがでるようになった。

 イェレミアスと全く違う『婚約者との語らい』を繰り返すたびにアルバートとの思い出が増えていく。

 アルバートに惹かれていると自覚するのにそう時間はかからなかった。

 半月したころだろうか。ロレーヌの元に煌びやかなドレスが届いた。

 夜会で着るような華やかなものではない。肌の露出もほとんどない。しかし素材からして存在感が違った。いささか腰の部分が細すぎる気がするが、サイズは確かにロレーヌのもの。

 アルバートに「ドレスが届いたのですが」と聞くと、婚約の儀式の礼装だと言う。

 ロレーヌはパチクリと目を瞬かせると、それを見てアルバートは「可愛い」と笑った。

 ドレスが届いてから僅か一週間後、アルバートとロレーヌの婚約の儀式はとても迅速に行われた。

 今まで頑なとして婚約者候補すら取らなかった第二王子の婚約決定なのだから早いのも頷ける。

 イェレミアスの言葉を王が知っていたことも要因である。アルバートが手を回したのだろう。聞かなくても分かる。

 儀式は色気のあるものではなく、どこまでも機械的なものだった。アルバートはおろかロレーヌすらドギマギする様子が無いほどに。なにせ口付けどころか手を繋ぐこともない。それどころか繋げる位置にすら当人が居ない。

 コルセットでギチギチに絞められたお腹が悲鳴を上げる時間が長く続くだけで、ロマンチックな感傷とは程遠い。

 ロレーヌは以前友人が「婚約の儀を受けるのに憧れている」と言っていたのを覚えていたので拍子抜けしたほどだ。

 ゆっくりと長大な時間をかけて行われる儀式。アルバートとロレーヌは顔を上げてはならず、儀式の間に顔を見合わせる事もない。

 憧れを抱けるような婚約の儀式は、きっと王族以外のものなのだろう。だって伝え聞いた内容と全く違う。

 むしろロレーヌの心拍が早まったのはその後の事だ。

 ロレーヌが先に儀式の間から退出し、コルセットを外してドレスを着替える。侍女がその場を離れるのを確認してからお茶を一口。

 一息ついていると、コンコンと控えめなノックの音。

 きっとアルバートだろう。

 着衣に乱れが無いかを確認して、「どうぞ」と許可を……口には出さずに扉へと向かう。

 ロレーヌの手が扉の取っ手を回し、カチャリと音を立てる。

 扉を開きながら、今度こそ「どうぞ」と許可を出した。

 扉の前に居たのはやはりアルバートだった。

「お疲れ様です」

 許可を出して相手が入ってくるのが一般的だが、なんとなく出迎えたかった。

「……あぁ、うん、お疲れ様」

 幾らか呆然とした様子でアルバートが休憩室へと入る。

 普段からキッチリカッチリした服装のアルバートであるが、本格な儀式服を纏った今日は流石に疲れたのだろう。

 ロレーヌが中へ誘いながら仰々しいマントを外そうとする。アルバートはそれに照れたようにしながらマントを手渡すと、続いてグイっとネクタイを下げて首元のボタンを外した。

 少し乱れた服装からくっきりと浮かび上がった喉仏が見えて、ロレーヌは思わず目を逸らす。

「……これは、たまらないな」

 小さなアルバートの呟き。全くもって同感だとロレーヌは思った。

「ロレーヌ」

「はい?」

「儀式の間、ずっと言いたかった。とても綺麗だったよ」

 変に飾らない、シンプルな誉め言葉。それだけでもあの苦しい時間を我慢した甲斐がある。

「ありがとうございます。殿下も凛々しゅうございました」

 返事をすると、アルバートはロレーヌの手を取り、二人掛けのソファへとロレーヌを誘う。

 ロレーヌが腰を下ろす。アルバートはロレーヌの前に立ち、膝を折った。

 ロレーヌがアルバートを見下ろす形になり、今度は服の隙間から鎖骨がチラと見え、視線を右へ左へと動かした。

「これで晴れて婚約者だ。私は飛び上がるほど嬉しいが、君はどうかな。ロレーヌ」

「……実感は無いですね。以前も言いましたが、男女の機微には疎いもので」

 それでも少しばかり変化はある。例えば先ほど『出迎えたい』と自然に思ったこととか。

「ねぇ、ロレーヌ」

 名前を呼ばれると首の後ろがむず痒くなったり、ぞくりとしたり。でもそれが決して不快な感情ではないのが分かる。

 名前など、何度呼ばれたか分からない。だというのに、何故アルバートから名を呼ばれるとこのような感情が沸き起こるのか。

「敬語はやめようか」

「ですが」

「夫婦になるんだよ?」

「まだ夫婦ではありません。婚約者です。時には婚約者であっても夫婦までたどり着かない場合があります」

 詭弁だった。それを望んでいないことなんて、誰が見ても明らかだ。

「……早く結婚式を挙げたいね」

「!?」

 その発言にロレーヌの顔が熱くなる。アルバートが休憩室に入ってかこの短時間で、一体何度顔を赤く染めたことか。

 だがしかし、あまりにも気が急いている発言だ。何事にも順番がある。いや、順番で言えば確かに次はそうなのだが、婚約の儀式をしたばかりでその発言は早すぎるだろう。

 見ればアルバートの顔もほんのりと色付いている。

 赤みがさしたアルバートは酷く色気があった。

「ドレスの色は何色が良いだろうか。ロレーヌの髪は暖かな茶色だから、暖色系がいいかな。それとも純白? あぁ、それもいいね」

 そうやってロレーヌの少し癖の付いた髪を一房掬い、梳く。

「逆に引き締めるために青系でもいいか。あぁ、どんなドレスを着ても似合うんだろうな」

 もう一度掬い、その一房へと口づけを。

「そ、そういうの、流石に恥ずかしいのですけれど」

 どうにも恥ずかしさに耐えられず、腰を上げた。きっと顔は朱に染まっていることだろう。見せられたものではない。

「ねぇ。ロレーヌ」

「なっ、なんでしょう」

「抱きしめていい?」

「はぇっ」

「了承と聞いていいのかな」

「~~~~ッ!」

 クンと手を引かれ、いとも簡単に立たされた。

 ロレーヌの顔がさらに真っ赤に染まる。顔どころか耳、そして首まで赤くなっているに違いない。それを確認してアルバートはゆっくりとロレーヌを抱きしめた。

 ゆっくりと、驚かせないように。だが逆に心臓に悪い。回された腕には殆ど力が入っていない。優しい抱擁だ。

 心臓がバクバクと音を立てて、まるで自分のものではないかのようだった。まるで打楽器で乱打しているかのよう。

 いずれは慣れる時が来るのだろうか。ロレーヌは自問する。

(無理!)

 少なくとも暫くは無理そうだった。

 それでも少しずつ。

(受け入れていきたい……かも)

 今はまだ、抱きしめられて身体が硬直する。腕をどうすればいいのか分からず、中途半端な位置で止まっている。

 誰だ。抱きしめられると安心して身体を全て預けられると言った人は。……足を悪くした新婚のお姉さんだ。

 誰だ。抱きしめられると身体が弛緩して顔が自然とだらしなくなってしまうと言った人は。……いつまでも妻が好きな中年おじ様だ。

 まるでそんな事はない!

 緊張で身体は硬直するし、心臓は全力疾走したときよりも激しく暴れているし、表情だってカチンコチンだ。

 安らぐどころではない。アルバートが身じろぐだけでビクリと身構えてしまうし、なんなら緊張で気を失ってしまいそうだ。

 あぁ、それでも。

「ロレーヌ」

 低い声が耳元で名前を囁く。吐息が耳に掛かり、声が脳を揺らすかのよう。

「好きだよ」

 耳がぞわぞわとして、幸福感に包まれる。

「大好き」

「ひぅっ」

 ぞくぞくと。まるで麻薬のように耳から入り、ロレーヌの脳を溶かす。これ以上はイケナイ。

 クラクラとし始めた頭を必死に落ち着かせようと深呼吸をする。

「ぅぁ……」

 アルバートが小さく呻き、ほんの少し抱きしめられた腕に力が入った。

 アルバートもロレーヌと同じように、深呼吸をする。その吐息が耳元で音を奏で、ロレーヌは落ち着くどころではない。

 そうやって少しの間互いに深呼吸を繰り返していると、ほんの少しだけロレーヌとアルバートの間に隙間が生まれる。

「手を」

「手?」

「うん」

 アルバートはロレーヌの手を取って、胸に当てた。

 トッ、トッ、トッ、と心臓が鼓動を奏でている。

「凄く、早いでしょ」

 ……アルバートもロレーヌと同じように、緊張と羞恥と、それから幸福を感じていたのかもしれない。とてもそんな風に見えなかったのに、この心音は本当の事を伝えてくれている。

「こう見えて、すごく緊張しているんだよ。今だって、ロレーヌの腕を握っている手が手汗でびしょびしょにならないか心配でならないんだ」

「それは冗談ですか」

 緊張をほぐしてくれようとしているのかもしれない。そうであれば少しだけ成功だ。

「まさか」

「えっ」

「幸せで、恥ずかしくて、自分の身体なのに言うことを効かない。あぁ、もう。確かにこれは病気だね」

「病気、ですか。発汗、体温の上昇、不整脈……そうじゃないですよね」

「うん。恋の病」

「……恥ずかしいことを言っているの、自覚しています?」

「勿論」

 少しだけ、腕の力が強まった。少しだけあった隙間が無くなる。それに伴い、何故かロレーヌも少しだけ身体から力が抜けていく。

 今なら、腕を回せるかもしれない。

「ロレーヌ」

「ひゃい!」

 手を引っ込めた。

「婚約でここまで幸せなら、結婚したらどうなっちゃうんだろう」

「……さぁ。私には、よく分かりません」

「……キスしてもいい?」

「そんなこと聞かないでください」

 ……

 ……

 その夜、ベッドで枕を抱いて「ひゃ~!」と悶えている人が居たことを伯爵家のメイドが目撃したとかしてないとか。

 ロレーヌが一つ言えるとすれば……。

 ……男性とは思えないほど、柔らかくしっとりしていた。








 さて、アルバート・ド・レクリプス・ヴェルティはレクリプス王国が誇る外交官である。それも多くの時を外国で過ごす類の。

 ロレーヌと離れることを嫌がったアルバートはロレーヌと共に外国へ行き、外交を行った。特に長く滞在したのは近隣の大国である。

 ロレーヌはロレーヌで外国の庶民相手に、これまた聖女の如く振舞う。

 結局のところ、それがロレーヌのしたいことであり、アルバートもそれを是とした

 流石に最初の頃は知り合いの医師が居なかったため難儀したが、かつて外国諸国へ旅し知識を磨いたというクリフの紹介もあり、そう時間を置かずにレクリプスと変わらない動きが出来るようになる。

 ロレーヌとしても知識を吸収出来ると聞けば遠慮なく赴き、ひたすら貪欲に勉強した。

 外国だろうが関係なくロレーヌの評価は高まり、やはり「聖女様」「聖女様」「いえ、聖女じゃありません」というやりとりをすることとなった。

 ロレーヌの働きにより外交もまた動きを見せる。

 一番顕著なのが「周辺諸国など武力で取り込み、国力を強化すべし」と主張していた過激派である。

 ロレーヌの治療を通し、民が「聖女様のいらっしゃる国に攻め込むとは何事か!」と声を上げたのだ。

 民だけではなく兵士ですら同様の声を上げる。

 戦争に行くのはあくまでも兵士。その兵士が望まない戦いは士気の低下が著しく、とても戦えたものではないだろう。

 何より、一部の戦争容認派の子をロレーヌが助けたのが大きかった。遠くの地で稀にかかることのある非常に珍しい病で、似た症例はいくつもあるが故に大国で行われた治療法は根本的に間違っていた。

 その国の医者からはもはや治らぬと宣言された娘がロレーヌの助言によって完治したのだから、ロレーヌに牙を剥こうとは考えもしなくなる。

 そんな中でも強固な過激派は「聖女を奪えばより発展する」と暴論を展開し、その翌日には置物と見間違うかのように静かになっていたそうだが……ロレーヌにはあずかり知らぬこと。

 両国の外交官同士で様々な議論が交わされ、その結果は他でもないアルバートの手柄である。

 いつだったか、ロレーヌはアルバートに聞いたことがある。

「全部計算ですか?」

 アルバートはニコリと笑みを深めながら、ロレーヌの額に唇を落とした。

 ロレーヌは呆れた顔をするが、別に構わなかった。未然に戦争を防げたのであれば、文句があろうはずもない。

「でも、少しは言ってくれてもいいじゃないですか」

 そう抗議の声をあげれば、

「ロレーヌが善意で自主的にしてくれるからこそ、この結果になったんだよ」

 と耳元で呟かれる。

 耳にかかる吐息と低く甘い声。ぞくりとして顔に血が集まるが、首を振ってからペシリとアルバートの額を叩く。

「まだ、結婚していませんからね。婚前交渉など致しません」

 アルバートは稀に暴走する。それをするにはまだ早いとロレーヌが諫めれば、アルバートは決まって、

「とんでもない。ただロレーヌ成分を補給していただけだ。レクリプス国の第二王子が動くにはこのロレーヌ成分が必要不可欠なんだよ」

 などと戯言をのたまうのだ。

 ロレーヌはそれを聞くたびに愛されていると実感するし、大事にされているとも思うし、「私が居ないと本当に動けなくなるのでは?」と心配にもなる。

「アルバート」

 名前呼びにも随分慣れた。

「なぁに、ロレーヌ」

 それでも未だに、名前を呼ばれると顔がほんのりと熱を持つ。

「いえ、ただ名前を呼びたかっただけです」

「なにそれ可愛い」

 お返しとばかりに抱きしめられ、「可愛い」「大好き」と耳元で囁かれた。

 麻薬のように入りこんでくる言葉に脳を蕩けさせながら、ロレーヌは負けじとアルバートに囁いた。

「私だって……その……大好きです」

 その瞬間、アルバートの目がカッと見開かれ、

「結婚したい結婚しようもうこの国でいいから式を挙げようそうしよう」

 ものすごく早口で欲望を口にする。

「ダメですよ。アルバート。この国では家族を気軽に招待できません」

「あぁー、早く帰りたい。レクリプスなら一刻も早く結婚出来るのに」

「そのためには、アルバートがお仕事を頑張らないと」

 少しだけ砕けた口調でそう言えば、アルバートはロレーヌをギューっと抱きしめた。

「せめてこれくらいは、ね?」

 甘えるような言葉にコクリと頷き、二人の唇が重なった。

 アルバートの唇は柔らかくも少しがさついている。食事による栄養素の見直しが必要かなと、茹で上がりそうな頭で考えた。






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