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02 治療

 仮にもロレーヌは伯爵令嬢。家には本が多く保管されている。

 多くは領地経営に対するものであるが、当然魔術や医学の本も存在する。専属の医者――四十を超えたベテランで、その苦労から白髪が目立つ。いや、「白髪の中に茶髪がある」のかもしれない――だって居るし、その医者が覚書程度に刻んだ木札もある。

 専属医であるクリフを呼び、それらを読んだ。

「先生、これはどういう意味?」

 最初は意味が全く分からなかった。とても子供の読むような本ではなかったが、何度もクリフに聞いて、ようやく少しばかり理解することが出来た。

 クリフは嫌がることなく一つ一つ丁寧に答えていく。

 きっと彼はロレーヌが少しでもシフォンの力になるために行動していると思っているのだろう。間違いではないが、ロレーヌの目標はもっと先にある。

 何度も何度も本を読んだ。寝る間を惜しみ、お茶会に向かう間にも、医学書を読みこむ。

 薬学を。解剖学を。東洋西洋関わらず。時には迷信と呼ばれるものにも目を通した。

 魔術を学んだ。幸いにもロレーヌは多くの属性を持っていた。魔力量は少ないながらも、色々な事に応用出来そうだと己の力に感謝した。

 中でも走査と呼ばれる感知魔術はロレーヌの得意とするものになった。

 薬草の力を増幅するにはどうすればいいのか。人を癒すにはどうすればいいのか。呪いと言われる呪術も多少学んだ。

 民間療法を学んだ。いくつかは全く根拠が無いが、いくつかは薬学と魔術を組み合わせた理論の上になりたっているものもあった。

 そうしてひたすら学んで学んで、学びつくした。それは貴族令嬢とはいえ、子供にはあるまじき集中力と努力であった。

 ロレーヌが十五歳となると、大きなパーティが開かれる。

 その前日のことである。

 シフォンの容体が悪化した。

 これまでも何度も死の淵をさ迷っていたが、今回のそれは一線を画していた。

 十歳まで生きられないと言われた妹は、十二歳を迎えようとしている。今まで生きてこられた方が奇跡だと言えるだろう。

「何が奇跡……ッ! シフォン!」

 ロレーヌは今までシフォンに対し、なんの治療も出来ていない。医学の師すら手を上げる病気に、解が見つからなかったからだ。

 今もシフォンの心臓が動いているのは奇跡としか言えない。しかし、ただ奇跡を願うだけの人生になんの意味があるだろう。

 今動かねばいつ動くのか。妹すら救えずに、一体誰がちやほやしてくれるというのか。

 何のために、学んできたのか。ロレーヌはシフォンの部屋へ駆け込んだ。

 ロレーヌはシフォンを診せてくれるよう父親と母親を説得する。専属医であるクリフが近くにいるのに、少し学んだだけの娘に何が出来るのか。そう言われても引き下がらず、頭を下げる。

 少しだけ。そしてクリフを近くに置くことを条件に、ロレーヌがシフォンを診る事が叶った。

 ロレーヌは不安だった。精一杯学びはした。しかし実際に苦しんでいる人に施術するのは初めてのこと。

「あぁ、シフォン……絶対、助けるから」

 そんな不安も、目の前の妹を見れば吹き飛んだ。

 顔色は青白く、まるで死人のよう。栄養がとれずに頬がこけ、唇も荒れ放題で息をするたびに血が滲む。とても貴族令嬢の姿とは思えず、一瞬たじろいでしまう。

 それでもロレーヌはシフォンに触れる。愛おしそうに頭を撫で、頬を撫で、胸を通り、お腹へ。そのまま足先まで一通り撫でると、再びお腹に手を持っていき、両手を翳す。

 人が触れた場所は痛みが和らぐと言う。

 魔力を集め、シフォンの身体を包む。

 全体を優しく包み込むことで、少しでも苦しみが和らげばいいなと思って。

 ロレーヌは診療を開始する。

 走査の魔術。傷などがあり、動きが鈍くなればそこに異常があると魔術が教えてくれるのだ。そこに治癒魔術を流し込めば効率よく治すことが出来る。ロレーヌは隠れて(当然バレていたが)自ら切り傷を作り、自分の身体で試していた。当然、他者に使うのは初めて。

 包み込んだ魔力から、目立った外傷はなく、外側から悪い所は見つからないことを知る。正確には悪い所はあるのだが、原因は外側には無い。

 今度はお腹から、妹の身体の中に走査を走らせる。体の中に悪い場所があれば、そこだけ魔力の動きが遅くなる。まるで壁があるように。

「……うそ」

 壁だらけだ。それにいくつもの種類の壁がある。

 幾重にも重なる壁を、少しずつ攻略していき、攻略するたびに効果がありそうな術式を頭に思い浮かべていく。

 お腹周りにはひたすら治癒魔術を。右腕には複数の薬草を混ぜた軟膏を塗り込んだ方がいいだろう。左腕は香を焚いて鼻から吸わせればよくなりそうだ。右足は身体を温めよう。左足は指先を魔術で作った冷水に入れたほうがよさそうだ。身体がひたすら弱っているから、人肌程度のおかゆをゆっくり食べさせてあげないと。あぁでも、おかゆでも吐き戻してしまったらどうしよう。

 走査はゆっくりとした速度であったが、身体全体へと走っていく。一際大きな壁があったのは首だ。首から頭にかけて、とても大きなものが邪魔をしている。もはや壁というより、頭大の塊である。

 この走査の様子を見ていたクリフは目を見開いていたが、そんな些細な事はロレーヌの目に入らない。

 頭を総動員して壁を攻略していく。

 これはなんだろう。酷く黒く、重い。

 薬草ではだめだ。栄養剤でもだめだ。治癒魔術も意味がない。香を焚いてもこの壁が邪魔をして左腕には届かない。ここまで醜い壁があるものかと、ロレーヌは冷や汗をかいた。

 何よりも先にこれを処理しなければ、何をしても妹が死んでしまう。

(なに。なに。なんなの。これは)

 あれでもない、これでもないと必死に頭を働かせ、ようやくどす黒いこれが何か思いついた。

 呪いだ。

 一つだけではない。複数の呪いがここにある。

 なんで。どうして。そう思いながら走査を走らせるが、壁は抜けない。

 呪術に効くものはなんだっただろうか。薬学でも、解剖学でもない。

「……こうなったら力業のほうがいいかも。シフォン! しっかりなさい!」

 言葉でシフォンを激励すると、呪いがほんのわずかに揺らぐ。一瞬ではあったが綻んだ。

「?」

 走査は一定ではなく、波を作った。一度でなく、何度も何度も壁に当てる。体の中で走査の魔術が走り、止まり、引き返し、また走る。当然シフォンの負担は大きくなるだろう。

 ……そうだ。呪いに効くのは迷信だ。言葉だ。

(私は聖女じゃないから、杖の一振りで呪いを打ち払うことは出来ない。でも、聖女の真似事をするなら、この程度治せなくては話にならない。……一番効くのは)

 意思。

 呪いの材料となった否定的な感情を否定すること。

「絶対に、負けるんじゃないわよ。私の妹なら、お父様とお母様の娘なら、この程度のことで負けてどうするの!」

 呪いが大きく揺らめいた。

(……あぁ、この呪いはきっと、シフォン自身のもの)

 何もすることが出来ない無力感。父に、母に迷惑をかけ、心配をかけ、こんな自分のために時間をかけてくれている。何もできない自分のために。それが何より申し訳なく思う。せめて嫌われよう、見捨てても構わないのだと我儘を言った。それも肯定された。

 痛みが治まらない。苦しい。死にたい。それでも死なないでと言われ、自ら死ぬこともできない。

 甘い、甘い、虐待のようだ。

 十年近い年月を苦しみ続けた妹の苦悩が、甘やかし続けた両親の愛が、彼女を蝕む呪いとなっている。

 全てを肯定されてきた。甘やかされてきた。

 だから、叱る。否定する。甘ったれるなと。

 そうすると呪いは僅かに緩む。緩んだところに走査を叩きつける。言葉で攻略し、強固な壁に罅を入れ、欠片を落とし、狭い穴を広げていく。

 激を入れるその度にシフォンの身体に活力が戻っていく。

 やがて走査は頭の先まで行き渡る。魔力が身体の先から先まで満ちたことで、叱咤の言葉がより大きく響く。

「呪いなんて知ったものか! 馬鹿にして! 私なんかにこんなことさせて、情けないと思いなさい!」

「おい! ロレーヌ!」

「お父様は黙っていて! シフォンがこんなことになった責任は貴方たちにもあるんですから!」

「なっ、どういう」

「黙れと言いました! だからシフォン、暴れなさい! もっと我儘に、もっと傲慢に、今までの我儘なんて我儘でもなんでもないんだから」

「なん、で」

 か細く、小さな罅割れた声。罅割れた唇から幾筋もの血が垂れる。

「うるさい! 口を開くな!」

 疑問の声すら否定する。声を出す体力があるなら、よそに回すべきだ。

「そのまま死のうとするシフォンなんて大嫌いよ!」

 否定する。今の妹を、今までの妹を。

 ……にへら。

 シフォンが笑った。

 気の抜けたような笑みだった。

 両親がすわお終いかと絶望しかけたその時。

 シフォンの頭からどす黒い呪いがスッと消えた。

「先生! 薬箱!」

「これだね」

 ロレーヌが指示する前に、医療の師はロレーヌが必要と思った軟膏と取り出していた。

 ぶつぶつと呟いていた処置内容を聞いていたのだろう。

「流石先生! 次、右足温めて!」

「任せなさい。君は左足を。あぁ、伯爵。これに魔術で火を付けて」

「えっ? えっ? な、なにを?」

 先生が父親に香を渡した。父は何がどうなっているのかさっぱり分かっていないようだ。

「お母様! 治癒! お腹に」

「た、たすかったの……?」

 呆然と呟かれた言葉に、ロレーヌが激高する。

「呆けるのは後にして! じゃないと死ぬわよ!」

 呪いは消えたがシフォンが死に体なのは変わりがない。その間にもロレーヌはシフォンの左足を氷水に浸ける。すぐさま顔へと移動して唇に軟膏を塗り、癒しをかける。呪いが消えたからか、治癒魔術の通りは恐ろしいほど早かった。早すぎてシフォンの体力を更に奪ってしまうのではないかと思う程に。

「治癒は少し弱めに!」

 右足と左足が少し回復を見せると、今度は少し高い位置に足を上げさせる。指を引っ張り、クルクルと回す。足首を上下させ、ふくらはぎを動かす。

 香の種類を変える。横向きにして背中を数回、心臓の音に合わせて叩く。クタリと動かないシフォンの瞼を指で開け、瞳孔を確認。部屋の明るさを少しだけ落とす。

 とにかく手が足りない。自分一人の力じゃまだ妹は救えない。それだけ限界ギリギリだ。

(こんなのじゃ、足りない……)

 目標とする存在なら、これを全部一人で処置できるだろう。

 知識はあっても、魔力が足りない。力が足りない。間に合わない。じわりと視界が滲む。白いシーツにポツンと雫が落ちる。

「ロレーヌ。顔を上げろ。自信を持て。けれど、自分だけが医者と思うな」

 クリフの手がロレーヌの頭に置かれ、二度、三度、軽く叩かれる。

「使える者は使うんだ。指示すれば私も伯爵も、君の指示に従うよ。……一緒に君の妹さんを救おう」

 頭を振って、涙を振り払う。

(足りないものだらけだけど……なれるかな)

 きっと妹を救えれば、憧れの存在に少しでも近づくことができるだろう。

(やっぱり、先生は凄い)

 諦めかけた未熟な見習いに力をくれた。おかげで冷静になれた。

 間違いなく最初よりも良い方向に向かっている。

 あと少し。

 ロレーヌは柔らかな橙色の光を手のひらに浮かべながら、父に、母に、クリフに、老齢のメイドに指示を出し始めた。

 戦場もかくやと思うほど忙しなく動き回って一通りの処置を終え、ようやく一息。

 食べるというより飲むに近い粥も準備した。シフォンはこれで生き延びることが出来るだろう。そんな確信があった。

 身体が重い。魔力が尽きかけている。とてつもない疲労感に襲われる。救ったという確信はある。それでも不安は尽きなかった。

「……君は、凄いな」

 クリフの言葉に、ロレーヌの瞳が滲んだ。

「先生」

「大丈夫。私が保証しよう。処置は全て的確で、多くの属性を使える君にしか出来ないものだった。シフォン君を救ったのは、間違いなく君だ」

「……はい」

 不安は薄れ、達成感が胸を包んだ。

「ロレーヌ……」

「お父様」

「……ありがとう」

 父の感謝に。

「ロレーヌは私の誇りだ」

 父の喜びに。

「……あぁ、なんだかぽかぽかとして、とても気分が良いですわ」

 この日、ロレーヌ・レ・エヌマリシュ伯爵令嬢は聖女となった。

 ……否。

 ロレーヌは決して聖女ではない。だからこそ、ロレーヌは聖女という言葉を否定する。

 ロレーヌ・レ・エヌマリシュ伯爵令嬢は――偽物聖女となった。







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