〈2〉不機嫌と好奇心
「カイル・ランドルです。よろしくね」
ふにゃりと笑いながら差し出された手を気に留めず、ジルフィアはそっけなく挨拶を返す。
「ジルフィア・ランスバードです。始業時間なので教室に向かいます」
スタスタと一人歩き始めるジルフィア。内心では、早々に失敗したかとドキリとしたが、相手が気に留めていないようなので、気にせずやり過ごすことにした。ただ、学院長は青い顔をしていたが。
自分が“やっかいごとのタネ”と呼ばれていたことに、カイルは気づいていた。しかし気にする素振りは一切なく、立ち去るジルフィアの後ろ姿を興味深かそうに見つめ、やがて小走りで追いかけ始めた。
「聞いたよ、ジルフィはすっごい優秀なんだってね」
「さぁ、どうでしょう」
カイルはジルフィアに追いつき、好奇心をそのままぶつけながら隣で歩調を合わせて歩く。
ジルフィアはいきなり馴れ馴れしく愛称で呼ばれ、初対面にしては不用意に距離を詰めてくるカイルに、少なからず嫌悪感が湧いた。距離を置くためにわざとそっけない態度で応じているのに、カイルは怯む気配がない。
無駄に広い学園は、中庭を囲う長い回廊を進んだ先に各階層ごとの教室が並ぶ。貴族の子供が通うだけはあって、校舎はどこを見渡しても豪奢な造りだった。つきまとう彼から解放されたくて、自然とジルフィアの足取りは早くなる。
「ジィーもやっぱり卒院後は師団入りを狙ってるの? それとも政務志向? あ、知ってると思うけど僕にツテなんてないからね〜」
一人でペラペラ話を続け、勝手にコロコロと呼び方を変えていくカイル。
ジルィアは、卒院後の進路について尋ねてくる人間が大嫌いだった。ジルフィアは学院内でただ一人、卒院したら王宮勤めはせず、実家に戻ることを望んでいる。反面、成績が優秀だからこそ、普段から王宮内のどのポジションを志望しているのか聞かれる機会は多かった。というよりも、講師や生徒の大半の興味は、そこにしかなかった。卒院後にいかに上の地位に就くか、上の地位に就く可能性のある人間と関係を築いておくか─。
自分の価値観、国の価値観に縛られ、それを前提として接してくる人たちが大多数を占めるなか、ジルフィアは自身が異質な存在だということを分かっていたし、進路についての話題は、無視すると決めていた。
「殿下には関係のない話です」
「殿下とか柄じゃないから呼び捨てでいいよ〜 敬語も堅っ苦しくて苦手なんだよねぇ」
「………私は無駄話が苦手なんだけど」
「はは! さすがにそんな辛辣な態度を取られたのは初めてだよ!」
睨みつけながらキツい印象で返事をしたのにも関わらず、カイルはより一層、好奇心を搔き立てられた様子ではしゃぐ。さすがに一言文句でも言ってやろうかとジルフィアが立ち止まったと同時、カイルは唐突にジルフィアの前に進み出て、目を覗き込むように顔を近づけた。
「ジィーは素直でいいね! 気に入ったよ! 」
「!?」
────ドンッ!
気がつくと、鼻と鼻が付きそうなほど近くにあった顔は20歩以上離れた場所で呆気にとられた顔をしていた。
突然、顔が近づき驚いたジルフィアは、咄嗟に左手を突き出し、カイルを突き飛ばそうとした。力が入り、無意識に魔術が発動してしまったらしい。反射的に発動できるほど、魔術は簡単ではない。普段であれば時間をかけ魔術陣を構築し、詠唱が必要なこともある。咄嗟に“離れろ”と強く念じただけで一人の人間を吹き飛ばす威力の魔術が発動できたのは、ジルフィアの生まれ持った才能の高さゆえだろう。
まともに受けたカイルは回廊の柱に叩きつけられ、そのまま床に座り込む。しばらく呆然としていたが、やがて感動と興奮で声をあげた。
「すっごー!」
「………やばっ」
初めて二人が出会った日────。
魔術の才能を目の当たりにし深く感動するカイルと、さすがに少し焦るジルフィア。そして騒音を聞きつけた講師と生徒が集まり、魔術学園は久々に、ちょっとした騒動に包まれた。