銀閃の怨執
ミランダの家に到着してすぐ、有無を言わさずに寝かされた時、カレン・セラムフリードは夢を見ていた。
街の人々に吸血鬼と罵られ、姫様にも見捨てられ、独りで死んでいく夢だ。
自分は吸血鬼なんだ。親の仇で、憎くて、人間を平然と殺すような存在。その仲間だったんだと自分に、世界に絶望しながら、死んでいく。
それはおそらく、あり得た未来の可能性で。
……孤独は嫌いだ。
両親が死んだ日を思い出すから。吸血鬼の魔の手から救えなかった多くの命を思い出すから。
お前がもっと強ければ死なずに済んだはずなのに。目の前で死んでいった人々が、自分を責めているような錯覚を覚える。孤独を感じる夜は、よく独りで泣いていた。
でもそれは、人前で泣かない為だ。私は、吸血鬼殲滅騎士として、姫様を護る者として、いつだって強くなければならない。
もっと強く。吸血鬼を殺して、殺して殺して殺し尽くせるくらい強く。そしていつか、吸血鬼を皆殺しにしたら。
その時は……。
「おかしい」
ミランダはカレンの瞳を覗き込んで呟いた。
波瑠とカレンがおつかいから帰ると、しばらく休むようミランダに言われた。二人で他愛ないお喋りをして、その間にミランダは夕食の用意をしてくれた。
波瑠は手伝うと言ったが聞き入れてもらえず、言われるがままリラックスした時間を過ごした。
夕食後、ミランダはすぐにカレンを調べ始めたが、一通り調べた結果出た言葉がそれだった。
「そもそも吸血鬼ならアタシの目で解るはずだ。鈍ったかねぇ?」
「他の現役騎士でも判別出来ないそうです」
「となると、吸血毒じゃない別の何かだね」
波瑠は内心落胆する。吸血毒だったとしても解決法はないのだが、それを探すことは出来る。だが、原因不明の吸血衝動となると振り出しだ。展望が見えるかもしれないと期待しただけに、ガッカリ感もひとしおだった。
カレンも似たようなことを思ったのか、表情は浮かない。
ミランダだけが、楽観的な笑い声を上げている。
「ま、世の中には解らないことの方が多いからね。気にすんな気にすんな」
チラリと波瑠に目を向けたのは、波瑠の能力のことも指しているからだろうか。
ミランダは適当な思いつきを言い出した。
「魔術の一種かもしれないね。吸血衝動を引き起こす魔術」
「魔術なんてあるんですか?」
波瑠は素直な疑問をぶつける。聖剣の泉を見た人はカレンを含めて必ず驚いていたから、魔術とかそういう呪術的なモノはないのかと思っていた。
ミランダへの問いには、代わりにカレンが答えてくれる。
「魔術が使えるのはごく一部の人間だけよ。生まれつきの才能だから、後から覚えようとしても無理ね」
「補足するなら、魔術の使い手は希少だから必ず国が大事に抱えてる。君も魔術を披露したなら、国から目をつけられるだろうね」
つまり、魔術使いは国に迎え入れられ、少なからず有名になるということになる。波瑠のそれは魔術ではないが、そんな野暮なことは当然黙っておく。
しかしながら、波瑠に一つの疑問が浮かぶ。
「吸血鬼殲滅騎士は普通の人よりずっと強いですよね。なんでなんです?」
超能力も持たないのにあんな身体能力を発揮するのはまず不可能。となると、吸血鬼殲滅騎士は魔術が使える人だけで構成されているのだろうか。
答えは、やはりカレンから発せられる。
「吸血鬼殲滅騎士になるには、ある薬を飲むの。それを飲んでも死ななかった者だけが力を手に入れられる」
「死な……なかった?」
「そうよ。生き残るのは五人に一人くらいかしら。あぁ、でも男が飲むと絶対に死ぬわね」
知らなかった。騎士になるだけで、そんな覚悟が必要だったなんて。
命を懸けて戦うために、命を懸けて投薬を受ける。それがどれだけの覚悟なのか。現代を生きた波瑠には想像も及ばない世界だ。
やっぱり、僕は甘い。甘すぎる。そう、波瑠が考えた時だった。
「……お客さんだね」
「みたいですね」
ミランダとカレンが殺気立つ。椅子を飛ばさんばかりの勢いで立ち上がり、外へと駆け出した。
勢いに圧されるように、波瑠も慌てながらついていく。
外へ出ると、銀色の輝きが目に入った。暗闇に映える、美しい煌めき。
「こんばんは、元隊長」
「シェリル……!」
身長の倍はあろうかという長大な槍を手にしたシェリルがそこにいた。
たった一人で。
カレンとミランダは素早く視線を飛ばし、伏兵の存在に気を配る。そんな様子を嘲笑うように、シェリルの銀色の髪が風になびく。
「心配しなくても私だけよ」
「……ハル、長剣」
カレンの呟いた言葉の意味など、考えるまでもない。波瑠はすかさず長剣を呼び起こす。
「聖剣の泉。煌剣カラドボルグ!」
シェリルの持つ槍にも劣らない長さの剣が出現し、カレンの手に渡る。カレンはそれを片手で軽く振り回し、先手必勝とばかりにシェリルへ突撃する。
重たい大剣を持ちながら、風を置き去りにする速度で紅蓮の少女が駆ける。
「ハアアァァ!」
「フフ、せっかちね」
圧倒的な速度と質量を持った斬撃が、シェリルの槍と衝突する。目に見えないほどの速度で幾度も金属が擦れ、ぶつかり、甲高い音が闇へ反響する。
波瑠は自身も参加すべきか迷い、遠距離攻撃が可能な剣はないか考える。しかし、それを取り出そうと聖剣の泉を作動させた時、ミランダに手で制止をかけられる。
「……周りをよく見な」
言われて周りを見れば、闇に紛れ、影が蠢いていた。人の形をし、槍を手にした真っ黒な影。不気味な姿のそれが、いつの間にか四体でミランダと波瑠を囲んでいた。
完全にカレンと分断されている。
「シェリルの魔術による人形だ。片手剣を出しな」
「は、はい! 聖剣の泉。聖剣カリバーン!」
ミランダの手に、聖剣が握られる。ミランダはニヤリと笑いを浮かべ、
「いい剣だ。ハルは隠れてな!」
「で、でも!」
「邪魔だっつってんだ! 他に出来ることを探しな!」
そう叫び、不気味な影へ向かっていった。
波瑠は戦う二人を見ながら強く奥歯を噛み締め、身を翻して家屋の中へ逃げ込んだ。
「くそっ!」
やっぱり僕は、戦場にはいられないのか……っ!
……いや、違う。そうじゃないだろ黒川波瑠。言われたばかりじゃないか。僕には何が出来る。考えろ、考えろ!
波瑠は外から聞こえてくる剣戟の音をシャットアウトするかのように、思考の海に沈んでいった。
彼を狙う者の気配にも気づかぬほどに。
剣と槍がぶつかりあう。紅き騎士と銀色の騎士が、互いの命を奪うために刃を放ち、防ぎ、牽制し、死を投げつける。
殺しの中、紅髪は問う。
「シェリル! アンタ、なんで私に殺意を向けるのよ! 恨みでもあったわけ!?」
「貴女が嫌いだから……それ以外に理由が必要かしら?」
「言えばよかったじゃない! 私に非があるならちゃんと治すわよ!」
ギラリとした目がカレンを射抜く。思わず背筋を走った恐怖を、鍛え上げた精神力で無理矢理に抑えつけた。直後、顔面を狙って槍が高速で突き出される。首を捻り、最小限の動きでギリギリでかわす。
刃が掠めた紅い髪が、短く宙に舞う。カレンがバックステップで射程の外へと逃れると、黒いオーラが立ち上るかの如く、シェリルから憎しみが溢れ出る。
「そういうところよ……そう言いながら貴女は私から全てを奪っていった! 騎士達からの信頼も! 隊長の座も! 姫様の隣も!」
「なっ!?」
激流のような怒りが、カレンに初めて向けられる。抑圧された奔流は、溢れ出た以上、もう止まることはない。
相手を呑み込み、圧倒するだけだ。
「私はずっと昔から姫様をお守りしてきた! 貴女と違って私は魔術だって使えるのに! 私が姫様を一番想っているのに! 貴女が来てから姫様はカレンカレンカレンカレンカレン! 見たこともないほど楽しそうに……! 貴女さえ……貴女さえいなければッ!」
「そんなの私のせいじゃ……っ!」
「許さない……! 姫様の前で恥をかかせてから殺してやるわッ!」
殺意を持った刺突、斬撃。牽制も防御もない。全てが気の乗った殺しの攻撃。カレンは否が応でも防戦を強いられる。
気迫で負けたら負ける。それは、根拠のない精神論などでは決してない。
「アハハ! アレを飲んだ貴女は吸血鬼に成り果てた! 全てを失う苦しみを味わいながら死になさい!」
「アンタ、私に何かしたの!?」
「答える必要はないわッ!」
シェリルの殺意が、攻撃が、さらに速く、苛烈になる。カレンはそれを捌き、かわし、往なし、防ぎ、スレスレのラインで無傷を保っていた。
このままでは負ける。死という冷たい闇が首筋にヒタリと当てられるような感覚を感じ、それを弾き飛ばすため、カレンは叫んだ。
「ハアアァァァァァァッ!」
刃を振り、死線の中を前へ進む。殺されるとか死ぬとか、そんなことは考えない。感覚の全てを目の前の女に注ぎ、殺しにいく。
実力はほぼ互角。だが、それはあくまでカレンが手加減をしたらに過ぎない。一対一での戦闘において、本気のカレンは絶対に傷を負わない。
戦闘時に使う特殊な呼吸法に変え、息は鋭く、短く。敵からの攻撃は的確に、危なげなく防ぎ、敵の意識の隙を確実に突いて手傷を負わせる。
大振りで派手な技を使わない。しかし、カレンの一振りは相手に必ず傷をつけ、一歩を下がらせる。カレンが攻撃を繰り出す度に戦局はカレンの有利に傾いていき、相手は小さな傷が増え、鮮やかな血の華が次々と咲く。
故に、ついた二つ名は紅薔薇。最後には、返り血すら浴びない紅い髪の騎士だけが残る。
「…………」
「くっ……!」
魔術人形をミランダに向けているシェリルは一気に押され、防戦一方。攻守は完全に逆転していた。未だシェリルは傷を負っていないが、何かのミスか、疲労か、偶然によって一撃が入った時、シェリルの敗北は確定する。
シェリルに余裕はない。人形に指示を与えることも、余計な言葉を発することも出来ず、息を乱して一歩、また一歩と下がっていく。ミランダが参戦してこないことで辛うじて人形が善戦していると判別出来るが、もはや目の前の悪鬼に殺されるのを待つばかりだった。
そして。
「くぁっ!?」
ついにカレンの剣がシェリルの肩を掠めた。血の華が咲き、散る。それでも一切緩まないカレンの攻撃。シェリルの動きはダメージによって鈍くなり、傷が加速度的に増え始めた瞬間。
「そこまでだ」
戦局の決まりかけた戦場に、新たな影が舞い降りた。
その声を発したのは一人の男で、屋根の上に立っていた。カレンもシェリルも、人形を三体破壊したミランダも、その男へ目を向ける。
男は月を背に立っており、見た目としては二十代前半程度に見える。深淵のような黒い瞳が印象的だった。彼は小脇に抱えていたそれを、カレン達に見せつけるように掲げる。
「この少年がどうなってもいいのなら、話は別だがな」
「ハル!?」
乱暴に襟首を掴まれている波瑠は気を失っている。
舌打ちをするミランダと、緊張した面持ちでいるカレンを見て、男は低い声を落とす。
「俺の名はイクリプス。利害の一致から、シェリルと共闘関係にある」
イクリプスは波瑠を肩に担いで大きく跳躍。シェリルの隣に着地した。シェリルは血を流しながら後退していく。
その表情は愉悦に満ちていた。
「フフ。この子を取り戻したかったら城まで来なさい。三日後までに貴女が来なければ、この子は殺すわ。なんの罪もない、この子をね」
「ハルは関係ない! 私が憎いなら、私を殺せばいいじゃない!」
「ダメよ。貴女には死より深い苦痛を与えてやるんだもの」
カレンが言葉を返すより先に、シェリルは嘲りと悦びの混じった笑いを残し、イクリプスとともに消えていった。
後には、カレンとミランダ。それに、波瑠が作り出した二振りの聖剣だけが残される。
「ハル……ハルーーーーッ!」
少女の叫びに答える者はなく、ただ闇夜に虚しく響いた。