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月夜の逃走劇

 



 人々が寝静まった深夜。レンガ造りの屋根の上を一つの影が闇の合間を縫うように跳んでいく。その影は紅い髪をなびかせ、軽やかに跳躍を繰り返す。


「この服、まだ慣れないわ」


 素肌の上にワイシャツ一枚、という扇情的な格好をしたカレン・セラムフリードは独り言のように呟くが、それに答える者があった。


「僕もまだ慣れない、かな」


 波瑠はるである。ちなみに、彼の言う「慣れない」には三つの意味が込められている。一つはワイシャツ姿の女の子を見ること。もう一つはワイシャツ無しで学ランを着ること、そして最後に、


「お姫様抱っこかぁ……」

「我慢しなさい。アンタは全然跳べないんだから」


 まさか高校生になって、お姫様抱っこされる側を経験するとは思いもしなかった。ちなみに波瑠はする側も経験したことがない。


 ふわりといい香りが漂い、波瑠の鼓動が高鳴った。カレンが「掴まってなさい」と言うから腕は彼女の首に回しているが、波瑠の精神衛生上非常によろしくない。

 しかし、そんな煩悩もカレンの言葉によって霧消した。


「そろそろ追っ手が来る頃ね」


 カレンは地下牢の扉を斬り裂き、見張り番を殴り倒すことで黙らせて脱走している。とりあえずここまで逃げて来れたものの、そろそろ倒された見張り番が発見されていてもおかしくなかった。


 カレンは足を止めることなく問う。


「で、どうやって私が吸血鬼じゃないことを証明するのか、ちゃんと考えてるんでしょうね」

「……一応」

「一応って何よ。ハッキリしなさい」

「僕だって解らないよ。部外者なんだから」


 そもそも、吸血鬼がなんなのかも波瑠は知らない。小説には多くの情報はなく、基本的にカレンの短い人生を追うような内容だった。


 波瑠はまだ、カレンの人生を小説で読んで多少知っているのだとは伝えてはいない。それも言わなければ、とは考えているのだが。

 なんにせよ解らないことは訊くしかない。


「カレン、そもそも吸血鬼ってなんなの?」

「知らないわ」


 間髪入れぬ即答が返され波瑠は戸惑うが、カレンは追加で情報を寄越す。


「よく解ってないのよ。解ってることと言えば……かなり昔からいること、人間に化けられること、人間に対して吸血を行うこと、吸血鬼に吸血された人間は数時間の内に死ぬこと、人間よりも身体能力が高いこと、本来は瞳が紅いこと……くらいかしら」

「どこから生まれるとか、そういうのは?」

「さぁね。人間みたいに生まれるのか、どこかから発生するのか、その辺はさっぱりよ」


 まるで妖怪のようだと波瑠は思う。昔からいる割には謎が多すぎるような気はするが、やはり妖怪のような存在なんだろう。科学も発達しているようには見えないし、死体を拾ってきて解析すればいい、なんて思う波瑠の感覚とかなり違うのは明白だ。


「謎が多いってことは、吸血鬼に仕立て上げるのも簡単、ってことだよね」

「どういうこと?」

「例えばカレンは吸血衝動に襲われて、本来青い瞳が一時的に紅くなった。吸血鬼の証拠が2つあるんだ」

「そうね」

「けど、それ以外は普通の人間。人間として生きてきた歴史もあるし、人間っぽい特徴の方が多いくらいだ。なのに捕まってしまった。それは、研究が足りなくて、吸血鬼はこういうものだって枠組みが足りないからなんだ」

「つまり、私がどんなに否定しても、新種とか、変わり者の吸血鬼だと思われるってこと?」

「そうだね」


 カレンが吸血鬼かどうかということを確かめる手段は今のところない。もしかしたら本当にカレンは吸血鬼なのかもしれない。ただ、そうだとしても波瑠のやることは「カレンは人間と何も変わらない」と見せつけることだ。


 その為に出来ること……吸血鬼というだけで過去が全て帳消しになって死刑になるような世界で、カレンの信用を取り戻す方法は……。


 そこまで考えた時、カレンが突然足を止めた。背後を振り返り、素早く屋根の上から降りた。波瑠をそっと腕の中から降ろし、ようやく波瑠はお姫様抱っこという地味に恥ずかしい体勢から逃れた。


「どうかした?」

「……追っ手よ」


 音もなければ、見えてもいない。波瑠には解らないが、どうやらカレンには気配を感じ取れているらしい。


 カレンは虚空を睨むようにしながら、


「……ハル、武器を出しなさい」

「えぇっ!? その、悪いけど僕はとても戦えるほどの能力はなくて……」

「バカ。そんなの、牢から出る前に解ってるわよ。あんな下手くそな剣の振り方のヤツが強いわけないわ」


 現代にいる時はなんとも思ってなかった波瑠だが、カレンに言われてひっそり傷ついたのは彼女への憧憬があるからだろうか。


 そんな波瑠の心など露知らず、カレンは波瑠に鋭い声を飛ばした。


「でもね、アンタを抱えて逃げるのは無理。私のサポートとして戦いに参加してもらうわ」

「ど、どうやって!」

「私の指示通りの剣を出しなさい。素早く」

「僕なんかにそんなこと……」


 波瑠の頬を不意にカレンが摘まみ、痛くない程度の強さで横に引っ張る。カレンは歳相応のチャーミングな笑顔を見せた。


「大丈夫。アンタは私が守る。傷一つつけさせやしないわ。だからアンタは私に剣を渡すことだけを考えなさい」

「戦いは無理だよ……僕じゃ……」

「気負わないの。私はアンタを戦力としてはぜんっぜん信じてないから。最初から準備しとけば、アンタの対応が遅れてもなんとかなるわよ」


 波瑠の頭に浮かぶのは、現代での記憶。こちらで密度の濃い時間を過ごしてきたせいで忘れがちだったが、つい昨日までは落ちこぼれの烙印を押された高校生だったのだ。


 嫌だった。絶対に足を引っ張る。波瑠が自身の意思でカレンを連れ出したのに、いざ戦いとなると覚悟が決まらない。彼にとって誰かと戦うというのは、負けることだから。


 しかし、波瑠の覚悟が決まろうが決まるまいが、その時はやって来る。

 彼らの正面、屋根の上からいくつかの影が飛び降り、立ち塞がるように着地した。


「捕まって一晩経たない内に脱獄、っていうのは隊長らしいですね」

「アイリス……」


 吸血鬼としてのカレンを狩りに来た女騎士が五人。その隊を束ねているのは、波瑠を保護し、安心を与えてくれたアイリスだった。


 アイリスの青い瞳が波瑠を一瞬捉え、油断なくカレンに向けられる。


「……ハル、早く」


 カレンが小さく、波瑠にだけ聞こえる声で言う。波瑠はアイリスがいることに戸惑い、迷いながらも能力を発動する。


「……聖剣の泉カリバーン・プログラム


 光の粒子がカレンの手元に集まり、一振りの鞘付きの剣の形を成していく。この世界ではまず見ることのない、日本独自の剣。


「出でよ、絶刀座頭市」


 一見、杖のようにも見える木の鞘。仕込み刀と呼ばれるそれがカレンの手によって抜き放たれ、中世風の街並み、紅き髪の少女、ワイシャツ一枚、刀という不揃いな要素が一同に会する。


 吸血鬼殲滅騎士ヴァンプ・キル・ナイトは波瑠の聖剣の泉カリバーン・プログラムに驚愕し、カレンはその不思議な剣を興味深げに観察する。


「変な形の剣ね」

「片刃の剣だから、斬らないで打撃にも使えるはず。だから……」

「はぁ。ハルは甘すぎるのよ」


 カレンは溜め息をつき、刃を内側に向けた座頭市を片手で構えた。慣れない形の座頭市を馴染ませるように手の中で軽く遊ばせ、


「けど、私も仲間を斬りたくはないのよね!」

「来る! 総員、連携を重視!」


 カレンが身を低くして走り、剣先が弧を描いて振り上げられる。アイリスが下がってかわすのと入れ替わりに、カレンの左右から一瞬の時間差をもって剣が迫る。


 先に振られる剣を身を捻ってかわしながら、遅れて来た剣は刃を擦らせてしのぎで流し、弾く。そのまま素早く振り払い、首に強い衝撃を受けた一人が落ちる。


 すかさず太刀を返し、二人目を無力化。すかさずカレンが掴んだ気配は正面。アイリスは既に剣を振り上げている。


「はぁっ!」


 烈迫の気合いとともに、アイリスが剣を振り下ろす。彼女専用、やや重めの片手剣が細身である刀にぶつけられ、それを正面から受けた刀は容易く悲鳴を上げ始める。


 動きを止めたカレンに、背後と右側から騎士が同時に斬りかかる。

 カレンは、彼女を止めることだけに意識を割いているアイリスの意識の隙、腹部を素足で蹴り飛ばして素早く回避に移った。


 寸前の所で斬撃を避けたカレンが座頭市に一瞬目を向けると、そこにはヒビが入っていた。牽制するように座頭市を騎士に投げつける。


「ハル! ダガー二本!」


 強力な超能力者同士の戦闘に全く劣らぬ剣戟の応酬、しかも、スポーツなどではない、命を賭けた本物の戦いを前に、波瑠は呆然としていた。


 カレンの鋭い指示にハッとなり、波瑠は慌てて二対のダガーをカレンの手元に作り出す。


「か、聖剣の泉カリバーン・プログラム! 対剣! 干将かんしょう莫耶ばくや!」


 座頭市を光の粒へと還しながら剣を呼び出す。短剣二本はカレンの手に渡り、カレンは吹き飛んだアイリスを護るように立ち塞がる女騎士達へと突貫した。


 女騎士が防御の姿勢を取るのを見るや、カレンは大きく跳躍。重くない剣を持つが故の軽快なフットワーク。身を捻って回転しながら騎士達の背後を取り、身を低く彼女らの間へと身を滑らせる。


 彼女らが振り向いても、身を低くしたカレンの姿はすぐには見えない。驚き、反応出来なかった騎士の片方に裏拳を叩き込み、もう片方の鳩尾に肘を深く打ち込んだ。


「かはっ……!?」


 息を吐き出しながら意識を失う元部下をそこに寝かせ、よろよろと起き上がったアイリスへ干将を向けた。


「流石ですね隊長……ダガーで斬りつけると見せかけて防御の姿勢を取らせ、自ら視界を塞がせる」

「アイリスには向かないからオススメしないわ」

「あはは……真似したくても出来ませんよ」


 アイリスは苦笑いを浮かべる。五対一でありながら一瞬で四人を打ち倒したカレン。圧倒的な力の差があるのは波瑠の目にも明らかだった。


 カレンはアイリスに優しげな視線を向け、部下を気遣う隊長としての声音を投げかける。


「アイリス、抵抗すると痛いわよ?」

「……それでも、あたしの任務は隊長を捕まえるか殺すことですから」


 アイリスは自身の剣を両手で構えながら、ようやく落ち着きはしたが腰を抜かして動けない波瑠に目を向ける。


「ハル、君には不思議な力があるんだね」

「……はい。隠しててすみません」

「ううん。それより……ハル、隊長を頼むね」

「えっ?」


 アイリスは思いもよらない言葉を発した。よく見ると、彼女が剣を構えるその手は震えている。


 そして、初めて会った時、明るい子だという印象を波瑠に与えたアイリスという少女は、目に涙を溜めていた。


「隊長はさ、強いようで実はかなり寂しがりだから」

「ちょっと! 何言ってんのよ!?」

「あたし、隊長が吸血鬼だなんてどうしても信じられない。同じように思ってる子は隊員にも多いと思う。だから」


 アイリスはカレンに視線を戻し、


「隊長を支えて欲しいんだ。それが出来るのは、君だけだからさ」


 波瑠の返事を待たず、渾身の一撃をカレンに繰り出した。なんの工夫もフェイクもない、真正面からの太刀。カレンは対の剣を捨ててそれをかわし、手首に手刀を叩き込む。


 アイリスが取り落とした剣が、金属の音を響かせてその場に落ちる。カレンはすかさずアイリスを背負い投げの要領で地面に叩きつけ、アイリスは背中に走る衝撃で気を失った。


 傷一つないカレンが、息を乱しもしないカレンが、勝者として美しく月光の下に佇む。


「さてと」


 カレンは倒れている隊員から一枚ずつ、違う場所から衣服を剥いで装着した。ワイシャツ一枚は嫌だったのだろうが、しかし誰かを全裸にするのも嫌だったのだろう。代わりに全員が半裸になったが。


 波瑠はその様子を見ないよう目を逸らしながら考えを巡らせる。

 カレンの信用を取り戻す方法のことだ。どうやらカレンは隊員からの信用が厚いらしいことがアイリスの発言から解った。


 だとすると、姫様も実際にはカレンを信じているのでは? 姫という立場から考えて、発言力は高い。それこそ一言で民衆を納得させることも出来るかもしれない。


(いや、違う)


 小説では姫様は幼くして両親を亡くしたカレンを城に住まわせ、長く付き合うことでカレンとの信頼関係を築いていた様子だった。しかしカレンに吸血鬼疑惑がかけられてからは顔も合わせてもらえなかった。それだけ吸血鬼を嫌ってるってことだ。


 そうなるとやはり「カレン・セラムフリードは吸血鬼ではない」という証拠を手に入れる必要がある。


「うーん……」


 波瑠が腕組みをして悩んでいる間にカレンは着替えを済ませていた。ワイシャツは下にそのまま着ているらしい。


「今はとにかくここから離れるわよ」


 再びお姫様抱っこ。情けないなぁとは思いながらも、波瑠は従うしかなかった。


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