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銀色の悪夢

 



 吸血鬼殲滅騎士ヴァンプ・キル・ナイトの隊員だと名乗る少女に保護され、波瑠はるはアストリア王宮だという城へ連れてこられた。途中、


「どこに住んでるの?」「名前は?」「どうしてこんな時間に出歩いてたの?」


 と、警察が一昔前まで行っていたという職務質問のように色々訊かれたが、波瑠はそれに対する上手い誤魔化しの手段を持ち合わせてはいなかった。日本から来たなどと言ってもここでは通じないし、意味がない。


 結果、当然のように疑われ、彼の処遇は王宮で決められることになったのだ。ここまで連れてきた騎士の少女はサバサバした明るい性格のようだが、全員がそうとは限らない。言い知れぬ不安を拭いきることは、ついぞ出来なかった。


 少女の後に続いて王宮に入ると、彼女と同じ格好の少女達が多くいて、波瑠は好奇の視線に晒される。無理もない。波瑠は学生服なのだから。少女はある扉の前で止まり、ノックしてから開く。


「アイリスです。一般人の保護を行い、帰投しました」


 波瑠をここまで連れてきた騎士はアイリスというらしい。部屋の中に入る。


「そう。ご苦労様」


 そこには一人の女性。長く美しい銀色の髪に、青い瞳。小説を読んだ波瑠の記憶では吸血鬼殲滅騎士は必ず青い瞳をしていて、その瞳で吸血鬼を見分けるとか。


 女性はガチガチに緊張している波瑠に歩み寄ってくる。大人っぽい色気のある彼女に迫られ、波瑠は別の意味でも緊張を得る。


「貴方、変わった服装なのねぇ」

「え、えと、その」

「緊張しているの? フフ、可愛いのね」


 顔を真っ赤にして俯く。あまりに美しい女性と話すと緊張するというが、それが本当であると彼は今まさに実感している。同じように美人でも、アイリスならもっと楽に話せるのだが。

 代わりにアイリスがハキハキと伝える。


「彼、ハルというらしいのですが、身分も出身も明かさず、おかしな格好をしていましたので、独断で処分を下すのは危険と判断し、連れて参りました!」

「そう。アイリス、あとは私がやるから貴女は討伐に戻りなさい」

「ハッ。失礼します!」


 アイリスが敬礼を一つして部屋を出ていく。どんどん気配が遠ざかり、部屋に波瑠と女性だけが残される。

 女性は優雅な動作で髪をかき上げ、


「私は吸血鬼殲滅騎士ヴァンプ・キル・ナイト副隊長、シェリル・ノーザンクロスよ。ハル、貴方はどこの人なのかしら。何故こんな時間に出歩いたのかしら」

「それは……」

「フフ、人と話す時は目を見るものよ?」

「っ!?」


 ただ常識を説かれただけなのに、波瑠の背筋を悪寒が走り抜ける。たった一言から、優しげな声音の裏に秘めた、刃物のような冷たさが垣間見える。


 ヤバい。この人に逆らうのだけはヤバい。そう直感した。


「あら、怖がらせちゃったかしら? けれど、貴方が正直に答えれば済むことよ」


 歯の根が合わなくなるほど怖かった。正直に答えれば済むんじゃない。正直に答えなければ、殺される。その恐怖は先ほど襲われた時の比ではない。


 波瑠は震える声で、恐怖に背を押されるまま口を開く。


「ぼ、僕は、日本って国から来て……で、でも僕は日本にいたはずなのに、突然気を失って、気づいたら路地裏に倒れていたんです!」

「ニホン……聞いたことないわね」

「僕はここで何かしようってわけじゃなくて、ただ家に帰りたいんです! 信じてください! お願いします!」


 日本式のお辞儀をする。必死だった彼はそれがアストリア的マナーに通用するかなど考えもしなかった。

 その姿に、シェリルは数瞬考えた。そして、


「顔を上げなさい、ハル」


 お辞儀を解かせ、学生服の上から身体をぺたぺたと触り始めた。突然のその行為に恐怖が増すが、何をしてるんですかなどと訊く余裕もなく、波瑠はされるがまま触られる。

 やがて全身を触ったシェリルは微笑んだ。


「不審物は持ち込んでないようね」


 あぁ、なんだそれを確かめてたのか……。波瑠の緊張は無駄だったと解り、へなへなと力が抜ける。


 シェリルは微笑みながら、


「背も低いし、男の子なのに華奢きゃしゃなのね。可愛らしい子」

「えっ!? いえあの」

「すぐ顔が赤くなるのも、ね?」


 波瑠の頬を人指し指でツンと突いた。茶目っ気のあるシェリルの態度に、波瑠はようやく心の平穏を取り戻し始めた。この人、仕事では厳しいけど、それはあくまで吸血鬼と戦ってるからなんだ。


 波瑠が大きく安堵の息を吐くと、シェリルはくすくすと笑った。

 波瑠がそれに笑みを返せるくらいの心のゆとりを得た時、部屋の外がやにわに騒がしくなる。何やら女性の叫びが聞こえてきて、それが徐々に近づいてくる。

 シェリルの眉根が一瞬寄り、彼女は波瑠を押し退けて扉を開いた。


「違う! 私は!」


 開かれた扉の向こうから、声がハッキリと聞こえてくる。女性というか女の子の声はどんどん近づいて来て、ついに部屋の前まできた。


「副隊長! 大変です!」


 先ほど出ていった、アイリスだ。彼女はもう一人の騎士と協力し、一人の騎士の少女を押さえつけながら部屋へと入ってくる。


 押さえられている少女は紅い髪をしており、口元から身につける防具に至るまでべったりと血をつけていた。

 波瑠は大ケガではないかと卒倒しそうになったが、シェリルが極めて冷静に対応する。


「どうしたのかしら」


 アイリスではない方の騎士が涙ながらに答える。


「隊長が……隊長がぁ……っ!」

「隊長がどうしたの?」

「だから私はそんなんじゃない!」


 隊長、と呼ばれた押さえられている少女は、大声で喚き散らす。その大声のおかげで気を失わずに済んだ波瑠は、彼女の姿を見てようやく解った。


 紅い髪。透き通るような青い瞳。若く麗しい少女。吸血鬼殲滅騎士ヴァンプ・キル・ナイトの隊長。失意の中死んでいった、悲劇の騎士。

 震える波瑠の唇から、ポツリと声が漏れた。


「カレン・セラムフリード……」


 誰にも聞かれなかったその声をかき消したのは、他でもないカレンの叫び。悲痛な、誰にも届かなかった叫び。


「私は吸血鬼なんかじゃない!」


 目に涙を溜めながら、カレンは潔白を主張する。だが、


「うるさいわよ」


 シェリルは冷たい目で断じた。ゾッとするような殺気が、隊長であるはずのカレンさえも呑み込む。


「隊長は少し黙っててください」

「けど!」

「リイナ、説明なさい」


 カレンを無視し、シェリルはリイナというらしい騎士に説明させる。

 リイナは今にも泣き出しそうな顔で、声を絞り出すように話し始めた。


「隊長は……討伐した吸血鬼の血を吸っていました」

「それで?」

「……その時、瞳は吸血鬼と同じ、紅い瞳でした……」


 リイナが耐えきれずに泣き出す。かなりカレンを慕っていたのかもしれない。悲しげで、信じたくないと思っているのは、初対面の波瑠ですら解った。


 しかし、シェリルは眉一つ動かさず、職務に忠実だった。


「隊長、間違いないんですね?」

「…………」

「無言は肯定と捉えますよ?」


 カレンは答えない。波瑠は知っている。彼女が吸血鬼の血を吸ったのは本当のことで、しかし、それは彼女の意思とは何か違うような、突然起きた衝動によるもの。だから、肯定も否定も出来ない。


「けれど、おかしいわね。吸血鬼だったら解るはずなのだけれど」

「……私は……違う……」


 力のこもらない呟きだ。吸血鬼でないと主張しても信じてもらえず、自分ですら否定しきれず、それがカレンを苦しめる。


 小説の中の存在だと思っていたカレンを目の前にし、胸が痛んだ。

 この後カレンは地下牢でボロボロになるまで拷問を受け、挙げ句姫様にも見放され、世界の全てから恨まれながら処刑される。


 彼女を待つ、あまりにも可哀想な結末。


「……あの」

「ハル、申し訳ないけれど今は黙っていて頂戴」


 もし、それを変えられる人物がいるとしたら。


「すみませんシェリルさん。でも一つだけ言わせて下さい」

「……何かしら」


 それは、異物である僕しかいない。

 ただの同情かもしれない。争いになったら、女の子よりも弱い僕では助けられない。

 けど、自分すら信じることが出来ないこの子を信じてあげられるのは、世界中で僕だけなんだ。


「僕は、カレンさんが吸血鬼とは思えません」

「悪に対する同情は被害者を増やすだけよ。それに、本人だって否定しなかったじゃないの」

「……それでも、僕は信じます」


 冷たく、刃物のような殺意のこもったシェリルの青い瞳を正面から受け止める。彼が一瞬たりとも瞳を逸らさず立ち向かったのは、この時が人生で初めてであった。


 シェリルは、一つ溜め息を吐いた。


「……はぁ。アイリス、リイナ。ハルを地下牢に連れていきなさい」

「副隊長! ハルは一般人です! 地下牢には」

「アイリス。隊長は元より、彼も得体の知れない存在。よく知りもしないはずの隊長を庇うくらいだもの、隊長ともども吸血鬼の息がかかっている可能性が高いわ」


 波瑠はそれでも目を逸らさない。怖いとか、そんなことは関係ない。どちらにしても生きていけるか、帰れるかなどハッキリしない。こうなったら自分の直感で道を選んでやる。


 半ば自棄やけになりながら、黒川波瑠くろかわはるは地下牢に囚われる道を選んだ。願わくば、カレンの人生の終幕を少しでもよいものにしてあげたかった。






 王宮、地下牢。そこに波瑠は囚われた。非力で危険度が低いと判断されたのか、そのまま学生服で。カレンはいない。波瑠を地下牢に入れるよう指示をしたシェリルがどこかへ連れて行ったのだ。おそらく今頃は拷問を受けているに違いない。


「ごめんね、こんなことになっちゃって」


 しおらしい態度で、アイリスは謝罪した。だからといって外に出してはくれないが。

 波瑠は嫌味にならないように気をつけながら笑みを作って見せる。


「気にしないでください。お仕事なんですから」

「……ありがと」


 アイリスは波瑠に手枷を着けようとして、止めた。波瑠が不思議に思って首を傾げると、彼女は愛嬌たっぷりのウィンクをして見せた。


「君はひ弱だからね。手枷がなくても逃げられないでしょ」

「……すみません。なんだか気を遣わせてしまって」

「こういう時は、一言「ありがとう」でいいの」

「そういうものですか?」

「そういうものよっ」


 アイリスは歳相応(とは言っても波瑠は彼女の年齢を知らないのだが)の笑顔を残し、その場を立ち去る。暗く湿った空間に、波瑠だけが残された。


「……ふぅ」


 これから、どうなるんだろう。このままだとカレンは死んでしまう。誰にも助けてもらえず、どん底に落とされて。


「どん底か……」


 波瑠は呟く。カレンの生涯を描いた小説の冒頭は、吸血鬼に両親を殺されるというどん底から始まる。運よく助けられたカレンはそこから這い上がるように努力して、何度も危機を乗り越えて、そしてどん底に落とされて終わる。


 思えば、それが気に入らなかった。どうして小説の中なのにカレンはあんな死に方をしなければならなかったのか。小説なのだから、もっと報われてもいいじゃないか。


 まるで、どん底にいる者はそのままそこで死ぬのがお似合いだと言われているようで。


「あぁ、なんだ……」


 はたと気づく。どうして波瑠がカレンを哀れに思い、この物語の展開に憤りを覚えたのか。

 簡単なことだった。波瑠は小説をただただなぞるように読んでいなかった。それだけのこと。


「僕は、カレンと同じ道を歩みたかったんだ……」


 最初は弱く、でも努力とともに段々と認めてくれる人が出てきて、危機が訪れても乗り越える。そんな彼女に憧れたんだ。


 取り柄もなくて、何も出来ない惨めな底辺高校生。その立場でいることを仕方ないと受け入れているつもりだった。


 ……でも違う。本当は僕も救いが欲しかったんだ。カレンのようなカッコよくて強い人になりたくて、だからあんな結末に嫌気が差したんだ。


「彼女の人生は、ここで終わっちゃダメだ」


 彼女がここで終わったら、僕の憧れも終わる。僕は決意を固めた。弱くて、情けなくて、使えない能力しかないような僕だけど。


「僕がカレンを助けるんだ」


 黒川波瑠の瞳に、強い光が宿る。


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