表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
13/19

代償

 


「逃げるわ! 掴まって!」


 カレンが最初に打った手は逃げだった。迎撃もせず、とにかく距離を離すことを目的とした逃げ。波瑠はるの身体を素早く肩に抱え上げ、足下を強引に踏み抜く。


「うわぁっ!?」


 真下にあった部屋へと着地し、廊下へ出て走る。一拍遅れて、イクリプスも廊下へと姿を現した。だが、一拍の遅れはカレンにとっては十分な猶予。廊下の突き当たりに到達しようとしている。


 カレンは叫んだ。


「目ぇ閉じなさい!」


 言われるまま波瑠が固く目を閉じると、高く大きな破砕音と共に、急激な浮遊感。そして、刃物で浅く斬られたような鋭い痛み。窓をぶち破ったのだと理解するのに、他の情報はいらなかった。


 危なげなく着地したカレンは、民家の密集する方向へと走る。後ろ向きの波瑠が見たイクリプスは、カレンの思惑通り大きく後ろにいた。その姿も路地を曲がるとすぐに見えなくなった。


 カレンは波瑠を抱えたまま、無人の街を右へ左へと曲がりながら走った。そうして彼女は、ある一軒の民家に飛び込んで、息を潜めて波瑠を下ろした。


「ハル、アンタはここに隠れてて」

「カレン……? どういうこと?」


 遠くから、何かが崩壊するような音が定期的に聞こえてきている。家が一軒丸ごと崩れるような音が。イクリプスが家々を片っ端から破壊して、波瑠達を探しているのかもしれない。


 カレンは寂しげな目をした。瞳を震わせ、唇をキュッと引き結んだ後、波瑠を諭すように告げる。


「アイツは、昔の英雄がようやく封印出来るような化物。ハルを守りながら戦う余裕なんてないわ」

「そ、それでもいいよ! どうせ彼を止めないと世界は破滅しちゃうし、それに」

「嫌よ!」


 叩きつけるように、カレンが叫ぶ。その声に波瑠はビクリとするが、それを無視するようにカレンは続けた。


「目の前で誰かが……ハルが死ぬのは見たくない……っ!」

「カレン……」

「……私、解ったのよ」


 肩を抱くように、震えながらカレンは静かに言う。


「アイツにとって私は脅威。仲間にしたがったのは多分、出来れば戦いたくないからよ」


 波瑠は思った。カレンは無理をしている。あんな強大な相手を止められるのは自分しかいなくて。けれど不安で、一人で戦いたくはなくて。


 明るくて、強くて、凛々しくて、寂しがり。波瑠が知るカレンはそういう子だ。


「だから、血をちょうだい。ハル」

「血を……?」


 血。吸血鬼を一時的に活性化させる魔性の液体。


 だがそれを使えば、彼女は戻ってこれないのではないか。人間と吸血鬼の狭間にいるような彼女が、向こう側へ行ってしまう気がして、波瑠はそれを拒否する。


「ダメ、ダメだよ!」

「大丈夫よ。直接吸わなければハルが死ぬことも」

「戻ってこれなくなる! ただの予感でなんの根拠もないけど……カレンが吸血鬼になるのは嫌だよ!」

「っ…………そんなのはただの予感。大丈夫よ」


 カレンの迷いが、波瑠には伝わった。解ってしまった。カレンは自分自身で解っている。これ以上血を啜れば、向こう側へ持ってかれるであろうことを。


 家々が壊される音が、徐々に近づいてきていた。


「……ハル。私、アンタに会えてよかったと思ってる。あの日アンタが同じ牢にいなかったら私は死んでたし、きっと世界は滅んでた」


 波瑠がこの世界に来ていなかったら、小説の結末のようにカレンは殺され、イクリプスを止められる者はいなくなる。おそらくそれこそが本来のイクリプスの狙いで、しかし、その計画は黒川波瑠くろかわはるという少年の登場によって破綻した。


「だから、私は今日死んだって構わない。ううん、刺し違えてでもアイツを止める為に、今日まで生かされてたのよ」


 違うよ。……その一言が出ない。カレンの人生はカレンのものだって、そう言えない。カレンの瞳を見てしまったから。不安と覚悟がせめぎあう青い宝石を。


「死ぬのも人間をやめるのも変わらないわ。全然怖くない。そう思えるのも、ハル、やっぱりアンタのおかげ」


 違う。僕のおかげでカレンは戦えるんじゃない。僕の()()で死のうとしてるんだ。命を投げ出す覚悟をさせたのは、僕なんだ。


 僕が戦えないから。戦場で護られるだけだから。隣には、立てないから。……僕が戦えれば、カレンは一人で覚悟をしなくて済んだのに。僕ではない誰かがこの世界に来ていれば、カレンは傷つかずに済んだのに。


「アイツが来ちゃうわ。ごめん、時間がないのよ」


 カレンはカリバーンを抜き、波瑠の人差し指を刃で薄く撫でた。紅い血が、筋のように流れ出る。


 波瑠が抵抗する間もなく、カレンは人差し指をくわえた。温かく湿った感触が波瑠の指先を包む。


「んっ……ちゅ、んぅ……」


 頬を紅くしながら、カレンは艶かしく指先を舐めた。決して歯を立てぬよう注意しているのが、波瑠にも解る。恥ずかしそうに、しかし夢中で波瑠の指を舐めるカレンの姿が、何故か痛みをこらえる子供のように見え、思わず目を背けたくなる。


 カレンがようやく指先を放した時、彼女の瞳は血のような紅に、その表情は快感に酔いしれるように蕩けていた。


 だが。


「っ!? うぁっ……ぅああぁぁぁっ!」

「カレン!?」


 カレンが突如苦しみだした。呼吸はただ抜けるような音に変わり、彼女は心臓を強く押さえ、慟哭どうこくを上げながらうずくまる。


「うぅぅああああぁぁ! ああああぁぁぁぁっ!」

「カレン! どうしたの!? しっかりしてよ!」

「はぁ……はぁ……っ、平気、よ……」


 カレンは焦点の合わない紅い瞳で波瑠を見た。心臓を押さえたままよろよろと立ち上がり、数度ゆっくりと深呼吸すると、彼女は徐々に落ち着きを取り戻した。


 目を泳がせ、何度か口を開きかけたカレンは結局何も言わず、紅潮した顔を隠すように、波瑠に背を向けた。


「……ハルは、絶対私が守るから」


 止める間もなく、紅髪の騎士は飛び出していった。


 波瑠だけが、残される。


「僕は……」


 僕は、どうして戦えないのだろう。どうして守られてばかりなのだろう。


 日本での生活が、ふと蘇った。毎日毎日行きたくもない学校に行って、無能さを晒して、ふてくされて、創作された世界に飛び込む日々。こんな世界だったら。主人公のようだったら。そんなことを考えて、余計に気分が沈む時もあった。


 所詮は誰かの作り話で、こんなに出来た人間なんてほとんどいないことは解ってる。何度読んだところで、アクションを起こさない自分では上へ行けないことも解ってる。


 アクションを起こせばいい。そんな言葉は聞き飽きた。それが出来れば、とうにやっている。歩み出そうとする波瑠の足を引っ張るのは、どうせ自分には才能がないからという劣等感。また失敗するんじゃないかという恐怖。


 それに比べて、カレンは強かった。


 カレンの物語を読んでいた時、いつになくワクワクした。作り話のはずなのに、本当にそんな人物がいたかのような話で。彼女は波瑠にとって、どんな主人公よりも理想的で、どんな主人公よりもリアルで、どんな人よりも輝いて見えた。


 だから、小説の中のカレンが死んだ時、波瑠は心の一部が虚無感に呑み込まれるような感覚を覚えた。こんな素敵な人物が、あまりに報われない最期を遂げる。リアルな結末なのかもしれない。けれど、波瑠はどうしても納得したくなかった。まるで、波瑠の理想が幻想であるかのような終結だったから。


 お前には何を成すことも出来ないと、そう言われているようで。カレンへの憧れが大きかった分、反動でショックも大きかった。


「でも、カレンは生きてた」


 カレンは実在した。波瑠の憧れは生きていた。助けることが出来るのだと、あの結末を変えることが出来るのだと、希望を持つことが出来た。


 前を向けるようになったきっかけ、根っこは変わっていない。カレンという少女を通して、自らも変わろうと決意したこと。変わってはならない芯だけは変わっていないことを再確認し、その上で波瑠は思う。


 波瑠には戦う力がない。今出て行ったところで足を引っ張るだけなのは明白。むしろ、ここで息を潜めていることこそが彼女の役に立つのだと、理論的に考えれば解る。


「けど……」


 ただ待つだけでいいのか。戦えないからといって、ここで彼女の帰りを待つだけで。


 嫌だ。カレンは命を懸けて騎士になって、命を懸けて戦ってきた。そして今、憎んでいる吸血鬼になるかもしれないというリスクを負ってまで、世界の脅威に戦いを挑んでいる。彼女にとって吸血鬼になるなんて、死ぬよりも辛いことに決まっているのに。


 窓辺に駆け寄り、遠目に戦いの様子を窺う。聖剣を持っている分のアドバンテージか、戦いはカレンが押しているように見える。


 しかし、カレンの戦い方は今までの華麗な戦いとはあまりに遠い、力任せに剣を振り回す、獣のような戦い方だった。人間を捨てているような、痛々しい少女の姿。


「……くそっ!」


 悔しさを壁に思い切りぶつける。何か、何か彼女の為に出来ることはないのか。


「なんでもいい! 僕に……出来ることは!」


 自分への不甲斐なさと激情に支配されそうに考える頭を必死で冷やし、カレンの力になる手段を考える。


 カレンは明らかに押している。このままいけば勝てるように見えるし、聖剣が折れるような様子もない。だが、異様なのはイクリプスの方だった。


 カレンの振るカリバーンがイクリプスの右腕を肩から斬り飛ばす。しかし、イクリプスの傷口から新たな腕が即座に再生し、何事もなかったかのように再びカレンと応酬を繰り広げる。


「再生能力……!? ダメだ、あのままだとカレンが吸血による強化の力を失う方が早い!」


 玉座の間で戦闘していた時、イクリプスは言った。「やはり、一時的な強化に過ぎないか」と。ということは、おそらくカレンが吸血鬼の力を振るえるのは数分間。どんなに長く見積もっても十分間程度しかもたない。


 イクリプスが再生するのなら、強化が効いている十分の間に核を潰さなければならない。そして、カレンは吸血鬼の力に任せた戦いをしているせいで、それが考えられていない。


 このままでは、カレンは負ける。


「マズい……なんとかしないと」


 焦りを含んだ声で波瑠が呟いた時、イクリプスがカレンの右腕を抱え込み、強引にへし折った。聖剣が地に落ち、カレンの右腕はあらぬ方向へと曲がる。制御を失った右腕はだらりと垂れ下がり、完全に使い物にならなくなったことを示していた。


 波瑠がその光景に息を呑んだ瞬間、カレンの右腕はまるでイクリプスの腕のように再生し、元の形を取り戻した。


 落ちた聖剣をイクリプスが拾ったのを見て、波瑠は慌てて能力を解除した。聖剣が光となって散ったのを確認し、見つからぬように即座に身を隠す。


(どういうこと?)


 普通の吸血鬼に再生能力があるなんて話は聞いていない。イクリプスは吸血鬼の王だから再生能力を持っているのだと仮定しても、それではカレンが再生能力を持っていることに説明がつかない。小説でも腕を斬られた吸血鬼が苦しむ描写があったし、再生するのが普通なわけではない。


 そうなると、カレンも吸血鬼の王、もしくはそれに近い存在ということになる。


 思い返してみると、イクリプスはカレンと同じように、吸血鬼殲滅騎士ヴァンプ・キル・ナイトの目で見抜けないようだった。イクリプスの力が強大だからなのか、吸血鬼の本体だからなのか。いずれにせよ、カレンは吸血鬼の王とほぼ同じ力を得ていると見てよさそうだ。


「でも、カレンが吸血鬼になったのは最近……イクリプスの薬を飲まされてから……」


 薬?


 その単語が、波瑠の頭に引っ掛かる。

 イクリプスは異空間に封じられていたと言っていた。外に出ることは出来ず、力の断片として吸血鬼を放っていたと。


 そんな人が未知の薬など作れるだろうか? 設備は? 材料は? 作り方はどうやって知った?


 おかしい。イクリプスにそんな暇があったとは思えず、あったとするなら、わざわざ王と同じ特別な力を与える必要はない。


 小説と同じ結末をイクリプスが狙ったのだとすれば、もっと低級な吸血鬼にしてしまえばよかった。それで十分な疑いがかかってカレンは処刑され、厄介払いは完了。たとえ直接対決に発展したとしても、苦戦することもなかったはずだ。


 なんでそうしなかったのか? 決まっている。出来なかったからだ。カレンと直接対決は避けたくて、だから吸血鬼の疑いをかけて殺したい。しかし、王と同じ強大な力を与えるしかなかった。


「じゃあ、カレンが飲まされたのは……」


 波瑠の想像が繋がっていき、点と点が星座のように結論を組み上げていく。そして見えてくる、一つの答え。


「イクリプスの血……!」


 カレンの中に流れているのは、吸血鬼の王本人の血だ。


 この戦いでイクリプスが勝ったら、イクリプスは世界を滅ぼすつもりのはず。


 なら、カレンが勝ったら? あんなにも吸血鬼の力を解放したままのカレンが勝ったなら……きっとカレンは吸血鬼の王として……理性なき最悪の王として、世界を滅ぼす。そう、彼女の意思とは無関係に。


「カレンを、救わなきゃ……!」


 波瑠は思考の海に沈んでいく。カレンを救うため。それが出来るのは、今ここにいる自分だけだから。


 この状況にあって波瑠の思考は不思議と冴え渡り、加速していく。イクリプスを止め、かつカレンも救う。その一点を目指して。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ