第二章/能力者達の交わる夜(下)
――久峰麗華。
彼女の兄、久峰零次はこの街でも有名な殺人鬼であり、麗華は彼の事をいたく慕っている――といっても二人は兄妹である為、あくまで恋愛感情などではない。
殺人鬼の噂が流れる以前――超能力者と呼ばれる存在である零次に憧れ、麗華は自分自身も超能力者になりたいと強く思うようになっていった。
憧れ、羨む程に、彼女のそんな気持ちは次第に大きく成長していく。
麗華が超能力者として覚醒したのは、ほんの一ヶ月前の出来事である。
きっかけは、本当に悲惨な出来事だった。
『な、何をするの麗華……! やめなさい、そんなものを振り回さな――ぐぎぃ』
ぶちぶち、と目の前で解体されていく自分の両親を、麗華は狂うように笑いながら次々に切り裂き、バラバラにしていく――彼女の手に持たれたチェーンソーが、耳を壊すような凄絶な音を立てながらその母親を死に追いやった。
『あは。怖い、怖いよお。おかーさん』
うるさい音だ――麗華がチェーンソーを持って、最初に得た感想がそれだった。
彼女の母親は、一番初めに腹部を両断された時点ですでに絶命している――いくら話しかけても返事など返って来るはずがない。
何故こんな事をしたのか――この行為には特に意味などなかった。
母親は別に嫌いではなかったし、むしろどちらかと言えば優しく良い母親だっただろう――だが、麗華にとってそんなものは虚像に過ぎなかった。
『……すごい。血だ、血がいっぱいだよ。おかーさん』
死んでいる、そんな実感は特に感じない。
自分が殺した――そんな感触さえ、ない。
『おかーさん?』
返事がない、その一瞬で――麗華は我に帰ったかのように、現実を直視する。
足元で自分の母親がバラバラになり、肉片となって散らばっているその光景を。
チェーンソーが、音を止める。
回転していた刃は静かに停止し、こびりつく血と肉を撒き散らしながら床に落ちた。
『何これ、臭い。気持ち悪い』
げし、と、床に落ちているモノを蹴り飛ばす。
同時に血が飛んで、麗華の頬に赤い筋を作った。
こんな光景を、もし父親に見られてしまったら――そこまで考え、しかし麗華はそんな事など取るに足らないと言う結論に至る。
――だって、そいつも殺せばいいんでしょ?
◆
深夜の一時半を過ぎた頃、宿舎内はひとときの静寂に包まれていた――と言うのも、百瀬百合花やその率いる委員会のメンバーによる事態の鎮圧が行われた為、暮凪遙診が殺害された事による騒動も一瞬のうちに収まっていたのである。
一方――紅条焔をその自室へと運び終わった倉坂濠夜は、百瀬百合花に言われた通り宿舎入り口前へと姿を現していた。
「え……? あ、あれって」
「三年の倉坂さんじゃない? どういう事かしら。まさか、こちら側に協力するとでも言うの? あの不良生徒の間でも有名な彼女が」
「む。もしや、百瀬先輩が……?」
委員会のメンバーの一員である、三人の少女達――突如として現れた予想外の人物に対し、彼女らは驚きを隠せない。
倉坂濠夜といえば、一部の生徒にとっては恐怖の対象とも呼べる、不良生徒グループを統率しているリーダー的存在である――さらに言えば、この学園に存在する能力者達、その筆頭とも呼べるほどの実力も持ち合わせている――という話を、特に委員会の人間は百瀬百合花から何度も聞かされていた。
同時に、委員会への参加を求めても、幾度としてそれを拒否し、一度たりとも協力姿勢を見せたことがない――と言う事も。
その倉坂濠夜が、これから活動を開始する委員会メンバー達が集まっている場所へとやってきた――これはどういう事なのだろう、とその場にいる誰もが思う。
「お待ちしておりましたわ、倉坂濠夜さん」
ふと、彼女ら委員会メンバーを代表するかのように、先頭に出た百瀬百合花が、濠夜の元へと歩み寄ってそう言った。
「……ああ。にしても、何だこりゃ。まさか、これだけの人数で捜索するつもりかよ?」
濠夜は軽く会釈して、すぐさま周囲に佇む委員会メンバー達の顔を眺め回す。
しかし、そこにいるのは片手で数えられる程度の人数――三人、いや、四人の少女達のみだった――百合花と濠夜を合わせれば、六人という事になる。
「ええ、活動班はこれだけの人数ですわ。学園の出入り口、宿舎の包囲を考え、そちらに人数を回しましたから」
「ふうん。ま、動くなら別に少なくても問題はないんだが……宿舎の包囲だの、学園出入り口の封鎖――そこまでしているってことは、犯人や渋谷はまだこの敷地内にいると見て間違いないんだな?」
「それは監視班からの確かな情報ですわ。監視体制は二十四時間、隙間なく万全に行っていますので。残念ながら、犯人の姿までは解りませんし、どこへ向かわれたのかも皆目検討がつかない、と言う状況ですが……渋谷香奈さん、そして、今回の殺人事件の犯人は確実にこの敷地内、いえ、宿舎または学園校舎内部のどこかにいる事は確実でしょう。それが生きているのか死んでいるのかは別として」
「だったら急がねーとマズいぜ。渋谷がまだ生きていると信じるなら、早く見つけ出すに越した事はない」
「ええ、承知の上です」
くるっ、と濠夜に背を向けた百合花は、四人のメンバー達と向かい合う。
「――さて、皆さん。聞いての通り、自体は一刻を争います。今回の作戦目的は、まず第一に渋谷香奈さんの保護。そして、それを完遂した後、殺人事件の犯人を捕らえます。あくまで重要なのは、今生きている人間をなんとしてでも助け出すこと。それだけを考え、各自行動を開始して下さい」
「はいっ!」
一斉に散り行く委員会メンバー達――しかし、その中で一人だけが、そこに未だ立っていた。
「……どうしましたか、有栖川さん?」
「いえ、あの……」
有栖川京。
黒いおかっぱ髪、小さい横長の眼鏡をかけ、肌はこれ以上ないくらいに白い――どう見てもインドア系である彼女は、どうして自分がここに呼び出されているのか理解出来ないといわんばかりの表情をしていた。
そして、当然のように百合花はそれを見透かしていた――彼女が不思議そうな表情でそこに残り、何かを聞きたがっている事も。
「あなたが何を言いたいのか、わたくしには解りますわ。何故、自分がこのような場に出てくる必要があるのか……あなたはどちらかと言えば、活動班ではなく、監視班や戦術班向きですもの。その気持ち、いたく理解しますわ」
「そ、それでしたら、どうして……?」
「そうですわね。話す時間もあまりなかったので、自分の目で確かめて戴きたかったのですが……いいでしょう、手短にお話致します」
百合花は仕方がないと言うように、
「あなたには、確か妹さんがいますでしょう。ええと、確か三つ下の」
「えっ? はい、いますけど……それが、何か?」
「最近、妹さんとお会いしているかどうかは知りませんが、その妹さんのお友達……久峰麗華さんですわね。彼女が、今回の事件の犯人である可能性が高いのですわ」
「ええ……? ど、どういう事ですか……?」
「有栖川さん、その麗華さんと面識がありますでしょう?」
「はい……。妹が昔、まだ私が実家で暮らしていた時に、何度か連れてきた事があります。妹の親友だ、って聞いていますけど……」
「でしたら、この場で彼女の顔を知っているのは、あなただけという事になるのですよ、有栖川さん。あなたが唯一、犯人の手がかりを握っている――」
「な、なんですかそれっ! ま、まさかあの子がこんな……!」
「その可能性がある、と言うだけのお話ですわ。もちろん、真実はそうではないかも知れません。ですからこそ、久峰麗華さんの顔を知っているあなたが動くべきなのです。違うか違わないか、それを自分自身の目で確かめて下さい」
百合花のその言葉に、京は驚いたようで、ただ静かに頷いた。
「……解りました。すみません、貴重な時間を割いてしまいまして……」
「いいえ、いいのです。疑念を持ったままでは、作戦行動にも支障をきたすでしょう。それでは宜しくお願いしますね、有栖川さん」
「おっと、ちょい待ちな」
ふと、百合花の後ろからやってきた濠夜が、二人の話に割り込んでくる。
「なんですの? 倉坂さん」
「ああ、そいつ使えると思ってさ。有栖川……つったっけ。テメェ、オレと組めよ」
「は……?」
「は、じゃねーよ。オレ自身、渋谷を助けてーのは山々なんだが、その久峰麗華とやらに命を狙われてんだとすれば、そいつを叩くのが先決だと踏んでる。さっきの三人がどれだけ強いのかは知らねーが、少なくとも、そいつらが渋谷を保護したとして、守りきれる保障はどこにもない。オレなら絶対負けねーし、それなら、渋谷の保護はあの三人に任せて、オレと有栖川はその犯人探しをする――そっちのほうが効率がイイんじゃねーか?」
なんという自信だろう――と、百合花は、その言葉に頼もしさを感じていた。
「いいでしょう。でしたら、有栖川さんは倉坂さんと二人で行動して下さい。わたくしは全メンバーの指揮がありますので。何かありましたら、前もって伝えておいた連絡先までお願いしますわ」
「え? あの、私が……えっ?」
「オイオイ。しっかりしろよ、おかっぱ眼鏡ちゃん。オレについてくるってんだ、それなりの度胸はして貰わねーとな」
「おかっぱ眼鏡……って、いやあの、そうじゃなくて……!」
濠夜、百合花の両名にそう言われ、自分が未だにどうすればいいのか理解し切れず動揺する少女――有栖川京。
かくして、彼女と倉坂濠夜の異種タッグが結成された。
◆
別動班――三人の少女達は、棘薔薇学園校舎内へとやってきていた。
三人組の一人、金髪ロングに黒のカチューシャを着けた少女――船橋由香利は、校舎の昇降口に立つと、おもむろに周囲を見回した。
「うーん、やっぱり人物像が浮かばないと無理ね。少なくとも、犯人のほうはまったく掴めないわ」
「やっぱりですか。由香利の予知能力は頼りになると思ったんですけど」
難しい表情で目を細める由香利に答えたのは、三人組の一人であり、桃色ショートヘアの若干ロリ少女、一之瀬灯である。
「渋谷さんのほうは、それなりに掴もうと思えば掴めるのだけれど……何故だか、イメージし切れないのよね。こう、フィルターが掛かっていると言うか……あー、もう! こんな時に限って役立たずな能力なんだから!」
未来予知――それが、船橋由香利の持つ超能力の名称である。
物事の規則性を把握し、それらを、イメージの中で再現・予想・構築する事による未来の予知――超能力とはいえ、どれだけ先を把握する事が出来るかは限られていて、良くて三分から五分程度が限界だった。
例えば、とある人物をイメージする――その人物の性格や動向、癖などを瞬時に把握できるのが彼女の特性の一つであり、さらにそれを踏まえた上で、対象の人物がこれから行う行動、即ち未来を予測する――彼女の持つ超能力、未来予知とは、単にそういった『出来そうで出来ない』事を、普通の人間には備わらない発達された機能を使い、実現する――そういう類の物であった。
もちろん、そうなると『確実性』というものが薄れてくる――今回の件についても、彼女の予知能力には調子の良し悪しがあった――為か、どうしても完璧な未来のイメージを作り上げる事が出来ない状態だった。
「……ふむ。だが、それなりにイメージは出来上がっているのだろう?」
三人組最後の一人である、背丈の高い青髪ポニーテールの佐久間飛花里が問うた。
「とは言っても、良くて二十パーセントくらいよ? なんだか霞んでる感じで、よくは解らないんだけど……まあ、少なくとも、今はまだ生きている――って事は確かね」
「まだ生きてるですね? ならそれで十分ですよ、由香利。この敷地内にいるって事は解っていますから、後は探すだけですっ!」
「そうね。……はあ、まったく。どうしていきなりこんな事になったのかしら」
「ぼやいてる暇はないですよ! 早く探し出さないと、五分後には香奈が死んでるかもしれないんですから!」
どこか焦るように、灯が言う。
そんな少女の姿を眺めながら、由香利は微笑みとも嘲笑とも取れる笑顔を作り、
「ふうん。やっぱり心配なんだ?」
「当たり前です! もし香奈が死んだら、紅条焔が悲しむです!」
「はいはい、素直じゃないんだから。……ううん、素直なのかしら? ま、そんな事はどっちでもいいとして。じゃあ、二人とも。ここからは別行動にしましょう」
「……本気か? いや、確かにそちらの方が効率が良いと言う事は解るのだが……いくら何でも危険だろう。渋谷を保護するだけならば問題ないが、もしも犯人と出くわしてしまったらどうする?」
由香利の一見無茶のような提案に、飛花里がすかさず指摘した。
だが、言い出した本人である由香利は、そんな事など問題ないとでも言いたげな態度で答える。
「大丈夫よ。これはわたしだから言える事かもしれないけれど、良く考えてみて。例えば犯人が渋谷さんにその犯行現場を見られ、口封じの為に殺そうとする。でも、そこで彼女に逃げられ、この校舎へと逃げ込まれた。……そうなった場合、まさか犯人はこの校舎まで追ってくると思う? わたし達の暮らすあの宿舎から、この学園校舎へは基本的に一本道――だけど、その間にある中央広場から、この校舎ではなく出口へ逃げる事だって出来るわ。でも、監視班の情報では、この敷地内から外へ出た人物は存在していない……という事は、わたしの予測だと犯人は未だ宿舎内にいる。普通ならすぐにでも逃げ出すところなのに、それがないって事は、つまり、逃げ出す機会を覗っているのよ。そんな人間が、わざわざ一人の生徒に顔を見られた程度でうろうろと動き回るわけがないでしょう」
「……成る程。一理あるな」
「え、えっと。つまり、犯人はこの校舎にはいないんですか?」
「いない、とまでは言い切れないわね。まあ、渋谷さんが死んでないと確信できる以上、犯人が未だに彼女を追い続けている可能性は極めて低いってこと。ようはリスクリターンの問題よ。わたし達は、出来るだけ早い内に渋谷さんを見つけ出さなければならない。これが最優先事項なのだし、見つかれば後は犯人捜索に力を注げばいいだけだしね。と言う事は、ここは予想できるリスクを考えて、リターンを求めにいく……そういう場面よ。リスクって言うのは、万が一、犯人に出くわした場合、その危険性。その可能性の低さから見て、わたし達が手分けして行動する事による、渋谷さんの早期確保――そのリターンを考えれば、十分に実践するべきレベルよ。危険性がないとは言い切れないのが予知能力者としては少し歯痒いけれど、ね」
由香利の意をつくような予測内容に、灯と飛花里の二人は、いつもの事だが――これ以上ない頼もしさを感じていた。
これこそ、船橋由香利が、委員会直属メンバー活動班第一チーム『三姉妹』のリーダーである所以である――その頭の切れに加え、未来予知による作戦の予測・提案・指揮などの能力は、あの百瀬百合花でさえも一目置くほどのものだった。
来年の時期生徒会長、いわば委員会の次期リーダーでさえ、彼女に委ねられると言う噂さえ存在している――実際、百合花は彼女の事をいたく気に入っている上、委員会メンバーの中では取り分け待遇がいい――差別だからと本人は断っているのだが。
「というわけで、ここは別行動で渋谷さんを探すのが適切だと思うのだけれど。どうかしら、二人とも? まだ何か意見はある?」
「ありませんです。由香利に任せますですよ」
「ああ、そうだな。これ以上この場で議論していても時間が惜しいだけだろう。ここはひとつ、その提案に乗るとしようじゃないか」
「ありがと。何だかんだ言って、二人ともちゃんとついて来てくれるから好きよ」
由香利はそれだけ言って、仲間である二人の少女へと目を合わせ、軽く頷く。
それを合図に、三姉妹、三人の少女達がそれぞれ行動を開始した。
◆
倉坂濠夜と有栖川京の二人は、宿舎の中を歩き回っていた。
他の活動班である三人組が学園校舎へ向かったと考えれば、至極妥当な選択である――だが、京は決してそうは思っていないようだった。
「あ、あの……本当にこっちでいいんですか? 『三姉妹』は校舎の方に……」
「あん? 三姉妹、っつーのはあの三人組の事か。なら心配ねえよ、あっちに敵はいねーだろうからな。そいつらもバカじゃねーんだから、わざわざ敵のいる場所まで向かったりはしねーだろ。百瀬の言っていた言葉、忘れたのかよ?」
「……優先事項は、あくまで渋谷さんだと言う事ですよね? それなら私にも解りますけど……でも、もし犯人が校舎側にいたら、どうするんですか?」
「それならとっくに捕まってるか、見つかってるだろうが。良く考えてみろ、監視班なんていう大層なものがありながら、まさか今の今まで、犯人の姿さえ見つけられなかったなんて、おかしな話だとは思わねーか?」
「それは……確かに。プライベートスペースである宿舎には、基本的に監視カメラはありませんが……この学園の敷地の外側、いわば入り口付近や、出入り出来そうな場所には常に設置されています。基本的に外部からの侵入を防ぐことが目的ですが……」
「事件はあくまでこの宿舎内で起きた。なら、こっから探すのが常套手段ってもんだろうがよ。委員会による騒ぎの鎮圧が行われたらしいが、逆に言えば、その騒ぎに便乗して隠れた可能性だって有り得るぜ。何にしたって、その監視班っつーのが報告した内容が事実なら――敵が外へと出てないのなら、まず間違いなくこの中に潜んでいる。それは確実だろうな」
片手に懐中電灯を持ちながら、暗い廊下の道を歩く二人。
京はおどおどしながらも、なんとか濠夜の後ろに付いていた――京は軽度の暗所恐怖症であった為、辺りをちらちらと見回しながら、肩を震わせていた。
「この宿舎廊下には監視カメラが設置されていない、その事実だけでも十分だろ。敵がそれを把握しているかどうか、そこまではオレにだって解りゃしねーが……恐らく、敵はこの宿舎に潜んで、逃げ出す機会を覗っている。そう考えるのが妥当だな」
「初めから、この宿舎に暮らす人間の犯行だとは考えないんですか?」
「その可能性もあるだろーよ。だが、紅条って奴が外部の人間を匿っていたっつー事実がある。さらにそれがあの殺人鬼・久峰零次の妹で、決定的なのは、その妹である久峰麗華が、匿われていたはずである紅条の部屋に居なかった、っつー事だ。それは、このオレが直接部屋まで行って見てきたんだから間違いねーよ。と、なると……一番疑わしいのは、その居なくなった久峰麗華、って事になるわけだ」
「……でも、まだ私には信じられないです。私の知ってる麗華ちゃんは、いつも舞と一緒に楽しそうに遊んでただけの普通な子で……」
「へえ。で、それはいつの話だ?」
「えっと、私がこの学園に入る前ですから……二年くらい前です」
「二年か。ふん、十分じゃねーかよそんなもん。テメェも能力者なんだったら、ちょっとは理解しとけよ――オレ達の持つこの力は、生まれた時から持ってるもんじゃねえ。ある日突然、おかしなトラウマを擦り付けられて生まれた力……それがオレ達の持つ超能力ってモンだ。二年前にそいつがどうだったのかは知らねーけどな、十分すぎるんだよ。そいつがそいつでなくなるのに必要な時間なんて、あっという間だ。二年なんて歳月がありゃ、人間は変われちまうんだよ」
「それは……でも……」
京の言いたいことは理解できる濠夜ではあったものの、これ以上の問答は無意味でしかない――与えられた使命さえまっとうできない人間など、ただの足手まといでしかないのである。
「ま、とにかく今は犯人をとっとと見つけ出しちまうことが第一だ。あんま難しい事考えてんじゃねーぞ、おかっぱ眼鏡ちゃんよ」
「……はい、解ってます」
◆
百瀬百合花は、司令室を兼ねている宿舎の総合管理室へと訪れていた。
部屋の中には数名の『委員会』メンバーの少女達が、とある者はヘッドフォンとマイクを使用しながら何かを口にし、またある者はコンピュータを使い、監視カメラの映像であろう――この敷地内の様々な風景を切り取られたパズルみたいに並べられた画面を通して注視したりと、深夜帯にも関わらず休む暇ないとばかりに忙しそうに振舞っていた。
「捜索班、未だに犯人と生徒・渋谷香奈は発見されていないのですかしら?」
百合花は全体を見回しながら、通常よりも少し大きめな声でそれぞれの少女達に問い掛ける。
すると、代表なのだろう――一人の少女が立ち上がり、百合花のもとへと歩み寄ってきた。
「報告します、リーダー。現在のところ両名とも発見できず、校舎内部を『三姉妹』が手分けして捜索を開始したとの事です」
「有栖川さんと倉坂さんの方は?」
「わかりません。報告がないのですが、恐らくこの宿舎内を捜索しているものかと」
百合花は、そこで初めて、今まで見せなかった焦りの表情を浮かべる。
「……監視カメラに何も記録がない以上、この宿舎内部に犯人や渋谷さんが未だに残っている可能性は一番高い……。戦闘能力の低い『三姉妹』が校舎側へ向かった事は良しとしても、この宿舎で新たな騒動が起きる可能性は否定できないですわね。今、他に活動できる人材はいないのですか?」
「外部に回している監視班を回せば、なんとか。ですが、収集には数十分と掛かりますし、外を固めなければ、いつ犯人が隙を見計らって逃亡するか解りません」
「苦しい、ですわね……。こちらにはあの倉坂さんが付いていますし、まだ不安要素はそこまで多くはないのですけれど……。問題は、宿舎に住まう他の生徒達、ならびに教師、官僚の人々が被害を被る可能性がある、という事ですわ」
親指の爪を噛みながら、渋い表情を作る百合花。
元々『委員会』のメンバーはそこまでの人員を持っているわけではない――せいぜい二十数人といったところだろう――為か、現在のこの状況に対処しきれるだけの人員をこの宿舎へ集める事は無理難題……事実、これが精一杯の処置であった。
掻き集めても足りず、これ以上増やす事さえ出来ない――そんな状態で、とてもではないが、現状の問題を解決するのは不可能と言っても良い。
だが、それを認めると言うことは、すなわち宿舎内に住まう人々に多少、もしかすれば多大な被害を与えてしまうことを自ら肯定することになってしまう。
何よりそれが、百合花にとって耐え難い事実なのである。
「やはり、焔さんを……。いえ、今あの人を起こすのは最善ではない――」
紅条焔――彼女が今、戦力になってくれるのならば、どれだけ頼りになるだろう。
そんな事をぼそりと口に出してしまった自らの愚かさを、百合花は頭を振って後悔する。
紅条焔は今、恐らく過労によって倒れていた。
そんな彼女を無理やりに起こしたところで、一体どれだけの力になるというのだろうか。
さらに彼女の性格を考えれば、渋谷香奈が窮地に陥っていると知れば、例えどんな身体であろうとも無茶を通そうとするだろう――それだけは、百合花にとっても不本意なことでしかない。
だからこそ、今、ここで彼女に頼ることはできない。
「……頼りになるのは、やはり倉坂さん……ですわね。上手くやって下さる事を祈るしかありませんが……」
倉坂濠夜――彼女には少し、厄介な点がいくつかある。
それを踏まえての戦力投入だということは、誰よりも自分自身がよく解っていると百合花は思う――が、不安要素が拭い切れることはない。
百合花は、自分にできる最善の行動を取る。
それこそがリーダーであり、『委員会』メンバーを導くものとしての責任だ。
ここで指示を取ることが一番だとは理解しているし、それが自らの役目だということも把握している――だというのに、身体は疼いて止まらない。
自分の力がこんなにも役に立たないことに、歯切りする。
「……リーダー、私達に構わず行って下さい」
考えふけっている百合花に、ふと報告係の少女が口を開いた。
「え……?」
彼女だけではない――部屋の中にいる少女達、『委員会』のメンバー全員が、顔を揃えて百合花へと視線を向けていた。
「私達は大丈夫です。ある程度なら、リーダーがどこでどういった指示をするのか……なんて、大体把握していますから。何て言ったって、リーダーの透視能力は人物捜索に関して言えばトップクラスの性能じゃあないですか?」
「ええ、それはそうですけれど……。ですが、わたくしは――」
「気にしないで下さい。これも連携、チームワークのひとつですよ、リーダー。リーダーの指示が必要ないとは言いません。ですが、今この状況をどうにかしたいと思っているのは、他の誰よりもリーダーのはずなんです。そうでしょう?」
百合花は――思わず自らの目を疑った。
そこにいるのは、いつも以上に頼もしさを感じさせる『委員会』のメンバー達――自分が必死に呼びかけ、仲間として集めた少女達の心強い眼差し。
そして、何よりも疑ったのは、自分の心。
行わなければならない義務を放り捨て、自らが戦場に赴くことに対する高揚感。
これが本当に自分なのか、百合花はそう確かに感じていた。
「……ありがとう、皆さん」
だから、否定はしない。
それが正しいのかどうかではなく、ただ今どうしたいのか、自分の心を偽らない為に。
「今回のこの騒動……必ず平穏無事に収めなければなりません。皆さんには苦労をかけるでしょうが、わたくしも死力を尽くしますわ。ですから、この場はお任せします」
百合花がそれだけ言うと、もはや誰も返事はしなかった。
ただ一つ頷いて、各自の作業へと向かい戻っていく。
これが、自分の作り上げた、掛け替えの無い『チーム』なのだと、百合花は笑みを浮かべながら感じ取り――即座に部屋を後にした。
彼女の本当の戦いは、ここから始まるのだから。
◆
三姉妹――その一人である一之瀬灯は、外面では強がって見せるものの、その実、内心はかなりの怖がりである――その事を知っているものは恐らく誰もいないし、三姉妹の残り二人でさえ知らないはずだ。
そもそも灯は、能力者ではない。
三姉妹リーダーである船橋由香利のような力を、彼女は一切持ち得ていなかった。
それでも、いつもこうした場所に恐怖しながらも立っている理由は、由香利や飛花里への信頼と、厚い友情があるからに違いなかった。
しかし、今回はそれだけではない。
灯には――一人の想い人がいた。
想い人、と言っても、相手は自分と同じ女性だ――その想いが成就するはずもないし、するとも思ってはいない……ただ、由香利や飛花里への友情とは違う、何か別の「気持ち」が自分の中に存在している――ということだけははっきりとわかっていた。
その想い人に辛い思いをさせるわけにはいかない――今回の騒動において、灯の持つ一番の行動理由はそれである。
「……、うぅ。でも、怖いものは怖いんですよぅ……」
灯は今、深夜の学園校舎内を徘徊していた。
共に訪れた仲間である由香利と飛花里とは別行動――つまるところ、彼女は今、一人なのである。
別に暗いところが怖いというわけではないが、彼女にとって、何よりも怖いもの――それは、孤独だった。
由香利はそのことを知らないし、知らせるつもりもない灯は、当然今回の作戦において、それを理由に内容に意見を言うことも出来なかった――だからとは言わないが、こうして一人で校舎内を徘徊する灯にとって、今の状況は最悪に等しい。
由香利が悪いわけではないし、実際、この作戦は良い提案だと踏んでいる――だが、それ以上に孤独を嫌い恐怖する灯は、段々と歩む脚の速度さえ衰えて、いつの間にか地面にへこたれてしまっていた。
「ど、どうしよう……。脚が、震えて……」
ガクガクと震える自分の脚を両腕で抱えながら、その場で縮こまる灯――思わず、自分の情けなさに口惜しくなり、歯軋りをする。
「……みんなだって、一人で頑張ってるのに……。どうして、動けないんですか……!」
その瞳には涙がにじみ出し、寒い校舎の中で、次第に自分の身体までが震えだすのがわかる。
このままでは役立たずだ……そうは思うものの、身体は心に反して恐怖で引きつっている――どうすればいいのかわからないまま、灯が嗚咽をあげようとした、その時だった。
「そこにいるの……、誰?」
ふと、少女のような声がした。
聴こえてきたのは廊下の向こう側――灯がこうして膝を抱えている教室の扉、その教室の反対側の扉の辺りに、一人の少女が立っていた。
「……え?」
見たことのない少女の姿に、思わず灯は絶句する――まさか、今回の事件の……。
(嘘……、こっち側にいるはずがないですのに。ううん……、そうじゃない。まさか、本当は――!)
黒く、長い髪を靡かせながら、その少女が――見た目的には十二、三歳程度だろうか――こつん、こつん、と廊下に足音を響かせながら、灯のもとへと歩み寄ってきた。
「ッ……!」
絶対絶命だ――そう思い、灯は思わず目蓋を強く閉じた。
◆
船橋由香利は、自分の担当である三階を大体のところ調べつくしていた。
他の三姉妹――佐久間飛花里と一之瀬灯には、自分の担当の調査を終えたら、一階の昇降口にて集合、と伝えていた。
「うーん。灯は二階だから、先にあの子の様子でも見に行こうかしら。あの子ってば、どうにもトロいところがあるし……まあ、本人に言ったら怒られちゃうから言わないけれど」
一人呟きつつ、窓の外に見える夜空を眺める。
今宵は満月の夜だ――こんなに綺麗な月夜だと言うのに、どうしてこうも事件というものは起きてしまうのだろう。
そんなことをふと考えながら、すぐに思考を入れ替える由香利。
「予知能力……か。未来を知る力なんて、所詮は曖昧なものに過ぎないわよね」
ただそう口にして、由香利は二階へと降りる階段へと向かっていった。
◆
「ご、ごめんなさい……。驚かせるつもりは、なかったの……」
目蓋を閉じていた灯は、唐突にそんな言葉を耳にした。
思わず目を見開いて、目の前で申し訳なさそうにこちらを見下ろす少女の顔を凝視した。
「……え?」
「あの……香奈さんの、お知り合いの人……?」
恐る恐る少女がそう問う――香奈の名前が出たことに灯は驚き、今までの恐怖心などどこかへ飛んだように立ち上がった。
「香奈を知ってるですか……?」
「は、はい。ここに……その、隠れてるの」
少女が言いながら指差したのは、まさしく灯が目前にしている教室であった。
「この中に……香奈が」
灯は突然の事態に戸惑いを隠せない――この見慣れない少女は一体どこの誰だろう?
もしかすれば、この少女は演技をしているだけで、これは罠――という可能性だって否定はできない。
だが――
「……中に入っても、いいですか?」
「香奈さんが、入れて欲しいって……言ってるの。だから、私が出てきたの……」
少女の言葉に、偽りがあるとは思えない。
香奈の名前を知っているだけでも十分だといえるし、ともかく、今は彼女の言葉を信じる他に、灯に打つ手などなかった。
灯は黙って頷き、教室の扉へと手を伸ばした。
ガラガラと音を立てながら、スライド式の扉がゆっくりと開かれていく。
扉を開き、教室の中へと脚を踏み入れて――ふと、ツンと鼻をつく嫌な匂いがした。
教室の中心に、ひとつのバラバラ死体があったのである。
一気に背筋が凍る感覚を得ながら、灯は思わず吐きそうになった口元を手で押さえる。
「……くすくす。驚いた? お姉さん」
背後からは嘲るように笑う少女の声。
一之瀬灯は、今度こそ絶対に絶命な状況へと陥った。
◆
倉坂濠夜と有栖川京は、一階の浴場へと脚を踏み入れていた。
食堂や手洗い場といった、人の隠れやすいスペースは、ほぼ調べ尽くした――一階で残っているのはこの場所しかない。
「……わかりました。はい、そうします……はい。では」
通話を終えた京は、折りたたみ式の携帯電話をしまうと、濠夜のほうへと向き直る。
「百瀬先輩は二階の調査を終えたみたいです。……さすがは透視能力、ですね。指揮のほうは問題ないみたいですから、あとはこの浴場を調べるだけです」
そんな京の言葉に耳を貸していたのかいないのか――浴室の中心で辺りを見回しながら、濠夜が明らかにつまらなさそうな表情を作った。
「チッ……なんだよ、結局コッチは外れだったってことじゃねーか。オレの予想が外れるなんてな。これじゃ、犯人は校舎側にいるってことが確定したようなもんだぜ」
大浴場――といっても、その実、隠れるような場所は限られている。
濠夜は、他の生徒よりはこの宿舎の構造を理解しているつもりだ――それも毎晩、抜け出す為に色々と調べたからなのだが――だからこそ、この大浴場にさえ誰一人として隠れていないことぐらいすぐに解る。
あまりに予想外な展開を前に、濠夜は本当に面白くないと言いたげな顔をして、
「ま……予想は外れたが、宿舎が殺し合いの場になるってのはどうも気が散ってならねーしな。人の気配がしない夜の校舎のほうが、確かに戦場にゃ相応しいけどよ」
「……、ひとつ聴いてもいいですか? 倉坂さん」
「あん? なんだよ」
「どうしてあなたは、そんなにも戦いたがるんですか?」
唐突な京の質問に、ただ濠夜は鼻笑いをすかして返す。
「そんなもん、楽しいからに決まってんだろーが」
濠夜にとっての行動理由なんてものは、基本的にそれだけしかない――今回は他意もあるが、根本的なものは何ひとつ変わりはしないのである――ただ戦い、殺し合い、本能的な部分が、そういった『スリル』を追い求めている。
倉坂濠夜とは、あくまでそういう人間だ。
周りからは不良生徒だのと呼ばれているが――彼女にとっては、そんな呼び名さえ生ヌルい。
それこそ、彼女はただの『戦闘狂』なのである。
「……そうですか。それじゃあ、楽しければ人の命を奪ってもいいと、思いますか?」
「それはオレに道徳を説いて欲しいっつー意味で言ってんのか? それなら答えはノーだし、楽しいだけで人殺しをやってる奴ってのは、正直なところ狂ってると思うぜ。ま、オレ自身、相当狂ってるって自覚はあるけどよ」
「狂っている……ですか。……そうですよね。人を殺しておいて、笑っていられる人間は、やっぱりおかしいですよね」
濠夜は、そこでようやく、目の前の少女の様子がおかしいことに気が付いた。
「……何が言いたいんだよ」
「いえ、別にたいした意味じゃないんです。ただ、そうした人間を庇おうとしている人間っていうのも、やっぱり狂っているのかなぁ……って、そう思うんですよ」
瞬間、何かが濠夜の首筋に触れ――言葉もないまま、濠夜はただ目を白くしてその場に倒れた。
有栖川京は、その手にスタンガンを握り締め、それを濠夜の首筋へと撃ったのである。
「……ごめんなさい。でも、あの子がこっちにいないってことはわかったし、あなたはもう邪魔にしかならないから」
無表情のまま、京は手に握っていたスタンガンを上着のポケットへと仕舞う。
ぴくりとも動かない濠夜を背に、彼女は踵を返し、大浴場を後にした。
◆
一之瀬灯は、背後の少女に対して何もできないまま――ただ、息の詰まる空気を感じていた。
目の前にあるバラバラの死体――教室の中は明かりも無く、それが誰の死体かは把握しきれないが――ただひとつだけ言える事、それは、灯の背後に立っている少女こそ本当に今回の事件の犯人である――と言う事だ。
「……、どうしてこんなことをしたですか」
灯は恐怖心に耐えながらも、苦し紛れに言葉を紡ぐ。
いつ殺されてしまってもおかしくないこの状況では、もはやできることなどこの程度の時間稼ぎくらいだろう――そんな灯の思惑を知ってか知らないでか、背後に立つ謎の少女は、どうやら灯の言葉に耳を向けたようだ。
「こんなこと、って言うのは一体どのことを指してるの? お姉さんがいま見ているその死体のこと? それとも……」
ふと、背筋を上から下に指でなぞられる感触を得る――灯は思わずうめき声をあげてしまう。
背後の少女は楽しんでいるのか、そんな行為を繰り返しながら、
「あの教師を殺したこと?」
間違いない――灯は確信する。
まさかこんな場所、タイミングで犯人と出くわしてしまうとは思ってもみなかっただけに、灯の心臓は強く脈を打ち続け、緊張の汗が額から流れ落ちる。
灯の心身が伝わっているのだろうか――背後の少女はくすくすと気味悪く笑いながら、その指を灯の首筋までゆっくりと這わせた。
「ッ……。灯を、殺すですか」
「うーん。死にたくないのはわかるんだけどね? ほら、やっぱりわたしもこんなところで捕まっちゃうわけにはいかないし。現にこうして一人殺しちゃってるから、どうあがいたって有罪で豚小屋行きになっちゃうんだもの」
「一人……? 二人じゃないですか。そこの……その人と、暮凪先生。二人もの人間を殺しておいて、今更逃げおおせようだなんて……」
「……あぁ。勘違いしてるみたいだから、誤解は解いておくけど――その教師を殺したのは、わたしじゃないんだよ?」
「は――?」
「殺したのは久峰麗華。わたしはその現場に居合わせただけに過ぎないし、その時に麗華に殺されかけてた渋谷香奈さんを助けたのだって、わたしなんだから」
背後の少女の腕が、灯の背中から抱き締めるように絡み付く――その指は灯の胸元をさすり、少女は震える灯の耳元で囁くように、
「勘違いして欲しくないなぁ。わたしはただ、殺人鬼の妹を殺しただけなのに」
パチン、と、背後の少女はもう片方の手を使い、教室の扉付近にある電灯をつける為のスイッチをオンにした――その瞬間、灯の目の前にあるバラバラ死体の全貌が明らかになる。
「な……、これって」
そこにあったのは、見るも無残な少女の死体。
見知らぬ顔、見知らぬ服装――それは、間違いなく渋谷香奈のものではなかった。
「ほら、やっぱり勘違いしてた。それはお姉さんの探し人じゃなくて、このわたしが探し出してようやく殺した殺人鬼・久峰零次の妹、久峰麗華なの」
「久峰……麗華……。それじゃあ、あなたは――」
灯は、思わず背後の少女へと視線を向けた。
「――わたしは有栖川舞。この学園でお世話になってる、有栖川京の妹だよ」
◆
有栖川京は、宿舎の廊下を一人歩いていた。
暗所が苦手な彼女にとって、こうして一人で歩くのは精神的にキツい――だが、もう後戻りはできないところまできてしまったのだ……怖いなどとは言っていられない。
「あの子は……、舞は大丈夫かな……」
有栖川舞――京の妹であり、今回の事件に関わっている人物。
京は最初から、この事件の犯人が妹の舞と関わっていると言うことに気が付いていた――百瀬百合花の口から『久峰麗華』の名前が出るとは予想外であったものの、それを踏まえれば、今日の夜、唐突に妹の舞が京の自室へと姿を現したことにも納得がいく。
突如としてやってきた舞は、京にとある『お願い』をした。
それは、今夜だけ委員会・監視班による監視を緩めて欲しい、とのことだった。
京は元々、監視班の代表とも言える存在だった――そのことを話した記憶はないが、少なくとも、京がこの学園を仕切るグループの一員であるということを理解していた舞は、唐突にそんな話を切り出したのである。
昔から、京は妹のお願いだけには弱い面があったのだが、今回ばかりはそんなことを軽々しく引き受けるわけにはいかない――京にも、今、自分が受け持つ仕事へのプライドというものが少なからずあったからだ。
だが、それ以上に舞の眼差しは真剣そのものだった。
姉として、妹の決意を尊重せざるを得ない――悪いことだと解っていても、久々に会った妹の頼みを簡単に無下にできるはずもない。
結局、京は舞のお願いを聴きいれ、指定された時間帯の監視カメラの記録を改ざんしたのである。
そして、この事件が起こった。
まさか殺人事件などという物騒な事態に陥るとまでは予想できなかった京は、なんとか事件に巻き込まれているのであろう妹を助けようと、監視班の目を盗みながら、カメラ越しに彼女の姿を探そうと必死になっていたのだが――そこで、思いもよらない事態が起こる。
百瀬百合花が、この有栖川京を捜索班へと移動させたのである。
最初は、自分のしたことがバレたのかと思った――だが、実際はそんなことではなく、今回の事件の犯人が『久峰麗華』である可能性があるということ、そして、その少女と面識があるのは京ただ一人であるということ――それが理由だった。
安堵しつつ、しかしこれではいつ監視カメラに妹の姿が映し出されるか解らない。
京は戸惑い、どうすればいいのか思考し、流されるがままに倉坂濠夜という初対面の能力者に連れまわされながら――
ようやく、一つの解答に辿り着いた。
(舞が探していたのは、きっと久峰麗華……。もし本当に麗華ちゃんが犯人なのだとしたら、舞は? ……もしかすれば、舞は最初から、麗華ちゃんの――)
そう――考えれば考えるほど辻褄が合う。
舞が親友だと言っていた少女、久峰麗華――そして、その少女が今『危ない』のだと言っていた。
それを助け出す、という事は、最初から舞は殺人者である麗華に協力している――そう考えるのが自然だし、監視カメラの件だって、麗華を逃がす為の退路を作りたかっただけなのではないか?
そして今、彼女達が見つかったという報告はない――つまり、まだ敷地外へは逃げ出していないということ。
「待っててね、舞……。あなただけは絶対に、お姉ちゃんが助けてみせるから」
それは結果的に殺人鬼の妹をも助けるということであり、同時にこの学園を敵に回すということでもある――京はそれを承知の上で、それでもかけがえのない妹を助ける為に前へと進む決意をしたのだ。
例えその先に、百瀬百合花が立っていたとしても。
「……一人でどこへ行こうというのですかしら、有栖川さん」
一人、宿舎の玄関口に立ち尽くす少女――百瀬百合花が静かにそう言い放った。
◆
「っ……、離して下さいです!」
一之瀬灯は、背中にくっつく少女――有栖川舞を振りほどくように、強く身体を回転させる。
勢いよく舞の身体を引き剥がし、向かい合うように舞の顔を睨みつけた。
「……事実がどうだかは知らないですが、あなたも立派な殺人者です! いくら事件の犯人だからといって、殺してもいいと思ってるですか!」
先ほどまでの怯えていた姿はどこへやら、急変した灯の態度に舞は少しむくれながらも、気持ちの悪い笑みを浮かべたまま返答を口にする。
「うん、そうね。別にわたし、自分が悪くないなんて言った覚えはないけど。それに、殺した理由なんてこの際どうでもいいし」
「なっ……!」
「あなた達の目的はあくまでそこの久峰麗華と、失踪者の渋谷香奈さんだよね? 香奈さんならそこのロッカーの中で眠ってるし、ケガもないから安心して。少しだけお話したけど、あの人最後まで怯えてたなぁ……あはは。ま、ともかく、わたしはここであなたを殺して逃げ出さないと、やっぱり殺人者扱いで捕まっちゃうから――
――とりあえず、死んでおいてくれない?」
ビクッ、と灯が反応したが――そんな隙が許されるほど、相手は素人ではなかった。
一気に距離を詰められ、灯の顔面めがけて少女の掌が伸び――
「そうはさせないわよ!」
不意に聴こえる声が少女の注意を逸らした――その聞き覚えのある声に、灯は思わず涙を浮かべてその名を呼んだ。
「由香利ーっ!」
危機一髪――ナイスタイミングで駆けつけた船橋由香利のハイキックが、舞の後頭部に直撃した。
「きゃあッ――!」
見事に決まったその一撃が、舞の身体を勢いよく床に転がせる。
すかさず由香利が灯の元へと駆け寄ると、怯えきった灯の姿を自らの背後へと守るように隠した。
「由香利……ごめんなさいです……。灯が弱っちいせいで……」
「何言ってるのよ、灯は十分によくやってくれたわ。だって、こうして時間稼ぎをしていてくれたんだもの」
由香利は微笑んで、灯の髪を撫でながら囁いた。
それが今は嬉しくて、何よりも頼もしく感じられた灯は、次第に湧き上がっていたはずの恐怖心が消えていくのを感じていた。
「さてと、それじゃあ反撃開始とさせてもらうわよ。殺人姫さん?」
◆
宿舎の玄関口と、そこから続く廊下の途中に立つ二人の少女――百瀬百合花と有栖川京は、互いの姿を一度たりとも見逃さないと言わんばかりに見つめ合い、もしくは睨み合っていた。
いくらなんでも行動が早い――そう思う京をよそに、百合花は毅然とした態度でそこに佇んでいる。
まるで最初から、こうする事を知っていたかのように。
「どうしてわたくしがここにいるのか、不思議そうな顔をしていらっしゃいますわね」
「っ……!」
京は百合花の顔をしっかりと見ることができない――外の月光だけが頼りなこの空間で、百合花からは京の顔がわかるのかもしれないが、京からしてみれば、光を背負ってそこに立つ百瀬百合花の姿は、まるで影そのもののような存在に見えた。
「別にそこまで驚くようなことでもないでしょう? わたくしの超能力は透視ですもの。二階にいれば、一階の様子ぐらい簡単に把握できるのですから。……まさか倉坂さんがあんな不意打ちにやられてしまうとは、少し予想外というか、期待外れではありますけれど――まあ、問題はないですわね。わたくしに不意打ちは通用しませんわよ?」
「そこを退いて下さい、百瀬先輩。早く行かないと、私の妹が危ないんです……!」
「ええ。知っていますわ」
百合花の思いもよらない返し言葉に、都は思わず絶句した。
「……、どういう意味ですか」
「知っているのですよ。わたくしは最初から、貴女が監視カメラのデータを改ざんしていたことも、妹である有栖川舞さんと宿舎内で会い、話をしていたことも……全て知っていたのです」
「そんな……! じ、じゃあ、どうして私を……?」
「貴女も不思議に思いましたでしょう? 元々、監視班向きなはずの自分が、どうして捜索班に選ばれたのか……と」
「それは、私しか麗華ちゃんの顔を知らないから……」
「いいえ、違うのですよ。あれは真実を隠す為の誤魔化しに過ぎません。本当は、貴女を監視班から遠ざける為の処置でしかないのです」
「私を……。なるほど、そういう事だったんですね」
そんな百合花の事実の証言に、京は納得せざるを得ない――だが、それでもまだおかしな点はいくつも存在している。
「ですけど、それなら……どうやって私と舞のことを知ったんですか?」
「簡単なことです。目撃者がいたからですわ」
「……目撃者?」
「暮凪遙診先生ですよ、有栖川さん。彼女はこの宿舎の官僚も勤めています。丁度、今日は彼女が見回りの日だったのですが、その見回りの途中……偶然にも貴女と舞さんの会話を聞いているのですわ。そして、当然その報告を耳にしたわたくしは、同時に暮凪先生からもう一つ報告を受けています。それが、有栖川舞という少女を敷地の入口付近で保護し、預かっている――というお話ですわ」
「舞を……暮凪先生が……?」
「そうですわ。というより、おかしいとは思わなかったのですかしら? まずこの敷地内に入るにはそれなりの手続きが必要です。それもなしに突然やってきた少女が、委員会や教師、官僚の目に留まらないわけがありませんでしょう?」
京はハッとする。
確かに言われて見ればそうだ――例え侵入できたとしても、すんなり宿舎の中までやってこられるとは限らない。
監視カメラのデータ改ざんは完璧だったが、それはあくまで映像記録上での話でしかない――直にその姿が見つかってしまえば、それは監視カメラ以前の問題ということになる。
「ですが、一つ問題がありました。暮凪先生が貴女達の会話を聞いたのは事実ですが、消灯時間を過ぎた宿舎内では、暗闇であまり姿が見えません――会話内容から貴女と舞さんだということは推測できますが、確証はない。ですから、貴女を一旦泳がせたのですわ。本当に細工を行うのかどうか、会話の真実を見極める為にも」
「……そうして、事件が起きたんですね」
「ええ……わたくしとしても予想外でした。まさか一日足らずの間にこんな事件が起きてしまうとは。暮凪先生が殺害されたと聞いたとき、今回の事件の真相については予測できはしましたが……まさか、本当に貴女やその妹さんが関わっているとは思いもしませんでした」
百合花はどこか悲しげな表情――といっても暗闇ではっきりとは見えないが――を作りながら、静かにそう呟いた。
「わ、私達は事件の犯人ではありません! 今更、こんなことを言っても信じては貰えないかも知れませんけど……。舞は……ただ……」
「もちろん、それも理解しているつもりですわ。舞さんは探し人を求めてこの場所へとやってきた……それが誰であるかは聞かされていないようですけれど、大体予想はできます。そうでしょう?」
「……まさか、それも最初から気付いて?」
「久峰麗華。少し調べれば、貴女方との接点も見つかりました。……逆に言えば、調べなければ接点があることなど解りはしませんでしたけれど。紅条焔さんが匿っているというお話をしていた少女――それが久峰麗華さんであり、今回の事件に貴女方が関わっているのだとすれば、必然的に久峰麗華を追ってきた有栖川舞、今回の事件の犯人はそのどちらか――という事になるのですわ」
ようは、友人同士の喧嘩にでも巻き込まれてしまったのでしょうね――と、百合花は笑えない冗談を付け加える。
京は驚きながらも、確かに辻褄が合うことに納得さえしていた。
「……そうですね。私もそう思って、舞を……できることなら、間違いを犯してしまった麗華ちゃんも……救おうと思ったんです」
「この学園を敵に回してでも、ですかしら?」
「はい……。私にとって、妹は生き甲斐とも呼べるくらい、大切な存在なんです」
百合花はその言葉を聞き、少し沈黙した。
焦燥感が募る中、京は文字通り手に汗を握る状況で、
「お願いします、ここを通して下さい……! 早くしないと、妹が……舞が……!」
「……はいそうですか、と聞いて差し上げても良いのですけれど。――残念ながら、わたくしだけの判断で首を縦に振れる状況ではないようですわよ?」
「え……?」
暗闇の中からでもわかるくらいに不敵な笑みを浮かべながら、京の姿を見つめて言い放つ少女、百瀬百合花。
――否、彼女が視ているのは京ではない。
「パートナーをポイ捨てして一体どこへ行こうってんだよ、おかっぱ眼鏡?」
京の背中、その背後――廊下の後ろから響く足音と共に、倉坂濠夜が何事もなかったかのように登場した。
「く、倉坂さん……? どうして……」
後ろを振り返り、宿舎入口から照らされる光によって微かに見えるその姿を確かに直視した京は、一体何が起こっているのか理解できないまま、ただそう問い掛ける。
「どうして、ってのはオレを甘く見過ぎじゃねーのか。まさか、あの程度の攻撃でオレが本当にやられるとでも思ったのかよ?」
「そ、それは――」
「まー確かに不意を突かれたのは認めるが……別にあの程度なら大したことじゃない。慣れてんだよ、そういうのにはさ。――とにかく、話は大体聞かせて貰った。犯人がコッチにいねーってのも解ったし、いつまでもこんなところでグダグダやってる暇はねーだろうがよ」
濠夜はそう言いながら何の躊躇もなく京の隣を通り過ぎて、その先に佇む百合花へと一瞥をくれた。
「オイ、百瀬。テメェもいい加減に後輩をイジめんのはその辺にしとけ。事情は把握できたんだ、オレとおかっぱ眼鏡はさっさと校舎まで行かせて貰うぜ」
「……ええ、それは構いませんけれど。ですが、彼女を連れて行く理由はもうありませんでしょう?」
当然の事だと言いたげな百合花の態度に、京は内心苛立ちを覚えていた。
確かに、この状況では彼女にとって京は敵でしかない――そんな相手に情けなんてかける必要はないだろう。
だが、それでも京にとって有栖川舞という存在は大切なものだ――それは解って貰えてもいいはずなのに。
「……ッ」
そんな気持ちが胸中で渦巻いているのに、言葉にできない。
脚はその場からくっついて離れず、手に握られた汗は増えるばかり――京は自分の情けなさを同時に恨みながら、ただ黙していることしかできなかった。
「連れて行く理由、だと?」
そんな彼女の心境を知ってか知らずか、目の前に立つ少女――倉坂濠夜は、京が裏切り地味た行為をした事など忘れたのか、それとも気にも留める必要がないのか――ただ自分の思うがままに、その口を開く。
「そんなもん簡単だろ。オレがコイツと組むって言った瞬間から、コイツはオレのパートナーなんだよ。……そんなにテメェが納得できないってんなら、納得できる理由をつけてやる。このおかっぱ眼鏡がもしおかしな行動に出やがったら、そん時はオレが全力で止める――それでいいんじゃねーのか?」
「……解りました。倉坂さんがそこまでおっしゃるのでしたら、わたくしにも止める理由がありませんわね」
観念した、といった表情で降参のポーズを取る百合花。
先程までの緊張や苛立ちはどこへ行ったのか、京はただ嬉しくて、濠夜の元へと歩み寄った。
「あ、あの……私……」
「なんだよ、おかっぱ眼鏡。……ああ、言っとくけど勘違いすんなよ。このオレにスタンガン一発くれやがった事は別に忘れちゃいねーし、許してもいねーんだ。その借りはしっかり返させてもらう。――全部、終わった後にな」
◆
棘薔薇学園、その校舎――二階にあるひとつの教室の中で、二人の少女が睨みあう。
一人の少女は地面に尻を付かせ、目の前に立ち塞がる金髪黒カチューシャの少女を見つめ――その少女は、自分が蹴り飛ばした長い綺麗な黒髪の少女に向かい構えを取る。
「随分と派手なご挨拶ね、お姉さん」
黒髪の少女――有栖川舞は、さも皮肉めいた言葉を挑発じみた口調で吐きかける。
「わたしに直撃を入れた事は褒めてあげたいけど。……お生憎様、わたしって他人に邪魔をされるのが凄く嫌いなの」
立ち上がりながら舞はそう言い放つ――表情こそ穏やかではあるものの、その口調からは相当の苛立ちを感じられた。
そんな少女の態度を見つめながら、だが金髪黒カチューシャの少女――船橋由香利は恐怖心のカケラも見せず、ただ余裕綽々に凛然とした態度で答える。
「あら、人殺しなんて他人に邪魔されるべき行動よ? そうでなければこの世はとっくに殺人者で埋め尽くされてるわね。まあ、貴女みたいな幼い子供相手ともなるとさすがに論外なんだけど。とにかく灯に手を出そうとした事は戴けないし、貴女が今回の事件の犯人じゃないとはいえ、そこに転がってる死体については言い逃れできないのも事実よね。――観念しなさい殺人姫、貴女はここで捕まるのよ」
「……威勢だけは良いみたいだけど。お姉さんだけで、このわたしに勝てるのかな?」
「そうね。やってみれば解るんじゃない?」
「ッ……舐めた口をっ!」
二人の少女が動いたのは同時――否、若干ではあるが、由香利が先に脚を踏み出した。
そのまま前屈みの体勢で、突進するかのように一気に相手との距離を詰めにいく由香利に対し――だが、舞はただ両手を突き出して受け止める形を取っていた。
にやり、と舞の口元が歪む。
このまま舞が由香利の身体をその両手で受け止めてしまえば、それだけで全てが片付いてしまう。
舞の持つ超能力、その発動条件は、
「お馬鹿さんにもほどがあるわよ、お姉さん! わたしのチカラはね――」
「――相手に触れれば発動する、でしょう?」
ピタリ、と由香利の身体が動きを止める。
その瞬間、舞の後頭部に強烈な打撃音と共に不意の一撃が加えられた。
「な――、ど、どうし……て……」
勢いはなく、ただ一度天を仰ぎながら舞はゆっくりとその場に倒れ込んだ――その背後にはいつの間にやら、長身青髪ポニーテールの少女――佐久間飛花里が立っていた。
「良いフェイントだったな、由香利。……気配を消していたというのに、良く気付いたものだ」
「よく気が付いた、なんて……冗談はやめてよね、飛花里。わたしからしてみれば、こんなのちょっと前から視ていた結果でしかないんだから」
「そうか、予知能力……。戦闘で使うところを見るのはこれで初めてだが、なんとも存外強力なチカラだな」
「ま、予測に近いけれどね。この教室に飛び込む前に連絡しておいた飛花里の行動力とその脚の早さ、行うであろうパターンを考えれば、丁度これくらいのタイミングで来るだろうっていう結論に至っただけなのよ。……まあ、それも能力によって予測できるチカラを強化されているおかげなのだけれど」
一仕事終え、軽くため息をつきながら由香利は呟く。
後ろで見ていた灯にとっても、これは予想だにできないほど呆気ない結末だった。
「それだけじゃないです。由香利は、その子……有栖川舞の行動パターンさえも予測していた……」
「ん? まあ、そうでもしなきゃ今みたいな一発勝負はできないでしょう。正直、わたしって賭け事はあまりしたくないし、リスクはなるべく犯さないタイプだから。さっきのだって余程確信が持てなければやらないわね、普通」
「それを成し遂げてしまうのが由香利の持つ未来予知、なのだろう?」
「やっぱり凄いです、由香利」
「やだ、何よ二人とも。そんなにおだてたって何も出ないわよ? ……それに、まだ事件は片付いていないんだから。気を緩めちゃ駄目よ」
由香利の言葉に、灯と飛花里は同時に頷いた。
そうして、飛花里は倒れる舞に触れ、気絶していることを確認――灯は教室の奥にあるロッカーへと駆け寄り――由香利は室内に腐臭を漂わせている原因、バラバラになった一人の少女の死体へと歩み寄った。
「……香奈? しっかりするです、香奈!」
「う……ううん……」
「き、気が付いた……? 良かったです……香奈……」
ロッカーの中、膝を抱えるように突っ込まれていた少女――渋谷香奈は、灯の呼びかけに反応し、うっすらとその目蓋を開いた。
「……あかりん?」
「あ、あかりんって呼ぶなですっ! ……っと、あ……ごめんです、香奈。どこか痛いところはないですか?」
灯がそう声をかけた瞬間、何かおかしなモノでも見たかのような表情をして、目を覚ました香奈が返答する。
「な、なにー? なんか気持ち悪いよー、あかりん。どしたのー?」
「……。軽口が叩ける程度には、大丈夫みたいですね」
「香奈ちゃんは大丈夫だよー。もしかして、助けにきてくれたー?」
「そうです、灯達に感謝して欲しいです。……ま、まあ、灯としては別にどうでもよかったですけど、香奈がいないと困る人がいるですし」
「そうだねー。でもねー、残念ながらほむりゃんはあたしのだよー?」
「なっ……! べ、別に灯は――」
そこまで口にして、灯は背後から聴こえるおかしな音に気が付いた。
ぐちゃ、
ぶちぶち、
どさり。
何かが引き千切れるような音と、それが落ちて転がる音――。
「……え?」
背筋に走る悪寒に絶えながら、灯は震えた。
「どしたのあかりんー? 怖い顔して」
「み、見ちゃ……駄目ですよ、香奈」
「何……何を言ってるの、あかりん……?」
「いいから! お願いですから何も見ないで全力でここから逃げ出してください!」
それだけ言い放ち、灯は香奈の身体をロッカーから引き出すと、そのまま隣の扉を開いて外へと押し出した。
すぐに扉を閉め――取り付けられている鍵を閉めてから、灯は後ろへと振り返る。
ドンドン! と扉を叩く音が二、三だけ聴こえたが、それから先はもはや音など聴いている余裕などない――目の前の惨劇と呼べる惨状に、灯は身を震わせ恐怖していた。
「ひ、飛花里……。飛花里ぃぃぃいっ!」
――そこには、佐久間飛花里の飛び散った肉片と。
その中心で、血まみれになって佇む少女の姿があった。
「灯! 貴女も早く逃げなさい!」
その少女――有栖川舞に立ち向かうように、由香利は後ろを振り向かずただ叫び放つ。
だが、今の灯にはどんな言葉さえ届きはしない。
恐怖心――目の前でバラバラ死体になった飛花里の亡骸に、灯の意識は釘付けにさせられてしまっていたからである。
「……うふふ。侮ったようね、お姉さん。これで貸し借りはチャラ、ってところ?」
「なんてことをしてくれたのよ、貴女……! 飛花里は……飛花里は、わたし達の大切な……ッ!」
激情をあらわにしながら叫ぶ由香利と、愉悦と恍惚で満たされた表情で頬についた血をぺろりと舐める舞――一刻前と完全に立場が逆転した二人の間に、言いようもない殺伐とした空気が漂う。
「ともだちねえ。結局は赤の他人でしかない相手なんて、そこまで気にかけるほどのものなの? 少なくとも、わたしからしてみれば……ともだちなんてものは所詮、虚像でしかない」
由香利と舞の間にあるもう一人の少女のバラバラの死体――有栖川舞が殺害した少女、久峰麗華――その成れの果てを、どこか哀愁のようなものが含まれた表情を浮かべながら、舞はそれを見下ろして呟いた。
このとき、背後で彼女らの様子を覗っていた灯は、正気を取り戻しつつあった――それと同時に、由香利の勝利を確信さえする。
(……由香利は、灯達にとって一番頼れる立派なリーダーです。一度破った相手を、二度破れない事は絶対にない……! 未来予知で相手の動きがわかる由香利なら……、由香利なら必ずあの子に勝ってくれるはずです……!)
しかし、未だ不安定な精神状態である灯には気付かない――否、気付けない。
自分のその考えが、ただ一つの願望から生まれていることに。
船橋由香利が勝たなければ確実に自分は死んでしまう、その事実から逃れたいが為の一種の現実逃避が、彼女にとある現実を知らしめない。
――激情に身を任せ、精神が不安定であるひとりの少女に、そのチカラはあまりにも手に余る存在だということを。
「わたしねぇ、解るんだよお姉さん。――未来、視えないんでしょ?」
「な……」
「未来予知、だなんてご大層な名前を持った能力みたいだけど。所詮のところ、今のお姉さんには過ぎたチカラ。とてもではないけれど、そんなお姉さんに負けてあげられるほど、わたしってヒマじゃないのよね」
まるで見透かしたかのような少女の発言に、驚いたのは由香利ではない――灯であった。
「ど、どういうことです……? 由香利、どうして黙っているですか?」
「……ッ」
「由香利ぃっ!」
返事は無く――ただ悪魔的に微笑みながら、その右手を広げて突き出す舞だけが、その場からゆっくりと歩み始めた。
灯は依然として動くことが出来ず――由香利もまた、迫り来る魔手さえ払えずに、
「……、灯。最後のお願い。逃げて……早く」
ただ懇願するように、背後で見守る少女に向けて別れの言葉を告げた。
「な……何を言ってるですか、由香利! 由香利なら……未来が視える由香利なら、そんな相手一人ぐらいどうとでもなるはずです! なのに、どうしてそんなこと……!」
「視えないのよ。……おかしいことにね。その子の言う通り、もう今のわたしには何の未来も視えていない――」
「そ……んな……」
「だから勝ち目はゼロ。今のわたしや貴女は、ただ何の力もない普通の女子高生と変わりはしない。……そんな人間が、二人して殺人姫に勝てるわけがないでしょう。逃げることもね。だからせめて、灯だけでも逃げて」
「ゆ、由香利は……? 由香利はどうなるですかっ!」
「――死ぬんだよ。今ここでね?」
そう言い放ったのは、他の誰でもない――有栖川舞だった。
それと同時に、由香利はその場から跳ねるように舞の胸元へと跳び込んで、
「逃げなさい! 灯っ!」
「い……、いやぁぁぁぁぁぁあああああああああああっ!」
その刹那――由香利と舞の身体が触れ合うその直前の時――灯の中から理性が失われ、感情が失われ――ついに、恐怖心さえもが消え去った。
叫ぶと同時に――いや、叫ぶ前からかは灯自身も覚えてはいないが、彼女の脚は本能と掛け離れて動き出す。
駆け出したことさえ記憶にないまま、自分が何をしたのかなんて、そんな些細なことさえ気付かずに。
「……、え?」
そうして、気付けば由香利の服を掴んでいた。
そうして、気付けば由香利を思い切り引っ張った。
そうして、気付けば――
一之瀬灯が、絶命した。
「は……?」
由香利は何が起こったのか理解できないまま投げ飛ばされ、教室の端で仰向けになりながらその一部始終を目撃した。
最初は、どうして自分が死んでいないのかと疑問に思った。
次に、強烈な衝撃が背後を直撃した。
最後に、目の前で一之瀬灯が死んだ。
膨らませた風船が破裂するかのように、赤い血しぶきを飛び散らせ、グロテスクな肉片を撒き散らしながら。
「あらら、ちっちゃいほうが先に死んじゃったね。弱虫だと思ってたけど、結構やるじゃない。……ま、それで死んでちゃ意味ないんだけど。あははは」
由香利は、自分でもわかるくらいに強く音を立てて歯軋りをした。
許せない。
目の前の殺人姫のことが。
――そして、何よりも。
親友を守れなかった自分の不甲斐なさが、許せない。
「……わたしのするべきことが決まったわ、殺人姫」
ゆらりと立ち上がり、いつよりも冷静に――先ほどの激情の欠片も覗えず、ただ微笑さえ浮かべるほどの余裕を見せつけて。
「な、なに? 二人も殺されて、ついに頭おかしくなっちゃった?」
「おかしいのは最初から貴女のほうよ。……面白いわ、面白過ぎてついついニヤけてくるもの」
「……、まさか」
「視えたのよ、殺人姫。――貴女の最期って言う未来がね」
◆
百瀬百合花は、薄暗い廊下の中を歩きながら、監視班のもとへと向かっていた。
これからは自分の出る幕ではない――相手の居場所がわかった以上、今度こそ総員の指揮にあたるべきだ。
万が一、ターゲットを逃すことがないように――自分のすべき善処を尽くす、そうでなければいけない状況に今、彼女は立っている。
(三姉妹や渋谷さん、倉坂さん達……。皆さん無事に帰ってきて下さると、わたくし信じていますわ。ですから……)
祈るように思いふけながら、百合花は歩みを止める。
百合花の透視能力は、基本的に暗闇さえも透視する――だが、それは意識すればこその話であり、実際に普段は能力を使っていない。
その為か、最初はその先に誰かが居るとは思わなかった。
ふと気配に気付き、能力を行使してその姿を確認して――初めて、そこにいる人物に気が付く。
そこには、
「こんばんは、生徒会長さん。なんだかお困りのようですね」
紅条焔が――いた。
綺麗なオレンジ染みたセミロングの髪をほどいて下ろし、いつもとはまるで違う雰囲気――少女然としたものを漂わせながら。
「焔……さん? いいえ、あなたは――」
「ん、私は焔ですよ? なんだったら、香奈っぽくほむりゃんでも別に構いませんけれど。とどのつまり、あくまで私は焔でしかないんです。……まあ。私、というよりは、私達……と言ったほうが解りやすいかも知れないですけど」
「私達で焔、ですか。……それはまた、面白い言葉遊びですわね」
「遊びもなにも、そのままの意味と受け取ってもらえれば結構です。正直な話、ずっと起きてこない兄の不甲斐なさに少し頭にきたんですよ、私。一応、あの戦闘狂さんにおぶられている間にある程度の話は聞きましたけど。妹が出てきて良い事になってるのは、あくまで兄の感情が不安定になった時の抑止力……という状況だけですから、出てこようかちょっと迷いましたけど」
「……やはり、あなた方は」
百合花は確信めいた言葉を紡ごうとして、不意に焔の人差し指が百合花の口元をそっと押さえた。
「秘密は、最後まで取っておくのが筋ってものです。ね?」
「……わかりました。今は、そのお力をお借りできますかしら?」
「ええ、もちろん。その為に無理して出てきたんですから」
焔は、今まで見せたことがないくらい気持ちのいい笑みを浮かべて、
「――さてと。それで、どこにいるんですか? せいぜい廃棄物処理場にでも送られるのがお似合いな、生きている価値もないゴミ屑は」
◆
船橋由香利は、馬鹿だとしか思えない自分を心底嘲笑うしかなかった。
彼女の未来予知は、行使する人間の精神状態に大きく依存する――というのも、基本的に相手を冷静に分析し、その未来を予測しなければならない能力である為、予知能力者は常に安定していなければならないのである。
だが、今の由香利に精神を保つことなど無理難題――つまるところ、今この瞬間でさえ、彼女には対峙する敵の未来なんて見えていなかった。
けれど、ここで負けるわけにはいかない。
彼女には果たすべき役割ができた――親しい友人、自分の片割れ達と言っても良かったほどの少女達が二人殺され、由香利の生きる目的なんてものは全て崩れ落ちた。
だからこそ彼女は戦い、勝たなければならない。
狂った殺人姫のやり方を否定する、否定しなければならない――一人の能力者として。
見境がなくなった、などと言われてしまっても言い訳はできないだろう――未来が視える、という虚偽を騙ったのだから。
「……未来が視えるだなんて、平然と言えるものじゃないのに、ね――」
今現在、彼女の近くにあの殺人姫はいない――予知能力の復活はあまりに分が悪いと判断したのだろう、窓から飛び降りたのである。
この教室は二階にあるため、そこまで痛手にはならないだろう――だが、由香利にそこまでの身体能力は無く、当然飛び降りた先で待ちうけられる可能性も考慮して教室の扉から飛び出した。
だが――この未来でさえ、敵からすれば由香利には視えたはずだ。
それでもそれを予測できず、窓から逃げるという行為を見逃した瞬間から、由香利の予知能力復活説は怪しいものになってしまう。
「これでもう恐らく後はないわね……、まずは落ち着いて本調子を取り戻したいところだけれど。……ああ、無理。絶対無理よね――未だにこれが夢なんじゃないかって疑うくらいだもの」
一人、学園の廊下を勢いよく走りながら、せめてまずは救援を求めに戻るべき――とまで考えて、しかしそんな当たり前の思考を止めた。
口調こそ冷静に見える彼女の胸中では、有栖川舞という殺人姫を討つことばかりが渦巻いていた――復讐の悪鬼にも似た憎悪を握り締め、ただ敵を追いかけ捕まえる為だけに走り続ける。
自分の命など問題ではない――今すべきことは、あの敵を捕まえて死よりも苦しい人生を歩ませるという未来を掴み取ることだけだ。
(ごめんなさい、飛花里……灯……。貴女達の弔いは、全てが終わってからきちんとするわ。だから今は……少しだけ、待っていて)
後ろ髪を引かれる思いをしながらも、由香利は背後を振り返らない。
ただ決めたから――自分の成すべきことをまっとうする為に、彼女は駆け抜ける。
階段を飛ぶように降り、一階の廊下を突っ走って昇降口から外へと繰り出した。
外に人の気配はない――恐らくは裏側だろう。
冷たい夜の風が吹き付ける中、由香利は間髪いれずに行動を再開した。
◆
棘薔薇の園、と呼ばれる場所がある。
校舎の裏側に位置するその場所は、その名の通り棘と薔薇に包まれた庭園だ。
校舎の半分程度ではあるが、それでも広大な裏庭として有名であるその庭園の中に、殺人姫の少女は姿を隠していた。
二階の教室、その窓から飛び降りた先に待ち受けていた棘の群れ――それらに予想だにしない傷を負わされた少女は、血の流れ出る二の腕を右手で抑えつつ、花陰に隠れて外の様子を探ろうと必死になっていた。
未来予知能力者――上手く騙されたものだ、と少女は思う。
冷静になって考えてみれば、この時点で自分の未来を見透かされていないことが解る。
ようは相手の口先にまんまと惑わされた、ということ。
そして、焦って動いた結果がこのザマだ――あまりに滑稽な自分の姿に、少女はつい肩をすくめて苦い笑みをこぼす。
状況は一気に不利なものになった。
恐らく、あの予知能力者は強力な増援を呼ぶだろう――そうなったとき、果たして自分に勝機があるのだろうか、と想像する。
「……ふふ。嫌なものね、勝ち目の薄い未来を予測するのは。あの未来予知のお姉さんにしてみれば、全ては当然の出来事でしかないんだろうけれど」
それでも、と少女は思う。
この学園から逃げ出す――ただそれだけで、自分の役目は全て終える。
目的は達成した。
あとは、自分を待つ人のもとへと帰るだけ――
「ようやく見つけたぜ、お嬢ちゃん」
不意に背後から声がした。
聞き覚えのないその声色に、思わず少女は振り返る。
「あ……貴女は?」
黒い短髪をボサボサと仕上げた少女――倉坂濠夜は不敵に口の端を吊り上げて、
「ああ、気にすんなよ。ただのしがない戦闘狂ってヤツさ」
目の前の少女がそう言い終わった直後、舞は眉を顰めてその場から飛び退いた。
◆
迷いもせず背中を向けて駆け出す少女を眺めながら、濠夜は頭を掻きつつ呟く。
「……オイオイ、せっかちだな。こんな身動きの取り辛い場所で追いかけっこでもやろうってのか?」
面白ェ――と付け足して、濠夜は少女の後を追い始める。
この棘薔薇の園は思ったよりも広く、生い茂った草花たちがまるで生きた迷宮のように複雑な道を作り出している――その為か、あの廃工場と同じく、障害物だらけの空間での戦いになることは必死に見えた。
「にしても悪趣味な場所だな。こんなモンを裏庭に作ろうなんてよく思えたもんだ。ま、あの百瀬の野郎ならやりかねないっちゃあそうなんだが」
そんな場所で、濠夜にとって何より厄介なことは――この障害物が「生きている」ことである。
廃工場にあった障害物はただの有機物であったが、今回のモノは生物だ――これらを濠夜の能力でどうにかするには、いささか加減が必要になる。
殺さずに済むよう手心を加える――というのは、彼女にとってはなかなか難題なのであった。
「教室に転がってあった死体はおかっぱ眼鏡に任せるとして、さっさとあのガキを捕まえて終わらせたいんだが。ハッ、やっぱオレにこう言うのは向か――」
ずきん、と。
突如として、濠夜の脳天に割れるような痛みが襲った。
「――ッ、が、はァ」
ぐらりと視界が揺れ、立っていることすらままならず――濠夜は無意識のまま、地面に膝をつけていた。
右手でこめかみを押さえながら、苦い表情を浮かべて軽い舌打ちをひとつ。
「チッ……もうそんな時間かよ」
憾むような声色で呟きながら、未だ痛みの治まらない重い頭を上げる。
面倒くせぇ――胸中で吐きつつも濠夜は立ち上がり、逃げ去った少女が向かった先へと視線を向け、揺らすことさえ辛いはずの頭を抱えながら歩き出した。
「なーにやってんだろーな、オレは……」
渋谷香奈――濠夜の友人である彼女はもうすでに助かった。
校舎入口で鉢合わせた彼女は間違いなく生きていたし、怪我一つ負っているわけでもなかった――濠夜にとって今回の事件に首を突っ込んだ理由は彼女の救出だし、それ以外のことなどはどうでも良かった。
だから、本来こうして殺人鬼の少女を追い掛け回すような行為は、彼女には無意味でしかない――いつもなら、関係ないからと放っておくだろう。
だが、それでも濠夜がこうして立ち上がっている理由――それは。
「渋谷はこっち側にいてイイ人間じゃねえ。アイツはあっち側にいるべき存在だったんだよ。ソレを無理やり引きずり込みやがったヤツがオレの目の前にいる……ハッ、確かにこのオレが動くにゃ十分な理屈か――」
濠夜にとって、渋谷香奈という存在は普通の友人とは少し違う――よく共に活動する綾峰雫やその他不良グループメンバー達とは一味違ったその少女は、あくまで濠夜とは違う場所にいて、だが同じ空気を吸うことのできる唯一の人間だ。
その少女が今、自分と同じ場所に立ってしまおうとしている――それは濠夜にとって決して望ましい事態ではない。
濠夜は手遅れだと解っていても、無関係なモノを巻き込んだ存在を許さない。
自分を巻き込もうとするモノ、自分と同じ場所に立つモノには容赦しないが――関係のないモノには絶対に危害を加えないし、加えようとするモノにこそ手加減しない。
それが――倉坂濠夜という少女の持つ、異常に佇む能力者としての本懐だった。
「……さぁて。時間もヤバくなってきやがったコトだし、そろそろ遊びの時間は終わりだぜ――」
いつの間にか歩んでいた脚の速度は増し、棘に囲まれた庭園を駆け抜けて――ようやく、目の先に殺人鬼の少女の姿を見つけ出す。
三秒、四秒――五秒。
五秒間による視覚で対象の認識――これが濠夜の持つ能力の発動条件であり、彼女の能力はその空間に存在し、視覚で認識し得る物質全てに効力を影響させる。
そのチカラとは――
「堕ちろよ、小娘。オレの目の前でその身体ごと地面に這い蹲りやがれ……!」
がくん――と、逃走に全力で駆けていたはずの少女の身体が崩れた。
まるで重い錘が圧し掛かったかのように、その場で両手足を使って四つん這いの格好で当惑と苦悶の表情を浮かべる少女――有栖川舞。
「な、なに……? 一体、なにが……くあっ!」
「どうだ、初めて味わう感覚だろ? テメェの背中には別に何もありゃしねーんだぜ」
重力制御――対象の空間内に存在する物質へと掛かる重力量を自由自在に変換し、操る超能力。
質量だけではなくその方向さえも操作するこのチカラは、こと戦闘においては発動条件こそ厳しいものの、一度相手を捕捉してしまえば関係なく思うがままに蹂躙してしまう。
対人において、これほどまでに便利な能力はない――人体の耐えられる重量を超過させて死に追いやることもできるし、動けない程度に捕縛して殺さず捕らえることも可能である。
もちろん相手を五秒間以上視覚で認識しなければ発動はできない――紅条焔や久峰零次は廃工場のスクラップを盾に身を守っていたが、この庭園にはそこまで身を隠せるほど密度のある物質はあまり存在しない。
相手の姿さえ確認できれば問題はないのだから、この勝負、初めから濠夜にかなりの分があったという事になる。
それでもここまで相手を自由にさせていたのは、それだけの自信があったからこそだった。
「重い……、わたしに一体なにをしたの……ッ」
「んなもん教えるわけねーだろ、バカ。――ああ、こうして加減をするのは久しぶりだから、死なねー程度には我慢しといてくれると助かるんだが」
「……あくまで殺す気はない、ってこと? あは、甘いね」
「殺さないことが甘さに繋がるだとか勘違いしてやがんなら、テメェのほうがよっぽど甘ちゃんだと思うがな」
「知ったような口を……!」
庭園を抜けた先――校舎が隣に見える裏庭の敷地に、有栖川舞は身動き一つ取れないまま挑発するように濠夜へと視線を向ける。
殺されないと知ったからかどうかは解らないが、濠夜にはその光景がまるで滑稽にしか見て取れなかった。
「テメェさ、オレが言うのも何だが――狂ってるぜ、心底な」
「……能力者なんて所詮は異常者の集まりでしょ。こんなチカラを手に入れて、真っ当な精神でいられるヤツのほうがおかしいと思うわ」
「そうやって被害者ぶってりゃ気が済むのかよ、テメェは。……自分が能力者だからって節度を持って生きてるヤツってのは、オレの周りにゃ少なからずいてやがんだ。オレ自身がそうだとか自惚れたことを言うつもりもねーが、そうやって生きる術を見出して、正常なヤツらと同じ空気を吸おうって……それでもこっち側には巻き込まないようにしようって、それがオレ達の唯一掲げられる『正義』ってヤツじゃねーのか?」
「正義……? はっ。子供みたいな理想しか掲げられない大人が、本当の子供の気持ちなんて解るわけない――」
「ああ、わからねーよ。テメェの気持ちなんざ知ったこっちゃねえ、どうでもイイねそんなことは。それより大事なのは……テメェを許せねー理由はただひとつしかねーよ。オレ達の理念に土足で脚を踏み入れて、関係のないヤツらまでも巻き込みやがった――理不尽なんだよ、テメェのやっちまったことは。絶対に許されることじゃねえ」
そうして、濠夜は一歩ずつ舞の元へと歩み寄る。
もう喋る気力さえなくしたか、観念したのか――舞はそれ以上何も喋らず、抵抗さえ出来ないまま地面に這い蹲って目蓋を閉じた。
「悪ィが少し手荒にさせて貰うぜ。さっさとテメェを捕まえて、あの百瀬の奴に――」
どくん――と。
強く心臓の跳ねるような鼓動音が、唐突に濠夜の脳裏に響き渡った。
「が……は」
目眩が襲い掛かり、刹那――視界がブラックアウトする。
その瞬間。
有栖川舞に掛かっていた重力の枷が、何事もなかったかのように解かれた。
「っ――しまっ……!」
一瞬で自由を得た舞は、背後で立ちくらむ濠夜の姿を見て――先程までの苦悶の表情など消し去ったかのように、口元をひどく歪めて駆け出した。
「あははははは! なんだか良くわかんないけど! 詰めが甘かったみたいだね、お姉さん――!」
舞はその右手を伸ばし、飛びかかるように濠夜の頭部を、
「倉坂さん!」
ガシッ、と。
飛び入るように現れた船橋由香利の左手が、舞の右腕を掴んだ。
「ッ……、あなたはどこまで私の邪魔をすれば気が済むの……!」
「お生憎様。仇は自分の手で取らなきゃ気がすまないタチなのよ……!」
由香利はそのまま押さえつけるように舞の身体を地面へと叩き付け、その左腕も封じ込める。
顔を地面にへばり付かされ、舞は憎らしげな表情で――だが、口元を歪ませたまま。
「ああ、そう。それはとても素晴らしい心意気だとは思うけど。――残念ね、お姉さん。あなたはこのわたしに触れた時点で、すでに死んでしまっているの」
――え? と、由香利は疑問の表情を浮かべる暇さえなかった。
最初に崩れ堕ちたのは自分の腕。
ボロボロと、自らの肉片が零れ落ちるようにバラバラに落ちる。
そして連鎖するかのごとく、船橋由香利の身体は一瞬にして破裂し――血飛沫ごと、舞の背中へと飛び散った。
濠夜は、朦朧とする意識の中でその光景を見た。
自分の目の前で無残に死に行く少女の姿。
そして――もうひとつのモノを凝視する。
血塗れになり、黒い髪が赤く染まった殺人鬼――愉悦の表情を浮かばせて、ぺろりと舌で頬の血を舐める異常を。
「く……そ。なんで……こんな、ときに……ッ」
力も入らず、ただ地面に身を委ねるかのように――濠夜はその場に倒れ、意識を失った。
◆
有栖川京は、教室に散らばる死体を見てもいられず、扉の外で百瀬百合花の到着を待っていた。
転がっていた三人の死体――こんなものを任せられても、彼女にはどうすることもできない。
有栖川京は、その実ただの一般人であった。
超能力など持ち合わせていない彼女にとって、今回のような事件において出来得る事など限られている――それこそ監視班などがお似合いだというものだが、今回ばかりにおいて、彼女には『動く理由』ができた。
妹である有栖川舞の救出――しかし、事態を見ればもはや手遅れだったということは一目瞭然に等しい。
こんな結末を認めたくは無かった――が、現実は彼女に辛い事実を突きつける。
「舞……どうして、こんな……」
できる事なら、こんな結末を目の当たりにしたくはなかった。
部屋に転がっているその死体を直視して、それでもなお、これは虚像に違いないと何度も心の中で頭を振り続けた。
だが、それでもその光景が消え去ることはなかった。
あふれ出る涙が京の視界を塞いだことが、かろうじて彼女の精神を崩壊させずに済んだものの――教室を飛び出した後に残る彼女の心中では、認めざるを得ないその現実を確認しなければならないという責任感が渦巻く。
けれど――果たして自分は、その現実を受け入れられるだろうか?
京は思う。
この扉をもう一度開いたとき、自分は正常のままでいられるのだろうか、と。
それに、それだけではない。
窓から照らしつける月の灯りだけが頼りな夜の校舎――その廊下に一人立っているだけでも足が震える思いだというのに、そんな状況下で恐怖すら凌駕するモノを直視などできるわけがなかった。
「――なんて、いつまでも逃げてちゃいけないよね……舞」
その時――京は、自分でも何をしているのか理解していなかった。
ただそうしなけばならない、と言う感情が彼女の身体を無意識に動かせる。
怖いはずだ、悲しいはずだ、苦しいはずだ――けれどそんなものを通り越して、彼女の中に断固として貫き通したい意地がある。
迷いはない、後悔するはずもない。
今、自分がこの目に焼き付けようとしている光景は、まさしくこの自分が引き起こしたといっても過言ではない惨状――その成りの果てを見届け、責任を負うことが自分にできる唯一の事。
だから――身体が動く。
怖くても、悲しくても、苦しくても。
その先にある光景が、全ての終わりへと繋がると信じて。
そうして――京は、震えたその手でゆっくりと扉を開いた。
「――ああ。やっぱり、だめだった」
教室の中心にあるもの――ただそれを視界に納めてから、彼女はぐたりと床に膝をつく。
外した眼鏡が転げ落ち、ぽろぽろと零れ落ちる涙が止まらない。
ただ懺悔するように、京はそこにある死体をしっかりのその瞳で確かめながら呟いた。
「ごめんね……何の役にも立てないお姉ちゃんで、ごめんね――舞」
教室に転がり散らばっているバラバラ死体の数は――三。
その内の二人――『三姉妹』のメンバーである少女、佐久間飛花里と一之瀬灯。
そして。
最後の一人、その少女の名前は――。
◆
「――こんにちは、殺人鬼のお嬢さん」
背後から聞こえた聞き覚えの無い声に、殺人鬼の少女は思わず振り返る。
そこにいたのは、オレンジに近い紅色の髪の少女――気配さえ気付けなかったその相手に、殺人鬼の少女は咄嗟に身構えた。
「な、何者……?」
「私は貴女がそこに転がした女の子のお友達。――で、貴女は誰?」
「……ふん、増援ってわけ? そんなに必死になって、たかが一人の子供を捕まえたいんだ」
「御託はいらないし、話を逸らさないで。私はキミが誰なのかって聞いてるのよ、お嬢さん?」
敵意のない笑みで、敵意のある言葉を放つ紅髪の少女。
それに少し気味の悪さを感じながら、殺人鬼の少女は答える。
「……わたしは有栖川京。この学園に通う有栖川舞の――」
「ねえ、久峰麗華さん。口先だけのごまかしはどうでもいいから、一体それがどういう事なのかを教えてくれない?」
「ど……どういう意味? わたしは――」
「久峰麗華さんでしょ? 久峰零次の妹。殺人鬼の妹の殺人鬼。ううん、真実の殺人鬼って言ったほうがいい?」
「……、は。はは」
とたん、殺人鬼の少女は口元を吊り上げ――笑い出した。
「あはははは! 凄いねお姉さん、あなた何者? 誰にも話したことないのに、誰もが騙されているはずなのに――まさか知ってる人がいるなんて!」
「……別に何者でもないけれど。ねえ、真実の殺人鬼さん――人を殺し続けるのって、そんなに楽しい?」
「ふん、行為に快楽しか求めないなんてのは大人のやることだよ。わたし達子供はね、いつだって純粋無垢であるべきなの」
今更言うまでもないが――久峰麗華は、生粋の殺人鬼である。
己の両親をその手で惨殺してから――兄に庇われ、共に逃亡生活を続けてきた彼女の中には、いつの間にか人を殺すことへの快感――純粋な破壊衝動が宿っていた。
それから一年と経たないうちに、麗華はいつの間にか備わっていた力を使い、街で殺人を犯した。
そうして行為を繰り返し、街では次第にとある一つの噂が広まる事となる。
――殺人鬼、久峰零次の存在。
だが、それは正確に真実ではなく――
「それで上手く正当化したつもり? そのツケを支払っているのは貴女のお兄さん――結局は大人なんだってことを自覚してる? ……ま、言っておくけど私って屑には容赦しないから。痛い目に遭いたくなかったら、それが一体どういう事なのか早く説明しなさい」
「……どうもこうも、わたしが本物の久峰麗華だった。それだけのことでしょ?」
「そんな事、他で聞いた話から考えればすぐに推測できるわ。最初に死んだ暮凪先生の死因と、そこに転がってる死体の死因がまったくの同一だし。犯人は統括して同じ人間――殺人鬼の妹である久峰麗華がこの宿舎に潜んでいて、それを探しにやってきた只の一般人である少女が有栖川舞。――うん、そこまでは解るんだけど」
紅髪の少女は淡々と語り、そして殺人鬼の少女――久峰麗華を見つめ、
「どうして、同じなの?」
ただ、それだけを言った。
「……ふうん。頭の良さそうなお姉さんでも、そこだけは解らないんだ――はは、いいよ。特別に教えてあげる」
少し勝ち誇ったような顔をして、麗華はあざ笑うかのように語り始めた。
「――多重存在、って言ってね。つまるところ、わたしと有栖川舞は同じなの。と言っても姿形や声色、年齢が同じなだけで中身はまったく違うわけだけど。……知ってる? 多重存在って、出会った瞬間から相手に抱く感情が決まってるの。――相手を消したい、相手を破壊したい。そういう衝動に苛まれ続けるんだよ」
久峰麗華と有栖川京の出会いは、何の変哲も無い――夜の街での邂逅である。
いつもの日課を済ませた麗華が偶然道端で見かけた少女、それが有栖川舞であった。
「……まるで廃れた都市伝説を聞かされている気分ね」
「信じる信じないは自由にすればいい。……で、ここからが本題。わたしは元から殺人鬼だったから、舞に対して抱くこの衝動が、果たして何の所為なのか解らなかった。舞はそんな感情と向き合ってたみたいだけど、わたしにしてみればそんなのは滑稽でしかない。わたし達は、出会った瞬間から辿る運命を決められているんだもの」
最初に舞を目視したとき、麗華は鏡を見ているような錯覚を覚え――すぐにそれが勘違いだと気付いた麗華は、自分と瓜二つの姿をした少女に思わず声を掛けていた。
その瞬間から溢れ出すような破壊衝動に襲われていたが、それこそ慣れたものだ。
その日はすでに事を済ませていた麗華にとって、その衝動をセーブすることは容易いことだった――むしろ、こんな感情は常日頃から得ているし、違和感を覚えることがない。
自分と同じ存在――多重存在という言葉を知るのは、舞と出会ってからしばらくしてのことになる。
「舞はね、言ってた。わたし達は友達だから、こんな気持ちはきっと間違いだ――って。それから、二人してお互いの姿を出来る限り違えるようにしたの。髪型を変えたり、服装の趣味もまったく違うものにして……まあ、それでパッと見は全然違う女の子二人に見えたと思う。……でも、そこまでしたって舞は相変わらずだし、わたしは殺人鬼をやめられなかった。結局出した結論は、もう二度と会わない――それが一番お互いの為になる、そう舞が言い出したの」
思い出すたび、麗華は冷静に保っていた表情を歪ませる。
もう殺した相手のことだ――何を気にする必要がある?
そう思い、だが――思い返すたびに、苦しい気持ちが麗華の胸を痛めつけた。
「その時のわたしの気持ちがお姉さんに解る? 結局、わたしは自分が得ていたこの感情が、本当にただの殺人鬼だったから得たのかが解らないままだった。――もしそれだけが原因だとするなら、舞はどうしてあんなにも苦しんでいたのかって。先に声をかけたわたしのことを、本当はとてつもなく嫌悪していたんじゃないかって……ね」
「……多重存在、ね。それで、どうして貴女は舞さんと同じ姿に戻ったわけ?」
「わたしが戻したわけじゃない、あの子がそうしたんだよ。わたしと瓜二つの昔の姿に戻って……二度と会わないって約束してから一年経った今になって、舞はわたしの前に現れた」
麗華の前に再び姿を見せた少女――有栖川舞は、街で殺人を繰り返す久峰零次の噂を耳にしたと言い、麗華の身を案じたのだろう――約束を破ってまで彼女を助けようとやってきたのである。
だが、麗華がその時に得た感情は――
「舞は知らない。わたしが街で殺人を繰り返していること、わたしの兄は本当の殺人鬼ではないってことも。あの子はわたしを助けるって言ったけど――そんなのは結局、殺し合うことしか知らないわたしと舞では無理な話。相容れない二人の多重存在は、最後の最後まで手を取り合うことができなかった――つまるところ、これはそういうお話」
「……そうして、結局貴女は舞さんを殺す決意をした。つまり、先にこの学園へやってきたのは久峰麗華じゃない――有栖川京だったのね?」
「そう。まあ、あの様子じゃわたしが手を出さなくてもいつか精神のほうが先に折れちゃうんだろうけど。――うん、殺す前にはもうすでにイカれかけてたし。わたしを見ても何とも言わない上に、ただ怯えるような顔をしていただけだったから。確かめすらしなかったけど、アレじゃまるで記憶喪失みたい」
麗華は口調こそふざけているが、その辛辣な表情は隠しきれるものではなかった。
そんな彼女を眺めながら、紅髪の少女は呆れた態度で溜め息を吐く。
「みたい、じゃないけれどね。私が保護したときには確かに記憶を失っていたから、彼女」
「……は?」
「言葉の通りだけど。私が保護したのが久峰麗華ではなく、有栖川舞だったのだとしたら――保護していたのが、記憶喪失のフリをしていた久峰麗華という推測はなくなり、本当に記憶を失っていた有栖川舞をこの私が助けた……ということでしょ?」
「……じゃあ、なに? あの子は最後の最後で、結局わたしへの憎悪さえ抱くことを忘れたまま……一方的な殺意を持ったわたしの手で死んだって言うの? ……なに、それ。冗談じゃない」
「ようするに、彼女もまた殺人鬼・久峰麗華の餌食の一人に過ぎなかった、ただそれだけね」
「……っ! それは――」
麗華は思わず否定の言葉を口にしかけ、そこで唇を強く噛んだ。
全ては確かだった――殺人鬼である自分が持っていた有栖川舞への破壊衝動、それは確かに存在していたのだから。
だとしても、麗華は心のどこかで殺人鬼である自分を退けたかった。
せめて、もう一人の自分と言っても過言ではない少女――有栖川舞の前でだけは、普通の女の子としていたかった。
だが――二人は同一、互いを壊しあう存在に過ぎない。
自分が殺人鬼として彼女に接しているのか、それとも二重存在の枷として破壊衝動を持っていただけなのか――その違いがわからない以上、麗華は決して舞に心を許せるはずがなかった。
そう――仕方が無い、で済む問題のはずだったのに。
「……は、はは。あははははッ!」
麗華は狂うように叫び笑う。
――記憶喪失だから?
記憶がなくてもその存在が同一なことに変わりはない。
結局のところ、麗華は舞をただ純粋に憎んでいた――殺人鬼として他人へ常に抱く負の感情を、麗華は友人である舞にでさえ得ていたのである。
耐え切れなかったのは、舞のほうだったのだ。
二人が多重存在だからではない――ただ単純に、舞は友人から向けられ続ける強い殺意に耐え切ることができなかっただけなのだろう。
舞が苦しんでいた理由を知らずに、麗華はただ自分勝手な独りよがりを彼女に押し付け――挙句の果てに精神さえ崩壊してしまった儚い少女の身体を、その手でバラバラに解体して殺害した。
「やっぱり屑ね、貴女。ま、平気で人を殺せる人間が屑じゃない訳がないけど。とにかく事情は大体把握できたし、もう聞きたいことは何もない。それじゃ、大人しく捕まって貰うとしましょうか」
「ッ……うわぁぁぁあああああ!」
嘆くように涙を流しながら、久峰麗華は捨て身の覚悟で目の前にいる紅髪の少女へと走り出す。
――こんなところで捕まるわけにはいかない。
友人を失った今でも、わたしにはまだ待ってくれている人がいる――そう自分に言い聞かせながら。
「残念だけど……早く終わらせないと兄が起きてきちゃうし、仲良しお喋りタイムはこれまでよ。お礼代わりに、貴女には圧倒的な敗北をプレゼントしてあげるわ」
その瞬間――有り得ないことが起こった。
麗華の目の前にいたはずの少女の姿が、一瞬にして完全に消えたのである。
そして、
「ぐ、ぁ……ッ」
視界が暗転し、麗華の身体がどさりと地面に倒れた。
背後から攻撃を受けたのであろう――触れられたことにさえ気付けないまま、麗華はその場にうつ伏せになり、次第に気が遠くなっていく。
その時、何か言葉が聞こえたような気がした。
「さようなら、真実の殺人鬼さん。――そしてようこそ、死よりも苦しい牢獄の世界へ」
◆
そうして、夜が明けた。
学園で起こった連続バラバラ怪奇殺人事件は、その犯人の捕獲と死体の隔離にて事態の収拾を得ることとなった。
委員会リーダーである百瀬百合花の指示のもと、今回の事件に関わっていない人間達には、教師・暮凪遙診の死のみしか知られないよう情報操作が行われ――また、関わった者達を召集し、朝一番に会合を開いて事の顛末を報告しあう事となった。
生徒会室――学園の三階にあるその部屋に、数人の少女達の姿がある。
「――で? いくつか腑に落ちねー点があるんだが、聴いてもイイか?」
真っ先に挙手をしたのは倉坂濠夜――不良生徒でありながら、今日の会合には時間通りにきっちりと顔を出した少女である。
それを受け、囲まれた席の一番奥に座る百瀬百合花が答えた。
「ええ構いませんわ。どうぞ」
「ああ、まず一つ目。監視カメラに渋谷や有栖川舞、久峰麗華の姿が映らなかったのは、常時おかっぱ眼鏡がデータの改ざんをしてやがったからだ――ってのは解るんだが、そのデータの改ざんを頼んだ人物っつーのは結局のところ有栖川舞と久峰麗華、どっちなんだよ?」
濠夜の視線は百合花ではなく――彼女がおかっぱ眼鏡と呼ぶ少女、有栖川京へと向けられていた。
「……多分、あれは舞じゃなかったんだと思います。紅条さんの話が確かなら、舞は記憶を失っていたんですから。私と会ったあの子は、舞と同じ姿をした麗華ちゃん……ってことなんじゃないでしょうか」
「姉のテメェでも見分けがつかねーくらい、その多重存在っつーのは似てるモンなのか。だけどよ、それならどうして一度会ったときに似ていると気付かなかった?」
「私が初めて麗華ちゃんと会ったとき、二人は全然違いました。少なくとも、私の目からみれば……髪型も、服も。背丈や声は似ていたのかもしれませんけど、当時の私からしてみればそんなことは些細なことだったんだと思います。気付けるはずがありませんでした」
京は暗い表情のまま、辛いのであろう気持ちを抑え――今、自分が果たすべき事をやり遂げる為にここにいる。
思い返すほどにもうこの世にはいない妹のことが恋しくなり――それでも、姉として責任を真っ当しなければ、それこそ妹にあわせる顔がないというものだ。
「成る程ね。……じゃあ次だ。なあ渋谷、テメェはどうやってあの殺人鬼から逃げ出せた?」
唐突に話を振られ、戸惑う渋谷香奈。
だが、隣に座る焔に手を握られ、香奈は呼吸を落ち着かせながら――答える。
「……うん、単純に言えば暗かったからかなー。暗いから隠れやすいし、追いかけられにくい状況だったからねー。それに実際のところ、あの麗華ちゃんはそこまで運動できる子じゃなかったんだと思うー。あたしはそれなりにやってる方だから、逃げるだけなら簡単だったんだよー。あと決定的なのは、ほむりゃんの部屋に逃げ込んだら違う子がいて、その子が舞ちゃんだったってことだねー。麗華ちゃんは舞ちゃんを狙っていたみたいだから、あたしのことなんて忘れたみたいに舞ちゃんを狙い始めたんだよー。……さすがに二人で逃げるのは難しくなって、二階の教室で舞ちゃんが麗華ちゃんに向かって言ったの。『この人は関係ない、わたしはどうなってもいい』ってねー。そこから、麗華ちゃんに気絶させられてあたしはロッカーの中。……舞ちゃんは――」
一度口を開けば饒舌な香奈でも、舞のことに関してはこれ以上話そうとは思えなかった――彼女の姉である京に気を使ったのだろう。
「……あんまり気にすんじゃねーぞ、渋谷。テメェは別に何も悪くねーよ」
「あはは、まさかほりちんからそんな言葉が聴けるとは思わなかったよー。珍しいこともあるもんだねー」
「うるせぇよ。……ま、オレが気になったのはこんくらいか。じゃ、後は勝手に進めてくれて構わねーぜ」
濠夜の言葉に百合花は無言で頷くと、その視線を今度は焔へと向ける。
それに気付いて、焔は静かに口を開いた。
「……じゃあ、今度は僕の番だね。正直な話、ずっと気を失っていた僕からしてみれば、今回の事件に関して気になるってこと自体は特にないけれど――そうだな、しいて言うなら百合花さんへの質問がいくつかあるよ」
「あら、わたくしにですか? どうぞ、遠慮なく聴いて下さい」
「それじゃお言葉に甘えて。――ねえ百合花さん、本当のところ貴女は知っていたんじゃないんですか? この街で起きていた連続殺人事件の本当の犯人が、久峰麗華だったって事を」
「……何故そうお思いになるのかしら?」
「うん。これは憶測なんだけれど、僕に久峰零次の始末を任せたのが久峰麗華が彼の元を去った後――つまり、彼が街の能力者達を疑い始め、次々と襲うようになってからの時期と被ってる。どうして百合花さんが今になって久峰零次を狙ったのか――それは別に今までは大目に見ていたとか、そんなことじゃない。ただ単純に、久峰零次が犯人ではなかったから……違うかな」
「……正解率五十パーセント、といったところですかしら」
百合花が答える。
「確かにそれはその通りですが、全貌ではないですわね。――わたくしは、最初から久峰零次が街の連続殺人事件の犯人だとは思っていませんでした。そして久峰麗華が犯人だとも確証はなかったですし。ただひとつ、犯人が女性であるということだけは掴んでいたのですけれど――」
「……もしかして、だから僕に久峰零次の性別を?」
「ええ。女性だった、と聞いたときはまさかと思いましたわ。そもそも以前から起きていた街の連続殺人事件と、今回の久峰零次が起こしていた事件はまた別件です。わたくしは、あくまで久峰零次が起こしていた事件の解決を焔さんに一任したまでですから」
「ま、結局それはオレだったんだがな」
濠夜が誰にともなく呟いた。
「でも、勘違いとはいえ――久峰零次が女性だという情報を得て、百合花さんは街の連続殺人事件の犯人が久峰零次なのかもしれないと睨んだ。噂ではそう言われている――っていうのは、証拠もない上で久峰零次がただそう言いふらしているからだ、ってことか」
「そうですわね。妹を守る為とは言え、あれでは自分が犯人ではないと言いながら歩いているようなものでしたから」
「つまるところ、久峰兄妹は二人して殺人鬼と成り果ててしまったってわけか――」
両親を殺し、そのトラウマから純粋にして生粋な殺人鬼となった妹――久峰麗華と。
壊れゆく妹を守る一心で汚名を被り、助け出す為に本物となった兄――久峰零次。
二人の兄と妹は、そうして『殺人鬼』という穢れた仇名を持つに相応しい存在となったのだった。
「……さて。それではそろそろ開門の時間ですし、会議はこの辺にしておきましょう。倉坂さんと有栖川さんはわたくしと一緒に来てください。焔さんと渋谷さんはここでお別れですわね。また放課後にでもお会い致しましょう」
「あ? なんでオレが百瀬と――」
「手続きがありますから。――まさか、お忘れではありませんですわよね?」
「……別に、何でもねーよ。チクショウ」
「あれー? ほりちんって百瀬先輩に弱いんだー。これまた意外ー」
「……渋谷、アイツらにチクったりしたら殺す」
「それでは皆さん、失礼しますわ」
そうして、百合花と濠夜、京の三人は生徒会室から去って行った。
二人取り残された焔と香奈は、互いの手を握り合ったまま――しばらくの間、静かな時を過ごすことにしたのだった。
◆
「――さてと。紅条と渋谷を二人にさせてやったのはテメェの気遣いだとして、別にオレとおかっぱ眼鏡を連れ出したのには他に理由があんだろ?」
校舎内の廊下を歩きながら、ふと濠夜が口を開いた。
「ええ。どうも血生臭いお話になりそうだったので、あのお二人には退席して戴こうかと思いまして」
「ふうん。で、どんな話だよ?」
「久峰麗華の持っていた能力のことですわ。気になりますでしょう?」
「ああ。触れただけ――いや、多分アレは自分に触れたモノに対して発動する能力なんだろうが……一瞬で人間をバラバラに解体できちまうチカラなんて、一体どんな能力なのか――ってのは、オレも割と気になってた」
「私も……舞や三姉妹のみんなをあんな風にしてしまった力について、知りたいです」
濠夜と京が頷いて、百合花がそれに応える。
「恐らく、アレは超能力ではありません」
「……なんだと? どういう意味だ、それ」
「解らないのですわ。わたくしにも、アレが一体どんなチカラなのか。人と触れ合っただけでそれを分解してしまう能力――わたくしはそう見ていますが、そんな能力なんて見たことも聞いたこともありませんから。正直な話、アレはわたくし達の手に負える存在では……」
一瞬、百合花が影のある顔を見せ――それに気がついた濠夜は、思わず百合花の肩をその手で掴んだ。
「オイオイ、血生臭い話っつーのは……ようするにそういうことかよ?」
「……恐らく、あの少女は拘束しようが牢に閉じ込めようが――自らに触れるモノ全てを破壊してしまうのであれば、そんなことをしても意味がないでしょう。次に目を覚ましたとき、わたくし達はあの殺人鬼の少女を止めることができない――」
二人の会話から、ようやく京も話の内容を理解できたのだろう――驚いたように目を丸くして、百合花の目の前まで駆け寄り向かい合った。
「まさか、麗華ちゃんを殺すつもりですか……!」
「そうしなければ、彼女はいとも容易く脱走し……今回の事件のように、また死体の山を築き上げるでしょう。それだけは、なんとしてでも止めなければならないのですわ」
「おかっぱ眼鏡に話したのはケジメだろうが、オレに話したっつーことは――殺しをオレにやらせる、っつー意味で受け取ってイイのか?」
「倉坂さんっ!」
「黙ってろ、おかっぱ眼鏡。……で、どうなんだ百瀬」
三人の間に不穏な空気が漂う。
百合花はどこか躊躇いをもった表情で目線をそらしていたが――やがて観念したかのように、静かにその問いへの返答を口に出す。
「――可能であれば」
◆
二階のとある教室――三人の少女の死体が散らばっていたはずの場所へ、焔と香奈はやってきていた。
今となっては跡形もなく、血痕ひとつ残さず綺麗になったその部屋を――二人は口惜しさと悲しみを込めた表情でただ眺めていた。
「……ここでさー、あかりんがあたしを助けようとしてねー。自分も一緒に逃げ出せばいいのに、あの二人を置いていけなかったんだろうね……あたしだけを外に追い出して、カギまで掛けちゃってさー。その時、あたしどうしていいのかわかんなくてねー。だから逃げ出した。うん、その時は必死に助けを呼び戻るつもりだった――宿舎で百瀬先輩とほむりゃんに会って、その時すごくホッとしたんだよねー」
ただ独り言のように呟く香奈の言葉を、焔はただ無言で聞いていた。
「あたしは助けられただけで、あかりん達を助けることはできなかったんだよ……」
「……倉坂さんも言ってたじゃないか。香奈は何も悪くないんだって」
「それでも……あたしは……」
しばらく俯きながら、ふと香奈は鼻をすすった。
「あかりんがさ、言ってたよー。あたしを助けた理由が、あたしを助けないと困る人がいるからだ……って。あの子、きっとほむりゃんが好きだったんだよ」
精一杯の笑顔を作って、香奈は焔に向けてそう言った。
だが――その時、平静を保っていた焔が表情を崩す。
まるで何か的外れなことを言われたような顔をして、
「――違うよ、香奈。一之瀬さんが好きなのは僕なんかじゃないんだ」
「え……? ど、どういうこと?」
「少し前にね、相談を受けたことがあったんだ。彼女は自分が女なのに、同じ女の子を好きになっちゃったって。その時、僕はそういう話は苦手だから――ってあまり話を聞かず仕舞いだったんだけど。――その相手ってさ、香奈のことなんだよ?」
――その時。
今まで強がりで耐え続けていた香奈の涙腺が崩壊し、泣き崩れるようにして焔の胸元へと飛び込んだ。
「一之瀬さんって、ああだからさ……多分、面と向かって素直に言えなかったんじゃないかな。それによく考えてみなよ、もし僕を好きだったのだとしても、そんな僕が悲しむからって理由だけで、命を賭けてまで香奈を助け出そうとするはずがないだろ?」
「うん……、うっ……!」
香奈を抱きかかえるようにして、焔は彼女の頭を撫でながら――言う。
「それに、一之瀬さんだけじゃない。佐久間さんも船橋さんも、みんな香奈が好きだったよ。みんなで香奈を助けたいと思ったから、今がある。善悪でいえば香奈は悪くはないけれど、彼女達の賭けた命を背負うことはしなくちゃならない。僕なんかが言うことじゃないかもしれないけれど――香奈は彼女達の分まで生きなければならない義務を背負ったんだ。僕や倉坂さんみたいな人間がいるこちら側に、香奈はいるべきじゃないんだよ。解るよね」
「っ……でも、ほむりゃんは――」
「僕は、もうすでに壊れてしまったから。香奈と同じ場所には立てないから。だから、僕にできることは――香奈を守るってことだけなんだ。こうして同じ空気を吸えるだけで、僕にとっては十分幸せなんだよ」
「う……、うぁあ……っ!」
嗚咽を混じらせ、声を上げて嘆く香奈の身体を抱き締めながら――焔は髪を解いた。
「そう……香奈はこちら側にはきてはいけない。貴女は私達を踏みとどませられる枷でもあるのだから――」
――少女達は、交錯する道を互いに別れ歩んでいく。
その道がいずれ繋がり、ひとつになることを夢見ながら。




