02:皇太子妃がレフに友人がいないことを今更心配する
延々と魔神語の歌を大声で歌いながら激しく踊る「型稽古」を何時間続けたろうか。
レフは、体の中で何かが絡みつくような心地よくない疲労感を全身で味わっていた。
魔力を制御するという白銀の腕輪と足輪の重量が、手足を動かすたびに枷の如く5歳児の自由を奪う。
さらに裏地に銀糸でびっしり魔神語を記したローブが、彼の動こうとする意志を内側から抑え込む。
なるほど「魔力に負荷をかける」とはこういう状況なのかと、レフは他人事のように自身の不快感を分析した。
因みに魔神語というがレフからすればどう見ても日本語、しかも現代日本語である。
長年親しんだ言語で歌いながら踊るのが魔術と言われても現実感が湧くわけがない。
懐かしさと久しぶりに体を動かす娯楽になるのとで真面目にやってるようなものであった。
だが不思議と激しい歌唱や舞踏によるのどや体の痛みは感じない。
師曰くそれが基礎魔術の型の効果であり、魔力で身体を癒すことで長時間の連続した鍛錬を可能にするのだそうだ。
「魔力の流れを知ることで魔術の扱いを心得、負荷をかけることで扱える魔力量を増やし、さらに体力をつける。
基礎の型には魔術師の成長に必要な全てが詰まっております。
心と体に基礎の型を刻み込みなされ。
そして詠唱や舞踏、さらには意識もなく己が体が癒えるほどに極めるのです。
他の魔術を覚えるのはそれからでも遅くはありません。
いや、むしろ基礎を極める前に他の魔術を覚えるなど早すぎるというべきでしょう。
基礎の型をどれだけ我が物にできたかこそが、魔術師の力量を決めるのですぞ」
まるで武侠漫画の世界だ。
上記の説明を聞いたレフの感想である。
そして気怠さを身に纏いつつ、レフは型稽古をいったん中断し訪問した母の下へ向かう。
母であるオリガは帝国貴族夫人としての正装に身を包んでいた。
その姿は彼女の美貌と相まって一つの芸術品のようである。
だが、間違っても息子の授業参観に着てくるような服装ではない。
そして彼女は普段から宮廷を正装で練り歩く人間ではなかったはずだ。
「母上、父上と何か、難しいお話ですか?」
5歳児らしい素朴な顔とたどたどしい口調で、レフはオリガに疑問を尋ねた。
疑問に思ったらさっさと聞いてしまうのが子供の特権だ。
そんなまったく子供らしくないことを考えながらだが。
「え? どうしてそう思ったの?」
「ええっと……母上が珍しく綺麗な服だから」
ずいぶん失礼な物言いである。
だが、レフも好きでこんな言い方をしているわけではない。
レフは5歳にもなってこちらの言語をまだ完全に使いこなせていないのだ。
日本語から完全に切り離され、言葉を覚えなければ何もできないならばもっと必死にもなったろう。
だが現実には「魔神語」として日本語を教えられながらの現地語学習である。
むしろ現地語よりも日本語の方を重点的に教えられたほどだ。
そんな状況でたった5年、教育が始まってからの機関で数えるならさらに短い。
母語のように使いこなせなくても当然といえる。
レフは正直たった5年でよくここまで外国語ひとつ修得したもんだと自分をほめたいくらいであった。
「ああ、それで……どういえばいいかしらね……。
ともかく、お父様とお仕事をしてたけどレフが心配するようなことはないわよ。
今はお仕事の帰りで、せっかくだからレフの頑張りを見ようと思ったの」
故に、オリガは息子のそんな口下手な一言を窘めるでもなくそう答えた。
出来のいい息子の数少ない子供らしい一面。
帝国を背負う身としていずれは治すべきであろうが、今すぐでなくても構うまい。
オリガは我が子の吃音をその程度に考えていた。
「そう、ありがとう、母上」
レフはそれを聞いて何か誤魔化したいことがあるのだろうと察し、それ以上の追求を控える。
「そういえば、僕の型は、どうでした?」
レフは母親に見せるように基礎の型を歌ぬきでちょっとだけ舞う。
「とっても上手よレフ! 私がそこまで舞えるようになるには一月くらいかかったもの!
この調子なら一年もせずに基礎の型を極めちゃうかも!」
オリガはそんないじらしい息子の姿を見て手放しでべた褒めする。
だが、そんな母親の姿を見てレフは小首をかしげて少し不満そうに尋ねた。
「……それって、どれくらい早いの?」と。
実際、周りに誰もいない状況で延々歌い踊ってるだけの彼には自分の力量がよくわからない。
どうもしばらくこの踊りをさせられそうだし、多少は上達した達成感が欲しい。
そうでないと一月もしないうちに飽きそうだ。
別に惰性で続けても一向にかまわないが、できれば貴重な娯楽は大切にしたい。
そんなことを考えるくらいレフの子供生活はヒマであった。
オリガはそんな不満そうな息子を見て、ひとつちょっとしたことを思いついた。
レフに魔術を修得させるのは止められそうにない。
ならば、同じく似たような歳で若くして魔術を習う貴族の子弟を引き合わせられまいかと。
流石に5歳で魔神語を覚えるような規格外は同時代に二人もいないだろう。
だが8歳で修得した天才ならいてもおかしくはない。
10歳なら帝国を探せばおそらくいるだろう。
そうした才子を集めて息子とともに魔術を学ばせるというのはどうだろうか。
同門という人脈は血縁と地縁の次に強いという。
才能ある同世代の兄弟弟子は息子の、ひいては帝国の将来における武器になるはずだ。
それに会話の機会も増えれば、息子の口下手も克服されていくかもしれない。
魔術を学ばせると決まって急に思いついたにしては、悪くない考えだとオリガは思った。
ならば思い立ったが吉日と、オリガは目の前の息子に提案してみることにした。
「そうか、やっぱり一人で鍛錬してても張り合いがないわよね。
ならお友達と一緒に魔術を学ぶのはどう?」
「僕、友達いません」
即答であった。
皇室クジョー家から久しぶりに生まれた唯一の男子として5年間宮廷の闇から守り続けてきた弊害である。
何の疑問もなくそう言い放つ息子を見て、オリガは魔術云々の前にこっちの方が問題ではあるまいかと今更に危ぶんだ。
そら信用できる限られた人物としか接触していなければ吃音にもなろう。
「そ、そう……なら新しく一緒に勉強する子を探してくるから、その子と友達になる?」
「友達は親に用意してもらうものなのですか?」
子供の率直な疑問が容赦なく母親を突き刺す。
当のレフは「さすが上流階級は窮屈だなあ」程度の軽い気持ちで尋ねただけだが。
「う、ええっと……と、ともかく出会う機会がないことには友達にもなれないでしょ?
折角の機会だから魔法を勉強する子を集めて一緒に勉強することにしましょう?
友達になれるかどうかはあくまでレフの気持ち次第よ!
将来のローマ皇帝、欧州藤原氏の末裔として魔術ともども頑張りなさい!」
勢いでごまかしつつ、オリガはいたたまれなさそうに広場を去った。
そのまま自室――ではなく、再び皇太子の執務室へと向かう。
そんな母親の後姿を眺めながら、レフは誰にも聞こえないように小さく
「……前から思ってたけど、なんで藤原氏が欧州でローマ皇帝なんだよ……」
と「魔神語」でぼそりと呟いた。